第2話:隣人に愛された男
リンリンとベルが鳴った。
今日も誰かがドアを開ける。
思い出せる最後の記憶は、彼女たちに囲まれて一緒にダンスを踊ったこと。周りの木々もまるで一緒に踊っているようになびき、煌めいていた。とても楽しかった。とても幸せだった。でも、今はよくわからない場所にいる。一緒に踊っていた彼女たちもいない。真っ暗な場所で目の前にあるのは1つの扉だけ。訳も分からず僕はその扉を開けた。
扉を開けた先は廊下になっていた。さっきまでは壁なんてなかったのに不思議なもんだ。これも彼女たちのいたずらだろうか。本当に何もない殺風景の廊下をしばらく歩くとようやく光が見えた。光の方へ進むと、そこは森だった。いつもの森に戻れたのかとあたりを見渡すが、どうやら違うらしい。自分が知っている森に本棚なんてなかった。僕は本棚に近づき本を手に取る。本を開くとそこには何も書かれていなかった。他の本も開いてみるが何も書いていなかった。
「いくら開いても白紙だよ」
声は頭上から聞こえてきた。声の方を見る太い木の枝に小柄な少年が座っていた。
「いつからそこにいたんだい?」
「ずっとここに座ってたよ。お兄さんが気づかなかっただけ」
「そっか。ところでどうしてここの本は白紙なんだい?」
「いや、本自体は白紙じゃないよ。現に僕は読めてるからね」
ほらね。と少年は本を見せながら下に降りてきた。少年は僕が意味を理解していないことを読み取ったのか、「まぁ、この本は僕しか読めないんだよ。他の人が開いたら文字は消える」と説明してくれた。
「ねぇ、何?そんなに見つめられても困るんだけど」
「あぁ、すまないね。とてもきれいな髪色だと思って」
「……そう?ただの黒髪だけど」
「いや、とてもきれいだ。魅力的だよ。」
「……ふーん。まぁ、君の国では黒髪は珍しいんだっけ」
どうして知っているんだい?っと聞こうとしたが、「お茶でもどう?」という少年の言葉に遮られてしまった。後ろを振り向くと木のテーブルと椅子が用意されていた。「さぁ、座って」と少年に招かれ椅子に座った。
「あれ?君の分はないのかい?」
「うん。僕はいらないから」
「そっか。じゃあ、遠慮なくいただくよ」
テーブルに置かれた紅茶を一口飲むととても懐かしい味がした。
「これ。どうしてこの味が……」
「お気に召さなかった?」
「いや、そんなことないよ……ねぇ、この紅茶どうやって入れたんだい?というか、君は紅茶なんて入れてたかい?」
「……僕は入れてないよ。ただ、お兄さんが好きなものを用意しただけ」
「答えになってないよ」
「……まぁ、ここは僕の世界だ。欲しいものは大抵望めば用意される。この空間だって僕の想像上でしかない」
「そっか。面白いこともあるもんだね」
「やっぱり、慣れてると驚かないんだね」
「まぁそうだね。彼女たちに出会ってからは不思議なことばかりだったから……ところで随分、僕のことを知っているようだね。さては、その本に書いてあったりして」
「……さぁ、どうだろうね」
二人の間に沈黙が流れた。不思議な少年とのお茶会。少し前の僕ならワクワクしていたが、この紅茶のせいで微塵も楽しくない。この少年はどこまで知っているのだろうか。この気持ちも見透かされているのだろうか。目の前の幼い少年の顔色をうかがいながらティーカップを口元に運んだのと同時に少年が口を開いた。
「やっぱり、その紅茶飲みたくないんじゃない?」
「……そんなことはないよ。とてもおいしい」
「そう?その紅茶は少し苦いはずだけど」
「やっぱり君はなんでもお見通しなんだね。そう、少し苦いけど僕好みだよ」
「それならいいんだけど……もう1つ聞いてもいい?」
「いいよ。僕に答えられることなら」
「その紅茶を飲んで何を思った?」
「……面白いことを聞くんだね。どう思ったも少し苦いとしか」
「ふーん、それだけ?……ほら、奥さんや子供に対する罪悪感とかさ」
その言葉を聞いた瞬間、体の力が抜けた。持っていたティーカップは地面に落ち、開いた口がふさがらない。やっぱりこの少年は知っている。すべてを知っているようだ。
