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1-5 計略 1

 最寄り駅に着いたところで、青年に起こされた。

 うろ覚えの記憶で車を走らせ、見覚えのある石段の傍に停めてもらう。青年とともに石段を上がると、敷石の先で三好が立っているのが見えた。

 平屋づくりの日本家屋は、三方を竹林に囲まれている。葉擦れが低く囁くなかで、玄関の明かりに照らされた三好は、心もとなげな表情を浮かべていた。彼らに気づくと、一転して安堵があらわになる。暁臣は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、三好の前で頭を下げた。


「久しぶりに目覚めたら外の世界が気になるのは当然ですよねー。すみません、ぼくの配慮が足りませんでした。ありがとうございますー、ルネさん」

 驚いたのは暁臣である。青年と三好はどうやら知り合いらしい。互いに顔なじみの様子で視線を交わしている。

「どういたしまして、三好さん。それじゃあ俺はこれで」

「待ってくださいルネさーん! お茶を淹れますから!」


 踵を返そうとする青年を、三好は飛びつくように止める。右腕で青年を、左腕で暁臣をつかまえて、三好はぐいぐいと玄関に引っ張りこんだ。土間を上がった先で右手の扉を開け、ふたりを部屋に押しこむ。板張りに絨毯が敷かれた十五畳ほどの洋室である。おそらく応接間だろう。部屋の正面と右手には窓があり、正面の窓には長椅子が設えらえていた。その前には丸テーブルがあり、側には一人掛け用ソファが二つ置かれている。暁臣を長椅子に、青年をソファに座らせると、三好は瞬く間に部屋を出ていった。


 嵐が去った後のごとく室内に静けさが満ちる。


「……きみたちは知り合いなんですか?」

「うん。俺はイギリス人で、こっちの大学院に留学中なの。あの教会は親族の持ち物だけど、これまで三好さんに管理を頼んでたんだ。今は俺が管理人兼住人として暮らしてるってわけ」

 青年はルネ・ブレイクと名乗った。暁臣が名を告げると、目じりに愛嬌のあるしわができる。

「いい名前じゃない。夜明けって意味でしょ」

 ルネに微笑みながら言われた途端、暁臣の心臓は暴れだしそうになる。幼い頃の記憶が溢れだして――口を開いた暁臣の耳に、威勢のいい扉の音が飛びこんでくる。


「おっ待たせしましたーあ!」


 コーヒーのいい匂いを漂わせ、三好は丸テーブルに盆を置いた。日中とは違う洋風の四角い盆には、ソーサーに載ったカップが三つ並んでいる。白磁に濃紺と金模様が描かれたカップは、暁臣にも見慣れたものだ。懐かしさもあって自然と手が伸びてしまう。

「暁臣さんはブラックでしたよね。ルネさんはミルクでー、僕はミルクと砂糖を」

 なんのためらいもなく角砂糖を四つ続けて投入する三好を見て、ルネはあからさまに眉をひそめた。暁臣は困惑しながら言う。

「三好くんは……甘党なんだね」

「ですでーす。僕の趣味は新規開店したカフェでスイーツを制覇することなんで」

 返答に迷う暁臣のとなりで、ルネは「病気になるよ」とぼそっと呟いてミルク入りのコーヒーを飲む。どうやらこのふたりは気兼ねなく軽口を叩ける仲のようだ。


「では、さっそく本題に入らせてもらいまーす。ルネさん、明日から富士レストランのインターンが始まりますよね? そこで、暁臣さんも一緒に働かせてもらおうと思いまして!」

「えっ?」「はあ?」


 ぽかんと口を開ける二人が見えているのかいないのか、三好はとうとうと話を続ける。


「暁臣さんは諸事情でこの数年ずっと臥せてたんです。まずは社会復帰のために、短時間の仕事から始めるのがいいかなーと思ってですね。で! タイミングよくルネさんが送ってきてくれたじゃないですかー。富士レストランなら仕事もできるし職場にルネさんもいるし、一石二鳥! いやー我ながらいい思いつきですよね!」

