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魔獣肉の解体職人、首都の路地裏屋台で棘背蜥蜴《とげせとかげ》の白身を焼く  作者: 蒼月よる


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第6話 高級料理店の偵察

 銀貨三枚。

 それが、レフカの高級料理店「白石亭」の棘背蜥蜴尾肉フルコースの値段だった。あたしの屋台の売上六日分だ。貯金を崩すのは痛いが、これは取材だ。投資だと思え。

 自分にそう言い聞かせて、店の扉を押した。

 白石亭。レフカの中心街、坂の上のほうにある。白い石灰岩を磨き上げた外壁に、真鍮の取っ手。扉を開ける手が少し震えたのは、緊張していたからじゃない。朝の仕込みで手が冷えていたからだ。そういうことにしておく。


 中に入った瞬間、空気が違った。

 白い石灰岩の壁に、磨き上げられた木のテーブル。窓から射す午後の光が、銀のカトラリーに反射してちらちらと揺れている。天井は高く、客同士の会話が程よく吸い込まれて、静かだが死んでいない空間。花が活けてある。壁にかかった布は染めの良い織物だ。

 そして、匂い。

 肉を焼く匂いではない。もっと複雑で、層になっている。香草のかすかな甘さ、バターに似た何かの脂、果実を煮詰めた酸味。鼻の奥で順番にほどけていく。

 これが「空間で食わせる」ということか。


「お一人様ですか」


 給仕の若い男が、あたしの傷だらけの手と革の前掛けをちらりと見た。着替えてくればよかった。いや、これがあたしだ。変える必要はない。


「一人だ。尾肉のフルコースを」

「かしこまりました」


 通された席は窓際だった。テーブルの上にはすでに水と、小さな器に入った蒼実の砂糖漬けが置いてあった。口直し用だろう。芸が細かい。


 最初の皿が来た。

 棘背蜥蜴の尾肉の薄切り。生ではない、ごく軽く湯通ししてある。薄く透き通った白身が皿の上で花のように開いている。添えられているのは柑橘の汁と、細かく刻んだ香草。

 一切れ口に入れた。

 舌の上で溶けた。尾肉の中央部だ。繊維がきめ細かく、脂の乗りが均一。湯通しの加減が絶妙で、表面だけ火が通り、中は半生。柑橘の酸味が白身の甘さを引き立てている。

 旨い。素直に旨い。白石亭の料理人は、火の通し方を完全にわかっている。尾肉の中央部の繊維がどのくらいの温度で変性するか、そこから逆算して湯通しの時間を決めている。職人の仕事だ。

 だが——あたしの鼻は嘘をつかない。血抜きが甘い。二度目までしかやっていない。繊維の間にごく微量、魔獣特有の臭いが残っている。素人にはわからない。柑橘と香草で巧みに隠してある。でも、あたしにはわかる。


 二皿目。香草焼き。

 尾肉を三種の香草で包んで、炭火で焼いたもの。香草の焦げた香りが鼻を突く。中の肉は白く、しっとりと蒸されたような仕上がりだ。ナイフを入れると、肉汁がじわりと滲んだ。

 これも旨い。香草の選び方がいい。苦味の強い葉と甘い葉を組み合わせて、肉の淡白さに奥行きを出している。あたしなら蒼苔を使うところだが、この店は蒼苔は使わないのだろう。蒼苔は庶民の素材だ。高級店には似合わない——と、料理人は思っているんだろう。もったいない。蒼苔の薬膳的な苦味は、棘背蜥蜴の白身と最高に合うのに。

 あたしの脳内で、屋台版との比較が始まっていた。高級店は尾の中央部を使う。あたしは根元の端材。素材の質では圧倒的に負けている。だが下処理では——血抜きの丁寧さでは、あたしのほうが上だ。


 三皿目。ソース煮。

 蒼酒と南方果実を煮詰めたソースで、尾肉をとろとろに煮込んだもの。ソースは深い琥珀色をしていて、銀のスプーンに掬い上げると、とろりと糸を引いた。口に含むと、甘さの中に複雑な酸味が広がる。南方果実の独特な酸味だ。あたしの屋台では手に入らない素材。肉はスプーンで崩れるほど柔らかく、ソースと一体化して口の中で溶けた。

 あたしの屋台にはソースがない。粗塩と蒼苔。それだけだ。このソースを再現しようとしたら、南方果実の仕入れだけで銅貨がいくら飛ぶかわからない。

 でも。

 ソースの奥に、また魔獣臭がある。煮込みの過程で臭みが溶け出している。血抜きを三度やっていれば、こうはならない。ソースの複雑さで隠せているが、あたしの鼻は誤魔化せない。

