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魔獣肉の解体職人、首都の路地裏屋台で棘背蜥蜴《とげせとかげ》の白身を焼く  作者: 蒼月よる


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第2話 場所代と秤

 屋台をやるには許可がいる。

 レフカでは無届けの路上販売は罰金だ。銅貨五十枚。あたしの全財産の半分が吹っ飛ぶ。冗談じゃない。


 というわけで、朝一番に市場管理局へ出向いた。レフカの行政区画にある石造りの建物で、入口に「営業許可申請窓口」と書かれた看板がぶら下がっている。中に入ると、木の長椅子に三人ほど順番待ちをしていた。八百屋の親父と、果物売りの婆さんと、見たことのない若い男。あたしは四番目の椅子に座って、壁に貼られた料金表を読んだ。


 場所代。これが問題だった。


 大通り——月額銀貨三枚。論外。

 市場周辺路地——月額銀貨一枚。まだ高い。

 旧市街路地裏——月額銅貨五十枚。


 銅貨五十枚。ぎりぎり払えなくもない。ただし毎月だ。毎月五十枚を売上から抜かないといけない。昨日の売上が十二枚。月に二十五日働くとして三百枚——いや、昨日は初日で客が三人だけだったから参考にならない。でも、五十枚を引いた残りで仕入れと炭と塩を賄って、さらに自分の飯代を出すとなると——。

 頭が痛くなってきた。数字は嫌いだ。肉の繊維を読むのは得意なのに、銅貨の計算になると途端にわからなくなる。


「次の方」


 窓口の係員は痩せた中年の男で、あたしの申請書を受け取ると、眼鏡越しにじろりと見た。


「屋台。魔獣肉の調理販売。場所は旧市街の路地裏。……衛生管理の資格は」

「大市場の解体場で五年やってた。血抜きの工程は全部できる」

「資格証は」

「……ない」


 解体場では親方の名前で仕事をしていた。あたし個人の資格なんて取ったことがない。係員はため息をついて、追加の書類を一枚出してきた。


「衛生講習を受けてください。三日後に管理局で開催します。受講料は銅貨十枚。講習を修了すれば営業許可が出ます」


 銅貨十枚。また出費だ。財布がどんどん軽くなる。

 講習は半日で終わった。正直、内容は全部知っていることだった。魔獣肉の血抜き工程、ナノマシン濃度の簡易判定法、加熱の温度と時間の基準。講師の説明を聞きながら、何度も口を挟みたくなった。血抜きの二度目で「十分です」と言われたときは、思わず「十分じゃないです」と声に出してしまった。講師が怪訝な顔をした。三度目をやらないとナノマシン含有液が繊維の間に残るんだ、と説明しかけて、周りの受講者が引いているのに気づいてやめた。

 また、やってしまった。


 営業許可の札を受け取って、旧市街の路地裏に戻る。木の札に「魔獣肉調理販売・旧市街区域」と焼き印が押されていて、これを屋台の見える場所に掲げることが条件だ。小さな札だが、これがないと商売ができない。懐に入れて、歩き出す。

 場所を決めなければいけない。昨日の角は悪くなかったが、人通りが少なすぎた。もう少し工房街に近い路地はないか。レフカの旧市街は坂と階段が入り組んでいて、一本道を間違えるだけで全く違う場所に出る。白い石灰岩の壁と赤褐色の瓦屋根が延々と続いて、方角がわからなくなる。

 坂を上ったり下りたりしながら、路地を覗いて回った。日当たりのいい広い路地は場所代が高い。暗くて狭い路地は安いが人が来ない。ちょうどいい場所を探すのは、肉の部位で言えば「安くて旨いところ」を見つけるのと同じだ。端材の中から当たりを引くような作業。

 半日歩き回って、見つけた場所がある。工房街と旧市街の境目にある路地だ。幅は荷車一台がぎりぎり通れるくらい。片側が鍛冶工房の裏手で、もう片側が革職人の作業場の壁。人通りは多くないが、昼になると工房街の職人たちが飯を食いに表通りへ出てくる。その動線上にある。路地の入口から表通りが見えるし、工房街の槌音も聞こえる。何より、風通しがいい。坂の上から風が吹き下ろしてくるから、料理の匂いが表通りの方まで流れていく。

 ここにしよう。


 場所代を払い、七輪を据え、水桶を並べる。営業許可の札を七輪の横に立てかけた。これであたしは正式な屋台の商売人だ。名前もない、看板もない屋台だが。

 今日の仕入れは蒼牙狼の肩肉だ。

 蒼牙狼の肉は赤身で硬い。装甲猪と違って脂が少なく、繊維が密に詰まっている。噛むほど味が出るが、そのまま焼くと顎が疲れる。だから、煮る。長時間煮込むことで、硬い繊維が崩れて柔らかくなる。蒼牙狼の煮込みは辺境の冒険者が野営で作る定番料理だが、ちゃんと作ろうとすると手間がかかる。

