第3話「時間の証明」
どれくらい、そうしていただろうか。
嗚咽はとうに枯れ、床に突っ伏したまま、私は長い沈黙の中にいた。
異世界。百年。死。
信じられるはずのない言葉の数々が、アキラの手紙によって、否定できない事実となって心に重くのしかかる。
目の前には、その百年を生きた男の血を引く、アキラそっくりの少年がいる。
これが、現実。
その沈黙を破ったのは、カイだった。
「…じいちゃんの名誉のために言っておくが」
ぽつりと、彼が呟く。
「ばあちゃんには、結婚前に全て話したそうだ。日本のことも、あんたのことも。それを全部知った上で、ばあちゃんは生涯じいちゃんを支えた。…まあ、すごい人だったぜ」
その言葉は、アキラが異世界で孤独ではなかったという、小さな救いになった。
けれど、カイは続けた。
「それに、じいちゃんの伝言はまだ終わりじゃねえ」
カイは革のポーチから、一つの紙袋を取り出してテーブルに置いた。
それを見て、私は息を呑んだ。
数時間前、アキラが手にしていた、あの紙袋だ。
水色のリボン、可愛らしい包装紙。
――だが、その姿はあまりにも変わり果てていた。
リボンは色褪せて千切れ、包装紙は茶色く変色し、まるで古代の出土品のように脆く見える。
百年という時間が、目に見える形でそこにあった。
「これ……」
触れたら崩れてしまいそうで、指を伸ばせない。
「じいちゃんが、この紙袋ごと保存魔法をかけ続けてたんだ」
カイが静かに言う。
「けど、百年って時間は、魔法でも完全に縛ることはできねえ。これが限界だったらしい」
カイは、その脆い紙袋を、まるで宝物に触れるように慎重に開いた。
息を止めて見つめる私の前で、中から現れたのは、色褪せた薄紙に包まれた小さな何か。
カイがそっと薄紙を開くと――その瞬間、部屋の空気が変わった。
銀のチェーンが、澄んだ輝きを放っていた。
朽ち果てた包装とはあまりに対照的に、一本のネックレスだけが、まるで昨日作られたかのように煌めいている。
繊細なチェーンに繋がれた三日月のモチーフ。
中央には、夜空の色を閉じ込めたような青い石。
一ヶ月前、私が雑誌を見て「綺麗だな」と呟いた、あのネックレス。
カイが、遠い目をして言った。
「ガキの頃、よく見た光景がある。月に一度、じいちゃんがこの紙袋を取り出して、祈るように両手で包み込むんだ。泣きそうな顔で、震える手で、新しい保存魔法をかけ直してた。まるで、世界で一番大事な宝物を守る、神聖な儀式みたいだった」
その言葉が、私の胸を抉る。
アキラが、一人で。
私の知らない場所で。
私の知らない長い時間の中で、たった一人、このネックレスを握りしめていた。
「じいちゃんが、あんたの誕生日に渡そうとしてたやつだ」
ああ、そうか。
全部、本当だったんだ。
アキラは、私の目の前から消えて。
遠い世界で、百年近くも生きて。
その間、ずっと――ずっと、私のことを忘れずにいてくれて。
そして、死んだ。
一粒、涙がテーブルに落ちた。
それを合図にしたかのように、感情の堰が再び決壊する。
「うそ……なんで……アキラ……っ!」
嗚咽しながら、私は震える指で、そっとネックレスに触れた。
ひんやりとした金属の感触。
それは、数時間前に失ったはずの、彼の優しさそのもののようだった。
耐えきれず、テーブルに突っ伏して泣きじゃくる。
カイは、何も言わずにただ待っていた。
やがて、顔を上げると、カイがネックレスを手に取っていた。
「……首、出せ」
ぶっきらぼうな声に、私は小さく頷く。
彼の指先が首筋に触れ、冷たいチェーンが肌を滑る。
カチリ、と小さな留め金の音がした。
三日月のモチーフが、鎖骨の窪みに収まる。
冷たいのに、不思議と温かい。
「……似合ってる」
カイが、照れくさそうに視線を逸らした。
その仕草が、あまりにもアキラに似ていて。
私は、もう声にならない涙を、静かに流した。




