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僕の心の残虐性について

作者: 今橋 卓杜

僕の心の残虐性について

一度だけ殺意を抱いたことがある。


例えるなら底のない闇だ。


それにそこはなく飲まれてしまえば永遠に落ちていく。


僕はその落ちていく感覚に恐怖を覚えすんでのところで引き返した。


このように残虐性ということについて思ったことをまとめようと思う。


まず残虐性ということについて、自分に備わっているということに驚いた。


残虐性は憎しみに起因するものであるが同時になにかそれを抱く自分自身にかっこいいとどこか思ってしまう自分がいることに気づく。


その背景として残虐性に対する一種の憧れのようなものが備わっているのではないかと考える。


その憧れの正体は非日常的な感覚と憎しみを発散させることに一種の快楽を覚えることかもしれない。


しかしながら私はこの残虐性について不快感を覚える。


そのわけは、一瞬の快楽を得られたとしてもそれはすぐに消え永続的な充実感にはつながらないからである。


残虐性による快楽というものは確実に存在すると思う。


ではなぜ快楽を感じるのか、憎しみの発散によるつまりは一種のストレスの発散のようなものだからなのではないかと考える。


憎悪という感情による快楽。


憎悪と密接につながっているのか。


憎悪の正体について。


憎悪と呼ばれるものは怒りと憎しみに起因しそれらと密接につながっているのか。


憎悪は支配されると自己愛につながりそれに支配されている自分がかっこいいと思ってしまう性質が見受けられた。


それではなぜ憎悪は自己愛とつながっているのか普段の自分を超越して何かをなそうとする超越的な感覚に陥るからだ。


そしてその超越的な自分を気に入ればそれは自己愛へとつながっていく。


なぜ超越的な考えに陥ってしまうのかそれは憎悪により理性が働かなくなるから。


このように自分に残虐性があるということを自分なりに分析してみた。


皆さんも様々な機会に自己と向き合いそれについて分析してみてほしい。


きっと新たな発見、自己理解、自己の成長に大きくつながると思う。




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