「君の目的はなんだい?」
「目的?そんなものはないよ。ただ、どう思うのか気になっただけ」
「ここまで知っている君なら、僕の気持ちを見透かしているんじゃないかい?」
「さすがに人の気持ちなんて分からないでしょ?それにお兄さんの気持ちを理解したいとも思わないし」
「じゃあ、聞く意味はないんじゃないかい?」
「理解する気はないけど、どう感じるのかは興味があってさ……そんなムキにならないでよ。顔真っ赤だよ」
気づいたら僕は立ち上がり少年を睨みつけていた。少年はすべてを見透かしたように微笑んではいるが、とぼけたふりをしている。呼吸が早くなっている僕に気づいた少年は「悪かったよ。少し落ち着こう」と言って机をトントンと叩き景色を変えた。先ほどまで森だったのが一気にどこかの屋敷の一室のような部屋に変わった。
「……ここはどこだい?」
「空間自体は変わってないよ。ただの模様替え」
「大きな本棚があるのは変わらないんだね」
「まぁ、これは必要だからね」
それより、こっちにおいでよ。と少年はアーチ形の窓を開けて手を差し伸べてきた。手を取ることはなかったが、少年がいる窓へ向かうと窓の外には星空が広がっていた。
「とても綺麗な星空だね」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ。僕もこの星空お気に入りなんだ」
「うん、とても気に入ったよ。星空か……彼女たちを思い出すな」
「……へ~、彼女たちって誰の事?」
「隣人。妖精のことだよ。どうやら僕は隣人に好かれる体質みたいなんだ」
「隣人か……どこで出会ったの?」
「君なら答えずとも知ってそうだけどね……最初に出会った妖精は海にいたんだ。とても美しかった、僕は一目で惚れてしまったよ。彼女は僕の国では珍しい黒髪と黒目だったんだ。ほらちょうど君のような」
僕は隣にいる少年を見るとそこにいたのは銀髪の少年だった。
「あれ?君の髪の毛って」
「どうかしたの?僕の髪はもともと銀髪だけど?」
「あ、いや。なんでもないよ。気のせいだったみたいだ」
「……そう、それでそのセルキーとはどうなったの?」
「あ、あぁ。よくセルキーだとわかったね。そう彼女はセルキーという妖精で普段はアザラシの毛皮をかぶっていてね。陸に上がると人間の姿に化けるんだ。その人間の姿がとても美しくてね。特に星空の下では。僕は心奪われてしまった。それから僕は彼女に声をかけて話すようになったんだ。さっき言ったように、どうやら僕は隣人たちに愛される体質らしく、彼女も僕といることをためらうことはなかった。 でも彼女はセルキーで海に帰ってしまう。もっと一緒にいたかった僕は彼女の毛皮を自分の家に隠したんだ。僕は彼女がアザラシの毛皮がないと海へ帰ることができないことを知っていた。とても酷いことをしたと思っているよ。彼女の友達の隣人からもこっぴどく怒られてね」
「友達の隣人?本当にお兄さんは隣人に愛されているんだね」
「アハハ。そうみたいだね。彼女たちはセルキーとは違う妖精みたいだったけどね。彼女たちはよく僕の家まで来てくれたよ。部屋には入らなかったんだけどね。窓越しに話をしていたよ……」
「そうなんだ。あれ?セルキーはどこにいたの?」
「あぁ、彼女は森の中の湖にいたよ。最初は僕の家に誘ったんだけどね。断られてしまったよ」
「彼女に毛皮を返してあげなかったの?」
「あぁ!勿論!そんなことをしてしまったら彼女は海へ帰ってしまうじゃないか!」
「…………そうだね。彼女は悲しまなかったの?」
「最初は悲しんでいたと思うよ。けど、彼女には友達の隣人がいたから退屈はしていなかったはずだよ!でも、ある日彼女が僕と一緒にいることを決心してくれたんだ!崖の上で待つ彼女のもとに友人の隣人が連れて行ってくれてね!そこで僕は彼女たちとダンスを……」
あれ?ダンスを踊ってどうしたんだ?覚えているのは彼女たちと手を取り合い円になってフワフワ浮きながら踊ったこと。それから……それから何があったんだ?僕はどうなった?
