第二章
「外交?」
訝しんだ声。その響きに頷く生徒会長に疑いの視線が向けられる。
時は夏季休暇中、場所は国立フィーレスト学院生徒会室。夏の日差し差し込む空気調和の整えられた一室で、灰被りな青年クラウス・アルフィルクはいつも通り腰を落ち着けて振舞う。
隣に座る神童、ユーリア・クー・シーは彼女もまたいつもと変わらない用心深い瞳で先ほど室内に響いた言葉を繰り返す。
外交。国際関係における交渉。その話をするために、校内保安委員会の面子は生徒会長ニーナ・アルケスの呼びかけによって生徒会室に集まっていた。
「そうよ。この前委員会が公式に国直轄の組織になったでしょ? その最初の仕事として外交の話が回ってきたの」
「外交と言ってもそう難しい話じゃないがな。御偉い方とお話して手紙を届けるだけだってよ」
校内保安委員会。クラウスが求め、ニーナが表立って指揮を執るフィーレスト学院の治安維持組織。そして、英雄的妖精ヘルフリートを管理する為の檻であり、国直轄の飛び道具部隊。
簡略化しても随分と面倒くさい立ち位置だと思いながらどうしてこんな状況になったのかを簡単に思い出していく。
ヘルフリートの一件で彼の存在を一定の人たちが認識して、改めてヘルフリートという存在を監視するために国から直接命が下り、それまで公になっていなかった繋がりが明確な形で誇示されて。結果校内保安委員会は国直轄の組織へと成り上がったのだ。
尤も、ヘルフリートに手を出した時点でその交換条件を最初に提示したのはクラウスの方ではあったのだが。
国から監視され、直轄であるが故に一定の責務を果たさなければならなくなる。けれど、いくら国が管理しているとはいえヘルフリートの尊厳は今やテオに一存されている。下手に危ない問題は回せないし、かといって何もさせないのではその存在を疑われる。
ヘルフリートの持つ影響力を隠しつつ誇示をして抑止力へとするための試行錯誤。その過程で最初に任された話が今回の外交ということだ。
「……仕事は回ってこないんじゃなかったの?」
「絶対にないとは言ってないよ。ただ他の人たちと比べると随分と楽をさせてもらってるとは思うけどね」
疑念の視線に答える。
現在のブランデンブルク王国と他国との関係は非常に危ういものだ。その均衡は前の戦で幕を引いた四人の妖精……ヘルフリートたちの存在があってこその平穏だ。
彼の存在が危うくなれば再び戦が起きることだろう。そんな存在がいる組織に無茶をさせる事はできない。
「それにこっちには話を受けるって言う選択肢以外は存在しないよ」
「それは分かってるわよ」
何処か拗ねた風に言うユーリア。いつも通りだなどと考えつつ視線をニーナに向ける。
「それで、いつ、どこにですか?」
「スハイル帝国帝都に来週一週間滞在」
「随分と長いな」
答えには幼馴染の声が返る。赤髪の幼馴染テオ・グライドの言葉にクラウスも同じ事を考えて少し考える。
そんなに恩を売るほど価値があるようには思えないのだけれど……。それともこちらが売った恩を返しているのか。後者なら少しだけ心当たりはあるが。
理由を求めて思考を回す傍ら件の帝国について少しだけ思い出す。
スハイル帝国。帝国の名の通り複数の小国からなっており、そこに住む者達も多岐に渡る。このフェルクレールトという大地において最も煩雑で、最も活気に溢れた大国の一つだ。
地図上で言えばブランデンブルク王国の北西にあり、先日ヘルフリートの件で向こう側を少しだけ見たカリーナ共和国の真北に位置する。
ブランデンブルクとの国境には天をも貫く山脈が存在し、そこでは多くの幻想生物が暮らしている自然に溢れた場所だ。
「ちょっとした旅行だな」
「確かにね」
小さな呟きはヴォルフ・ブラキウムのもの。クラウスと同じ景色を思い浮かべていたのか軽い口調で言葉にする。
対照的に彼の声に考えるように続いたニーナは少しだけ眉根を寄せた。何やら嫌な想像をしたらしい。
クラウスも幾つか想像はしているがどれも情報が少なく確証に欠ける。だからこそ今までのお礼のようなそれの方がしっくり来る。
「まぁ特に何もなければ好きな風に行動すればいいんじゃないでしょうか? 国仕えでもない限り他国に行く事なんて早々ありませんし課外授業とでも思えばいいかと」
「そうね、折角これも貰ってるし」
そう言って手元の封筒を揺らしてみせる生徒会長。
「何ですか、それ」
「旅行券。竜籠の手形よ」
「ほんとうに外交なんでしょうかね。不安になりますよ」
募る不信感を口にして小さく笑いを落とす。もしかしてヘルフリートの扱いに困っての一時国外幽閉なのかもしれない。
ニーナの言う旅行券だが、実際は入国証明書みたいなものだ。
戦争が終わって十数年。ようやく生活も安定してきたこのご時勢だが、それでも国と国の折衝事は絶えない。
そんな中で他国に行こうとすれば事件に巻き込まれないために国発行の証明書が必要になる。また、他国との境にはカリーナ共和国との時のように峡谷や山脈といった自然の壁が存在する。それらを足で越えようとすれば多大な労力と時間を必要とする。
その為、他国に行くためには大地を揺られる馬車や、空を旅する長距離移動用の竜籠を使用するのだ。
今回はその後者の使用権まで含めた好待遇らしい。
「スハイル帝国との間にはアルネブ山脈がある。竜籠という事は迂回路か?」
「そうなるでしょうね」
随分とまったりした外交だと思いながらその真意を掴みかける。
恐らく国はこれまでの委員会に対しての行為に礼を返そうとしているのだろう。
設立の際には試すように悪戯騒動を嗾け、その様子を監視して。ヘルフリートの時は軍事目的である事を仄めかして期待を掛けて……。
事実被った不利益は殆どないに等しいが、だからこそ精神的な呵責があったのかもしれない。
お礼と、ご機嫌取りと。もしこの考えがあたっているとしたら、一体どちらが相手を忌避しているのか分からなくなりそうだと小さく笑う。
何にせよ話を回して充分な時間をくれたのは御偉い方なのだ。こちらには是非もなし。必要な事はしっかりと果たして残りは自由に羽を伸ばさせてもらうとしよう。
「とりあえず準備しないとな」
「そうだね」
「あの、券何枚あるんですか?」
色々な問題を棚上げにして意見を纏めた直後、隣から質問の声があがる。
何枚、というのはどういう意味だろうか?