「却下」

 すぱっと断ち切るようなルネの声音にわずかに傷つきながらも、暁臣も同意する。自分には半世紀のブランクがあるのだ。日中だって、便所を流すレバーを探すだけでも苦労をした。信号機は「青になりました」と自分から喋りだすし、ビルの巨大な掲示板に流れる映像も仕組みがさっぱり分からない。社会インフラさえ理解していないのに、いきなり働くなんて無茶が過ぎるだろう。

「ブレイクさんの言うとおりだ、三好さん。僕がいても荷物になる」

「ルネでいいよ。暁臣、あんたが問題なんじゃない。そうじゃなくて……」

「そうじゃなくてー。ルネさんはただのインターンじゃない。レストランの内情を探るために潜入するんですよねー?」


 今度こそ、ルネはあからさまに不機嫌な顔になる。端正な面立ちだけに一層の凄みがあるものの、三好には全く効果がないようだ。


「こわいこわい、そんな怒らないでくださいよー。一人よりも二人! ルネさん一人より、暁臣さんがいた方がお互い協力し合えるでしょー? 暁臣さんだってずっと家にいるより、実地でこの時代、ごほん、社会に慣れた方が手っとり早いじゃないですか。もともと暁臣さんは帝大、いや、東大に進学する予定だったんですよねー? その賢さをフルに生かして頑張ってくださーい。ね?」


 ね、のひと言に妙な圧を乗せ、三好はにこにこと笑っている。


「インターンをもう一人増やせだなんて、急には無理だろ」

「大丈夫ですよー、ルネさん。太一さんを通せばなんとかなりますから」

「ちょっと待って」

 暁臣は考える間もなく、二人の会話に割りこんだ。先ほども「富士レストラン」という単語が聞こえたが、自分の聞き間違いだろうと思っていた。しかし、これは――。

「その太一は、僕の弟の太一か? じゃあ富士レストランは……」

「富士太一さんが代表取締役会長を務める富士食品の、子会社でーす」


 さまざまな思いが胸中をよぎり、暁臣は気持ちが落ち着かない。富士食品は明治維新後に、彼の曾祖父が創業した貿易会社が母体となっている。暁臣の父親は役人で経営に関わっていないが、おそらく父母が亡くなった後、太一は伯父の会社に入ったのだろう。


「暁臣の……弟?」

 ずず、とコーヒーをすすりながら、ルネは上目遣いで暁臣を見る。問いかけるような視線を送られ、暁臣は慌てて訂正をする。

「いや! 親戚、親戚の弟です」

「そうそう、暁臣さんはなんと太一さんの親族なんですよー。だから店長も嫌とは言えないでしょ」

「三好くん、すまない。百歩譲って働くとして、僕が太一の親族だとは内緒にしてくれないか?」

「へ? なんでですか?」

「太一に迷惑を掛けたくない」


 暁臣は睫毛を伏せて、足元のスリッパに目を落とす。起毛した黒いふかふかのスリッパは、冷えきった裸足の足によく馴染む。着の身着のまま飛び出して、靴下を履くことも、外套や帽子を身に着けることさえ忘れていたのだ。この時代に慣れるまで、普段の自分ならやらないような失敗をするかもしれない。そのせいで太一の評判が下がれば、申し訳ない。暁臣がそう説明すると、三好は一応納得した顔をする。


「まあ……気持ちは分からないでもないですけどー。じゃあどうするんです? ホールか皿洗いのバイトでもします? まさか代表取締役会長の兄……ごほ、親族が子会社のレストランでバイトしてるなんて誰も思わないでしょうし」