「急に黙ってどうしたの?」
「え、あ、いや。ちょっとね、その、思い出せないんだ。彼女たちとダンスを踊ったのは覚えているんだけど、そこからどうなったのか」
「ふーん。それならさ、僕たちも踊ろうよ。これも何かの縁かもしれないし」
少年は僕の手を取るとフワッと体が浮き始めた。僕たちはダンスというダンスを踊るわけでもなくただフワフワ浮きながらグルグル回っているだけだった。
「えっと……た、楽しい?」
「楽しくはないかな。ただ回ってるだけだしさ、それより何か思い出した?」
「うーん。思い出せないな……ところで、1つ君に聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「いいよ。どうしたの?」
「窓の外の星空はとても綺麗だったけど、窓の下の方にも何かが浮いていた?みたいな気がしたけど、あれも星か何かかい?」
「あ~。あれは星のような綺麗なものではないよ。ここの星は自分で光っているんだけどね、あれは自分で光ることもできないもの。まぁ、じきにわかるよ」
「そうなんだ。それは興味深いね」
「僕もさ、お兄さんに聞きたいことがあるんだ」
「なんだい?」
少年はフワッと回る動きを止めると顔を近づけてきた。
「ねぇ、どうしてお兄さんの話には奥さんと子供のことが出てこないの?」
少年は目を細めてニヤッと笑うと僕の手を押し返すように離した。気づいた時には体が窓の外に出ていた。体はただただゆっくりと下に落ちていく。
思い出した。あの日、彼女たちとダンスを踊っていた時。僕は崖から落ちた。いや、彼女たちに落とされた。崖から落ちる時、隣人たちの笑い声が聞こえてきたんだ。そうだ、そうだった。なんで忘れていたんだろう。僕は隣人に愛されていたはずなのに。どうして。
「その顔は思い出したみたいだね」
少年が窓枠に頬杖を突きながら僕を見下ろしていた。
「あ、そうだ、お兄さん。いいこと教えてあげるよ。隣人に愛されていたのはお兄さんだけじゃないよ」
「僕だけじゃない?」
「そう。お兄さんの娘。彼女も隣人に愛される体質だったんだよ。さすが親子だね」
「……そうか。あの子も」
「あ、あと1つ。君を崖から突き落とすのを考えたのは隣人たちじゃない。そう望んだのは、お兄さんの娘だよ」
僕はただ下に落ちて行くだけだった。少年がいる窓が小さくなるにつれて体の感覚がなくなっていった。手も足も動かない、目も開かなくなった。最後に残ったのは、娘が入れた母親譲りの苦い紅茶の後味だけだった。
少年は窓を閉めると暖炉に向かい、読んでいた本を投げ入れた。
「結局最後まで、家族のことを……まぁ、そんなもんか。愛ってなんだろね」
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『あら、かわいい子ね』『そうね~そうね~あの人の子のようね~』と隣人たちはフワフワと飛びながら小さな少女の部屋の窓に近づいた。
「お姉さんたち誰?」
『私たちはね。あなたのお父さんのお友達かしら』『そうね~お友達ね~』
「……私、お姉さんたち嫌い」
『あらあらどうして?私あなたに何もしてないわよ?』
「私とお母さんからお父さんを奪ったもん」
『奪った?ウフフ。私たちは奪ってなんかいないわよ』『そうね~私たちはあの人をこちら側に引き込んでいないものね~』
隣人たちはウフフと甘い笑い声を響かせながら窓の周りをグルグル飛んだ。
「じゃあ、どうしてお父さんは変わっちゃったの?全然家に帰ってこないし、お母さんと待ってるのに」
『あら、そんな悲しい顔しないで。可愛いお顔が台無しだわ』『そうよ~そうよ~可愛いほっぺね~』
「やめて、触らないで」
『ごめんなさいね、あなたも美味しそうだったの』『そうね~そうね~甘い匂いがするわ~』
「私を食べるの?」
少女の怯えた声に隣人はウフフと笑い『食べないわよ~』と答えた。『お名前は?』『何歳?』と隣人が少女のほっぺをつついていると、怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい!勝手に触るんじゃない!!」
「ご、ごめんなさい!見覚えのないものだったから……この毛皮は何ですか?」
「うるさい!お前に関係ないだろう!お前はいつもいつも余計なことばかりしやがって!!!離せ!お前が触っていいものじゃない!!」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
下の階から夫婦の怒鳴り声が聞こえてきた。毛布をぎゅっと握りしめて怯える少女を隣人たちはそっと抱きしめた。
『あらあら、大丈夫よ。私たちの愛し子』『私たちがいるからね~大丈夫よ~』
