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2-16 離別

 あの昼食会から二週間が過ぎた。

 先週も今週も、暁臣は礼拝に参加しなかった。どんな顔をして神父に会えばよいのか分からなかった。神父はおそらく、普段どおりに自分と接してくれるだろう。しかし内心に暁臣への失望を隠しているのではと疑うと、顔を合わせる勇気が出なかった。


 明日こそは――と意を決しながらも、気持ちは重く沈んでいく。からだもまた重怠かった。二週続けて血液を摂取していないせいだろう。

 暁臣は本を閉じると、文机の前で伸びをする。あれこれと余計なことを考えていたせいで、内容がほとんど頭に入らなかった。まだ寝るには早い時分である。辺りを散策してこようか――と立ち上がった矢先、障子の向こうに人の気配がした。


「暁臣様、よろしいですか?」


 か細い声音に胸騒ぎを覚えて、暁臣は急いで障子戸を開ける。

 女中頭のトメが廊下に立っている。彼が屋敷に来たばかりの頃とは違い、今はひと回りほど小柄になり、背中も曲がっている。しかし気丈さはそのままで、常ならば声にはぴんと張りがあり、目にも力がみなぎっていた。ところが――今夜のトメは、血の気のない顔をして、虚ろな様子で彼を見上げている。


「どうした、トメさん?」

「暁臣様……お嬢様が……」

「姉さんが? 具合が悪くなったのか?!」

「いいえ! いえ……夕方に外出されたきり、まだ戻られてないんです」


 暁臣は眉にしわを寄せて、目の前のトメを見下ろす。この夏、姉は夕食を自室で取ることが多かった。今夜も居間には姿を見せなかったが、てっきり部屋にいるものとばかり思っていた。


「外出先は? 誰と一緒にいるんだ?!」

「教会です。一人でお出かけになられました。わたしがタクシーを呼んで……通用口につけてもらったんです」


 廊下に静けさが満ちた。暁臣は両腕を組んでトメの顔をうかがう。彼女の声にはどこか妙な響きがあった。まるで――この事態をあらかじめ知っていたかのような。


「……どういうことだ?」

「お嬢様に頼まれたんです。あの神父様に至急の用事があると、すぐに済むからと仰って……夕食もお部屋で取ったようにわたしが誤魔化しました。ですが……お戻りになられないんです。もう四時間は経つというのに」

「ドーン神父に電話はしたのか?」

「お留守でした……それに……おそらくお出にはならないと思います」

 物言いたげな目をしながらも、トメはためらうように言葉を切る。問い質したい気持ちを抑えて、暁臣は辛抱強く次の言葉を待った。

「…………嫌な予感がしたんです。ですから、いけないこととは存じながらも、確かめてみました。お嬢様は箪笥の一番下の段に、大事な物をしまう箱を入れてるんです。昔からそうでしたから、わたしも知っているんです。暁臣様の木彫りの首飾りや、あの神父様のお手紙も入っていて……それが全部……無くなってました」


 声を震わせるトメの肩をつかんで、暁臣は顔を近づける。


「なぜトメさんが手紙のことまで知ってるんだ?」

「……わたしが届けていたからです。お嬢様が不憫で……お可哀想で……ああ、暁臣様! わたしは恐ろしいことを手伝ってしまったんでしょうか?! お嬢様は……まさか神父様と駆け落ちをなさったんじゃ……」

 落ちくぼんだ双眸を見つめ、暁臣は硬い声音で言う。

「いいか、トメさん。誰にも言うな」

「ですが……」

「今から教会に行く。僕が戻るまで待つんだ。いいね?」


 有無を言わせぬ暁臣を前にして、トメは観念したようにうなずいた。

 その脇をすり抜けて、暁臣は廊下を駆けていく。内玄関を飛び出して、通用口を出ると――屋敷の連なる小道が白く照らされている。薄暗い空を見上げれば、燦燦とまるい月が不気味にかがやいて見えた。




 教会へ続く坂道を上がりきると、暁臣はひゅっと息を吐きだした。

 溶岩が溢れだしそうな胸中とは裏腹に、手足はべったりと冷たい汗をかいている。夜にこの場所を訪れるのは二度目だ。一度目は激しい雨の夜だった。ひとりで凍えている神父を想像すると、居てもたってもいられず夢中で坂を駆け上がった。


 しかし、今夜は――真夏の生温い夜である。


 額の汗をこぶしでぬぐって、暁臣は自嘲の笑みを浮かべた。こうしてやって来たものの、自分になにが出来るというのか。あの夜とは違い、心の底に冷めた自分がいることを自覚していた。いっそ聖堂も寝室ももぬけの殻で、ふたりの姿が見えないのならそれでいい。だけどもし、ふたりが並び立ち、彼に身逃してくれと懇願したら――。


(……それなら、どうして)


