第二章
あくる日の委員会の活動は随分と日の高いうちから始まった。
廊下を歩くクラウスの隣には鋭い雰囲気を纏ったユーリアが無言の圧力を発している。
ここは南棟五階。ハウズ級の生徒が犇く南棟の最上階だ。
そんな場所に上級生二人に契約妖精二人、更には校内保安委員会の構成員ともなれば目を引くのは当然。しかしそんな視線は二人の感覚からは既に取り除かれている。
クラウスたちが歩く先から人は端に避け、道ができる。その真ん中を、クラウスたちを先導するように一人の少女が早足で歩いていた。
鶸色の短い頭髪が仕草に揺れて目的地へと誘う。レベッカ・コルヌは焦ったように歩を進め、やがて到着した教室を指差した。
「ここですっ」
レベッカの言葉に頷いてユーリアのほうを見ると彼女は扉を見据えて口を一文字に引いていた。
事はレベッカから齎された一言。
『アルフィルク先輩、助けてくださいっ』
昼休み、フィーナと一緒に昼食を摂っていたクラウスの耳に飛び込んできた叫びのような言葉。声のした教室の入り口に顔を向けるとそこにいたのはレベッカ。黒橡色の瞳は不安に揺れ、言葉の端から焦燥が滲み出ていたのを覚えている。
注目を集める彼女と廊下に出て話を聞くとどうやらそれは教室内のごたつきらしかった。事には妖精が絡んでいて、けれど教師陣が腰を上げるほどではない日常的な折衝ごと……喧嘩だ。
レベッカがクラスを出てきた頃にはまだ言い争いだけで、けれど周りの雰囲気は入学当初の空気に当てられてか高揚していて。
僅かに冷静でいられた彼女は大事になる前にクラウスのところに助けを求めに来たそうだ。それからクラウスは万が一を鑑みてユーリアを連れてここまでやってきたと言うことだ。
意を決して扉を開ける。途端顔を打ち付けたのは熱風。
反射的に庇いつつ教室内を見渡すと部屋の中心に二人の男子生徒が睨みあって妖精術を行使していた。
「いいからそれ消せよ! じゃないと本当にぶつけるぞっ」
「当てれるもんなら当ててみやがれ!」
片方の男子生徒は手のひらの上に火球を一つ浮かべ頬に汗を垂らして目の前の生徒を睨み、もう一人の生徒は辺りの空気を操っているのか室内なのに風が吹き荒れ短い髪を揺らしていた。
その二人の間に挟まれるように一人の妖精が泣き出しそうなほどに顔を歪めている。
ハウズ級で既に属性妖精術か。今年入学の推薦生徒だろうか。
推薦生徒とはこの学院に入学する生徒のうち、十分に妖精に精通していてある程度の座学の免除と実技試験の優先権を得られる生徒のことだ。入学試験において一目置くほどの実力を身につけた生徒に対して教員側が特別待遇生徒として入学させる。
その生徒の大多数は入学当初から属性を付与した妖精術を行使できたりするような、周りの生徒とは頭一つ抜けた能力を持っている生徒が抜擢される。
この推薦生徒制度には身分は関係なく、純粋な妖精についての知識や実技能力が問われるのだ。
そういう背景から、にらみ合う二人が推薦生徒ではないかと想像したのだ。
「……ユーリア、周りへの被害を抑えて。僕が止める」
「わかった」
現状を把握し幾つかの未来予想図を描きながらユーリアに指示を出す。
小声で交わした言葉に幾人かの生徒が気付いてこちらを向き、希望に縋るような視線を送ってきた。
一呼吸置いて隣から異能の発露。ユーリアが体内で練り上げた妖精力は風に指向性を持たせて教室内に蔓延していく。恐らく風の流れを操作して空気の壁を作ってくれたのだろう。
過信するわけではないがこれでもしものことがあっても怪我人は出ないはずだ。元より、怪我人を出す作戦なら決行などしないが。
そこまで考えたところで教室の中央から大きな声が上がった。どうやら彼らはまだクラウスの存在に気がついてはいないようだ。
「いい気になってんじゃ……ねぇっ!」
「……っ!」
「フィーナッ」
突如として膨れ上がった妖精力。異能の力を増幅させた火球を繰る少年は目を見開きその手を振り被る。同時に風を纏う少年が構え、クラウスが飛び出した。
外からの闖入であるクラウスの存在に気付いた生徒二人の目が見開かれる。けれど妖精術──破壊と恐怖を齎す異能の技は既に止まらない。
教室の端に避けられた机や椅子を飛び越えて二人の間にクラウスは降り立つと両手を広げ、方陣を二つ展開する。
直後、放たれた炎の弾と風の塊がクラウスの出現させたそれにぶつかり激しい衝撃を生み出した。
「掌握……完了ですっ」
「調波ッ!」
フィーナの言葉に頷く暇を惜しんで特技を使う。刹那に、辺りを包む空気の質が鋭いものへと変化した。
フィーナの空気中の妖精力を間借りする能力。これは一度空気中の妖精力を制御下に置いて、その上で制御可能になった妖精力を操る特技だ。
今回はそれを利用して事の収束を試みた。
辺りの妖精力を支配下に置き、その上でクラウスとフィーナの妖精力の波長を同調させる。そうすることでフィーナが支配した妖精力をクラウスが操作する。
意図を持たされた空気中の妖精力は殻を作り出し、方陣と鬩ぎ合い辺りに衝撃を撒き散らす破壊の根源を覆い押さえ込む。
こうすることで未だ繋がっている術者と妖精術の回路の切断。そして隔離した妖精術内の波長をクラウスのものに書き換えて霧散させる。
妖精術が消滅する小さな衝撃を辺りに発生させて、炎の弾も風の塊もただの妖精力へと戻っていく。
次の瞬間には教室内の緊張の視線が男子生徒二人からクラウス一人へと集約していた。
「……ふぅ。ユーリア、怪我人は?」
「いないわよ、一人も」
「そう」
溜息一つ。短く尋ねた質問には簡素な答え。
頭の中で片付いた案件を隅にやりつつ恐らく事の中心に居た妖精を見つめて、それから視線をユーリアへ。
「ユーリア、この子頼んでいい? 僕じゃこの子に迷惑だから」
「……外でいいわね」
「頼むよ」
まだどこか怯えた様子の妖精をちらりと見やってユーリアに託す。別にクラウスがこの妖精と話をつけてもいいのだが、クラウスはクォーターだ。この子がクォーターでない限り下手に話しかければこの妖精の神経を逆撫でしかねない。
ユーリアに妖精を預けて視点を目の前に向ける。
下した視界には尻餅をつきこちらを見上げる二人の男子生徒。彼らの目は呆けた様にクラウスをじっと見つめ現実味を欠いたように揺れていた。
「立てる?」
「あ、はいっ……」
「大丈夫です……」
差し出した手を少しだけ見つめる間を挟んで。少年たちはゆっくりと立ち上がると、クラウスの顔を恐る恐るといった様子で覗き込む。どうやら思考が追いついてきたらしい。
「とりあえず二人にはお話を聞きたいんだけどいいかな?」
「……はい」
「……わかりました」
なるべく優しく告げて緊張に固まった空気を和らげる。頭の中でやることを整理してクラウス自身も落ち着くと言葉を継いだ。
「フィーナ、会長たちに声を掛けてきて。全員呼んだらテオと一緒にここの処理をお願い」
