2-15 残像
食事を終えて、車に乗りこむ姉と太一に「所用を思い出した」と断わり、暁臣は教会に残った。手を振る太一を神父と並んで見送りながらも、心はどこかに置き忘れたように虚ろであった。遠ざかる車と入れ違いに別の一台が坂を上がってくる。
教会の門前で車は止まった。
郵便局の配達員が荷室から小包を取りだして、慣れた調子で神父に手渡す。一辺が20cmほどの小ぶりな荷物だ。差出人欄に目をやると「三好」という名前が見えた。暁臣の頭に先月半ばの会話がよぎる。蛇に噛まれた彼が教会を訪ねた日、神父と面会していた男がそう呼ばれていたはずだ。
「所用とは私にですか?」
小包の差出人欄を隠すように脇に抱えて、神父がこちらを向く。暁臣はまだ覚悟が決まらなかった。あのまま姉たちと帰ってしまえば、胸の暗雲に飲みこまれてしまいそうだった。とはいえ、正直な気持ちを打ち明けて、神父の答えを聞くのも怖かった。かろうじて均衡を保っていたなにかが――崩れてしまう予感がした。
「外では話しづらければ、応接室に行きましょうか?」
「いえ……先週、ドーン神父は屋敷を訪ねてらっしゃいましたよね? 父が見送る場面をたまたま目にしたんです」
とっさの思いつきを口にしただけであったが、暁臣はぞくりと悪寒がした。正午をまわった太陽が地面に影を落としている。門脇の常緑樹がふたりの頭上を覆い、木漏れ日をこぼしている。平穏で明るい午後だ。しかし光が強ければ強いほど、その影も暗くなる。今、彼の前にいる神父は――黒い影に呑みこまれたような顔つきだ。
「ああ……そのことですか」
低い声で応じると、神父は事務的な口調で続ける。
「葵さんの縁談についてお話してきたんです。ついでに、富士のご主人が忘れてらっしゃったことも二、三、お伝えしてきました」
「姉さんの縁談……ですか?」
動揺を隠すのも忘れて、暁臣は聞きかえした。まさか神父の口から姉の縁談話が飛びだすとは、思ってもみなかった。
「ええ。伊集院伯爵のご子息との縁談は、ご主人が勇み足で進められたお話です。葵さんの望むものではありませんので」
「……よく事情をご存知なんですね」
「葵さんに相談を受けていましたから」
「姉さんが教会に?」
「いえ、手紙をやり取りしているんです」
押し黙る暁臣を見て、神父はわずかに首をかしげた。
「どうかしましたか?」
「……知りませんでした」
「きみに言う必要が?」
「……ないとは分かっています」
平然としていたいのに、声が掠れてしまった。深いため息が聞こえる。片手で顔を覆う神父を前にして、暁臣はさらに打ちひしがれる。
「いいですか、暁臣くん。私と葵さんは……」
「ドーン神父、お尋ねしてもいいですか?」
神父の言葉を遮るなど、普段の暁臣では考えられない。だが今は、決定的なひと言を放たれてしまいそうで、黙って聞くのが耐えられなかった。神父は気を害した様子もなく、目でうなずいてみせる。
ぎゅっと手を握りこみ、暁臣は重たい口を開いた。
「なぜ……僕だったんですか?」
「え?」
「なぜ、僕をあなたの道連れに選んだのですか? 姉さんではなくて……僕を」
「葵さん? どうして彼女が出てくるんです?」
「さっき太一が話したとおりです。あなたと姉さんはお似合いだ。それに姉さんはずっと床に臥せているけれど、吸血鬼になれば元気になられるのでしょう? だったら……」
いつの間にか、暁臣の手は神父の祭服をつかんでいた。詰め寄るように神父の顔を見上げて、暁臣は勢いにまかせて言う。
「だったら……姉さんを吸血鬼にすればよかったのでは?!」
「なんだ……そんなことですか」
冷ややかな声が頭上に響きわたる。神父の冷めた双眸が暁臣を見下ろしていた。暁臣は絶望的な気持ちでなんとか声を振りしぼる。
「そんなこと……ですか?」
「本気で言ってるんですか? 本気で自分の姉を吸血鬼にすればよかったと? まさか。出来るわけがないでしょう」
「どうして……」
「葵さんを地獄には連れていけませんから」
一縷の隙もなく、神父はきっぱりと言い切った。氷のような青い目を暁臣は黙って見つめる。いっそはっきりと軽蔑を露わにして、自分を突き放してくれればいい。しかし暁臣から離れるでもなく、神父もまた硬い表情で彼の目をのぞきこんでいる。
黒い祭服の腕をつかむうちに、暁臣は胸が苦しくなってくる。
いっそのこと――後先など考えず、あなたが好きだと抱きついてしまいたい!
「……ドーン神父、僕はっ」
「他に用事がなければ、ここで失礼してもいいですか?」
遮るような神父の声で、暁臣ははっと我にかえった。
「……はい。長々とお引き留めして、すみませんでした」
「いえ。ではまた」
一連の諍いなどなかったかのような態度で、神父はひらりと祭服の裾をひるがえした。暁臣は言葉もなく、その場に立ちつくす。
門のむこうに神父が遠ざかっていく。イチイの並木がこんもりと生い茂り、小道の石畳に陰影をつくっている。まぶしいほどの緑と暗い灰色。太陽を照りかえす真っ白な聖堂と――黒い祭服をまとう神父の後ろ姿。
目に焼きつくような真夏のコントラスト。
それが――記憶に残る最後の神父の姿であった。




