ぬいぐるみ(お題小説)
沢木先生のお題に基づくお話です。「色あせたぬいぐるみ」と「ショートカット」をお借りしました。
それから、勝手にキャラで登場させてすみません、つるめぐみ先生 <(_ _)>
急いでいた。とにかく、電車に乗り遅れるわけにはいかない。俺は狭い路地を近道して、駅へとひた走る。
「わ!」
路地の交差しているところで、小学校低学年と思われる女の子にぶつかりかけた。
「ごめん! 急いでるんで! ここに電話して! 弁償するから!」
俺はその女の子が驚いた拍子に落としてしまった色あせたぬいぐるみを踏んづけたのだ。それほど高価そうではないぬいぐるみに見えたので、携帯の番号が入っている名刺を渡してそう告げると、ぬいぐるみを拾ってあげる余裕すらなく、俺はそのまままた走り出した。思えば、あれが始まりだったのかも知れない。
急いだ甲斐もあって、何とか電車に間に合い、俺は大事なプレゼンに穴を開けるのを免れた。そして、忙しさに感けたせいで、その女の子との約束をすっかり忘れてしまった。
そして、一週間が過ぎた。
ラブホテルのベッドの上で、俺は仕事の疲れもあり、まどろんでいた。その時だった。
「何で出ないの?」
付き合い始めて二年になる同期入社の恵が、俺の携帯がベッドの脇のテーブルの上で鳴っているのに気づいて言う。こいつは嫉妬深くて、会社で他の女の子と話しているだけで機嫌が悪くなる。美人で家が金持ちでその上巨乳なので、俺は彼女のきつい性格に目を瞑っていた。そのうち、もう少しお淑やかになるさ。そう思っている。
「知らない番号だからだよ」
それは本当だ。二日前から何度もかかって来ている番号なのだ。どこかの家電なので、誰なのか見当もつかなかった。何となく嫌な予感がして、出た事がない。
「とか言って、二股かけてるんじゃないでしょうね?」
恵はそう言うと、パッと携帯を取って勝手に出てしまった。
「おい!」
俺は驚いて慌てて携帯を取り上げようとしたが、それより一瞬早く恵が立ち上がった。
「どちら様?」
恵は明らかに敵意剥き出しで尋ねた。誰なのかもわからないのに何を考えているんだ、この女は?
「え?」
恵は目を見開いて俺を見た。何だ、その反応は?
「どうしたんだ?」
しかし、恵は何も言わずに俺に携帯を差し出した。俺は不審に思いながら立ち上がり、
「はい?」
と相手に話しかけた。
「いつ来てくれるの?」
女の子の声だった。
「何の事かな? 君は誰?」
俺は心臓が高鳴るのを感じた。その女の子の声は、耳の奥に冷たいナイフを突き入れられたような響きだった。俺はその時、路地でぶつかりそうになった女の子の事を思い出した。名刺を渡して、ここに電話してと告げた事を思い出した。
「そうか、あの時の君か。ごめん、忙しくて……。今日これから行くよ。どこに行けばいいかな?」
俺は取り繕うように猫撫で声で尋ねた。
「もういいよ、私がそっちに行くから」
女の子はそう言うと、電話を切ってしまった。そっちに行く? ここへ来るのか? まさか……。
「ひ!」
その途端、部屋のドアから大きな音が響いた。そんな、まさか……。まだ携帯を握り締めたままの右手は、汗でジットリとしている。するとまたドアに何かが当たる音が聞こえた。俺は震えていた。歯の根も合わないほど震えていた。何が起ころうとしているのかわからなかったが、どうしようもなく恐ろしかった。だから、ホテルの廊下に誰がいるのか確かめるなんてできない。
「うわ!」
やがてドアが吹っ飛び、その向こうからあの時の女の子が大きな斧を持って入って来た。俺は生まれて初めて失禁を経験した。何も身に着けていないため、床一面に尿がばら撒かれる。恐怖に震えながらも、恵はどうしているのかと目を向けると、さっきの態勢で固まったままだ。まばたきすらしていない。
「来たよ」
女の子は右の口角を上げて笑った。恐ろしさのあまり、俺はそのまま気を失ってしまった。
「ねえ、起きてよ。もう出ようよ」
恵に揺り動かされて、俺は目を開けた。もう朝になっていた。不思議な事に、俺はベッドの上で寝ていた。
「え?」
訳がわからなかった。ドアは破られていないし、俺は失禁していない。テーブルの上に置かれた携帯は、動かされた様子はなかった。
あれは何だったのだろう? 俺は酷く混乱したので、朝食をどこかで採ろうと言う恵を無視して、走り出した。そして、あの少女とぶつかりかけた路地へ行った。そこで俺は更に衝撃を受けた。たくさんの弔問客が列をなしている。あの女の子と同じくらいの子供達が泣くじゃくりながら母親達と路地に立っていた。まさか……? 掌にジットリと汗が滲む。真相を確かめようと歩き出した時だった。
「やっと来てくれたね」
背後で声がした。あの女の子の声だ。俺は今度は本当に失禁していた。ズボンの間を生温かい尿が伝って行くのを感じながら、そのままそこに倒れた。
お粗末さまでありんす。