第三十六章 決定的な紙
三宅からの連絡は、短かった。
「一枚、見せられるものがある」
場所は、港から二キロ離れた古い事務所。昼間だが、人の気配は薄い。玲奈は単独で向かった。約束を破った自覚はある。だが、誰かを巻き込めば、線が歪む。
机の上に置かれた紙は、コピーだった。港湾整備補助金の支出一覧。赤ペンで囲まれた会社名。金額。日付。流れは美しいほどに整っている。
「これで、説明はつく」
三宅はそう言った。
玲奈は紙を見つめた。確かに、筋は通っている。通り過ぎるほどだ。彼女の頭の中で、欠けていたピースが嵌まっていく。
「この会社、事故の前に必ず金が動いてる」
「ああ。偶然じゃない」
偶然ではない。だが、必然でもない。
その違いに、玲奈は気づかなかった。紙は“決定的”に見えた。人を動かすには十分だ。だが、紙が語るのは、整理された物語だけだ。
「次は?」
三宅は一瞬、視線を逸らした。
「現場を見ろ」
その言葉で、玲奈は頷いた。現場。事故が起きた埠頭。立ち入り制限は解けている。
夕方、二人は別々に現場へ向かった。同行はしない。三宅はそう言った。理由は説明しなかった。
埠頭は静かだった。クレーンは止まり、海は凪いでいる。事故の痕跡は、ほとんど消えていた。新しいペンキ、交換された部品。
玲奈は足を滑らせた。濡れた鉄板。体勢を崩し、手をつく。その瞬間、背後で音がした。
振り返る前に、肩に衝撃。倒れる。息が詰まる。
「動くな」
低い声。二人分。
玲奈は抵抗した。肘で打ち、蹴る。だが、力が違う。腕を取られ、地面に押さえつけられる。
「女だ」
「構わん」
顔は見えない。作業着。手袋。
数分で終わった。殴打は最小限。骨は折られていない。ただ、立ち上がれない程度に、的確に。
男たちは何も奪わなかった。紙も、スマートフォンも残したまま、去った。
玲奈は地面に座り込み、呼吸を整えた。
――警告だ。
殺さない。消さない。ただ、踏み込みすぎるなと告げる。
紙を握りしめる。指が震えている。恐怖ではない。怒りだ。
彼女は理解した。これは偶発ではない。誰かが、どこまで行くかを測っている。
その夜、三宅から連絡はなかった。
玲奈は一人で決めた。
次は、本人に近づく。
紙の向こう側にいる人間に。
それが、どれほど用意された選択かも知らずに。