 まず、血抜き。蒼牙狼の血はナノマシン濃度が装甲猪より高い。危険度Dの魔獣だから当然だ。表層の血抜きだけでは不十分で、深層までしっかり抜かないと、煮込んだときに鉄と薬品を混ぜたような嫌な臭いが出る。

 肩肉を一口大に切り分けて、塩水に漬ける。半日。本当は丸一日漬けたいが、今日中に仕込みを終わらせないと明日の営業に間に合わない。六時間漬けて、途中で二回塩水を替える。それでも繊維の奥に血が残る感触があったから、三度目の血抜きを追加した。塩を擦り込んで、繊維の間の含有液を引き出す。

 指先が赤くなった。蒼牙狼の血は、装甲猪より指に染みる。手袋をすればいいんだが、手袋越しだと肉の温度がわからない。ナノマシン濃度の微妙な差が、指先の熱として感じ取れなくなる。だから素手でやる。手が荒れるのは仕方ない。


 血抜きを終えた肩肉を、大鍋に入れる。根菜を乱切りにして一緒に放り込む。芋と、大市場で買った太い人参に似た根菜。名前は知らない。旨そうだったから買った。

 そこに蒼酒を注ぐ。蒼酒は樹海果実の発酵酒で、蒼みがかった透明な液体だ。甘くて度数が低い。三から五パーセント程度。飲む酒としては物足りないが、煮込み料理に使うと化ける。蒼酒の糖分が肉の臭みを包み込んで消し、煮汁にとろみとコクを加える。辺境の食堂では水で煮込むのが普通だが、蒼酒を使うと別物になる。

 弱火にかけて、蓋をする。あとは三時間待つだけだ。


 三時間。

 暇だった。七輪の火を維持しながら、鍋の蓋の隙間から立ち上る蒸気を眺める。蒼酒の甘い香りと、肉の重い匂いが混ざって、路地裏にゆっくり広がっていく。

 一時間経ったあたりで蓋を開けて、灰汁を取る。蒼牙狼の肉は灰汁が多い。赤身の間に残った血液成分が熱で凝固して浮いてくるのだ。これを丁寧に掬わないと、煮汁が濁って雑味が出る。木の匙で表面をなぞるように灰汁を取って、蓋を戻す。

 二時間目。もう一度灰汁を取る。今度は量が少ない。煮汁の色が少しずつ透明感を増してきた。肉を箸で突いてみる。まだ硬い。もう少しだ。

 待つ間、装甲猪の塩焼きの仕込みもやった。初日に作ったのと同じ端材で、同じ血抜き三度の工程を踏む。これが基本のメニューだ。煮込みができるまでの間に、塩焼きを買ってくれる客がいるかもしれない。

 匂いは、遠くまで届く。


 最初に来たのは、壁の向こうの鍛冶工房の男だった。

 大柄で、腕が丸太のように太い。革の前掛けに煤がついていて、額に汗が光っている。鍛冶場の熱で顔が赤い。無言で路地裏を覗き込んで、あたしと鍋を交互に見た。


「何の匂いだ」

「蒼牙狼の煮込み。もう少しで仕上がる」

「いくらだ」

「銅貨三枚」


 今度はちゃんと計算した。原価が銅貨一枚半だから、三枚なら利益が出る。出るはずだ。たぶん。蒼酒の分を入れると……いや、もういい。三枚だ。


 鍛冶職人は路地の壁にもたれて、腕を組んで待った。無言だ。顔に表情がない。目は鍋を見ている。鍛冶場で鉄を見るときと同じ目つきかもしれない。この人にとっては、鉄も肉も「素材」なのかもしれない。

 あたしも無言で鍋の蓋を開けて、煮込み具合を確かめた。

 箸で肩肉を一つ持ち上げる。繊維がほろりとほどける。いい感じだ。三時間でここまで柔らかくなるのは、蒼酒の効果が大きい。蒼酒に含まれる酵素——いや、正確には発酵過程で生まれる何かの成分が、蒼牙狼の硬い繊維を分解してくれる。辺境の食堂は水で煮るから五時間かかるが、蒼酒なら三時間で済む。

 煮汁の色を見る。蒼酒の蒼みが飛んで、琥珀色に変わっている。根菜から出た甘みと、肉の旨味が溶け合った色だ。味見をする。塩気が足りない。粗塩をひとつまみ加えて、もう一度味を見る。よし。


