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1-2 邂逅 1

 五日前――暁臣は目を覚ました。


 最初に飛びこんできたのは、天井だった。竹を用いた竿縁さおぶち天井のつくりは、彼が見慣れた和風の部屋だ。目を左右に動かす。左手には床の間があり、右手にはふすまが連なっている。暁臣は重たい頭をふって、上半身を起こした。


(……ここはどこだ?)


 記憶はあいまいで、全身がひどく怠い。まるでずっと眠っていたかのようだ。ふいに、くぐもった甘い香りが鼻孔をくすぐる。床の間には、藍地の花瓶に活けられた白い山茶花さざんかのそばに、海老茶色えびちゃいろの香炉が置かれている。白檀びゃくだんの香りだろうか。

 十畳ほどの小ぶりな部屋だ。暁臣は、ふうと息を吐く。少なくとも――この部屋の主は、自分を害するつもりはないようだ。清潔で暖かな布団も、香を焚き、季節の花が飾られた室内も、気遣いこそあれど、悪意の気配は微塵もない。

 しかし、暁臣が布団から出ようとした途端、ガラッと背後で障子戸が開いた。


「うわあああああ! 暁臣さんっ! おっはようございますうう!」


 耳をつんざくような声を張り上げて、男が背中に飛びついてくる。息を止めたいと言わんばかりの強さで抱きしめられて、暁臣は半ば身の危険を感じた。上体を反転させ、男の茶色い髪をひっつかんで無理やり引きはがすと、思わず自分の目を疑う。


「……三好みよしさん?」

「はいはーい。ぼくは四代目の三好でーす」


 暁臣に前髪をつかまれたまま、自称・四代目三好はへらりと笑う。いくぶん吊り上がったネコのような黒い目に、やや血色が悪い薄い唇。こじんまりと整った顔立ちは、暁臣のよく知る三好そのままだ――が、どうも違う。いや、全然違う。まず第一に、三好の髪はこんな明るく透ける茶色ではなく、炭のような黒だった。第二に、三好はこんなへらへらとは笑わない。というより、あの男はまず笑わない。そして最後に――三好は絶対に、先ほどのような阿呆っぽい言葉使いはしない。絶対。断じて。


「暁臣さーん、眉間にしわが寄ってますよー。ほらほら、せっかくの美貌が台無し」


 三好の指で額を伸ばされながら、暁臣は吐き気をもよおした。

 嫌な予感がする。

 なんだか――。

 とてつもなく――。

 嫌な――。


「でもま、戸惑うのも無理ないか。なんたって、半世紀ぶりに目覚めたんですから!」


 目の前の男はあいかわらず、気の抜けた顔で笑っている。暁臣はなぜか無性に、その横っ面を引っぱたきたい衝動に駆られたが、なんとか我慢する。今、この男はなんと言った?

「……半世紀ぶり?」

「正確には半世紀と少しです。なにしろ、今は21世紀なんで!」

 暁臣は正面の窓に目をやった。半分開いた格子窓には、灰色の厚い雲が広がっている。この冷えた空気に山茶花なら、季節は晩秋から初冬だろうか。冷静にそんな考えをめぐらせながらも、暁臣はちっとも冷静ではないと自覚していた。脳が考えることを拒否している。


 ――半世紀ぶりだって?

 ――僕が最後に覚えているのは、あの一族の屋敷で……。


 イギリスの古い屋敷がおぼろげに甦り、背すじがひやりとする。忌まわしい記憶が堰を切りかけた瞬間、ふと、強い視線を感じた。暁臣は室内を見まわした。全身が総毛立っている。過去の記憶のせいではない、この視線の主のためだ。

「どうしましたー、暁臣さん?」

 三好の背後、障子戸に影がよぎったような気がする。がば、と布団をはねのけて、勢いまかせに障子戸を開ける。

 誰もいない。

 板張りの廊下はしんと静まっていた。



「……今、誰かいなかった?」

「えー、この家には、ぼくとあなたしかいませんけど? あー、あと通いの家政婦の松田さんと! でも今日はお休みですし」

 暁臣を布団へとうながして、三好は廊下に出ていった。数分の間のあと、盆を手に戻ってくる。湯気の立つ茶碗を差しだされ、暁臣は困惑する。この自称・四代目三好は彼の正体を知らないのだろうか。