「普通に十枚だけど……」
「私とリーザは国軍の権限、ヘルフリートは国賓扱いでそれ必要ないと思うんですけど」
「あぁ、そっか」
ユーリアの言葉に納得の声が漏れる。
まず幾つかの前提として、こういった国境を跨ぐ移動には許可証が必要になる。そしてそれらは人間のみならず、契約妖精にまで必要となる。
国が贈ってきた許可証は十枚。クラウス、ユーリア、テオ、ニーナ、ヴォルフ。そしてその契約妖精たちできっちり十枚だ。
けれど例外として、ユーリアとその契約妖精であるリーザには国軍所属の肩書きとそれに付する権限として許可証の免除がある。それを使えば彼女たちは許可証の必要がないのだ。
またヘルフリートは英雄的妖精だ。その影響力ゆえに彼もまた幾つかの権限を持っている。その中に他国への移動の際、彼の待遇を国賓のものとして扱いそれに準じた権限を付与するというものが存在する。
つまり、ユーリアとリーザ。そしてヘルフリートには許可証が必要ない。このあたりは恐らく国の見落としなのだろう。無駄な金を使わせたなぁと思う。
「必要ないなら返さないといけないわね。少しもったいないかも」
いわゆる旅行券であるところのそれには有効期限が存在する。発行してもそれを生かす機会がなければただの紙切れだ。
「……暇なら今後の予定でも立てておいて。不必要な分返して来るわ」
「分かりました」
仕方なさそうに溜息を零して立ち上がったニーナが面倒くさそうに言い残して出て行く。
扉が閉まる音を響かせて、室内は少しだけ静寂に満ちる。
それぞれに考える事は違うのだろう。国賓の意味だとか。金がもったいないだとか。
幾らお堅い人たちだといっても根源的には人間だ。失敗は犯す。
今回に限って言えば委員会が国の組織になってその対応を考えている中で外交の話が上がって、やっつけ気味に現状へとなったのだろう。ヘルフリートという存在と、恐らくこちらの考え以上の期待を掛けられて過大評価した末の見過ごし。
人間味があると笑えばそれまでかと一つ括って口を開く。
「ユーリアは何処か行ってみたいところある?」
「別に……。強いて言うならスハイル城かしらね」
「あれだろ? 氷の山削りだして造られたって言う」
スハイル城。テオの語った通り山ほどの大きな氷を削って造られた全てが氷で出来た城だ。
太陽の光を受けて輝く様は七色に煌き、夏場でも辺りの気温は涼しいほどになるというこの時期にはぴったりの避暑地の一つだ。
城を構成する氷には異能の力が溶けており、永遠とも言われる時間の中でも溶ける事がないと言われている、スハイル帝国の帝都に鎮座する国の象徴だ。
「でも外交で行くだろ?」
「自由に見て回りたいってこと?」
「……だって暑いもの」
鬱陶しそうに窓の外の青空を睨むユーリア。確かに夏本番というべきこの頃は日差しが強く日中の温度も高い。それに彼女たちにとっては肌の大敵でもあることだろう。
その点スハイル帝国はこの時期は随分と穏やかな気候だ。逆に冬になればその苛烈さは遠慮したいほどではあるのだが。
そんな他愛もない話題で間を繋いで、それぞれに目的を頭の中で確立していると話をしに出て行ったニーナが何処か嬉しそうな表情で戻ってきた。
「勿体無いから友達でも呼んで楽しんでくればいいって言われたわ」
話の速さからして学院長にでも確認しに行っていたのだろう。
太っ腹というかなんと言うか。
既に外交の事が頭から抜け落ちている様子のニーナに小さく溜息を吐いて尋ねる。
「では三枚。誰を呼びますか?」
「お世話になった人に決まってるでしょう?」
そう言って既に考えていたのか二枚をユーリアに、残り一枚をヴォルフへと手渡す。
「ルキダさんと契約妖精の子、それからレベッカちゃんを呼びなさい。これは会長命令よ」
妥当な判断だろうか。特に異論も出ないままどんどんと話は進んでいく。
必要最低限の準備と服装。それから申請書類等の注意。この辺りさすが生徒会長というか自分のためというか。
彼女らしさに振り回されつつ頭の片隅で危惧する。
まさかこの外交の話、アンネが一枚噛んでいるのでは?
────最後に笑うのは私だから
脳裏を過ぎる彼女の言葉に既に疲労感を感じるクラウスだった。
外交の話から一夜明けて。少しだけ曇った涼しい昼下がりに、クラウス達委員会の構成委員はアンネとレベッカを加えて町へと出ていた。旅行……もとい外交に必要なものを揃える為だ。
とはいっても男のクラウス達には殆ど準備するようなものはない。今回は女性陣の付き添いだ。
雑踏の中雑談を交わしながら幾つかの買い物をしていく。その傍らでこれまでの事をようやく俯瞰して思い出せることに、今の平穏を感じる。
時たまアンネが視界の端でこちらを伺っていたが無視をした。どうやら今回の外交の話、やはりアンネが一枚噛んでいたらしい。
こうして絶対に彼女のところに話が回るわけではなかっただろうに。賭けだったのならその強運に負けを認めるばかりだ。
レベッカはと言えば終始ヴォルフの傍に寄り添うようにして笑顔を見せ、退学騒動の時とはまた違う明るい笑顔で兄の顔を見上げていた。その顔に前までの恋愛感情は見えない。
あれから幾つか耳にした話では、進展と停滞の板ばさみの上に穿っていた溝を埋めているということらしい。
戸籍上は前のまま、レベッカはコルヌ家に、ヴォルフはブラキウム家に籍がある。けれど二つの家で話し合いをしたのか、互いに認識した上で二人は兄妹としての距離感を築きつつあるようだ。
退学騒動からまだ二週間程度。気持ちの整理もまだ纏まらない中で、どうにか歩み寄りを見せているというところだろうか。それに際してレベッカの中からは前までの恋愛感情は少し鳴りを潜めつつ、逆にヴォルフのレベッカに対する気配りが少しだけ比重を増したのが現状だ。
まぁいきなり出来た妹だ。距離の取り方も自ずと決まる事だろう。
「──だから何度も言っているが……」
「その心配性もう少しどうにかしてください! お兄様っ」
……それでも少し行き過ぎな気もするが。
またテオとヘルフリートも順調に前に進んでいるようだ。
ヘルフリートの波長の変化。それに伴う問題。
ヘルフリートの存在はクラウスが望んだものだけに最後まで妥協の許されなかった問題だ。結果、極論成功か失敗かの賭けにはなってしまったが、それでも理論上の勝算は確かにあったのだ。でなければあそこまで無謀な事はしない。