「うん、じゃあ皿を洗うよ。アンドリューの……イギリスの屋敷でも、人手不足の時はたまにキッチンで洗い物を手伝ってたし」


 三好の表情が一瞬固まったように見えたが、気を取り直したように、四角い板を取りだして「じゃあ暁臣さんは皿洗いのバイトに応募しまーす」と指を動かした。


「それじゃ、ルネさん。送迎はお願いしますねー」

「分かった」

「いや三好くん、さすがにそれは甘えすぎだろ? 僕は電車で行くから」

 慌てて手を振る暁臣だが、二人の男はそろって首を横にふる。

「暁臣さんは今日の前科があるでしょ。絶対ひとりにはさせませんよー」

「病み上がりなんだろ? おとなしく甘えなよ」

「あの教会からここまで小一時間は掛かったでしょう! さすがに頼むわけには」

「それなら平気ですよー、ルネさんもここに泊まってもらいますんで」


 当然のように言うと、三好はスプーンでカップをかき混ぜる。砂糖たっぷりのコーヒーを美味そうに飲み干す三好を前に、暁臣は開いた口が塞がらない。しかしルネはさして驚いた様子もなく、ずずず、とまた音を立ててコーヒーをすする。いつの間にか、スリッパを脱いで体育座りのように両足をソファに乗せている。ずいぶんと寛いだ仕草だ。案外、今日だけではなく、何度かこの家に出入りしているのかもしれない。

「いいよ。なら客間を使わせてもらう。明日は早いからシャワーを借りてもいい?」

 どうぞー、と三好がうなずけば、勝手知ったる様子で部屋を出ていった。



 扉が閉まると同時に、暁臣は力まかせにカーテンを開ける。

 夜空には雲が広がり、月は朧げに浮かんでいるだけだ。頼りない光を指さして、暁臣は三好へと振りむいた。


「三好くん、一族の吸血衝動について聞いたことはある?」


 今夜は満月だ。幸い、月が隠れているので耐えられない渇望ではない。とはいえ、腹の底で疼くような渇きは今も感じている。晴れた夜であれば、ルネや三好に襲いかかっていたかもしれない。

「ありますよー。満月の夜になると、吸血鬼の一族は人間に噛みついて血を吸いたくなるんですよねー?」

「だったら分かるだろう? きみやルネと一緒に暮らすのは危険なんだ。今夜はよくてもこの先は分からない。例えばあの教会で僕一人が暮らすとか、せめて満月の夜は僕を閉じこめておくとか……」

「安心してください、暁臣さん。それについてはもう解決済みですから!」

 満面の笑みを見せ、三好は廊下へと暁臣を連れだした。三好に引っ張られながら、暁臣は内心で期待する。


(ひょっとして……この半世紀の間に特効薬でも見つかったのか?)


 三好は廊下の左手の引き戸を開けた。板張りの部屋にはテーブルが置かれ、その奥には流し台や冷蔵庫が設えられている。台所である。首をかしげる暁臣が連れてこられたのは、冷蔵庫の前であった。三好は思いきりよく上段の扉を開ける。

 暁臣は軽い吐き気をおぼえる。

 扉の中には、ケーキ、ケーキ、ケーキ、ケーキ。五層に仕切られた上段の庫内のうち、全部がケーキで埋めつくされていた。


「……三好くん?」

「吸血衝動っていうのは、要するに強烈な飢えを感じるってことですよね? だから飢えを満たせれば、必ずしも人間に噛みつく必要はないわけで! 暁臣さんが目覚めたあと、さっそく手配しておいたんですよー。ほらほら、オレンジのタルトにザッハトルテ、もちろん定番の苺のショートケーキもありますよ! はあ、美味しそ」


 よだれを垂らしそうな声の三好のとなりで、暁臣は頭を抱えてしゃがみこむ。

 次の満月には、天岩戸あまのいわとのように自分を閉じこめておかなければ。


ここまでご覧くださり、ありがとうございます。次回は来週金曜日に更新します。もし気に入っていただけましたら、いいねやブクマ、評価、ご感想などいつでも大歓迎です。それではまた、来週。


■次回1/10(金)夜に更新予定■

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秋臣さんか世紀たってから目覚め、現代で生活する違和感の文章がすきです。
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