「……ありがとうございます」

「吸血鬼にはお茶なんて不要でしょーけど、ま、いーじゃないですか。なにしろ半世紀ぶりなんですし」


 ずずず、とお茶を啜りながら、三好は平然としている。暁臣の視線にも、どこ吹く風といった顔だ。

 半世紀以上前――言うなれば「初代三好」は外務省の職員だった。その実、吸血鬼の一族とも関わりがあり、暁臣をサポートしてくれていた。出会ったのは昭和の初め、当時でおそらく二十代後半といったところか。一方の四代目三好は、白い襟付きシャツに濃紺のズボン、マッシュルームのような髪型と、身なりは大きく変わらないものの、明るい髪色にくだけた表情でずいぶんと若く見える。


 三好の説明はざっとこんな感じだった。


「暁臣さんは戦時下のイギリスで暴漢に襲われて、半世紀以上意識を失ってたそうですよー。終戦後に日本に帰国して、ずっとこの家で眠ってたみたいでー、あ、ちなみにこの家は三好の別邸の一つでーす」

 ひょうひょうと喋る男を前に、暁臣は言いよどむ。

「ええと……それで……きみは、一体どこまで知って……」

「はい? どこまでってー、暁臣さんは大正生まれの吸血鬼なんですよね?」


 端的にまとめられ過ぎて、ぐうの音も出ない。少なくとも、この四代目三好は暁臣について知るべきことは知っているということだ。気を取り直して、暁臣はもう一つの疑問を口にする。


「じゃあ、三好さ……初代の三好さんや、他のみんなは? 僕の家族たちは? どうなった?」

 先ほどまで饒舌だった男は、わずかに表情を曇らせる。暁臣は覚悟はしていたものの、胸がずきりと痛んだ。

「当時の三好はロンドンの空襲で死にました。あなたを襲った暴漢たちも、間を置かずに死んだそうです。ロックウッド家のみなさんは、今もお元気にされてますよ。それから、あなたの……富士家のご両親は、東京大空襲で亡くなられました。」

 茶碗の水面に映る自分の顔は、重く沈んでいる。空気を変えるように、三好は一転して明るい声で言う。

「あ! でも弟の太一たいちさんはご存命ですから!」

「太一が……そうか」


 よかった、と続ける自分の声はかすれていた。太一は腹違いの弟だ。最後に顔を合わせたのは、弟が五歳の頃だった。三好の言葉が真実ならば、もう自分も父親の年齢も越えて、老いを迎えているだろう。暁臣は震える手で白磁の茶碗を持ち上げる。緑茶をひと口飲むと、張りつめていた糸が弛むような心地であった。隣であぐらをかく三好は、すでに通常運転らしき顔に戻っている。三好の気遣いに感謝しながら、暁臣は温かな茶碗を握りしめた。


「それで、あの……」

 突然、ぶぶぶと低い音がうなった。三好はズボンから長方形の板を取りだすと、ぱっと顔を上げて言う。

「すみませーん、もう行かないと! あ、夜には帰ってきますから! 暁臣さんはゆっくり休んでてくださいー」

「あっ……」

 障子戸に手をかけた三好は、こちらを振りかえって首をかしげる。

「なにか?」

「あの人は……」

「誰です?」

「あの……神父の……」


 三好は手を下ろして、暁臣に向きなおる。しばらく無言で彼を見つめたあと、ゆっくりと口角を左右にひろげた。


「ああ、ドーン神父のことですか? あなたを吸血鬼にしたっていう。あのひとは戦前に死んだはずですが。暁臣さんもすでにご存じかと……あ、もしかして記憶が混乱してたりします?」

 心配そうに近寄られ、暁臣は慌てて首を横にふる。

「いや、違う! 大丈夫だ、ただ……」

「ただ?」


 真剣なときの四代目三好の顔は、彼の知る三好そのままだ。暁臣はあの三好を前にすると、頼もしさと同時に緊張もおぼえていた。今もまた、取りつくろうことを忘れて、つい言葉を漏らしてしまう。


「もし……生きていたらと」

「生きていたら? あなたを吸血鬼に変えて、自分だけ消えたような男なんでしょー? 今さら会ってどうするんです? 感動の再会じゃあるまいし……あ、それともアレですか? 罵詈雑言浴びせて恨みを晴らしたいとか!」

 ぽんぽんと息つく間もなく言われ、暁臣は黙りこむ。まったくもって、四代目三好の言うとおりだ。今さら会ったところで、何がどうなるわけでもない。

「……そうだな」

「恨んでるんですか?」

「……そうかもしれない」

 自分の返答が本心かは分からなかった。だけどもう二度と会えない相手なら、考えたところで仕方ない。投げやりに放った言葉に「なるほどー」と気のなさそうな相づちを残して、三好は部屋をあとにした。


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― 新着の感想 ―
世界観が緻密ですね!感覚描写からの物語のアクションが、滑らかです。
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