終わった事だと客観視してもその危うさに目を引かれるのは、これまでそれらとは無縁の生き方をして来たからだろう。
得た結果だけ見れば確かに成功だった。これによって反転術式を利用した波長の変化を人為的に引き起こす事ができるようになったのだ。
だからこそ、クラウスはこの妖精術を王立機関妖精術統括理事会最高顧問であるベンノに頼み非公開にし、クラウスのみが扱えるように計らって貰った。
別に利益を独占しようとしたわけではない。反転術式は規格が決められた時点で戦略級妖精術と同等。そんな代物を戦争の火種燻る今の世に解き放つ事はできないと考えたからだ。
運動量やその指向性、妖精力、命令式。それらを反転し打ち消すこの術は汎用性が高すぎる。悪人が使えば妖精術によって構築された防犯対策を簡単に打ち消す事ができる。また、妖精術の無力化とは即ち決定打の消失だ。この術が横行すればそれを超えようとする技術が現れ、結果妖精術の規模が極端に大きくなる。それはきっと英雄的妖精を幾つも抱えることと同義で、国と国の均衡を壊す事へと繋がるのだ。
またヘルフリートの問題では全てが理想通りに転んだわけではなかった。これは後から分かった事だが、ヘルフリートの波長変化に伴いテオのそれも変化した。その際に、テオは妖精従きとしての特技を扱えなくなってしまったのだ。
テオの元々の特技は業炎……空気の存在する場所で炎系の術を使った際に、炎を伝播してその規模を拡大させるというものだった。
波長に依存する妖精術や特技が急速な変化に追いつけなかったのだろう。
特技は天恵のように与えられる妖精従き、契約妖精独自の特権だ。これらを人為的に付与する事はできない。
しかし代替品で似たような可能性を模索する事はできる。妖精術だ。
新しい妖精術を作り出し、特技に似た効果を持つ術を扱えばその隙間を埋める事ができる。もちろん、特技と妖精術の間には幾つかの隔たりが存在していて、全く同じように使用するというのは極めて難しいことではあるのだが。
その失った特技の穴を埋めるために、テオはクラウスに頼ったのだ。
同じものではなくていいから、ヘルフリートの力を存分に発揮できる術式を作って欲しいと。
別に作る事自体は吝かではないが、これにもまた問題が生じる事は理解しているのだろうかと不安になる。
妖精術の譲渡。それは命令式の譲渡に他ならない。妖精従きと契約妖精の間に描かれる命令式はその間の波長で最も効率のよいものへと自然に変化する。
つまり術を譲渡したところで他人の作った命令式を使っていては充分な結果を得る事ができないのだ。
自分の技術として振るうには、妖精術を使う者が使いたい妖精術を真似て、一から自分にあった命令式のものを作らないといけなくなる。
そしてこの点において、テオが最も苦戦する分野なのだ。いや、テオだけに限る話ではないのだが……。
確かにテオはユーリアと比肩するほど実技での実力を持っているし、座学においてはトーアの中では首位を維持している。これだけの情報を並べればテオは敵なしの超人のような存在に聞こえるだろう。
しかしクラウスが情報がなければ不安になり判断を下せないようにテオにも不得意な分野は存在する。
それが妖精術の開発なのだ。
応用という意味ではテオもそれなりに可能だ。それは習った数式を使って文章題を解くのとほぼ同じで、妖精術の構造については一通り妖精学で習っている。
しかし現存する妖精術を応用して自分に合ったものを作り出すことと、無から全く新しい妖精術を作り出すことは全くの別物だ。
まず前提として人間には妖精術を作り上げることはできない。命令式を書き、それを効率化して契約妖精に頼み妖精語で構築して初めて術として形を成すのだ。
妖精語は妖精が扱う言語だ。妖精術を行使する際の方陣、そこに内包された命令式はすべて妖精語で記されている。これは妖精力、妖精術が元々妖精独自の異能であった証拠だ。
妖精語は座学では習わない。自主的に勉強すれば読む程度までは突き詰めることが出来るが、それ止まりだ。読めて、文字にしたところで、それが命令式や妖精術へ昇華するわけではないのだ。
妖精語を命令式へ変化するためには、妖精に備わった独自の能力でしか方法はない。
これが座学で妖精語を学ばない最たる理由だ。
つまり人間が考えた命令式を妖精が方陣に書き込む必要がある。
テオが苦手とするのはこの命令式を考える部分。簡単にいえば妖精に伝わるように特別な文字列を用いて命令式を書き、尚且つ新しい妖精術の開発にはそれまでにはない命令式を使わなければならない。
それは新しい言葉を作り出し辞書に登録することと同義なのだ。
そんな天啓のようなひらめきを、いくら天才と称されるテオでも狙って引き当てることはとても難しい。文字通り天から叡智を授かるような運命なのだ。
誰もが出来るわけではない。新しい妖精術の開発は一握りの、閃きの天才にのみ許された特権なのだ。
……どうやら僅かながらでもクラウスはその才に恵まれていたようではあるが。
恐らく妖精の血が混じっているから……歪んでいるから得られた技能なのだろう。ハーフィーのような存在に特別出る才能でもない。人間と妖精の血がそれぞれ作用して均衡を保ち打ち消してしまうからだろうか。
この才能に関してだけ言えばこの身を流れる血に少しだけ感謝する。
そういう理由からテオに限らずほぼすべての妖精従きや妖精憑きは妖精術の開発に血の滲むような苦労をしているというわけだ。
「──で、あれが馬車だ。昔も似たようなのはあっただろ?」
「土地は荒廃していたからな。空を飛んだほうが移動には便利だった」
ヘルフリートが思い浮かべた景色をテオも想像したのか、古傷に触るように寂しい笑顔を作る。
彼のそんな横顔を視界に収めつつ、どんな術式が似合うだろうかと夢想する。
妖精、精霊、幻想生物……。それらを内包したヘルフリート。翼をもつ蜥蜴。かたくあつい鱗。極炎法衣……。
炎を纏い、炎を繰るテオの姿を想像してその景色に必要な情報を並べていく。
クラウスに特技に代わる妖精術を求めた際に、テオは期限を申し出なかった。それは彼なりの信頼の表れで、同時にクラウスに対する挑戦なのだろう。
テオに見合った妖精術を。他者の特技と見劣りしない最高傑作を。
もしかするとクラウスの単なる思い込みで、知らず自分の理想を高くしているのかもしれないが。
幼馴染からの物言わぬ信用を背負って思考の歯車が減速していく。