 装甲片の深皿に盛り付けた。肩肉を三切れ、根菜を添えて、煮汁をたっぷりかける。


「はい」


 鍛冶職人は皿を受け取って、路地の壁にもたれたまま食べ始めた。木の匙で肩肉を掬い、口に運ぶ。

 咀嚼。

 無言。

 二口目。

 無言。

 三口目。煮汁を啜る。

 まだ無言だ。旨いのか不味いのかわからない。あたしは七輪の火を見つめて、聞かないようにした。旨いかどうか聞くな。食えばわかる——いや、それはあたしの台詞であって、客に言う台詞じゃない。客の反応は気になる。正直に言えば、すごく気になる。でも聞けない。聞いて「普通」と言われたら立ち直れない。


 鍛冶職人が皿を空にした。煮汁の一滴まで残さず。

 それから懐に手を入れて、銅貨を出した。あたしの手のひらに、五枚。


「三枚でいいんだが」

「釣りはいらない」


 それだけ言って、鍛冶職人は壁から背を離し、工房の方へ戻っていった。背中が路地の角を曲がって消える。

 手のひらの銅貨五枚を見下ろした。

 二枚多い。なんで二枚多いんだ。旨かったからか。それとも、ただの気まぐれか。聞きそびれた。


 翌日。

 昼前に煮込みが仕上がった頃、鍛冶職人がまた来た。同じ場所に立って、同じように壁にもたれて、同じように無言で食べた。今日は銅貨三枚ぴったりだった。昨日の二枚は何だったんだ。

 その翌日も来た。

 その翌日も。


 四日目。鍛冶職人が煮込みを食べ終えて、いつもの無言の代わりに、ぽつりと言った。


「味が安定してるな」

「毎日同じように作ってるからな。手順を変える理由がない」

「そうか」


 また無言に戻った。皿を返して、銅貨を三枚置いて、工房に戻る。

 五日目。煮込みの他に、装甲猪の端材の塩焼きも出してみた。初日に作ったやつだ。鍛冶職人は煮込みと塩焼きを両方頼んで、銅貨五枚を置いた。


「昼飯の店を探してたんだ」


 唐突にそう言われた。


「工房街の表通りの食堂は高いし、味が雑だ。血抜きが甘い肉を出す店が多い。大市場の食堂は安いが遠い。昼休みに往復すると時間が足りない」

「それで、ここに」

「ここは近いし、血抜きがちゃんとしてる」


 それだけか。味の話じゃなくて、距離と血抜きの話か。まあ、鍛冶職人らしいと言えばらしい。合理的だ。

 六日目。鍛冶職人が来たとき、後ろにもう一人いた。革職人だ。鍛冶職人と同じ工房街の人間で、小柄で痩せていて、指先にインクの染みがある。鍛冶職人に連れられてきたらしい。


「ここの煮込みが旨いと聞いた」

「旨いかどうかは食えばわかる」


 あ、言ってしまった。客に向かって何を偉そうに。でも革職人は気にしていないようで、煮込みを注文して、壁にもたれて食べ始めた。

 食べ終わって「旨いな」と言った。あたしは「そうか」とだけ返した。本当は嬉しかったが、顔に出すのが恥ずかしかった。七輪の火を弄りながら、蒼牙狼の煮込みについて考えた。もう少し根菜の切り方を工夫した方がいいかもしれない。大きく切ると火の通りが均一にならない。でも小さく切ると煮崩れする。親指大の乱切りがちょうどいい。こういう細かいことを考え出すと、またきりがない。


 七日目。鍛冶職人と革職人。八日目。鍛冶職人と革職人と、もう一人。糸職人だ。細い指をした若い女で、蟲糸を加工する工房で働いているらしい。繊細な手仕事をする人は食にもうるさいかと身構えたが、煮込みを食べて「お肉がふわふわですね」と笑っただけだった。ふわふわ。蒼牙狼の煮込みをふわふわと表現されたのは初めてだ。九日目。四人になった。


 十日目の昼。鍛冶職人がいつもの場所に立って、煮込みを食べながら言った。


「職人の昼飯ってのは、毎日同じ場所で食うもんだ」


 あたしは返事をしなかった。返事をしたら、声が震えそうだったから。

 代わりに鍋の蓋を開けて、煮込みの火加減を確認した。蒼酒の甘い香りが路地裏に広がる。

 最初の常連が、できた。

 夕暮れの路地裏で七輪の火を落としながら、今日の売上を数えた。銅貨が——数えるのに少し時間がかかった。指で一枚ずつ並べて、五枚ずつ山にする。初日の十二枚から、ずいぶん増えた。場所を変えたのが効いたのか、煮込みを追加したのが効いたのか。たぶん両方だ。

 帰り道、坂の上から見下ろすレフカの街並みが、夕陽で赤く染まっていた。白い石灰岩の壁が茜色に輝いて、赤褐色の瓦屋根が影を落としている。この街のどこかに、明日もあたしの煮込みを食べに来る人がいる。


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