1-1 潜入
死者の吸血鬼とはゴシック小説の領域である。
我が一族は、むしろ人類の変異種といったほうが正しい。
――初代当主・エドマンド・ロックウッドの言葉より。
◆◆◆
「役立たずだなあ」
店長の不機嫌な声が、がらんとした店内に響く。都内に本店を構える老舗・富士レストランのホールでは、数名の従業員たちが閉店作業をしながらも、チラチラとこちらをうかがっている。
藤暁臣は睫毛を伏せて「申し訳ありません」と静かに頭を下げた。
「テーブルセッティング一つまともにできないとはな。あんな見苦しいナプキンの畳み方は見たことがない。気楽なニートさんも、少しは社会の厳しさを思い知ってくださいよ」
苛立たしげにカウンターテーブルを叩きながら、店長が舌打ちをする。二十代半ばの店長と自分とは、見た目では同世代である。だからこそ、余計に暁臣の存在が癇に障るのだろう。三日前の面接で、履歴書と暁臣を見比べながら、額にしわが刻まれていった店長の顔を今でもありありと思い出せる。
視線を上げると、カウンターを拭く女性スタッフと目が合った。同情が浮かべられていた目は、店長が振りかえった途端にぱっとそらされる。当然だ。店長の結城――この男は、富士レストランの親会社・富士食品の商品事業本部部長の息子である。さわらぬ神に祟りなし、さわらぬ店長にクビを切られる恐れなし、だ。
「すみません、店長。藤さんにナプキンの畳み方を教えたのは俺なんです」
それなのに――。暁臣は内心でため息を吐きながら、重たい首を無理やりまわす。やっぱりだ。背後にはひとりの青年が立っている。
「急いでたから、つい俺が慣れた畳み方を教えちゃって。ご迷惑おかけしました」
ルネ・ブレイク。このイギリス人の留学生は、暁臣と同時期に働き始めたインターンである。バイトの暁臣とは真逆の――来春に大学院を修了後、富士食品の経営企画部に入社が決まっているエリートだ。制服の黒いズボンに両手を突っこみ、すたすたと歩く姿を前にしても、店長は小言もいわずに愛想笑いをする。
「迷惑なんてとんでもない。手間をかけましたね、ブレイクさん」
「いえいえ。だけど知らなかったな。あの畳み方は日本では見苦しいと思われるんですね。伯爵夫人に教えてあげないと」
「はく……しゃく?」
「ええ、俺がイギリスで伯爵家に滞在した時は、いつもあの畳み方だったものですから」
にっこりと眼鏡のブリッジを押さえるルネに、店長は「いや……うちでは名前のとおり、富士山に見立ててですね……もちろん、あの畳み方もけして間違いでは……」としどろもどろに弁解した。暁臣はもう一度内心でため息を吐き、店長にむかって頭を下げるとまわれ右をする。今夜はたまたま人手が足りずにホールに出たが、本来の彼の担当は洗い場である。今はただ、黙々と皿を洗いたい。そんな暁臣をわざと引き留めるかのように、甘く柔らかな声が掛かる。
「ごめんね、藤さん?」
「いいえ……ブレイクさん」
この状況を面白がるような目がふたつ、眼鏡の奥からのぞいている。ルネの青い目は光の当たり具合で、明るくも暗くも見える。今は――閉店後の照明を絞った店内では、宵闇のような暗い青だ。
(……なんでわざわざ、僕をかばうんだ?)
あのナプキンの畳み方は、ルネから今日教わったものではない。暁臣自らが覚えていたものだ。そう、まさにイギリスの伯爵家の食卓で――。ルネは他のスタッフにも店長にも構わず、じっと暁臣だけを見つめている。
たまらず視線を振りきって、暁臣はキッチンへ逃げこんだ。
◆
通用口を出ると、冷えた空気が肌に張りつく。
十一月も中旬となれば夜はコートを羽織っていても寒い。マフラーを持ってくればよかったな、と内心で思いながら、暁臣は路地を歩いた。
駅を目指して曲がったところで、ぐいと腕をつかまれる。とっさに全身が強張ったが、見知った顔と分かると力が抜けた。
「そっちじゃないでしょ、暁臣」
「……なんでここにいるんだ」
ちゃりん、と車の鍵を暁臣の鼻先でゆらし、ルネは暁臣の手をつかむ。彼よりも十センチほど背が高いルネは、その手も大きい。冷たく乾いた手に包まれているだけで、暁臣は心が騒いだ。
「どうせ地下鉄に乗るつもりだろって思って、待ち伏せしたの」
暁臣は黙りこむ。図星だった。オフィスビルの裏手の駐車場には、ドイツ製の高級車が停められている。ルネは助手席の扉を開け、彼にアイコンタクトする。紳士的だが、有無を言わせない態度だ。はあ、とついに声に出してため息を吐くと、暁臣は観念してふかふかのレザーシートに腰を埋めた。
「あまり親しくしない方がいいんじゃないか?」
流れる景色を横目に、暁臣はつぶやく。ルネのハンドル捌きは的確で、車内は止まっているかのような静けさだ。
「親しくって?」
「だから……こうして一緒に帰ったり、さっきも僕をかばったりして」
「通用口は別々に出てるんだ、誰も気づいたりしないさ。大体、あんたはなんで言い返さないんだ? 入って二日目のバイトのミスだぞ? あんなの言いがかりじゃないか」
「言い返すって……僕らの目的を忘れたのか、ルネ?」
返事がないなとチラと盗み見ると、ルネは幼子のように両頬をふくらませていた。暁臣は半ば呆れ、半ば笑いそうになる。私服のルネは、灰白色のパーカーにダメージデニムと、勤務中とは打って変わってカジュアルな格好だ。くせ毛の金髪はふわふわと顔のまわりで跳ね、顔のまんなかには黒縁の眼鏡が鎮座している。だけど――暁臣は知っている。眼鏡と髪の毛とパーカーのフードで隠してはいても、この青年が稀有な美しい男であることを。
「どうしたの? そんなに見つめないでよ、照れるじゃない」
「……きみが返事をしないから」
「覚えてるよ。あのレストランを探るために、俺たちは潜入してる」
ルネの赤い唇に薄い笑みがひろがった。どこか面白がるような笑みだ。はあ、ともはや暁臣は遠慮なくため息を吐く。
(三好くん……他にいい方法はなかったのか?)
運転席から目を離し、暁臣は再び窓をながめる。
信号待ちだ。夜だというのに通りはにぎやかで、あちらこちらで看板のネオンが煌々とかがやいている。こうして街中にいると、地面の底が抜けたような気分になる。自分がどこにいるのか、いまだに混乱してしまう。
暁臣が生まれたのは、大正時代の中頃である。
そして今――。
ここは21世紀の日本だ。
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みなさまに少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。
毎週末・金土夜に1話ずつ更新、初日の今日は夜までに4話更新します。
活動報告にご挨拶を書きましたので、よければどうぞ↓
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