第三十二章 誤認
ノートを失った夜から、玲奈は眠れていない。夢に出てくるのは文字だ。名前、日付、金額。線になりきれなかった線。
彼がどう処理したか。考え続けて、結論を急いだ。
――破棄された。
そうでなければ辻褄が合わない。見逃した代償として、彼は自分の名が載った証拠を消す。合理的だ。だから、もう一度同じ手は使えない。
玲奈は再構築を始めた。失ったのは紙だけだ。記憶は残っている。クラウドの断片、過去のメール、通話履歴。時間を並べ替える。
蒼浜港の下請け、港運会社、協賛企業。行政の補助金がどこで薄まるか。数字は嘘をつかない。だが、数字だけでは人は動かない。
必要なのは、顔だ。
彼の顔。第三埠頭で会った男。名は知らない。だが、動線は分かる。工程を管理する人間は、必ず同じ時間に同じ場所を通る。
玲奈は港の外れにある古い喫茶店に入った。港湾関係者が使う店だ。壁の掲示板に、求人とメモが混ざって貼られている。
カウンター越しに、さりげなく聞く。
「最近、第三埠頭、静かですよね」
マスターは肩をすくめた。
「静かな時は、だいたい誰かが片付けてる」
答えになっていない答え。
玲奈は誤った前提のまま、次の一手を考えた。証拠は消えた。だから、本人に近づくしかない。
彼を告発するためではない。構造を抜くためだ。
だが、その判断がズレていることに、彼女はまだ気づいていない。
彼は、消していない。
消したと思い込んだ瞬間から、玲奈の計画は、相手の掌の上に乗り始めていた。




