1-7 計略 3
面接の翌日は、三好の特訓で詰めこめるだけの知識を詰めこまれた。その次の日、仕事の初日は息つく暇もなく過ぎていき、ようやく二日目も終わり――。
ルネが運転する車に乗りながら、暁臣は夜景の映る窓から運転席に視線をやった。
「なんだ、起きてたの。寝てるのかと思った」
「聞きそびれてたけど、きみはどうやって僕を採用にしたんだ? 昨日の店長の様子だと、憤懣やるかたないって顔で僕を見てたけど」
「ああ……なんてことないよ。ゴミ箱にあった履歴書を拾って、隙を見てあの社員の女性に手渡しただけ。あのあと店長は本社に呼びだされてね。だから【本社から電話があって今日の面接は採用にするって伝言された】ってその女性に伝えたんだ。本当に店長からの電話だったのか、そもそも本社から電話があったのか――なんて誰にも分からないだろ? それに俺は留学生だし、伝言を勘違いしても仕方ないよね? 日本語って難しいし」
流暢な日本語を操りながら、ルネは不遜な顔で笑う。十中八九、電話などなかったに違いない。親会社からのインターンの「勘違い」に反論もできず、暁臣を採用する羽目になった店長の心境を想像すると、暁臣は少しだけ気の毒になった。
「あいつにはムカつくけど、暁臣がバイトで入ったのは正解だったな。俺が親会社のインターンだから気を遣ってるのか、みんな当たり障りのない話ばかりだし。そっちはどう?」
「僕の前にいたバイトが短期間で二人辞めたらしい。料理長が僕もいつまで持つかってぼやいてた。店長は厨房のスタッフとは気が合うけど、ホールとは距離がある様子だった。あの女性スタッフは親切にしてくれてるよ」
「ふうん、そう」
なぜか不満げな声を漏らし、ルネはハンドルを片手にあずけた。暁臣はびくっと全身を強ばらせる。ルネのもう一方の手が彼の肩にまわされていた。
「暁臣はああいう人が好みなの?」
「……は?」
「きれいな人だよね。髪が長くて目がぱっちりと大きくて、すらっとしてて、それに優しくて頭も良さそうだし」
ルネの声を聞きながら、暁臣の頭に浮かんだのは――あの女性スタッフではなくて別の女性だった。彼女はまさに、絹のような黒髪に澄んだ瞳、たおやかな肢体の持ち主であり、聡明で優しいひとだった。愛おしい気持ちとともに苦々しい感情も思い出し、暁臣はつい咎めるような口調になる。
「きみこそ、あんな女性が好みじゃないのか?」
「……俺が? なんで?」
「ドーン神父は…………すまない、なんでもない」
黙りこくる暁臣だったが、思わず運転席に振りむいた。
「ルネ?!」
暁臣の頬をつまんでぐいぐい引っ張りながら、ルネはふくれっ面をしている。
「初めて会ったときも、あんたはその人と俺を間違えたよね? まるで会ったことがあるような口ぶりだった」
「あのときはすまなかった。ドーン神父は……幼い頃に写真を見たことがあるんだ。僕の初恋のひとだった。ずっと心の拠り所にしていたから、会ったことがあるような錯覚さえ抱いていた。だけど後から、自分が思っていた人柄とは違うと知って……勝手に裏切られたような気持ちになって、ついきみにぶつけてしまった」
「そいつに会って恨みごとを言いたい? それとも二度と顔を見たくない?」
「分からない」
反射的に答えた後で、暁臣はもう一度考える。もしもあのひとが生きていたら――自分は一体どうするのだろうか。考えながら、運転席に座るルネを見る。
あのひとに瓜二つなこの青年を。
「……じゃあさ、分かったら教えてよ」
暁臣の頬を撫でると、ルネの片手はハンドルに戻った。
遠くで踏切の警笛が鳴っている。やがて轟音とともに電車が通りすぎていく。ゆがんだ四角い光が次々とルネの横顔を照らしだす。衝動に抗えなかった。信号待ちの車内で、ルネの頭からフードを薙ぎ払い眼鏡を取り上げる。その眼鏡を掴んだまま、暁臣はぼうぜんとルネを見つめた。
「……ドーン神父」
誤りを正すように、ルネは静かに首を横にふる。暁臣の手から眼鏡を抜き取ると、耳元でささやいた。
「俺はルネだ」
信号が青に変わった。車が走り出した後も、ルネの声が耳から離れない。まるで恋人にささやくような甘えた声だった。あのひとの声はどうだったか。もっと落ち着いた低い声だった――いや、もう半世紀以上の時が経ったのだ。
暁臣はシートに深くもたれ、視界を隠すように両手で顔を覆う。
あの人はどんな声で自分に話し、どんなふうに笑ってくれただろうか。
また警笛の音が響く。ガタガタと線路を走りぬける電車とともに、両手の隙間から漏れた光が瞬いた。
これで第一章が終わります。次回より、第二章(大正・昭和初期編)が始まります。それではまた来週!厳しい寒さが続きますが、みなさまどうぞご自愛ください(^^)
■次回1/17(金)更新予定■