テオの前進はクラウスの前進である。だからこそ、彼の望みは自分が叶える。
「──クラウスさーん」
「ん?」
「頭、ぶつけますよ?」
そうして考えごとに埋もれて。耳元から上がった相棒の声にようやく焦点が目の前に結ばれる。視界の真ん中には──看板。
「あぁ、うん。ごめん」
小さく笑っていつの間にか外れていた輪に戻り再び歩き出す。
「何ぼうっとしてたのよ」
「自由時間で海行くんでしょ? ユーリの水着姿でも想像してたんじゃないかな?」
「なっ……!?」
小悪魔にコロコロと笑いながら爆弾を転がしたアンネに、ユーリアは目尻を吊り上げてクラウスを睨む。そんな理不尽な。
濡れ衣を着せられて少し呆れ気味に弁解をするもその耳にクラウスの声は届かない。
質の悪い冗談をとアンネに一瞥をくれると、彼女は可愛らしく舌を出しておどけたのだった。
それからしばらく女性陣の買い物に付き合って、日が傾き始めてからようやく帰路に着いた。
クラウスの両手には当然の如く紙袋。持っているのはユーリアとアンネの買ったそれだ。
どれだけ悪魔のような性格と称されるクラウスでも、女性に重い荷物を持たせるのは気が引ける。というかもとより今回は付き添いだ。荷物持ちになる覚悟は出来ているし、そうでなくても最初から手を貸すつもりではいた。
最初に持つと言い出した時は少し空気がざわついた。別に深い意味はないのだが、女四人に対して男は三人。出来るだけ均等に分ければ、必然一人が抱える量は一人以上になる。
そして恐らく、アンネだけは考える方向性が少しだけ違っていたのだろう。ユーリアは消去法でクラウスに、ニーナはテオに、レベッカは当然のようにヴォルフへと頼む。そうするとアンネの分を分けることになるのだが、彼女としてはクラウスに頼る事を遠慮したいらしかった。
それは彼女が誰よりもクラウスの役に立ちたいと願っているからかもしれない。だから今以上に迷惑はかけられないと。しかしそうなれば今度はテオとヴォルフにその負担が回る。結果、アンネは一度自分で持つと言い張ったのだ。
彼女の考えがわからないでもない。だからこそ、そこにクラウスの名前が挙がるたびにクラウス自身は心を痛める。
力になると。そのために国に関係を作り、深くは尋ねずクラウスの手助けをしてくれるアンネ。同等に、親友たるユーリアの幸せを願うアンネ。
けれどそれはとても自己犠牲的で、自分の都合を二の次に考えた捨て身の考え方だ。
クラウスのために、ユーリアのために。その気持ちは素直に嬉しい。けれどそれで彼女を殺してしまうのを、クラウスは何よりも望んではいないのだ。
アンネはクラウスを否定する。それは二人の間に繋がれた呪縛のような千切れない鎖だ。だからこそ、アンネは誰よりもアンネでなければならない。
『ほら貸して? 僕には委員会のことでアンネさんに借りがあるんだから』
だからクラウスは半ば強引に彼女の手から紙袋を奪ったのだ。
そのとき見せたアンネの何処か怒ったような表情に、クラウスは静かに重ねた。
『それとも僕はまだ信用してもらえてないかな?』
酷い偽善だと誰かに笑ってもらえればクラウスは胸を張って自分の道を突き進む事ができる。その役目をアンネに無理やり押し付ける。
結果、アンネは困ったように笑って『分かった』と答えた後、人知れずクラウスの足を蹴ったのだ。
そうして彼女はクラウスに対してまた一層思い入れを強くしたのだろう。あぁ全く、全部分かった振りで周りを巻き込むこんな自分が恨めしい。
だから……お願いだから──最後までアンネだけは僕の敵でいて。
「──ねぇ、あれ何……?」
これも立派な共依存だなどと思い出した事実を俯瞰して。足を止めたユーリアの声に顔を上げる。
彼女の見つめる先には店先での人だかり。聞こえて来る声は怒鳴り声。どうやら何か揉め事らしい。
ニーナに視線を向けると彼女は頷いて返す。ま、分かってた事だけどね。彼女の正義漢は人──エルフ一倍だ。
人だかりに混ざるように近づいて状況を窺う。
「っ────!」
そして騒ぎの中心にいる影に、息を呑んだ。
人間大の背丈に長い橙色の後ろ髪。そこから伸びる二つの長い耳殻──エルフだ。
膝を突いた後姿は小さく震え、見上げた瞳に珠の雫が光る。服装はクラウスもよく知るフィーレスト学院の女生徒用の制服。
彼女の目の前には大の大人が二人、随分と喧嘩腰の様子だ。年上に失礼だが往来で弱いものいじめとはとても格好悪い。しかもその相手がエルフとは……。
女生徒には悪いが少しだけ遠巻きに様子を見て把握する。どうやら女生徒の方が何か問題を起こしたらしい。制服のところを見るに何か学院絡みの帰り道だったのだろうか。
「……クラウス君」
「分かってます。穏便に事を運ぶために会長も来て頂けますか?」
「あたしは生徒会長よ。必要ないこと聞かないで」
ニーナの声に答えて両手の荷物をゆっくり下ろす。テオに目配せして後の事を任せるとニーナと人ごみを掻き分けて声を掛ける。
「……どうしたの、何か困り事?」
肩を叩いたニーナに振り返った女生徒はその顔を見て何処か安心したように涙を零す。
女性の涙。クラウスの今自覚している中で最も苦手なものだ。
クラウスが正義感を語ると笑われるかもしれないが、それでも曲げられないものもあるのだ。
その一つ、女性の笑顔は最大の化粧。随分昔に母親が豪語していた持論だ。
全面的に頷くわけではないが、少なくとも笑顔でいる女性は魅力的だとは思う。その笑顔を、意図的に曇らせる行いは恥ずべきものだ。
「あぁ!? んだ、でめぇらぁ?」
鼻先に吹きかけられた吐息に混じる酒精のにおい。昼間からとか、とやかく言うつもりはないが酒が入っているらしい。これまた面倒くさい相手だなぁ。
「この子の知り合いです。何か粗相を致しましたか?」
「粗相だぁ? ガキが肩ぶつけたから説教してやってんだろうがっ」
声も出ないほどの陳腐な理由に呆れつつ目端でニーナに確認を取る。頷いたところを見るにどうやら本当らしい。同時に彼女の口から女生徒は謝ったという言葉が続く。
ぶつかった事は認め、その点については謝罪した。その上で男たちは執拗に責任を迫った。
どう収拾をつけようか。話の通じなさそうな相手は冷静にしない限り堂々巡りだ。けれどそう簡単に興奮状態を収める様な方法は持ち合わせていない。
相手の要求引き出して無茶なものでもなかったらクラウスが変わりに受けようか。投げ遣りな解決策を導き出して口を開こうとする、その刹那────