「わかりましたっ」
可愛らしく頷く相方を送り出して男子生徒二人の背を押す。
「とりあえず生徒会室へ」
素直に頷く辺り根はいい子達なのだろう。それがどうして妖精術を向け合うほどに発展したのか。幾つかの予想を頭の中に浮かべつつ教室を出る。
廊下にはレベッカが心配そうにこちらを見ていて、彼女の為にも一つ言葉を残していく。
「レベッカさん、教室のことお願いしてもいいかな。後で僕の幼馴染がここに来てくれるから」
「は、はい」
慌てたように頷いたレベッカの返事を聞いてクラウスは歩き出す。
投書も落ち着いてきた頃に、少し厄介なことに……。
色々な視点で物事を俯瞰して今後の事を考えながら、クラウスの頭は生徒たちのことへと思考を移していった。
生徒会室へ移動して、ニーナとヴォルフが合流すると会議のように話が始まった。
話題は件の喧嘩のこと。クラウスが見聞きした情報を並べると次に話を男子生徒たちに振る。
「……それで、二人は何があって喧嘩したの?」
「…………あの妖精と、どっちが遊ぶかって」
答えたのは先ほど炎の弾を操っていた少年。彼は反省した様子で俯いたまま小さな声で言う。
「最初に声を掛けたのは俺だったんだ。なのにこいつが横から口を出してきて」
「昨日っ。僕があの子と遊んだんだ。その時に今日も遊ぼうって約束をして」
事の起こりを説明しようとした生徒に、今度は風を操っていた少年が口を挟む。
どうやら話を整理するに問題は妖精の方にあったらしい。けれどここで妖精を強く責める事はクラウスにはできない。ここは、そういう場所だから。
「……あの子を巡って、ってことだよね。けど二人はやっぱりその妖精の子を責めたりはしてないんでしょ?」
クラウスの言葉に頷く二人。
こういう話はよくあることだ。特に妖精絡みだと尚更に数は増える。
契約に縛られない妖精は自由妖精などと言われたりする。それは妖精従きの束縛に適応されないからと言う意味合いもあるが、本来は自由な思考を持っているからというのが由来だ。
自由妖精は誰にも縛られない。だからこそ約束事にも縛られない。
彼女らはその場の気分で行動を起こすことが大多数で、人間が重きを置く鉄則や約束と言った言葉とは縁遠い種族なのだ。
だから口約束を交わして、それを妖精が反故にしようとしたからと言って妖精憑きや妖精従きが責める事は殆どないのだ。
そういうもの、と言う認識が強いこともあるが、人間は彼らの心を自分たちから背けたくないのだろうと思う。
今、人間の生活は便利と快適の上に成り立ち、殆どの人々があまり苦を感じずに生活している。それは妖精の存在が確認されてから以降のことであり、人間の生活水準は過去より飛躍的に上昇した。
その背景には妖精力や妖精術などの存在があり、それらを利用した便利な道具が作られてきたからだ。
妖精力の込められた鉱石を使った照明具。複数の属性を組み合わせて空調を管理する機械。そう言った温度や光など、人間が生み出しづらいものは妖精力に頼っているのが今の生活だ。
視点を広く持てばそれは人間が妖精に依存していることに他ならない。
妖精の存在があったからこそ人間は今のように便利で快適な生活を送ることができているのだ。
人間はその生活のために妖精に恩を感じ、これからも妖精を振り回すのだろう。だから機嫌を損ねないために彼女らに問題の責任を転嫁などしない。
それなのに妖精従きの契約妖精は命の対価に幾つかの強制を受けている。これが人間が妖精の技術を奪い、我が物顔で振り回している光景の原因なのかもしれない。
そんな色々な視点を踏まえて、今を生きているクラウスたちは妖精に対しあまり強い責任を押し付けない。
もしかすると彼女らは明日の自分の契約妖精なのかもしれないのだ。
「まぁ妖精絡みの案件は落としどころ見失うところが多いからね。それぞれに禍根が残らなければ両成敗って事でどうかな」
「はい」
「構いません」
素直な返答に笑顔を浮かべてニーナへ向き直る。
「と言うことですけど、生徒会長から何かありますか?」
「そうね……」
話を振ると彼女は少しの考える間を空けて薄紅色の唇を開ける。
「君たちは今年入学した子だよね?」
「はい」
「これからさ、色々なことに直面すると思う。妖精との付き合い方だとか、難しい授業だとか」
自分の当時を懐かしむように語るニーナ。彼女の言葉にクラウスの脳裏にも二年前の光景が蘇る。
あの頃はただ妖精の傍にいられることが嬉しくて、妖精について深く学べることが楽しかった。それは今でも変わらないけれど、妖精従きとなったことで新たな視点を持って少しだけ昔の視点に色眼鏡が掛かったのは確かだ。
純粋な視点。それは妖精と接する上で忘れてはいけないものなのかもしれない。
「けれどそれは全部立派な妖精従きになる為の、貴方の為の枷だから。壊せとは言わない、甘んじろとも言わない。ただ抗って、そして自分を見つけなさい。そうすればきっと、貴方は素晴らしい妖精従きになれるから」
それはニーナの目指し憧れた妖精従きの姿だろうか。
少しだけその気持ちを共感できた気がしてクラウスも心に留める。
「だから自分のしてきたことに目を逸らさないで。妖精から目を逸らさないで」
────妖精に背を向ける事は妖精が見える者の絶対なる恥である
この学院の訓示を深く胸に刻みつつ息を吸い込む。
妖精憑きも妖精従きも妖精と付き合っていくことは変わらない。だからこそ、初めて妖精に抱いた憧れや気持ちを忘れてはいけないのだ。
忘れれば、本当の意味で妖精から目を逸らすことになる。妖精憑きにも妖精従きにも、妖精と向き合う以上そこには逃れられない暗黙の了解が存在するのだ。
「……ではとりあえずこれで終わりにしましょうかね。あの子に会ったら、今度はしっかりと話をするといいわ」
「わかりました」
素直な返事に頷くと少年二人は立ち上がり礼をして生徒会室を後にする。
閉じられた扉を少しだけ見つめていると背中に声を掛けられた。
「なんだか嫌になる……」
「それは生徒会長だからですか」
「どうなんだろう……。クラウス君の所為で考えることが増えたからかも」
「それは失礼しました」
意味もなく謝って振り返るとこちらを見つめるニーナと視線がぶつかった。
「こんなに沢山問題があるとニーナの考えてることが馬鹿に思えてくる……」
「その殆どは個人の瑣末な取り留めのない要求ばかりですよ」
「だから余計に問題が増えそうで嫌なの」
彼女の言葉に校内保安委員会が設立してからこちらのことを思い出す。
雪崩のように突きつけられる投書。そこに書かれた悪戯のような小さな不満不平。
それら一つ一つは他愛もない一時の刹那的な意見ばかりで、けれど心の奥底に眠る彼らの言葉。それらが百を数える程に寄せられ、その対応に追われてクラウスたちは走り回った。
いつの間にか体力よりも精神力が磨り減り、その影響は思考にまで及ぶ。
