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アーナンダードクダミ

友達からメールが入った。彼は以前から精神疾患だ。

「ライブは不参加。一番聴いてほしい人が拒否をしたこと、今は取りつかれたように歌っていない事などが要因」

相変わらず日本語が出鱈目だ。彼には意中の女性がいる。断られたならいいが、拒否をしたとは穏やかな言葉遣いでない。取りつかれたように歌うならいいが、取りつかれたように歌わないとはどこの国の文法表現なのか?彼の住む精神世界の文法なのだろう。無気力に苛まれて歌えないとか、目的意識を失って歌えないとか・・・。取りつかれて歌えないとは、はなはだ穏やかではない。

実際彼は以前、かなりひどい幻聴に取りつかれていた。今は薬で抑えられていて、以前よりも随分ましにはなった。普通に会社にも行き、社会生活を営んでいる。副作用もほとんどない。

「病気?日本語出鱈目。手遅れかも。日本語が病気」

私はそう彼にメールした。

「病気なので仕事で無理できないと思って、障害者ですって言ってたんだけど、今は静かに仕事をしてます」

全く関係のない話題が返信されてきた。仕事で気がかりなことでもあるのかと勘繰る。文章の前後に繋がりがない。静かに仕事するとは一体何なのか?そのままの意味なのか、それとも精神的に暴走していないという意味なのか・・・。

「これも文法的に出鱈目。言語障害?失業するかもよ」

私は返信した。

「病気は悪い方へは進んでない気がしてる。順調」

彼からの返信。一体どこが順調なのだろうか。確かに以前よりましにはなったが、いつもボーッとしてて会話にも全然絡めないし、そもそもこのメールからしておかしい。彼の病気には元々波があるし、フォーティーズクライシスという言葉も最近はよく耳にするし・・・。ゴッホがピストル自殺した年齢に彼はもうすぐなる。

「自己本位。その病気に自覚症状は少ない。不治の病。言葉だけではなく、やがては行動も支離滅裂に・・・」

私の返信。

「行動が支離滅裂?心の中では仕事の手順とかちゃんとやってるよ」

彼の返信。どういう意味なんだ?心の中で仕事が順調だから大丈夫なのか?頭の中では分かっていても実際に行動するとうまくいかない、という後半の説明をただ省いただけなのか?

そもそも私のメールの意味が理解されていない。このままの彼の状況では、この先数年のうちに再び危うい状態に陥るかもしれない。確か以前にも口ではっきりと病気の波について彼に伝えたが、まるで状況を把握できてない。

「日本語ヘン。仕事は心の中だけでやらない。全て奇妙なメール。普通ではナイ」

私の返信。

「あまり仕事出来てないけど、絶対間違えないようにしてる。遅い、間違えるでは、仕事にならないし」

仕事にならないじゃなくて、使い物にならないだろ。要点がブレてる。病気のことを触れられたくなくて、仕事の問題と置き換えようとしているのだろうか。仕事の話が多いが、内容は薄い。

「聞いてナイ。君の仕事ぶりには興味ナイ。病的仕事人間?失業が不安?私は人事考課ではない」

この世界的不況に加えて超円高や原発事故の問題。私も含め、誰もが雇用や老後の不安を抱えている。

「僕の病気には良いところもある」

いきなりやばい返信。脳が悪い方の人格に乗っ取られてしまうかもしれない。

「話題を変えたね?別人格の防衛反応、分裂の一歩手前。波のある病気」

「一歩手前じゃなくてずっと前から病気。緊張した状態から普段は遠ざかってる。仕事中には時々あるけど」

ずっと以前に別人格に乗っ取られてた?仕事中時々起こる状態とは何なのか?

「自分が悪い状態であることを認めた?さっきは順調だとか言ったのに?急所を突かれてすぐ認めるのは、精神の防衛反応か?」

「気分が良くても悪くても病気。あ~、メールしてて楽しいけど、責められてる」

急にオチャラケメール。

「別人格は人を馬鹿にする癖があるようだ。そっちの方が余程愚かしいのに。あと2,3年で重症化する。高村智恵子も統失」

ゴッホやゲーテやソクラテスもだったらしいが。

「馬鹿にしてない。高村智恵子、検索した。後で見る。今日はそろそろ寝る」

「別人格は出てけ」

「別人格の意味が分からん」

「お前はさっきの別人格と違うな。もう一つの新しい人格か?頭がスカスカのようだ。綿菓子君と命名しよう」

「おやすみ~」


釈迦の十大弟子にアーナンダーという人がいたそうだ。釈迦に教えを求めたがあまりにも覚えが悪いため、あんたに説法はまだ早いってことで、二十年間、釈迦や兄弟弟子の履物をきれいにすることだけをやっていたそうだ。そうしてある時急に悟りを開いて、大勢の仲間の僧侶の中でも一目置かれる存在になったのだそうだ。

ある日、友達が遊びに来ていた。言葉のやり取りから、私は彼の将来に不安を感じざるを得なかった。言おうかどうか迷ったが、古い友達である彼に対して私はこう言った。

「君の病気は不治の病だ。一生治らない。2,3年後にはカフカの毒虫のようになってしまうだろう。年齢的に見て、もはや手遅れだ。こんなところにいても仕方がない。帰って君の庭のドクダミでも引いてなさい」

友達は決して悟ることはないし、決してドクダミを引くこともない。草を引かないから悟れないのか、悟れないから草を引けないのか。

そもそも悟る必要など、この世の中にあるのだろうか。何もかもがどうせ手遅れなのだから悟っても仕方がないのではないか。それに悟りを開いた人など本当にいたのだろうか?

人類の歴史が始まって以来、悟りを開いた者など一人もいない。でなければ、世界が今こんなに不幸であるはずがない。世の中出鱈目と下らないインチキばかり溢れている。

友達はその日の夜、メールをよこした。

「僕は本当に毒虫のようになるのかな?」

その質問は私には答えが自明のことに思えた。答えが自明な質問は人をおちょくっているように感じられて、返信が億劫だった。


「いや、全員だ」

3年後、私はそう返信した。間もなくメールエラーの知らせが届いた。







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