「大体汚れた蛮族がこんな町中歩いてんじゃねぇっ!!」
「────!!」
男が叫んだ言葉に辺りが静まり返る。それから取り囲む人々のざわめきが段々と大きくなっていく。
何でこう空気読まないかな。状況悪化して穏便にとかいう状況じゃなくなっちゃったよ。ここまできたらいっそ警邏してる警備兵連れてきた方が早いかも。それならユーリアに……あぁ、今提示できる身分証持ってないか。
回る思考が様々な雑音に阻害される。テオが誰か捕まえてきてくれれば……。
「んだぁその目はっ?」
増えた情報量を咀嚼していると男がニーナを睨んで声を荒げる。見れば彼女は敵意の篭った眼差して男をじっと睨みつけていた。
直ぐに行動を繰り上げて間に割って入る。瞬間、振り被っていた男の拳が見えて咄嗟に受け止めた。
相手が酔っていて力が乗っていなかったのが幸いして、意外と無理な体勢でも傷害を避ける事はできた。
っ、もういい。いっその事派手にやろう。
「会長、水っ」
叫ぶように要求すると、ニーナは我に返ったように慌てて方陣を展開する。それとほぼ同時、辺りに妖精力が溢れて宙に水の弾を作り出した。
水球はその後、弾けて落下し男二人の頭の上から滝のように降り注ぐ。咄嗟にクラウスは防御方陣を、外からは恐らくユーリアが風の壁を作り出して衆人が濡れないように水を遮る。
そんな規模でなくてもよかったのに。感情の昂りが作用したのかと冷静に判断して水を被った男たちを見つめる。
彼らは突然のことに唖然としたようで濡れた体を見下ろして二人で顔を見合わせる。
この間を逃すわけには行かない。
「手荒な事をしてすみません。けれど先に被害に合いそうになったのはこちらです。彼女もぶつかった事については謝ったと言っていますし、その時点で問題は解決していると思いますがどうでしょうか?」
エルフに対する権利の侵害、それらの防衛であると訴える。
覆しようのない現実を提示して言葉だけでも穏便に取り繕うと、周りの視線に駆られてか男たちは逃げるように悪態を吐き捨てて去っていった。
彼らの姿が見えなくなってからようやく息を吐く。それからくるりと視線を回すと周りに集まっていた人々もそれぞれに後にしていく。
残されたのは泣き崩れた女生徒とクラウス達。そこにテオたちも合流して皆で目に付いた喫茶店に入った。
とりあえず話しやすいように女生徒をユーリアたち女性陣に任せてクラウス達は少し離れた場所に腰を下ろす。遠くから聞こえて来る小さな声にとりあえず今は大丈夫そうだと判断して、思考を先ほどの騒動に合わせる。
エルフに対する迫害観念。随分と重たい問題だと一括りに纏めて小さく息を落とす。
エルフという種は人間や妖精と比べて歴史が浅い。恐らくはたったそれだけのことで人間はエルフを忌み嫌い見下してきたのだ。
彼らは人間にできない事をたくさん出来るのに。妖精の不得意分野を埋める事ができるのに。
エルフを蛮族などと呼び目の敵にする人々はエルフの無実が多く証明されている今の世にもまだまだ存在する。
それは人間の社会が上下関係を根底に作られているからだろうか。平等や平和を謳っておきながら根源的な場所で下位、同等、上位の三種でしか物事を語る事ができない。結局口先だけの絵空事というわけだ。
無実の証明は悪魔の証明だ。完全に無実である事を証明する手立てはありはしない。何か別の正しい事に寄生してその正当性を主張する事はできるかもしれないが……。
何かまた面倒くさそうな問題が増えたなと思いつつ、脳内の予定表に関連付けて考える。
とりあえずは進級試験、そこに至るためのテオの特技開発。
クラウス個人としてはこれが終われば一区切りだ。足りないものはいつだって多いがお膳立てだけならそれで充分に揃う。後は成り行きで地道に前に進んでいこう。
「クラウスさん…………」
「何?」
そんな事を考えながらフィーナからの呼びかけに答える。けれど続いたのは沈黙で、そこに込められた言葉にクラウスはあたりをつけて言葉を継ぐ。
「……大丈夫。どうにかするよ」
その優しさはフィーナの根幹だ。
クラウスの言葉に優しく添い遂げるようにフィーナは頷いて遠巻きに女生徒の方を見つめる。
個人的にだが件の女生徒の事はある程度知っている。エルフと人間の混血……ハーフエルフで、ドルフ級の生徒だ。名前は確か、エミ・アリデッド。幾度か交流を持った事もある。
一度彼女を校内保安委員会に誘おうかとも思ったが、下級生を巻き込む有用性がそこまで感じられなかったために断念した。一番の理由は彼女の性格だったが、先ほどの騒動にはその辺りも少し影響があることだろう。
そんな事を思い出しつつこの光景を俯瞰する。
人間と、妖精と、エルフと、その混血と────多種多様な血が混ざってどうにか安定を齎している。
きっと誰だって夢物語を追うものだ。だからそう、これは生きとし生ける者全てに課せられた最大の難問なのだろう。
人も、妖精も、エルフも、その混血も。全ての思想を束ねる事ができるか。争いのない世界を作り上げる事ができるのか。
無鉄砲に声を張り上げてもいいならクラウスは答える事ができる。
僕には無理だ。
女生徒と別れクラウス達も帰路へ着く。その途中でアンネにからかわれるように声を掛けられた。
「そう言えばどこまでお供してくれるのかな?」
前を向いた視界にはアンネ以外の姿が映る。いらない性格で一番歩みの遅かった彼女に合わせていたのだがどうやら話があったらしい。
また主題がない。罠だと分かりつつ彼女の声に答える。
「何が?」
「荷物持ち」
「許してもらえるのなら楽をさせてあげられるよ」
「送り狼……」
「狡猾なのはどっちだか」
必要な会話を終えればその後に続くのはいつもの軽口。彼女と言葉を交わしている間だけは少し気が楽になると思いつつ小さく笑う。
「会長、コルヌさん。クラウス君が近くまで運んでくれるそうですよ」
対して両手は重くなるばかり。理不尽な事この上ない。
これも一つの償いか。
「わたくしは先輩が送ってくださいますので」
「あ、そっか……」
「会長はどうしますか?」
意地悪に問うと、けれどニーナは何処か考える様子で一言「グライド君に頼む」と零す。
彼女も何か考え事だろうか。嫌な話題が回ってこなければいいけれど。
杞憂で終わる事を念じて彼女の後姿を見つめる。
そうこうしていると一度学院まで到着。ユーリアに彼女の荷物を渡して別れる。
