1-6 計略 2
富士レストランの本店は、皇居からさほど遠くない小道に面している。大通りから一本外れているので交通量も多くない。窓ぎわのテーブル席からはハナミズキの並木が見渡せる。この季節には楕円の葉が赤く染まって、客たちの目を楽しませているようだ。
カウベル型のベルを鳴らして、暁臣は店内に入った。
昼食時を過ぎた平日のためか、テーブル席はまばらである。窓ぎわに四つ、ホールの暖炉を半円形に囲むように六つ、奥の中庭に面したテラスに八つのテーブルが置かれ、暖炉の反対側にはカウンター席が八つ設けられている。ひとりでも家族連れでも気軽に入られるような、敷居の高くない落ち着いた雰囲気のレストランだ。
ホールには、コーヒーの香りと静かに流れるクラシック音楽が漂っている。窓ぎわのテーブル席の端に、背の高い金髪の青年が立っている。ルネだ。若いカップルの注文を受けているようで、暁臣には気づいていない。黒いズボンに揃いのベスト、白いシャツ姿のルネは、昨夜のカジュアルな服装の青年とはまるで別人に見える。吸いつくように視線を外せずにいると、横から女性に声をかけられた。
「いらっしゃいませ。一名様ですか」
用件を告げると、女性は先導してカウンターの横を歩いていく。暁臣は後に続きながら、ちらと背後をのぞき見た。とっさに足が動かなくなる。ルネがこちらを見ている。ゆっくりと微笑するルネを振りきるように、暁臣は早足で女性を追いかけた。
案内されたのは狭い通路だった。左手には客用便所が並んでおり、右手には厨房が見える。突き当たりの扉が事務室のようだ。女性は扉を開けて暁臣を招き入れた。西洋風の居心地のよい店内とは一転して、雑然とした無機質な部屋だ。六畳ほどの横長の室内には、正面の壁一面にスチール棚が並び、左手の壁の手前には、窓を背に机が置かれている。蛍光灯の白々とした光を浴びながら、机にむかっていた若い男が重たげに顔を上げた。
「店長、三時からの面接の方です」
「ああ、どうも」
音もなく扉が閉まり、暁臣は店長らしき男と向き合った。
「ええと……藤暁臣さんですね。ああ、そこの椅子使ってください。すみません、昨日の応募でさっそく来てもらって。ちょうど洗い場のバイトが辞めて困ってたもんで。えーと、フリーターさんですかね? 履歴書はありますか?」
口調から暁臣を軽んじる気配を感じたものの、少なくとも表面上は、店長の態度は礼節をもっていた。だが――彼が手渡した履歴書を読み進めるうちに、次第にその表情が変わっていく。
「最終学歴は高校中退ですか。どんな事情が?」
「いえ、特には」
「特にはって……病気とか、なにかあるでしょう? 経済的な理由とか、いじめ……って感じでもないか」
値踏みするような視線を送られ、暁臣は口ごもる。これは予想外の展開だ。
「言いたくないの? まあいいや……じゃあ、その後の学歴も職歴も白紙だけど、これまでなにしてたの?」
「自宅で家事をしたり勉学をしていました」
「え? ああ、家族の介護とか? 高卒認定とか、資格とか目指してんの?」
「ええ……そんなところです」
「ふーん、介護は親御さんの? それとも祖父母さん? 中退から六年経ってるけど、高卒認定はいつから勉強始めたの? 資格はなにを?」
店長の声には軽蔑の響きがあった。職務上の質問というよりも、暁臣が答えられないと知っていてわざと尋ねているようだ。暁臣が黙っていると、ばさ、と履歴書が机の上に放られる。
「はい、もう帰っていいですよ。ご足労ありがとうございました」
立ち上がって礼をしたが、店長はもうこちらを見ていない。暁臣が背をむけた瞬間、小さな舌打ちが聞こえた。
「いいよな、気楽なニートさんは」
知らない単語もあったが、嘲りがこめられた言葉であるとは分かった。当惑した暁臣は、確かめるように背後を向く。
富士レストラン本店の若き店長――結城の血色の悪い顔は、パソコンの光を映してさらに蒼白く見える。
◆
昨夜、三好から受けた説明はこんな内容だった。
富士レストラン本店は、来月で四十周年を迎える。周年記念の一環として、イギリスのコーディアルを特別メニューに加えるという。コーディアルとは、イギリスでは薬草や果物を漬けた飲料を指し、炭酸水などで割って飲むものだ。
ところが、そのコーディアルの納品に問題があるらしい。
一度目は空輸の際に瓶が割れ、二度目は輸送途中で紛失に遭ったという。三度目の今回は無事に届いたようだが、未だにメニューに載らないそうだ。
「本来は今月と来月、二ヶ月提供する予定だったんですよ。もう納品されてるはずなのに、一向に告知が出る様子もなくてですねー。あと十日もすれば内輪の周年パーティーもあるのに、一体どういうことかと関係者が気を揉んでまして。だから、ルネさんに探ってもらうことにしたんです」
「でもなんできみが……三好くんは外務省の職員だろう? 外務省が企画の後援でもしてるとか? それとも太一が関わっているのか?」
「いいえ、太一さんは最初に話を持ってこられただけで、詳細はご存知ありません。暁臣さん、このコーディアルのウリはですねー、イギリスの伯爵家の領地で作られたーって点なんです」