 暁臣は考えを追い払うように首を横にふる。

 ひょっとしたら、トメも自分も思い違いをしているのかもしれない。神父と姉が恋仲だなどと、とんだ見当外れかもしれない。ふたりが何か事件に巻きこまれた可能性だってある。とはいえ、昼食会でふたりが目配せをする姿は、まるで秘密を抱えた者同士のようだった。少なくとも暁臣が思っていた以上に、神父と姉は親密であったということだ。

 暁臣は深呼吸を繰りかえし、息を整える。

 春先に姉に答えた言葉は嘘ではない。暁臣は心から姉を慕い、しあわせを願っている。神父のことも同様に――いや、と暁臣は唇をゆがめる。神父に対する愛情は姉とは別種のものだ。だが、ふたりのしあわせを願う気持ちはほんとうだった。彼らがともにいたいと望むのならば、自分は受け入れるしかない。


 煌煌と光を浴びる聖堂は、かつての夜とは違い穏やかだった。

 その静けさが一層、暁臣にはおぞましく見えた。

 もう一度息を吸って吐くと、覚悟を決めて扉を開ける。

 聖堂のなかは薄暗く、内陣ではろうそくの影が壁をはねまわっている。暁臣は目を細めた。違和感の正体はすぐに分かった。

 祭壇にあるはずの十字架がない。

 暁臣は誘われるように通路を進んだ。

 一段高くなった内陣の手前で足を止める。薄明かりでも、絨毯に滲みこんだしみは十分に判別できた。それぐらい、そのしみは大量に流れていた。


 かくん、と膝が絨毯につく。

 もはや立っていられなかった。


「あ……あ……」


 自分のものとも思えない獣じみた嗚咽が漏れる。

 彼の目の前には姉がいた。

 祭壇の前でひっそりと仰向けになり、まぶたを閉じている。まるで眠っているかのようだった。もしも――その胸を十字架の先が剣のように貫き、その胸から赤い血が流れだしていなければ、姉は寝ているだけだと信じたに違いない。

 汗で滑る手のひらで、なんとか十字架をつかんだ。祭壇に掲げられていたときは華奢な造りに見えたが、実際に握ってみると頑丈でずっしりと重い。


(剣みたいな……じゃない。これは十字架に似せた本物の剣だ!)


 なぜ教会の祭壇にこんな物が、と考える間もなく、暁臣はじっとある一点を凝視した。剣が刺さった姉の胸に――灰色の粉が積もっている。

 暗褐色に染まったブラウスの上には、彼の両手一杯ほどの灰が乗っていた。



『あの小説も映画も、実際、真実は含まれているんです。ストーカー氏もムルナウ監督も、見聞きした伝承から着想を得たのかもしれませんね』



 神父の低くやわらかな声が耳にこだまする。吸血鬼が死ぬと灰になると聞き、まるでドラキュラ伯爵のようだと思った暁臣に、神父は笑ってそう言ったのだ。


「……はあっ……ああ……っつ」

 姉の唇は軽く結ばれ、ゆるやかに弧をつくっている。

 まるで花嫁のようなしあわせな女の顔だった。

 しあわせな――。



『お嬢様は……まさか神父様と駆け落ちをなさったんじゃ……』



 違う。

 駆け落ちではない。

 これは――。


 暁臣は震える指先を灰にのばす。姉の血を吸いこんだ灰は、触れれば、ほろりとこぼれ落ちた。暁臣は両手で灰をすくい上げる。冷たくて、拍子抜けするほど軽い。

 突如、あたりが金色に染まった。

 のろのろと顔を上げれば、窓からまるい月がのぞいている。

 彼が十三歳のとき、神父はこの内陣で夕陽を浴びて、光の海に立っていた。

 そして今は――。

 彼の手のなかで、灰は月光に照らされている。


「それなら……どうしてっ……」

 暁臣は手のなかの灰に顔をうずめた。

「心中するほどに姉さんを愛していたのなら……それなら……どうしてっ……どうして僕を吸血鬼にしたんだ?! あなたはっつ!!!」


 冴え冴えと冷たい月明りの夜に、暁臣の咆哮が虚しく響いた。


今回で第二章が終わります。

ここまでお付き合いくださりありがとうございます!第三章は7月頃より連載再開予定です。

現在、並行連載中の作品が完結次第取り組んでまいりますので、お待ちいただけましたら幸いです。

(再開の際はまたXと活動報告でお知らせします)

それでは、みなさまと初夏にお会いできますように!


並行連載中の作品です。よければどうぞ↓

『モブキャラに転生したけど死にたくない』

https://ncode.syosetu.com/n0010kb/

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― 新着の感想 ―
巨大なフックに悲鳴がでました!! お話の後半から文章の構成や伏線の敷き方がかわってきて、よみやすくなり、ピッチがあがりました。時代設定にあわした、喋り方や世界観の作り方秀逸でした。 わたしは、日光にあ…
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