目新しいものへの反応は長く続くものではない。既に数は減ってきているし、明日から三日もすればその数は激減するだろう。委員会に向けられている興味と言うのはその程度のものだ。
けれどその最初の興味の内容が、どうやらニーナの描く想像に少しだけ雲を掛けたらしい。
「ニーナのやろうとしてることはきっと大きいことだと思う。……もちろんクラウス君に比べたら小さなことなんだろうけど」
「………………」
「そんなに難しいかなぁ、種族の壁って」
随分とオブラートに包まれた表現に少しだけ頭を捻る。
ニーナ女史の理想は平等だ。妖精も、エルフも、人間も。それらの混血も全てが笑える景色。
きっと大多数の人は夢物語だと鼻で笑うのだろう。
種族の間には埋められない壁があると。穢れたエルフが何を言うのかと。
クラウスだってニーナの意見に全面的に賛同の意を示すことはできない。難しいことではあるし、その道を彼女が進むのは想像を絶する苦痛を背負い込むことになるのだろう。最悪、悪人の仮面を被って犠牲になることも厭わないかもしれない。
だけど応援はしたいと思う。それは似たような厭われる血を持っているからか。それとも似たことをクラウス自身も願っているからか。
何にせよ、彼女の願いが叶えば良いとクラウスは思うのだ。
「難しいからこそ、そこにやる意義があるんじゃないですか?」
「…………クラウス君も偶にはいい事言うよね」
「一言多いです。僕は何時だって従順ないい子ですよ」
「いい子は人の弱み握って強請ったりしないもんっ」
声を張って抗議するニーナ。もしかすると彼女がこんなことを言い出した原因はクラウスのからかいにもあるのかも知れない。
「クラウスー。事後処理終わったぞぉ」
「妖精、返してきたわよ」
「クラウスさん、早くお昼ご飯に戻りましょうよっ」
そんな事を考えていると、部屋の扉が開きテオにユーリアそしてフィーナが顔を出す。
どうやらきりのいいところで事が終わったらしい。
肩の上に腰を下すフィーナの頭を軽く撫でて視線をニーナに戻す。
「それじゃ、解散にしましょうか」
「そうね。放課後は予定通りやるから遅れないでよ」
「大丈夫ですよ」
それまでの沈んだ話もどこへやら。いつもの陽気さで気分を切り替えたニーナと、頭の回転の速いクラウスはいつも通りの空気を回しに掛かる。
生徒会室を退室して錠を掛けると、暖かい陽光差し込む廊下を五人で歩く。
「それで、事後処理はどうだったの?」
「別に。変わった事はありませんよ」
「妖精の方も問題はなしです」
前を歩くテオにニーナが声を掛け、言葉にユーリアと答える。
いつの間にか、ではあるが優しく歯車は噛み合いゆっくりと空気は流れているようだった。
「先輩」
「どうした?」
そんな心地のいい空気を吸いつつ、独り言のように隣を歩くヴォルフに声を掛ける。
「今回の件、最初に持ってきたのはレベッカさんでした。……と言うことを伝えておこうと思いまして」
「そうか」
短く答えたヴォルフは前を見据えたままクラウスの言葉を咀嚼するように黙り込む。
どこまで首を突っ込んでいい話なのか。ヴォルフとレベッカの話にはその線引きをまだ決めあぐねている。
情報が少ないということもあるが、ヴォルフがある程度彼自身でことを終わらせようとしているからだろう。だから今現在、クラウスは彼の助言者程度の関係だ。
この問題がどう変化してどういう結果を齎すのかはわからない。しかし少しでも関わったのなら最後まで付き合って、結末を見届けたいと眠気を誘う春先の空気の中クラウスは一人思うのだった。
放課後。変わらない書類の山を片付けて帰路の最中。隣を歩くユーリアが黒く染まり始めた空を見上げてポツリと零す。
「ねぇ、アンネから何か聞いてない?」
「……何を?」
唐突な問いかけに答えるとユーリアは何か納得のいかない様子で話し始める。
「今日、アンネがね。少しの間忙しくなるからって言ってたから。……この頃仲良いでしょ」
「……特に心当たりはないけど」
ユーリアが向ける猜疑の瞳に慣れた仮面で言葉を返す。
嘘は言っていない。アンネが昨日クラウスに話したのは数日時間が欲しいということだけ。それより先はクラウスの勝手な想像で、彼女の口から聞かされたのはユーリアと同じ内容だけだ。ユーリアにとって詭弁かもしれないが。
「と言うか僕よりユーリアの方が仲がいいよね。幼馴染だったりするの?」
「ただの友達よ」
あまり追求されて零しでもしたら少し厄介になるので話題を転換する。
クラウスの言葉にユーリアは即答して続けた。
「昔……私が学院に入った頃にね。少し話すことがあって、その時からの付き合いってだけ。別に変わった事情があるわけじゃないわよ」
「そう」
「クラウスはどうなのよ」
「テオのこと?」
頷くユーリアに少し考えて答える。
「幼馴染だから、って言うのはあるかもね。ただそれ以上に気が合うからだと思う。やりやすいんだよ」
「…………悪巧みが?」
「……ユーリアは一体僕をなんだと思ってるのさ」
顔を背けるユーリア。その行動だけで大体判ったので深く追求するのをやめる。
「アンネのことで何かあったら言いなさいよ」
突っ撥ねる様にそう言って歩みを速めるユーリア。気付けば女子寮の近くまで帰ってきていたらしい。
「また来週」
「さよなら」
今度会うのは週明けか。
短い感慨と共に挨拶を交わすと彼女と別れクラウスも男子寮へと戻っていった。
翌週からはクラウスの予想通り大幅に減った投書と、その分内容の濃くなった問題に振り回される日々が続いた。
大抵の問題は生徒と生徒の問題で、中には校内保安委員会だけでは対処が難しいものも幾つか散見できた。
それら一つずつに向き合って、流れた時間は約二週間。ようやく軌道に乗り始めた委員会はクラウスにとって暇を潰すにはちょうどいい場所になっていた。
「──で、それから俺とクラウスはつるむ様になったってわけ」
「災難ね」
「それは酷いんじゃない?」
何時からか言い合わせたわけでもなく、委員会のメンバーが自然と生徒会に集まり昼食を摂る。
合間に話をしつつ、時間が余れば投書を処理して。そうして時間を過ごして、気付けばクラウスたちはほぼ一緒に行動を共にしていた。
そんな日常になりつつある今日も、変わらず惰性で過ごして言葉を交わす。
話題はクラウスとテオの出会い。最初は何の話題だったかと頭を巡らせるが上の空の会話で思い出せなかった。
「と言うかそんな曖昧な関係でよく友達付き合いができるわね」
「男ってのはそういう生き物なんだよ」
ユーリアの言葉に答えたのはテオ。彼はクラウスを一瞥して面倒くさそうに続ける。
「男の友情なんてよく言うけどそんなのは大概バカやって共有したその場限りの暇つぶしだ。だから変に執着しないし、女から見ると乾いてるように見えるのかもな」
「簡単な話大それた理由がないんだよ」