 少し、安心した。味以外のすべてで負けている。器、空間、サービス、盛り付け。だが、肉の下処理だけは——あたしの鼻と指先だけは、この店の料理人にも負けていない。


 四皿目。蒸し焼き。

 これが看板料理だろう。大ぶりに切った尾肉の中央部を、蓋をした鉄鍋で蒸し焼きにしたもの。蓋を開けた瞬間、湯気とともに立ち上る香りが——。

 あたしは目を閉じた。

 鼻だけで分析する。尾肉の白身が蒸されたときの、あの淡い甘さ。鉄鍋の焦げつきから出る香ばしさ。添えられた薬草の清涼感。

 そして——やはり。ほんのかすかに、魔獣臭。

 三度目の血抜きをしていない。あるいは、三度目が不十分だ。繊維の間に残ったナノマシン含有液が、加熱によって揮発し、蒸気に混じっている。一般客にはわからない。百人中九十九人は気づかない。だがあたしの鼻は、五年間、毎日何百キロもの魔獣肉を嗅ぎ分けてきた鼻だ。


 旨い。それは認める。あたしの屋台では逆立ちしても出せない完成度の料理だ。

 だが、肉の声を最後まで聞いていない。


 食後の蒼実の砂糖漬けを口に含みながら、店内を見回した。客はほとんど埋まっている。身なりのいい商人や、役人らしき男たち。

 入口の扉が開いて、若いグループが入ってきた。四人組。制服のような揃いの外套を着ている。学園帰りの生徒だろう。白石亭に来れるということは、相当いい家の子だ。給仕が丁寧に案内している。

 あの客層は、あたしの屋台には絶対に来ない。路地裏の屋台で木の皿に盛った肉を、立ったまま食う。それを選ぶ人間と、白い器で銀のフォークを使って食う人間は、別の世界に住んでいる。

 若い客の一人が笑っていた。何がおかしいのかはわからないが、屈託のない笑い方だった。金があって、若くて、未来がある。あたしにだって未来はあるが、あの子たちとは道が違う。

 別に、悔しくはない。

 ——嘘だ。少し悔しい。あたしの尾根元の蒸し焼きを食べてみろと思った。端材だって、ここまで旨くなるんだと。


 会計を済ませて店を出た。銀貨三枚。腹は膨れたが、財布は軽い。

 レフカの夕方の風が、白石亭の余韻を吹き飛ばしていく。斜面に並ぶ白い石灰岩の建物が夕日で赤く染まって、赤褐色の瓦屋根がますます赤い。坂道を下りながら、あたしは頭の中を整理した。


 勝てるところ。

 血抜き。素材の下処理。ナノマシン濃度の見極め。あたしの鼻と指先。ここだけは、高級店の料理人にも負けない自信がある。


 勝てないところ。

 素材の質。あたしが使うのは端材だ。盛り付け。あたしに芸術的なセンスはない。空間。路地裏の屋台に雰囲気もへったくれもない。サービス。愛想笑いは苦手だ。器。木の皿と木の箸。


 白石亭と同じ土俵で戦ったら、あたしは絶対に勝てない。当たり前だ。向こうは銀貨三枚の料理を出す店で、こっちは銅貨数枚の屋台だ。職人の数も、仕入れの質も、設備も、何もかもが違う。あたしが白石亭に追いつくには、十年かけても足りない。いや、追いつく必要がそもそもない。

 だったら、戦わなければいい。


 旨い、安い、早い。


 それだけでいい。盛り付けは雑でいい。空間は路地裏でいい。サービスは「旨いかどうか聞くな、食えばわかる」でいい。

 ただし、肉の下処理だけは——白石亭の料理人が二度しかやらない血抜きを、あたしは三度やる。端材の尾根元から取り出した一口の白身を、銀貨三枚のフルコースに負けない味にする。