「……ひょっとして、ロックウッド家が製造を? 関係者っていうのはアンドリュー?」
「ぴんぽーん。正解でーす」
さして楽しくもなさそうに言い、三好は説明を続けた。
吸血種一族の現当主である、アンドリュー・ロックウッドから連絡を受けた三好は、ルネ・ブレイクが富士食品に内定が決まっていると思い出した。富士太一を通じてインターンの話を持ちだし、ルネに調査を依頼したのだという。
「きみとルネは親しいんだな。そんな内情まで明かすなんて……彼はこの家にも慣れているふうだったし」
口にしながら暁臣は顔が熱くなる。深い意味もなく口にしただけのつもりが、言葉にしてみると、まるで子どもが拗ねているような口調になってしまった。
「ぼくたちはビジネスパートナーみたいなもんですよ。安心してください、ぼくは暁臣さんの味方なんで」
ふざけた口調は影を潜め、三好は慈しむように自分を見る。このまなざしは知っている。かつての初代三好が、ごくまれに自分に向けていたものだ。懐かしさが急速に胸に広がる一方で、暁臣は同時に疑念も浮かぶ。三好とルネ――今日目覚めて、初めて会ったにもかかわらず、彼らと初対面だとは思えなかった。
(子孫というのは、こんなふうに似るものなんだろうか。それとも……)
心の内に湧いた疑念は、三好のはしゃぎ声に吹き飛ばされる。
「さてと! じゃあ履歴書を書かないと! 暁臣さんが在籍されてたあの名門校は今でもありますからね。中退じゃなくて、イギリスに留学したことにすればいーんです。英語はネイティブレベルだし、それから……」
うきうきと履歴書を持つ三好の手を、暁臣は無言で止めた。
「三好くん、ぼくは今の高等科についてなにも知らない。教師も同級生の名前も分からないんだ。留学先の学校だって同じだ。後々ボロを出さないためには、あまり目立たない方がいいと思う」
空白だらけの偽の経歴を書く暁臣のとなりで、三好は口をとがらせている。
(……あの三好さんがこんなひょっとこみたいな顔をするなんて絶対にありえない。やっぱり僕の思い過ごしだな)
◆
さくさくと落ち葉を踏みながら、暁臣は通りを歩く。ほとんど白に近い空は、薄い雲が日光を遮っている。こんな日ならば、昼間でも苦にはならない。ごつごつとしたハナミズキの木肌を横目に、暁臣はオフィスビルの裏手を曲がった。
駐車場には一台の国産車が停まっている。
暁臣が近づくと、助手席のドアが開いた。
「お疲れ様でーす。首尾はどうでしたか?」
「すまない、不採用だと思う」
彼の言葉に、発進しかけた車はがくんと止まる。三好が急ブレーキをかけたのだ。
「へっ?! なんでですかっ?!」
事の顛末を彼が話すうちに、三好の鼻にしわが寄る。
「バイトの面接にそーんな根掘り葉掘り聞かれたんですか? 昨今はコンプラも徹底して、プライバシーには敏感になってるっていうのに」
「うん……正直、小学校に通わず働く子なんて沢山いたから、高校中退をあんなに気にされるとは思わなかった」
「そうだ、暁臣さんは大正生まれなんだった……じゃなくて、店長の結城はどうでしたか? あの男は富士食品の商品事業本部部長の次男なんです。部長は太一さんの信頼も厚くて、一度顔を合わせた時も真面目そうな方でしたけど」
「顔色が悪くて神経質そうな人だった。僕のことはあからさまに軽んじているふうだったよ。ああ、ところでニートってどういう意味? 気楽なニートさんって言われたけど」
「はあっ?! 暁臣さんが気楽なニートですって?! やっぱり今から太一さんに連絡して本社からのインターンとして潜りこんでもらってもいいですか!」
鼻息も荒く、長方形の板――スマートフォンというマルチ機能のついた携帯用の電話らしい――を取りだす三好に向かい、暁臣は静かに首を横にふる。
「もともと潜入はルネ一人の予定だったんだろう? 働くとしても、無理にあそこじゃなくてもいいんじゃないか?」
「暁臣さん、一族の初代当主はご存知ですか?」
急な話の転回に戸惑いながら、暁臣はうなずいた。
「エドマンド・ロックウッドさんだよね? 僕があの屋敷で暮らしていた時には、もう亡くなっていたけど」
「そうです。そのエドマンドさんのご遺体が行方不明になりまして」
突拍子もない話に暁臣はあぜんとする。三好の説明はこうだった。
一昨日のことだ。イギリスの屋敷に保管されていたはずの初代当主の棺が消えたらしい。調査の結果、プライベートジェットで日本に持ち出された可能性が高いという。
「日本でロックウッド家と関わりがある企業は、富士食品ともう一社あるんですが、そっちは別の人間が探ってましてー。富士食品で最近おかしな動きを見せてるのは、あの富士レストランの本店だけなんですよね」
そう言うと、三好はにっこりと笑った。「ま、そーいうわけで、暁臣さんにも潜入をお願いしたく」と言葉を切るや否や、高速でスマートフォンを操作する。
「……三好くん?」
「安心してください、太一さんには連絡しませんから。あとはルネさんに何とかしてもらいまーす」
その日の夕方、あのホールスタッフの女性の声で、採用の電話がかかってきた。
みなさまの地域は積雪は大丈夫でしょうか。
どうぞ大事なく過ごせますように。