簡単にまとめて告げるとユーリアは納得のし難そうに顔を歪めつつ麺麭を頬張る。
クラウス個人の感覚で言えば女性の友情の方が強固で、だからこそ脆い様に見えるのだけれども。
これは価値観の違いだろうか、と一つ結論を出して頭の奥にしまい込む。
「……その辺り、妖精と人間はどうなんだろうね」
零した言葉に返ったのはフィーナの咀嚼音。
「特に理由もなく。けれど一度契約してしまえばどちらかの命が尽きるまで苦楽を共にする……」
「悩んでるのは多分人間の方だけですよね」
クラウスの呟きに暢気な声で答えが響く。
声のしたほうに顔を向ければそこにいたのはフィーナだった。
「わたしたち妖精は人間の方と比べて時間が短いです。けれどそれを補うほどの楽しいことが沢山ありますから」
妖精の寿命は平均で20年から30年だ。それ以上は外的供給を受けない限り妖精はその身を保つことができない。だからこそ妖精憑きと契約して契約妖精となる。そしてその恩恵に断続的な妖精力の供給を受けるのだ。
「それに人間の方のお力になれるのは嬉しいことなんですよ?」
そう言って笑うフィーナ。彼女の言葉に全員が口を噤む。
人間だって何時死ぬか分からない。軍に入れば死地に赴くことあるだろうし、病気だってある。
けれどそんな人間の寿命よりもっと早く彼女たちの命が尽きてしまうかもしれないのだ。
「それに恋だってできるのです!」
そんな風に考え落ち込んだ空気を裂いて響いたのはクリスの言葉だった。
「悪いことしかないように見えるのはこれまで良い事があったからですっ。それならこれからだって良い事があるはずなんです!」
自信に満ち溢れた言葉は彼女の生き様を物語っているようで、その声にクラウスは心の内の靄を拭う。
後ろを振り返るのはそこに疚しい気持ちかあるからだろうか。それとも後悔に縛られて足元しか見れないからだろうか。
どちらにせよそれは前を向いていないのだ。前を向かなければ、新しい景色を見ることはできない。
「……そうだね。暗い話をしてごめん」
千切ったクリームパンをフィーナの口元に差し出しつつ謝る。彼女は顔を綻ばせてそれを食べると小さく踊るように羽を広げて肩から離れた。
「妖精は楽しいから存在するんですっ」
その言葉が胸の奥に蟠っていた何かを取り払う。それが何なのか、言葉にするのはクラウスには難しかったけれども。おかげでまた少しだけ妖精に歩み寄る事ができた気がした。
と、そうして互いが互いに歩み寄っている最中、クラウスが笑みを浮かべた直後に部屋に扉を叩く音が響いて全員が手を止める。
「どうぞ」
「失礼します」
入室を促す言葉に返ったのは聞き覚えのある声。
一拍空けて開かれた扉の奥にいたのはレベッカだった。
「あの…………」
胸の前で手を握って怯えるように室内を見渡すレベッカ。彼女はヴォルフを見つけて少しだけ表情を和らげた後、視線をテオに向けて止めた。
「……どうした」
ちらりと送ってきた目線に目だけで頷く。
立ち上がったテオは聞きながら部屋の外へと出て行った。
扉が閉まって少し。ユーリアが声を上げる。
「……さっきの子は?」
「ブラキウム先輩と仲のいい子」
クラウスの短い答えに記憶を探って納得したのか視線を閉じた扉へと移すユーリア。女性の視点は貴重だ。少しでも今後のためになるならば彼女の言葉を聞き逃すわけにはいかない。
「……そう」
短くそう言ったユーリアは再び麺麭を齧る。何処か納得の行かないような表情はレベッカの行動についてだろうか。
考えつつヴォルフの方を伺うと彼はいつも通りに落ち着いた表情で昼食から仕事へと移っていた。
「会長」
テオが廊下から戻ってニーナに声を掛ける。彼女から見ればレベッカの行動はどう映るのだろうか。
「何かしら、コルヌさん」
言葉を向けたのはテオにではなくレベッカへ。どうやらニーナの中ではレベッカの行動の理由に納得がいっているらしい。
恐らくその言葉を本人の口から聞きたいから彼女へ話を振ったのだろう。
「……えっと。わ、わたくしをここにおいてもらえませんかっ?」
「どうして?」
苛烈にも聞こえるニーナの問いにレベッカが怯む。厳しさのように聞こえるそれは、彼女の優しさだろうか。
「……委員会の皆さんの活躍は沢山聞き及んでおります。その殆どの問題がハウズ級から出ていると言うことも」
ちらりとこちらを伺うレベッカ。
確かに彼女の言う通り、問題はこの春入学してきた生徒たちからの疑問質問が多くを占めている。
少し前の喧嘩騒ぎだってハウズ級の出来事だった。
「だからハウズ級への足掛かりとしてわたくしを使ってください」
「……………………」
黒橡色の瞳が強い意思を持ってニーナを射抜く。
悪くない提案だ。問題をいち早く捕まえるきっかけと、それを処理する委員会が繋がれば迅速な対応に繋がる。
それに恩を売っておけば、彼女が何かを願った時有利に働く可能性だってありえる。
だからこそ、その言葉の裏に隠された彼女の思いにクラウスも気付く。
「……皆はどう思う?」
ニーナの言葉に答えとは違う場所で少しだけ考える。
ニーナは最初から分かっていたのだろう。だからテオではなくレベッカに話を振ってその言葉を彼女から言わせた。
その情報を加味して判断を下すように条件を揃えてくれた。
事人間関係の機微においてはクラウスよりもニーナのほうが上かもしれない。
「僕は構いませんよ」
「いいんじゃないっすか?」
「一応賛成」
クラウスに続いてテオとユーリアの返答。頷くニーナの視線はヴォルフに留まる。
彼はなんと答えを返すだろうか。
「悪くない」
短い返答にレベッカの肩が震える。
そのヴォルフの答えに、違和感を感じたのはクラウスだけだったかもしれない。
仕事に戻るヴォルフを少しだけ見つめて小さく息を吐く。
「それじゃあよろしくね、レベッカさん」
「はいっ」
ニーナの言葉に桃色に頬を染めて首肯するレベッカ。
嬉しそうな彼女の声を聞きながら、クラウスはまた少しだけ疑問の種を増やしたのだった。
それからの委員会の活躍には目を見張るものがあった。事前に事件の香りが立てばそこに赴いて仲裁し、起こった事象にも直ぐに対処して最小限の被害で収める。
はっきり言ってレベッカの存在は委員会において必要以上の働きを示して見せた。
ただ少し、クラウスの視点で気になることがあるとすれば……。
「お茶が入りましたよ。飲みますよねっ?」
彼女の行動が彼女の善意の上に成り立っていると言うことだろうか。
レベッカが委員会の手伝いをするようになって一週間。まるで家政婦のように甲斐甲斐しく委員会のために走り回り、生徒会室の部屋の掃除まで自主的に行うほどに委員会の仕事にのめりこんでいた。
「ブラキウム先輩もどうぞっ」
事ヴォルフに対してはその念の入れようが顕著で、飲み物が冷めれば入れ替え、することがなくなったときは彼の近くで静かに控えていることが多い。