テオの隣にはニーナ。町中での騒動以来ずっと何事かを思案中の彼女は今になっても俯きがちに歩いて行く。目で幼馴染に頼みつつクラウスもまた足を出す。
「…………やっぱりエルフのこと、かな」
呟きは隣のアンネのもの。傷を撫でるような口調で静かに零す様に脳内を少し歩き回る。
エルフとその他の種族の溝。この問題に晒されてきたのはニーナも同じなのだ。だからこそクラウス達よりも沢山の事を思い、沢山の事を考えるのだろう。
その全てを理解するのは、きっと人間には難しい。
「生徒会長だし考えないって訳にはいかないからね」
「クラウス君でもないしね」
……一々クラウスと対比しないと表現が出来ないのだろうか。そんな曲がった物差し用意しても何も計れはしないのに。
「副会長としてはどうなの?」
「ふくかいちょう?」
耳元からあがったのはフィーナの声。あぁ、そういえば彼女にはまだ言ってなかったか。
学院では挨拶事は全部会長たるニーナが、司会進行は教員がやるからそういう場面に滅多に立ち会わない。その為よく名前だけの楽な仕事と言われるが……。
「ニーナ女史が学院の生徒会長。会長を補佐するのが副会長。僕はその副会長なんだよ。次の生徒会役員選挙までの代理ではあるけどね」
「そうだったんですかっ」
彼女の言葉にそうなった経緯を思い出す。
「……フィーナも知ってる通り少し前に学院でエルフの問題があってね、その中で何人か学院を辞めちゃった人がいるんだ」
嫌な景色をなるべく思い出さないように必要最低限だけを口にする。彼女の名誉もあることだしね。
「その中に当時の副会長さんがいてね、空席になったところに会長に指名されたんだよ。それで今は僕が代理で副会長職をやってるってわけ」
「お飾りのね」
何、今日は虫の居所でも悪いの?
アンネの声に視線を向けて先ほどの彼女の問いに答える。
「お飾りの代理。だから僕がどうこう言うつもりはないけどさ、会長が何か考えてるようならその考えを支えるとは思うよ」
「結局利用するくせに……」
だから一体どうしたのかと、嫌味に答えず沈黙で支配すると彼女はつまらなそうに答える。
「だって皆クラウスのこと意識してさ。信頼されてる事を悪く言うつもりはないけど少し急ぎすぎだと思う」
それは今日の風景を見ての感想なのかもしれない。
信頼。アンネから見て周りからの視線や振る舞いにはそれが含まれていると見えたらしい。まぁそれを得るために今まで色々首を突っ込んできたりしたわけだけども。
そんな景色に追いつけないのか、そこまで急ぐクラウスの気持ちがわからないのか。アンネのその言葉に今一度見つめなおす。
「……休む暇はなかったからそう見えるのかもね」
「お願いだから私を置いて行かないでっ」
足を止めたアンネに振り返る。夕陽に照らされたライトブラウンの髪が絹糸のように揺れていた。
「力に、なりたいよ……。でもクラウスのこと分からないままじゃ、力になれないっ」
悲痛な叫びのように響いた声は水色の瞳に糾弾となって宿りクラウスを射抜く。
何のためにそこまでするのかと。クラウスの目的はなんなのかと。
禁忌に触れるようにアンネは訴える。
「…………言ったところで、アンネには手助け出来ない。だって君は僕を否定するための存在なんだから」
全て等しくクラウスの駒であると。彼女の昂った感情を叩き捨てる。
クラウスの言葉に視線を強くしたアンネは乱暴に袋を掻っ攫って一人早足に帰っていく。
その背中を見えなくなるまで見送ると相棒が気遣わしげに尋ねてきた。
「……よかったんですか?」
「いいんだよ。これは僕の問題なんだから」
脳裏に映る彼女の姿に寂しく感情を捨てる。
君のためなら僕は自分でさえ捨てられる。それでもまだ、この気持ちは届かない?
徐に見上げた空はさっきより少しだけ曇っていた。
アンネと仲違いをしたように別れた翌日。朝から鬱陶しい夏の日差しを肌に感じながら外交兼旅行の準備を進めていると部屋の呼び出しが鳴る。この音は寮の外からの呼び出しだ。誰か尋ねてきたらしい。
準備を一旦切り上げてフィーナと共に寮の玄関へと向かう。するとそこにいたのはニーナ女史だった。
彼女は何処か考えるように柱に背を預けて天井を見上げていた。
「おはようございます。どうかしましたか?」
「…………あぁ、うん、おはよう。少し時間貰ってもいいかな」
「構いませんよ。外は暑いですからどうぞ部屋に。少し散らかってますけどね」
「あたしの部屋よりはいいんじゃない?」
何その興味の塊な言葉。機会があれば問答無用で強襲を掛けてみたいものだ。
覇気のないニーナの声にいつも通り答えて部屋まで案内する。
部屋に入って少しだけ物の整理。それからお茶を出して彼女の向かいに腰を下ろす。そんなクラウスを見てかニーナは疲れたように小さく笑う。
「……どうしました?」
「あたし相手には随分と暢気だなと思って」
「会長には会長の魅力がありますよ」
「それはどうも」
どうやら慌ても繕いもしなかったいつも通りにクラウスのニーナに対する評価を感じたらしい。
別にクラウスに惚れてるわけではないだろうに。それともクラウスだからある種の期待はしていたのかもしれない。確かに、女性は立てるものだとは思っているが。
口先だけの言葉に彼女もまたぞんざいに答えてお茶を飲む。溜息を吐いたニーナに問う。
「それで、今日はどういったお話で?」
「昨日の事よ。察して」
俯いて零すニーナに記憶を遡って該当する景色を脳裏に描き出す。
もちろん浮かんだのは町でのエルフの女性徒の騒ぎ。同時に彼女の相談内容もある程度理解する。
「正直に答えて。エルフは嫌い?」
随分と投げ遣りで真っ直ぐな質問に彼女の瞳を見つめ返す。マリンブルーの快晴の空のような色。けれどその瞳も今は曇っているように見える。
「…………そうですね、色々加味して言えば──好きですかね」
色々知識欲満たしてくれるし。
「……嫌いな部分も沢山あるんでしょ?」
「ありませんよ」
「は……?」
思わず出たのであろう、間の抜けた声に少しだけ恥ずかしそうに顔を背けるニーナ。頼むからその『しまった……』的な顔やめてください。
「極個人的な問題ですけどね。僕、嫌いな事って一切ないんですよ。だから多分今まで僕の口から『嫌い』とか『嫌』という言葉を聞いた人は殆どいないんじゃないですかね」
「苦手なものは沢山あるんでしたっけ?」
フィーナの言葉に「そうだね」と答えて続ける。