 それがあたしの勝負の仕方だ。


 坂道を下りきって、旧市街の路地に入った。曲がりくねった石畳の路地。昼間でも薄暗いこの道を、もう体が覚えている。

 角を曲がると、あたしの屋台が見えた。木の台と七輪と、提灯を吊るす棒。みすぼらしい。白石亭の磨き上げられた木のテーブルとは比べものにならない。

 でも、提灯に火を入れると——路地裏がほんの少しだけ、温かくなる。


「おう、遅いじゃねえか」


 常連の鍛冶職人が、もう座って待っていた。木の箱に腰を下ろして、腕を組んでいる。


「今日は出かけてたんだ。仕込みが遅れた」

「どこに」

「白石亭」


 鍛冶職人の眉が上がった。


「高級店か。何しに」

「取材」

「で、どうだった」

「……旨かった」


 正直に言った。旨かったのは事実だ。


「だが、血抜きが甘い」


 鍛冶職人は鼻で笑った。笑ったのか、呆れたのか。


「で、今日のメシは」

「棘背蜥蜴の尾根元。蒼苔包みの蒸し焼き」


 火を起こす。七輪に炭を入れて、団扇で煽る。炭が赤く熾ってきたら、風を弱める。強火は要らない。蒸し焼きは弱火が命だ。

 昼に仕込んでおいた尾根元の白身を取り出す。朝のうちに骨と筋を外して、薄い塩水で洗って、布で水気を取ってある。指で触る。弾力がいい。鮮度が落ちていない。蒼苔の葉を広げて、白身をそっと乗せる。葉の端を折り込んで包み、鉄板の上に並べる。蓋をして弱火で蒸す。

 白石亭の四皿目と同じ調理法だ。だが素材が違う。あちらは尾の中央部、こちらは根元の端材。量は十分の一以下。一口か二口で食べ終わる、ささやかな一品だ。

 そのかわり、血抜きは三度やってある。繊維の間に残ったナノマシン含有液まで、完全に抜いた。蒼苔の葉で包むことで、蒸し上がりに蒼苔の薬膳的な香りが白身に移る。

 蓋を開ける。湯気が上がる。蒼苔の苦い清涼感と、白身の甘い香り。魔獣臭は、一切ない。


「食え」

「いただく」


 鍛冶職人が木の箸で一口つまんで、口に入れた。

 噛む。もう一度噛む。目を細めた。


「……旨いな」

「白石亭のフルコースより旨いかは知らんが、臭みはあっちより少ないはずだ」

「そういう比較はいいから。旨いもんは旨い」


 銅貨三枚。白石亭の百分の一の値段。

 でも、肉の声は聞いた。最後まで、丁寧に。


 夜の路地裏で、提灯の明かりの下で、鍛冶職人が蒼酒を飲んでいる。蒼みがかった透明な液体が、木の杯の中で提灯の光を反射していた。甘くて軽い酒だ。白石亭ではきっと、もっと高い酒を出しているのだろう。でも蒼酒には蒼酒の良さがある。この甘さが、脂っこい肉に合うのだ。

 あたしは七輪の火を見ながら、今日食べた四皿のことを反芻していた。

 白石亭の料理人は、たぶん凄い。あたしより経験が長くて、技術の幅が広くて、いい素材を使える環境にいる。あたしが逆立ちしても追いつけない部分がたくさんある。

 だけど。

 血抜きの三度目を省いているのは——それが高級店のやり方だとしても——あたしには許せない。肉が可哀想だ。せっかく命を落とした魔獣の肉を、最後の最後で手を抜いて出す。それは、肉に対する礼儀を欠いている。

 あたしは路地裏の屋台で、端材を使って、木の皿に盛って出す。見た目は貧相だ。でも、血抜きだけは手を抜かない。

 旨い、安い、早い。それ以外は全部捨てる。


「ごちそうさん」


 鍛冶職人が立ち上がった。銅貨を多めに置いていくのは、いつものことだ。


「明日も来る」

「ああ」


 鍛冶職人の背中が路地の闇に消えていく。重い足音が石畳に吸い込まれて、やがて聞こえなくなった。

 提灯の火が風で揺れた。

 ここが、あたしの場所だ。白い食器も銀のカトラリーもいらない。七輪と包丁と、血抜きを三度やる手。それだけあればいい。

 今日、白石亭で学んだことは多い。空間の力、器の力、サービスの力。あたしには真似できないが、知っておくことに意味はある。敵を知るとかそういう大層な話じゃない。自分に何がないかを知っておけば、何で勝負するかがはっきりする。

 あたしには、鼻と指先がある。五年間、大市場の解体場で叩き込まれた技術がある。それだけだ。でも、それだけでいい。

 明日は装甲猪の仕入れ日だ。端材のいいのが出ていたら、多めに買おう。トビに脂身の切り分けを教えてやらなきゃいけない。あいつは最近、包丁の扱いが上手くなってきた。教え甲斐がある。

 提灯の火を消して、屋台を畳んだ。帰り道、白石亭の方角を一度だけ見上げた。斜面の上のほう、明かりが灯っている辺りに、あの店はある。

 別に、見返してやりたいわけじゃない。

 ——たぶん。


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