見返りはと言えばレベッカはヴォルフの傍にいられることが幸せのようで、花が咲かんばかりの笑顔で彼の様子を観察している。
その全てが善意……彼女の良かれと思う心なのだから中々無下にすることも出来ない。その大半を向けられているヴォルフも、黙認しているのか顔に出さないだけか言い咎める事もなくそれよしとしている。
恐らく彼女なりに自分を売り込んでいるのだろうが、クラウスから見ればそれはただ自分の気持ちを押し付けているだけにしか見えなかった。
「あ、そろそろ見回りの時間ですね。グライド先輩、行きましょう?」
また、彼女の好意はどうやらテオにも向いているようだ。
恐らく最初に彼女の相談に乗ったテオにヴォルフのことで度々相談しているのだろう。一応そのうちの幾つかはクラウスの耳にも届いている。
辟易とした様子でレベッカと校内へ出て行くテオを見送って一つ溜息を吐く。
するとそれまで静かに仕事をこなしていたユーリアが徐に長椅子から立ち上がった。
「ニーナ会長。コルヌさんのことで少し話があるんですけどお時間良いですか?」
手に持った書類をニーナに渡しつつ言葉以上の言葉を含んでユーリアの口から叩きつけられる。
顔を上げたニーナはじっとユーリアを見つめてそれからペンを机の上に転がした。
「何かしら」
「会長から少し言ってください。このままだと委員会の仕事ができませんっ」
「仕事ならしっかりとして────」
「表向きはそうですよね!」
ユーリアの言葉にニーナが息を呑む。言葉を探してか降りた沈黙を、ユーリアは言葉を続けて振り払う。
「来てますよね、妖精絡みの重い案件。ないとは言わせませんよ。会長だって元軍属、私だって軍属の端くれです。分かりますよね。嫌でも耳に入ってくるんですよっ」
「……ユーリア」
「クラウスも何か隠してるし、ブラキウム先輩もあの子に何も言わないし」
苛立たしげなユーリアの口調に全員手を止めて息を詰まらせる。
「……別に、今ここで全部話して下さいとは言いません。けどこのままだと委員会自体が機能しなくなるって言ってるんです」
真剣な瞳は真摯な光を放ってニーナを射抜く。彼女の目から一度視線を逸らしてニーナがクラウスを見る。
確かに、ユーリアの言っていることはクラウスたちの心の奥に眠る懸念の一つだ。学院内にユーリアの語った重い問題があるのも事実だ。けれどそれは今すぐに対応すべき問題でもない。
それを知っていることには驚いたし、クラウスが何かを隠していることを言い当てられたのも少し肝が冷えた。
が、よく考えてみれば話はレベッカについて。直ぐにその結論に至って脳内の情報を整理する。
「ユーリア」
「……何?」
立ち上がった気配にかユーリアがクラウスの方に振り向く。
「言ってなかった僕たちも悪いとは思う。けど本当はここまで大事にするつもりじゃなかったんだ。そこだけは理解して欲しい」
クラウスの前置きに眉根を寄せるユーリア。また彼女との溝が少しだけ大きくなっただろうか。やはり道のりは険しそうだ。
「それで……?」
「レベッカさんは一人っ子なんだよ……それでコルヌの家は資産家。この学院設立の際にいくらか融資してる……って言ったら納得してもらえるかな?」
茶器のところまで行くと湯を注ぎ紅茶が色付くのを待ちながらゆっくりと告げる。
随分と柔らかい言い方だが、多分ユーリアにも伝わったはずだ。
学び舎の設立。そして恐らくこの学院の維持のいくらかがコルヌ家の出資によるものだ。
コルヌ家はブランデンブルク王国の中でも指折りで数えるほどの大貴族だ。貴族についての詳しいことはとりあえず置いておこう。今回そこはあまり重要ではない。
コルヌの家には王家と繋がりがあり、その親族には幾人も国を支える重鎮がいる。
そんな家の愛娘。学院を支える一柱と事を交えて大事になるのはクラウスの望むところではない。
下手をすればこの学院の存続すら危ぶまれるのだ。
もっと踏み込んだ話をすればコルヌ家が出資をやめれば他の貴族を頼るか国の金を今以上に使うことになる。そうすればブランデンブルク王国の金銭事情が少しだけ傾き、やがてそれは他国へ広がる。
国民の不信を煽らない為にあまり話には挙がらないが、政治的小競り合いは耐えないはずだ。そういう場で弱みを握られれば返答如何では懸念する戦争にだって発展する恐れがある。
広い視野、かもしれないを重ねた末の想像ではあるが、何処かが崩れればありえるかもしれない未来なのだ。
流石にそこまでの想像ができなくとも、貴族令嬢に失礼なことはできない。不敬を働けばユーリアの軍属という地位やこの学院の籍が揺らぐかもしれないのだ。
「……理不尽じゃない」
確かにその通りだろう。けれどその理不尽の上に自分たちは立って学を修めているのだ。
「何か、ないの……? ねぇ、クラウス」
縋るように声を絞り出すユーリア。彼女の言葉に思考を巡らせる。
「……非道な手段を含めれば現状を打開する手立てがないこともないよ。けどそれは悪質に権力を振りかざすことと何が違うのかな」
非情な言葉に聞こえただろうか。唇を噛み締めるユーリアを少しだけ可哀相に思いながら思考を重ねる。
不敬に当たらない程度にレベッカを言いくるめればいい。けれど彼女は委員会に好意で力を貸している。その裏に、彼女の小さな恋心があるとはいえ、事実レベッカのおかげでいくらかは委員会も助かっているのだ。
それまでの感謝を無下にして過度な行動は控えろとは言えない。
委員会の仕事を理由に掲げればそれは国を人質に取っているようなものだ。この委員会には、国との繋がりがある。それはコルヌ家にも同様に。
相手にするにはクラウスや委員会は小さすぎる。だから穏便に事を済ませたかった。
どうすればいい。視点を変えろ。思考を重ね、幾つかの可能性を想像の中で繰る。
……やはり情報が少ない今時間を掛けるしかないない。
「…………とりあえず、仕事。目の前の事を片付けられないのに遠くの壁を見つめたって何にもならない」
ニーナの言葉に空気が多少和らぐ。
ユーリアもやり切れなさを感じながら頷いてソファーへと腰を下した。
「大体、ハニーが嫌だって言ったんだから素直に引き下がれば良いのに。恋人じゃないんだから…………」
拗ねたような呟きはヴォルフの手元。机に寝転がって不機嫌に顔を歪めたクリスの小さな口から。
彼女の言い分に少しだけ感慨が過ぎる。
クリスも随分ヴォルフにご執心で、その辺りレベッカと似たもの同士だと思うんだけれども。
立ち位置が似て、巡るものが一つだからこそ争いが起きるのだろうか。人間とハーフィーなのに。
何か分かりやすい答えを求めて探した疑問は、思考の奥に埋もれて消えていったのだった。
それから巡回から帰ってきたテオとレベッカを加えて書類作業へと戻る。