「嫌なものは全部『苦手』に分類してるんです。『苦手』なら自分の努力で好きにする事ができますからね」
毛嫌い、食わず嫌い。これらはどうにも直りにくい。けれど嫌ではなく苦手であるならそこには好転するための兆しがあるはずだ。もちろんそれを実行するかどうかはその人次第ではあるが。
「……随分と楽観的ね」
「僕には不必要だから切り捨てたまでです」
「改めて尊敬するわ」
「どうも」
おっと、話がずれた。閑話休題。
「だからまぁ、許容できない苦手は確かに存在しますよ。今回の話もその辺りが大きく表に出ただけでしょう?」
「……そう言われるとそんな気がしてくるんだから怖いわね」
そう言って、ようやくいつものように笑うニーナ。どうやら何か一つ力になれたらしい。これを恩と感じてくれるならこちらにとっても好都合だ。
「会長にはそう考えるきっかけもありますからね。別に消極的な事を責めるわけではないですけど」
「いっその事責めてくれた方が気が楽よ」
「その役目を同属に委ねないでください」
「それこそ心外ね。あたしの方がクラウス君よりずっと辛いわよ」
お互いの痛いところ突き合っていつも通りを取り戻す。ここまでいつも通りなら後は彼女の捌け口になるだけでいい。
こんなのだから、あの時孤立していた彼女は僕に副会長なんて言う肩書きを押し付けたのだろう。
「だからこそ、あの子にはあたしみたいな嫌な思いをして欲しくないのよ」
「それで、具体的にはどうするつもりですか?」
「まだ決まってないっ」
その自信は一体どこから湧き上がってくるのだろうか。
「……だったら模範を作ってみたらどうですか?」
「模範?」
訝しむ様な問い掛けに具体例を口にする。
「例えば会長がエルフのいいところを大々的に誇示するとか……」
「ニーナに生贄になれって言うのっ?」
弁解はせずに笑顔で訴えるとニーナが怯えるように身を引く。
何でこうクラウスの周りの人たちはクラウスを悪役に仕立て上げたがるのだろうか。それともそういう共同体が既にどこかに存在するのだろうか。それなら皆仲良しで困る事なんて一つもないのに。
「……どうします?」
「…………こ、今回は遠慮させてもらうわ」
「クラウスー、ちょっと相談が…………」
泳いだ視線で逃げるように答えるニーナ。それとほぼ同時に部屋の扉が開かれる。音に視線を向ければそこに立っていたのは幼馴染であるテオだった。
「っと、邪魔したか?」
「大丈夫よ。……そうね、よかったらグライド君も一緒にどうかしら?」
「何をですか?」
「クラウス君いじめ」
「面白そうですね」
クラウスの管轄外で勝手に話が進んでいく。結果テオも居座る事になり彼の分も飲み物を用意して再び腰を落ち着ける。
それから暫くを惰性で過ごして話の間にエルフの事を挟む。
ニーナが少し前に終わった事と称したように、彼女の中では降級と軍属の剥奪の話は過去の変わらない出来事だ。それらの結果には謂れのないエルフという名の理不尽な理由が据えられている。
そこに昨日の件が追撃のように齎されて。偶然の結果とはいえ今一度エルフとその差別に対する認識を強くし、同時にフィーナたちには非情な現実を突きつけることとなった。
彼女の言う平等。それはニーナの考える理想と随分と近いところにあって、クラウスの野望にも少しだけ関わってくる問題だ。
人間、妖精、エルフ、幻想生物……。名前は記号で、理解するための名札でしかないのに、それらには確かに名前以上の意味があって。
その中でも単独の種に限ればエルフだけが矢面に立たされて歴史の中で幾度も糾弾の的となった。
この押し付けがましい種の壁を最初に作り出したのは、他種に最も理解を示そうとしてきた人間だった。
知を得るに悩み決断し、知を得なければ懊悩も思索も存在はしない。何かの本で読んだ言葉が脳裏を過ぎる。
エルフという種を知ったからこそ人間は考えたのだ。その思案の中に色々な情報と感情が入り混じって結論として人間はエルフとの間に溝を作った。その思想が戦を引き起こし、戦乱の世を築いた。
今ではエルフという種についての偏見は過去ほど厳しいものではない。けれどどこかにその火種は存在していて、ブランデンブルクにも点在している。
その全てを見つけて指摘する事など不可能に近い。つまり一度広まってしまった噂や風潮をなかったことには出来ないのだ。
だったら最初にそれを主張した者が悪いのかと言えばそれに頷くのも違う気がする。
彼らだって最初から遠ざけていたわけではないだろう。ただ時間が進むにつれて言葉に色や力がついただけ。責任などどこにもありはしないのだ。
悪意のない変遷は無意識であるが故に気づいた時には既に手に終えない事になっている。それから少しだけ改善を試みて、どうにか信じられる善の考えを生み出したのが現在だ。
良かれと思う事は必ずしも良い事ではない。間違いはどんな場合だって存在するのだ。そして同時に、完全なる正解もどこにもありはしないのだ。
全ては知識の積み重ねに過ぎない道徳観念。その種にとっての生存のための手段だ。
そのぶつかりが、戦争といった問題へと発展する。ならば争いに善も悪もない。
あるのはただの、集合的な雑多な意思だけだ。
「会長はもう外交の準備はいいんですか?」
「……外交…………?」
面倒な思案を重ねながら他愛ない問いを零す。クラウスの声に返ったのは少しの間と、それからとぼけたような疑問。
「──あぁ! 外交ね、後は衣類だけかしらね」
次いで思い出したかのような返答。彼女の中では既に外交から旅行へと変化しているらしい。頼むから当初の目的を忘れないで頂きたい。
「そう言えば外交関連の書類があったんだった。クラウス君、署名お願いできる?」
「分かりました」
次いで唐突に思い出したような重要な案件に呆れるように頷いて目を通し、内容を確認しながら名前を記す。
「これスハイル帝国に着いてからのやつですか?」
「そうよ。何でも宿まで国が手配してくれるらしいわ」
「随分と手厚いことだな」
「まだまだ国境付近は騒ぎがあるし、スハイル帝国は色々な種の人たちがいるからね。帝都でも色々問題があるんじゃないかな?」
注意喚起の意味も含めて口にするとヘルフリートが居心地の悪そうに視線を逸らす。
幾ら自由の身と言えど経験と記憶からは逃れられない。彼も彼なりに思うところがあるのだろう。そう言えばテオの希望はどうなのだろうか?