「お父さん変わっちゃった。お母さんが可哀そうなの。せっかく久しぶりにお父さん帰ってきて嬉しそうだったのに。もう嫌だよ」
『そうね~……それなら少し私たちのお願い聞いてくれるかしら?』
「お願いって?」
『さっき、あの人たちが話してた毛皮って私たちの友達のものなの。それをあの人が奪って隠しちゃったの。だから私たちのお友達はおうちに帰れないのよ』
「お父さんひどい」
『そうでしょ?そのお友達は毎晩泣いてるのよ。私たちは彼女を救いたいわ』『でも私たちが家に入ったらあの人に気づかれちゃうのよ~』
「何をしたらいいの?」
『あの毛皮を取り返して欲しいのよ。できるかしら?』
「うん。でも、怖いよ。私もお父さんに怒られちゃうかも」
『大丈夫よ。その時は私たちがあなたを守るわ』『そうよ~こんなかわいい子を傷つけさせないわ~』
「うん。頑張ってみるね」
『それじゃあ、取れたら森に来てくれる?森に入ったら道しるべがあるから』そう言うと隣人たちは少女にキスをして甘い笑い声を振りまきながら飛び去って行った。
毛皮を取るのは思っていたよりも容易だった。少女は毛皮を手に取ると森の中へ入っていった。森に入るとすぐに隣人が言っていた道しるべが見えた。木の葉がキラキラと光っていた。道しるべに従い進んでいくとそこには大きな湖があった。
『あらあら、可愛い愛し子』『今日はいい夜ね~』と隣人が迎えてくれた。湖には綺麗な女の人がいた。女の人は少女が持ってきた毛皮を見ると『ありがとう。ありがとう』と泣き出してしまった。少女が戸惑っていると隣人たちは『大丈夫よ~』と少女を抱きしめた
「これでお姉さんはおうちに帰れるの?」
『えぇ、ありがとう!本当にありがとう!』
「ううん、いいの。ごめんね、私のお父さんが」
『いいのよ。私のせいであなたたちが苦しんでいるのに離れられなくてごめんなさい』
綺麗なお姉さんは泣いていると隣人たちが『来るわ。あの人が来るわ』と教えてきた。
「ど、どうしよう。ここに来たのばれちゃう」
『大丈夫よ、あなたはこの毛皮を持って隠れてて、私が隠してあげるわ』
隣人は少女に毛皮を渡すとフ~と粉を吹きかけた。綺麗なお姉さんはもう1人の隣人に連れられて森の奥へ進んでいった。
少しすると足音とともに人影が現れた。
「やぁ、今夜はいい夜だね」
『えぇ、そうね。とても星空が綺麗だわ。そういえば、家族とはうまくいっているのかしら?』
「どうして急にそんなことを聞くんだい?僕は君たちに夢中なんだよ。君たちのためならなんだって捨てられるくらいにね」
『あら。そんなに私たちを愛してくれているの?家族よりも?』
「あぁ、勿論さ。そんなことより、セルキーはどこにいるのかな?」
『……彼女はね、ようやく決心したみたいよ。あなたの思いが届いたのかしら……森の奥で待っているって』
「そうか!ついにか!それは嬉しいよ!早速行こう!!」
男は足早に森の奥へ進んでいった。隣人は少女をこっそりと運びながら男の後を追っていった。
森の奥に出るとそこには星空が広がっていた。木がはけており、崖の下には月光に照らされた美しい海が広がっていた。
「やぁ、待たせたね。セルキー」
『……いえ、来てくださってありがとうございます』
「今夜はいい夜になりそうだ」
『そうですね……こんな夜は踊りませんか?』
「でも……」
『話はそのあとで、ね』
セルキーと呼ばれる綺麗なお姉さんはお父さんの手を取るとクルクルと踊り始めた。近くにいた隣人も混ざってクルクル踊り始める。
とても幸せそうだった。お父さんってこんな風に笑うんだな。私たち家族には見せたことのない笑顔。そうだよね、私たちのことなんてもう……
「もうお父さんなんていらない」
『それがあなたの願い?』
「うん、もういいよ。いらない。」
『ウフフ……わかったわ。愛し子の願いなら』
頭の中に隣人が話しかけてきた。答えた。いらないと。そうしたらお父さんは笑顔のまま崖の下へ落ちてった。
『これでよかったかしら?』『あらあら~真っ逆さまね』
「うん、これでいいの。ありがとうお姉さんたち」
『いいのよ~いいのよ~』
ウフフと隣人たちは飛び回った。少女は疲労で座り込んでしまった。『あらあら』と隣人が寄ってくる前にセルキーが先に少女に近づいた。
『娘さん、本当にありがとう。でも、ごめんなさい』
セルキーは少女からアザラシの毛皮を取ると崖から飛び降りた。
少女は驚き崖の下をのぞき込むと、既に海に落ちたと思っていたお父さんはゆっくりと落ちており、そこにアザラシの毛皮をかぶったセルキーが寄り添うように重なった。その瞬間、落ちるスピードが一気に上がり二人は海に沈んでいった。
男の遺体が発見されることはなかったという。