納得のいっていない様子のユーリアは苛立たしげに乱暴に書類をクラウスの方へと回し、テオは気になることがあるのか時々クラウスの顔を伺う。
確かに現状を改善したいのはクラウスも考えるところだが、恐らくそれにはヴォルフの協力が必要になる。そのヴォルフはレベッカとの過度な接触を控えようとしているし、彼からはレベッカのことで相談も受けている。
問題に板ばさみにされ身動きが取れないのだ。外からの援軍も期待できない今、これは委員会内で片付けるほかない。
感情論で動くことができたらどれほど楽だろうか。
染み付いた行動理念に少しだけ嫌気が差しながら見上げた天井は変わらない板張りで、クラウスを拒絶しているように見えた。
翌日からは停滞の日々が続いた。
授業と休日と。それから委員会の仕事と。変化した生活の調子は少しの疲労心労と引き換えに充足感と結果を齎した。
最終的には生徒個人の問題で、大体が小さな悩み事だがそれがなくなれば雑念も消え、勉学に励むことができる。
空気は少しずつ改善され、学院への不満は信頼へと変わり円滑な生活が回り始める。
そうして変化した空気が学院中に広まって大きな問題もなくなったのが一週間後。既に新入生の入学から一ヶ月が経ち、本当の意味で学院が安定した雰囲気を纏い始めていた。
「そういえばクラウス、勉強してんのか?」
「学ぶことが沢山ありすぎて目を回すくらいだよ」
「そういう意味じゃなくて。そろそろ筆記考査があるだろ」
歩きなれた生徒会へ向かう学院の廊下で。窓から差し込む暖かい陽光を半身に感じつつ、偶然一緒になったテオと二人会話をしながら目的地へ向かう。
幼馴染の言葉に少しだけ頭を回す。
ここフィーレスト学院には一学期に二度、筆記による考査がある。筆記と名のつく通り、座学で習った知識を用いて教員の作った試験問題に正しい解答を書き連ねるものだ。
筆記考査……と言う言葉がある通り、この他に実技考査がある。とは言ってもこちらは年に二度ある進級試験の別称で、妖精憑きや妖精従きにとってはこちらに重きを置く生徒が大多数だ。
筆記考査は個人の成績にいくらか影響するがその比率は大して高くない。そう言った理由と、そして実技考査の末に得られる妖精憑きや妖精従きとしての箔──トーアやハーフェンと言ったその人物の階級が、この学院を出た後社会に出て行く人の指標となることから、専らここでは試験と言えば実技考査……進級試験の事を指し、区別して座学のそれを筆記考査という。
「まぁクラウスのことだからいつも通り軽く流すんだろうけど」
「学年首位候補に言われてもねぇ……。恥ずかしくない点数は出せるように努力するけど」
それでも試験は試験だ。点数が悪ければ補修と再試験が待ち構えている。その壁は低いとはいえ、妖精と関わる者の常識とそこから一歩踏み込んだ価値観を持たなければあまり妖精従きとして胸の張れたものではない。
その筆記試験で、毎度の如く張り出される評点順位の頂に君臨するのが隣のテオ・グライドと言う男子生徒だ。
クラウスが記憶する限り彼が入学して筆記試験で首位を逃したのはたった一度だけ。その時も度重なる事情があってのことで、実質筆記試験においては右に出る者はなしだろう。
またテオは実技試験においても特異とさえ呼べるほどの飛びぬけた技能を持っている。もしクラウスと同期の中からフォルト級の生徒が出るなら彼かユーリアのどちらかだと思うのだ。
それに加え顔は整い、高身長。男目線で見ても十分に憧れる彼だが、一つだけ欠点があったりする。
「心配することは──っと、すまん、大丈夫か?」
「あっ、はい。大丈夫です」
廊下の曲がり角。出会い頭に肩がぶつかってよろめいた女性徒の腕を掴みテオが問いかける。
顔がよければ程度のことが許されそうだよなぁ。などと思いつつ次に彼の口から飛び出るであろう言葉を脳裏に思い描く。
──綺麗な顔に傷はついてないよな?
「綺麗な顔に傷つけてないよな?」
「へ、ふぇ?」
あまりの気障ったらしい言葉に目を丸くした女性徒。リボンの色が赤だからハーフェン級の生徒だろう。上級生に向けてそれはどうなんだ。
小さく溜息を吐きつつテオの横腹を突く。
こちらを向く彼の目にはクラウスに対して疑問さえ浮かべている。
この天然がっ。
「失礼しました。お怪我はありませんか?」
「はい……」
「それはよかったです。テオ、行こう」
「……? おう」
首を傾げる幼馴染を連れて止まっていた足を再び出す。
これがテオの欠点。常軌を逸した気遣い。
テオは優しい。それは彼の性格で、いいことだ。けれど事はその範疇に収まらない。
今のような小さな問題であってもテオの心配は最大限に適応され、口をつく言葉は天然の仕業。
クラウスのアンネなどに対する言動も随分だがあれは自覚してのことだ。テオのこれは無自覚。だからこそたちが悪い。
顔立ちがよくて、優しくて、文武両道で。おまけに校内保安委員会の構成員。いくらなんでも詰め込みすぎだ。
頭を抱えたくなるほどのお人よしに眩暈さえ覚える。
彼のことだからそこまで頭が回らないのだろうが、あんな言葉は普通口説き文句だ。そんなのを面と向かって顔立ちの整った人物に言われれば勘違いを起こす人も少なくない。
簡単な話長所であり短所。他人との距離を一足飛びに飛び越えてしまうのだ。
彼のこの羨望さえ感じさせる体質に振り回されたのは一度や二度ではない。事この学院に入ってからは彼の隣を歩く女性徒をクラウスが見ただけでも十人近くは知っている。
その内誰かから刺されるんじゃないかとさえクラウスは危惧しているのだ。それとも一度刺されてその体質を自覚したほうがいいのではないだろうか。
脳裏を巡った想像に一つ溜息を零す。
「まぁ、もし必要になったら勉強会でも開こうぜ」
「…………そうだね」
そして自覚しないまま元の話題へと返っていく。その勉強が異性の上手な落とし方だったなら笑えるのに。
頭の奥をユーリアの姿が掠めて一人心の内を整理する。
そうなりたい訳ではない……が、そこを目指すのが一番手っ取り早い気がする。
彼女との溝を考えつつアンネの望みに悩まされるクラウスだった。
生徒会室へ向かうと中から少し大きな声が漏れ聞こえていた。
「──から…………だってっ」
「──れは、…………いって言……!」
疑問符を浮かべつつ扉を開けるとそこにいたのは顔を突き合わせたクリスとレベッカだった。クリスのほうは人化の術を使っているのか人間大に大きくなっている。
その奥で、顔を顰めたヴォルフが言い争う二人の様子を険しい表情で見つめていた。
「アタシは…………! っ──!」
クラウスたちの入室に気がついたのか、クリスが言いかけた言葉を飲み込んではっとした表情で目線を外す。彼女が見た先には二つの箱。
なにやらあの箱を巡っての争論らしい。
「どうしたんです……かっ!?」
とりあえず現状を把握しようと足を踏み出したクラウス。それとほぼ同時、クラウスに向けて走って来たクリスがクラウスの腕を掴んで廊下へと引っ張った。