「テオは今回行動予定立ててるの?」
「あぁ、空いてる時間に可能な限り国内を回ってみるつもりだ。な?」
「うむ、約束だからな」
テオの声に頷くヘルフリート。どうやらクラウスが想像した通りヘルフリートの戦友を探すらしい。
「あんまり危ない事に首を突っ込まないでよ? お邪魔する立場なんだから」
「分かってます」
クラウスより先に口にしたニーナの言葉に重く答えが響く。
幾ら約束と言えどその行動には危険が付き纏う。クラウス個人としては彼らに降りかかる危険よりも、国間の関係に及ぼす影響のほうが心配ではあるが。
返事だけにならない事を願いつつお茶を飲み下して溜息を吐く。
「さて、それじゃああたしはそろそろお暇しましょうかしらね」
「玄関まで送ります」
「いいわよ、この後用事があるんでしょ?」
ちらりとテオを伺うニーナ。
「……わかりました。お気をつけて」
「はいはい。じゃあね」
「はい、また」
肩越しに手を振って出て行くニーナ。彼女が去ってから容器を片付けて再び腰を落ち着ける。
「クラウスも大変だな」
「大変でもやらないといけない事だからね」
幼馴染のカップにお茶を注いで返すと息を一つ吐く。それからフィーナに菓子を一つ渡してテオの瞳を覗き込んだ。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「昼飯でも食わせてもらおうと思って」
そういえばもうそんな時間か。だったらニーナにも同席してもらえばよかったかもしれない。
時計を確認してそれから脳内の記憶を引っ張り出す。食材的には別に問題はないか。
「そう凝ったものは作れないけど?」
「クラウスの言葉は信用してないから大丈夫だ」
何やら変な理想の上げ方をされた。
幼馴染の軽口に少しばかり傷つきつつ下ろした腰を再び上げる。
台所に向かい身支度を整え、二人分の食材を冷蔵庫から取り出して調理に取り掛かる。
因みに寮という事もあって共用の食堂が存在する。けれどそちらは金を少しばかり払うことになるためあまり利用する生徒はいない。結果自炊をする生徒が増えるのため、大抵の部屋には調理空間が備え付けてある。
テオはそういうこと全般が苦手なため食事は食堂か既製品。時々こうしてクラウスに集りに来ているのだ。
「そういえばフィーナは料理とかしてみたいとは思う?」
「包丁とか怖いので嫌です……」
「はは、そっか」
逃げるように答えるフィーナ。
元々妖精には食事は必要なく、嗜好品以上の価値はない。そのため余程の物好きか何か目的がない限り料理をしようとはしない。フィーナもその多数の一人なのだろう。
それにしては随分と食べ物の好き嫌いはあるように思うけれど……。
そんな事を考えつつ調理を進めて。暫くして出来上がった料理を盛り付けて机の上に並べる。
献立は簡単に具材を麺麭で挟んだものに、羹、切った果物を添えたまぁまぁ色味のある献立。ある程度栄養を考えた少なめな分量だ。
机に並べれば、「ほらみろ」とどこか自慢気に呟くテオ。一体何の勝負だよ。
クラウスも腰を下ろして挨拶をすると料理を口に運ぶ。食べながら時たま会話を交わす。
「……それで、何の用だったの?」
「ん? あぁ、特技の事だよ」
さらりとした返答。意外と重要な話であるが彼にとっては全てがほぼ同列なのだろう。
「よくよく考えたけどクラウスの考えた命令式を一から理解する必要があるわけだよな」
「そうだね」
「なら今既にある中から選んで、使い込む方に時間をかけた方がいいかと思ってよ」
テオらしい考え方だと納得して頭の中の図書館の一角を歩き回る。
「……とは言ってもテオに合うものとなると限られて来るよ? 僕は荒事を重視してるわけではないし」
「連結術式はどうだ? あれは術式公開してるんだろ?」
「あれは戦闘向きじゃないよ」
「だからだよ」
提案に否定的な意見を返すとテオは変わらない口調で答える。
「自慢じゃねぇが俺にはヘルフリートがいるからな。今以上の規模の妖精術はそこまで必要じゃねぇ」
「確かにね。極炎法衣もあるしね」
「結果そこに話が行き着くんだけどよ……。あれって結構燃費悪いのな。改めてヘンリック前国王を尊敬してる」
「術式の常時展開と同等だからね。ずっと妖精力を吸われるのと同じだよ」
テオの言葉に頷いて思い浮かべる。
極炎法衣、冷炎の君主の名で知られるヘンリック・アヴィオールの代名詞。七色の炎を纏う攻防一体の妖精術だ。
法衣の形を取るために断続して妖精力を消費する。うまく使わなければ術が及ぼす被害に比べてその妖精力は消費過多だ。
テオは現在副武装を展開した状態で七つの変化の内二つ目までを手中に収めている。術式を得てまだ一週間程度だ。時間で見れば随分と早い方だろう。
しかし理解が早いが故に、まだその効率的な運用方法の確立に至っていない。
「連結術式使えばその燃費もどうにかできるんじゃないかと思ってな」
「……できない事はないと思うけど…………」
「ならそれでいいよ。後は俺の方でどうにかする」
彼の中では既に決定事項なのだろう。小さく溜息を吐いて思考を纏める。
新しく術式を作る分を繰り上げる。生まれた余力でテオは効率化を図る。差し引きはほぼなしだろうか。ならば当初の予定に殆ど狂いは生じない。
何よりクラウスが楽できる。
「分かった。それじゃあ食べ終えたら術式を教えるよ。ヘルフリートもよろしくね」
「あぁ、心得た」
英雄的妖精の返事に頷いて止まっていた手を再び動かす。
そんなクラウスの隣では、我関せずと言った様子で黙々と昼食を口にするフィーナが幸せそうに笑っていたのだった。