唐突な衝撃によろめいてどうにか体勢を持ち直す。クリスに連れられて廊下に連れ戻されるその最中に、レベッカが泣きそうな顔でクラウスに声を掛けようとしていたのが見えたが、止まる事を許されず生徒会室から引っ張り出される。
「……まったく、どうしたんですか?」
溜息一つ。こちらに背を向けてキャラメル色の二つ結びを揺らすクリスに声を掛ける。
彼女は勢いよく振り返ると先ほどの口論と同等に興奮して喋り出した。
「あの子が失敗したのっ! 勝手に弄ってハニーの仕事を滅茶苦茶にしたのっ!!」
要領を得ない言葉に少しだけ頭を抱える。……沈静化が先だろうか。
「……分かった。レベッカさんがブラキウム先輩に関わる失敗をしたんだね」
論点を少し変えて納得の姿勢を見せる。興奮状態で会話をしても同じところを巡るだけで進展しない。一度彼女の視点に合わせるべきだ。
そうすれば身を入れたクラウスに彼女も少しだけ気を許してくれる。
「それで、具体的にどんな失敗をしたの?」
文脈の中で失敗に要点を置く。わざと誤解を生む発言で進展を図る。
クラウスの理解はレベッカが失敗をした、けれどその裏にクリスの存在とそれまでの背景があるというもの。クリスの理解は恐らくクラウスがレベッカの失敗を認めたという感じだろう。
広い視点が狭い視点か。これは誤解と言うよりは興奮状態を逆手に取った論法だろうか。
何にせよ、クリスからすればクラウスが自分に共感してくれていると感じるはずだ。そこから話をこじ開ける。
「さっきまで先に来て仕事してたのっ。投書の整理。いつもユーリア様がやってるやつ」
「それで?」
「そしたらその投書が途中から未処理に処理済が混ざって……」
話が随分と飛んだ。これはもっと前から話を聞くべきだろうか。
言葉だけの理解を重ねて話を掘り下げる。
「なるほどね。そんな失敗が。……それでどうして喧嘩みたいに?」
「……あの子に箱の整理を頼んだの。必要ないもの片付けてって」
「うん」
「そしたらあの子が間違えて…………」
言葉の外の情報をどうにか補って話を纏める。
恐らく最初は彼女の小さな苛立ちだったのだろう。レベッカが委員会に参加してから二週間。最初に会った時ほどではないにせよ仕事の合間にヴォルフに印象付けをする彼女。その様子にクリスは苛立ちを募らせていた。
だから腹いせに肉体労働を押し付けて雑念を紛らわそうとした。それが箱の整理。
その中でレベッカが間違えて箱を入れ替えた。結果、移動した箱に気付かずに未処理の箱に処理済の投書を混入させてしまったとか、そういう類の話だろう。
喧嘩の種よりも増えた作業に滅入りつつ思考を再起動させる。
「……つまり間違えて未処理の箱に処理済の投書を入れちゃったんだね? そして言い争いになった」
「そうよ。アタシはしっかりと未処理の箱は移動しないでって言ったのっ。なのに間違えたのはあの子っ。責任はあの子が取るべきよね?」
この同意を求める問いかけに頷けば少しだけややこしいことになる。
恐らく先に我に返ったのはクリスのほうだったのだろう。だからクラウスを味方につけようと廊下に引っ張り出した。
先ほど生徒会室を出る前に見えたレベッカの表情はつまり先を越されたと言うことなのだろう。
なんというか、女性らしい話なのかもしれない。
話のしかたも、巻き込んだ周りも。無意識であっても自己防御のため。
全ての女性がそうとは言わない。男にもあるそれは誰しもが持つ防衛本能だ。それが今回は少し前面に出ただけ。
だからこそ、彼女の問いにクラウスは答えられない。クラウスの言葉には肯定しか許されないから。
否定を振りかざすことができるのは図らずも事の中心に置かれたヴォルフだけだ。
それと一つ。彼女の語った言葉の裏に隠された感情に視線を向ける。
クリスは先ほどレベッカは間違えたと言った。間違えた、と言うことはそれをクリスが認知した上での喧嘩と言うことだ。
だからこそ責任の在り処を求めた。
クリス自身が抱えるレベッカに対しての感情が、分かりやすい形としてレベッカに責任を負わせることで事の終息を試みた。
ならば、少しずるい方法だがこれを使わせてもらおう。
「……その責任は投書の元通りと謝罪ってことだよね」
同意の答えを返さないクラウスを睨みつつクリスが頷く。
さて、これで論点の変更は完了だ。やりたくない言い回しだが今回の場合だとこれが最小限の被害だろう。
「フィーナ。先輩に着いて処理済の中に紛れ込んだ未処理の投書を分別してくれるかな?」
「わかりましたっ」
契約で繋がれた回路で表層の部分だけでも理解したのだろう。クラウスの言葉に疑問を返さず生徒会室へと向かうフィーナ。その背を少しだけ見つめて視線をクリスへと戻す。
「話は分かったよ。問題の種もこれから解消する。喧嘩する理由は他にある?」
淡々と詰めの言葉を口にする。これで話は終わりだ。
「それに喧嘩をしてても投書は減らないよ。それをブラキウム先輩が望むかな?」
駄目押しの一言にクリスは息を呑む。彼女のその表情を見れば答えはすぐに分かる。
後はクリスとレベッカのそれぞれの気持ちの問題。これはそう簡単には埋まらないだろうが少しずつ解決していければと思う。
可能ならば、そこを切り口にヴォルフが抱える問題も解消できたらと想像する。
「……とりあえず話し合いは今日の委員会が終わった後にしよう。その時は僕も話を聞くから」
最後に少しだけ意味合いの違う共感を示してクリスの気持ちを諌める。
クラウスの言葉に俯いた彼女は少しだけ寂しそうにした後にクラウスの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「絶対ですからっ」
「分かったよ」
笑顔で言って再び生徒会室へ足を踏み入れる。中ではテオが話を聞いていたのか、レベッカと一緒に長椅子に座っていた。
クラウスの姿を見つけたテオは縋るような視線で助けを求める。どうやら異性を惑わす才はあってもそれを受け止めることはできなかったらしい。これが戒めになればいいのに。…………天然だからそんなことはないんだろうな。
「レベッカさん。言い合いの原因をどうにかしよう。そうしたら委員会が終わった後に皆で話をしよう?」
「…………はい……」
彼女には思うところがあるのか俯いて小さく返事を零す。
この様子なら少しだけ自分の仕事量を増やせば大丈夫だろうか。
自己犠牲、と言う言葉が脳裏を巡ってアンネの顔が思い浮かぶ。彼女がいなくてよかったと思ってしまった自分が少しだけ恨めしかった。
それからその日の委員会の仕事を終えて、下校前に少しだけ時間を取って話し合いを行った。
終始俯いていたレベッカだったがそれは反省をした上での姿勢であったし、クリスのほうも仕事を経て思うところがあったのかあまり強くは口にしなかった。
結局、それぞれに問題があったと言うことで両成敗として処理して事なきを得た。
その帰り道。
「クラウス」
「何?」
「何か問題か?」
靴を履き替えながらの幼馴染の呼びかけに答えると、重ねられた疑問は要領を得ない言葉。手を止めてそちらを見るとテオはヴォルフの方へと視線を移した。
その視線に彼の言いたい言葉を理解する。
ヴォルフ関連の問題。
彼が最初にそれに気付いたのは恐らくレベッカが初めて生徒会室に顔を見せたときだ。あの時から今まで静観して、必要な時に力を貸していてくれていたことに感謝をしつつ重い口をあける。
「……言えないよ」
「そっか」
返答はあっさりとしたもの。拍子抜けなほどの納得の言葉にいつもの幼馴染を感じつつそのありがたみを改めて実感する。
「ま、何か力になれることがあれば言ってくれ」
「いくら損得勘定がないとは言え、あまり貸しは作りたくないなぁ」
「もう十分溜まってるから気にすんな」
耳の痛い言葉に苦笑を漏らす。
実際言葉通りに彼は思っているのだろうが、そこはクラウスにも譲れない気持ちがある。突き詰めれば性格と言うことにはなるが、損得勘定を損得勘定で計算してしまっているのだろう。
自分でも理解し難い面倒臭さ。
そう結論付けてまた一つ自分がどういう性格をしているのか客観的に判断する。そうまでしてようやく自分がどういう人物なのか理解できる気がした。
「そういえば試験期間中はどうなるんだろうな?」
「委員会のこと?」
校庭に出てユーリアたちと合流して歩き出す。
テオの挙げた話題に聞き返して視線をニーナへ。
「そうね……よほどの緊急以外は活動はなしにしましょうか」
「個人的に気になった問題はそれぞれに解決して後で報告で良いですか?」
「皆もそれでよろしくね」
どこか投げ遣りに聞こえるニーナの言葉に頷いて回した視線はレベッカへ。
「レベッカさんも試験期間中はお休みってことで。もし何か問題があったら一人で解決しようとせず僕たちの誰かに声を掛けてくれるかな?」
「分かりました」
首肯する彼女に笑いかけて、こんな時でも抜け目なく回転する頭で今後を組み立てる。
流石にわざと問題を起こすように差し向けて自作自演の結果を求めるのはやりすぎだろうか。運よく話が回ってくればその機会を使わせてもらうとしよう。
こんな事を平然と考えるからアンネに悪魔なんていわれるんだろうか? 悪役の道なら楽しそうだから歩んでみても良いけれど。
「筆記……試験…………」
と、そうして会話に混ぜて布石を打っている途中で。背後から聞こえた呟きに足を止める。
振り返ってそこに立っていたのは俯いたユーリア。心なしか顔色が悪そうに見える。
「ユーリア、どうかした?」
「あ、それとね。校内保安委員会は生徒会直属だから、あまり恥ずかしい点数は出さないでね?」
「っ────!」
声を掛けた直後、ニーナの口から出た言葉にユーリアは肩を強張らせる。
そして恐る恐ると言った様子で上げた視界にクラウスの姿を捕捉する。
突如背中を駆け上がる予感。これは想像を重ねた上の結論と言うよりは、第六感にも似た納得。
────目を背けたいのだけれども背けても良いかな?
物言わぬ視線で訴えてみるがユーリアの目は頑なに外れようとしない。
…………あぁ、駄目だ。これは逃げられない。
諦めのようにそう感じながらユーリアに声を掛ける。背後ではまだこちらに気付いていない様子のニーナたちが談笑をしながら遠ざかっていく気配。
「ユーリア」
「っな、何?」
珍しく焦ったように顔を背ける彼女。どうやら自分から口にするのは躊躇われるらしい。助け舟は……これでいいかな。
「もしよかったらだけど試験勉強手伝ってもらえないかな?」
クラウスの言葉に渡りに船とばかりに背けた視線を再び合わせるユーリア。
それは彼女が正直者だからこそ目にすることができた珍奇な表情だったかもしれない。
「……そうね、下手な点数取ったら会長に言われるものね」
なんと薄い建前。それともその言葉は自分に向けてのものなのか。
思わず笑ってしまいそうになりながら彼女の望む反応を返す。
「お願いできる?」
飽くまでこちらが頼む姿勢を崩さず約束を引き出す。
「時間があるときだけよ」
「ありがとう」
笑顔。これは、笑顔。
自分に言い聞かせるようにして表情を浮かべると胸の内で溜息をつく。
これで後は成り行き任せだ。首を突っ込んだのなら最後までやり通す。そして可能なら彼女との仲を縮める。
そんなあわよくばを考えつつ顔を背けるユーリアを見つめる。
夕日の中で揺れる艶やかな黒髪から白い耳が覗いて。それが橙色に染まっていたことは誰も知らない。
そういうことに、しておこう。
* * *
今日は先輩の契約妖精と喧嘩をしてしまった。
確かにあれはわたくしにも責任はあったと思う、それでも少し怒りすぎな気がするけど。
大体公私を混同しているのはわたくしではなくあの妖精の方だと思うのは間違いなのでしょうか。
ここ三週間ほどでわたくしが巻き込まれた騒動の殆どが彼女発の事ばかりです。
わたくしだって努力している。先輩に好きになってもらえるように、見捨てられないように。前は少しやりすぎだったかもしれないけれど、今は反省してあまり強くは先輩に求めていないはずで。
それをいい事にあの妖精は契約と言う関係を我が物顔で振り回している。
契約妖精であることがそんなに偉いのか。契約妖精であることを誇りにもせずただ手段として利用しているだけではないのか。
……こんな事を考えてしまうわたくしを先輩は嫌いになるだろうか。
そんな事を、この頃よく考える。
けれど全てはあの妖精が起こしたこと。だから、わたくしが勝手に思い悩んでいるわけじゃない。
わたくしはわたくしのやり方で先輩を好きでいればいい。
…………明日からは試験準備期間だ。その間委員会の仕事もなくなる。先輩と会う時間が少なくなる。
どうしよう。色々考えてみたけど中々いい方法が思い浮かばない。アルフィルク先輩なら何か良い案を出すんだろうけど。わたくしはそこまで賢くないから。
けど賢くないからと言って勉強ができないわけではない。勉強ができてしまうから、それを口実に先輩と会えない。
わたくしはわたくしのいいところを隠したくない。ありのまま先輩に見てもらって、そのわたくしを好きになってもらいたい。
押し付け、なんだろうか。こういうのは先輩は苦手だろうか。
けどわたくしはこれしか知らないから。
許婚が解消されて、先輩への思いを改めて自覚して。その時に覚悟したのだ。
わたくしはわたくしのままで先輩に好きになってもらおうって。
だから揺るがない。自分に嘘をつかないで、真実だけを受け入れる。
今までもそうしてきたから、これからだってそうする。
目を背けずに正しいことを見つめるのが、わたくしのやり方だから。
だから明日からも頑張れる。




