邂逅〜眼鏡キャラは外せない〜
【前回のあらすじ】
花山院牡丹と昼食を共にしましたわ!!!私、二話連続でこのゲームの世界観と彼の顔面に非常に翻弄されましてよ!!しかし危機一髪!すんでのところで正気を取り戻しましたの!!!危ない危ないですわ!!!!!
その日、白波鈴蘭はひとり図書館で立ち尽くしていた。
日直であった彼女は、教師に頼まれて授業で使う本を取りに来たのである。編入生である彼女に対し、教師は他のクラスメイトと一緒に行くといいと伝えたのだが、図書館は職員室のすぐそばにあるため、彼女は一人で図書館へと向かったのだ。
ところが、この図書館が規格外の大きさだった。彼女は自分の通う学園の規模を舐めていた。広さはさることながら、本の数が桁違いだ。館内は天井が高く、どうやって手に取るのか分からない高さまで本棚が続いている。本の波、本の森。ここに教科書でも隠されようなら、一生見つからないなと思った。決して卑屈な妄想ではなく、彼女にとって今一番身近な冊子体が教科書なのである。
白波鈴蘭には読書の習慣はない。転生前は乙女ゲームを題材にしたライトノベルや漫画を多少嗜んでいたが、この世界では雑誌しか読んでいなかった。
書名が書かれたメモだけを頼りに本棚の間を縫っていくが、図書館に行くこともない彼女には本の探し方が分からなかった。どこに何があるのかも分からず、何の順で本が並んでいるのかすら分からない。カウンターらしきところにも行ってみたが、生憎担当者は席を外していた。今は授業と授業の間の休み時間で、生徒はひとりも居ない。
(誰か連れてくれば良かった……)
素直に教師の言葉に従えば良かったと後悔する。編入生であり、また花山院牡丹のおかげで良くも悪くも目立つことになった鈴蘭は、声を掛けられることも多く、徐々に藤乃や菊花以外のクラスメイトとも会話を交わすようになっていた。
時間を見ると、次の授業がそろそろ始まるところだった。
「サボってしまおうかしら…」
次は4時間目、そしてお使いを頼まれた授業は昼休みを挟んだあとの5時間目だ。悪魔の囁きが鈴蘭を惑わす……どころか、その囁きが口から漏れてしまっている。
鈴蘭は今、本よりも居心地の良さそうな椅子を探すために歩いていた。
カーペットの床に足を取られ、つまづいたその時。
「誰か居るのですか?」
(あ、……)
その瞬間、鈴蘭は直感で分かった。
この声は、きっと次の攻略対象だ。
………
幸いにもまだ姿は見えていない、さっさと立ち去って4時間目に出席しよう。
ここは『Flower Notes』、花言葉で愛を伝えるというコンセプトの乙女ゲームの世界だ。そんな世界に転生してしまった以上、花言葉が嫌いなのであれば余計な行動はしない。花山院牡丹との昼食後に鈴蘭はそう決めていた。
「転生」であればその後の人生は割とどうにでもなる。どうやら自分は正ヒロイン枠のようだが、それも脱出することが出来るだろう。
前世の知識を総動員させた結果、鈴蘭はそう結論付けていた。
読書をしておいて本当に良かった。こちらの世界でも読書をしていこうと彼女は決意していた。
流れるようなターンで踵を返し、出口まで向かおうとしたその時。
「あ、本当に居たのですね」
目の前に青髪の男子生徒が現れた。
(……青髪の、眼鏡ですわ)
心の中で、鈴蘭は地に膝を突いた。絶対に攻略対象だ。
輝きが違う、違いすぎる。薄暗い図書館の中とは思えなかった。
「ご、ごきげんよう……」
彼女は精一杯の笑顔を浮かべたが、その口角は引き攣っていた。
(これは、避けられない運命なのですわ……)
彼女は花言葉と同様、「運命」を「さだめ」と読ませるルビも気に食わなかったが、今だけはそう読まずにはいられなかった。
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「もう4時間目が始まりますが、貴方はどうしてここに?」
理知的な青年が、静かに尋ねる。
「先生に頼まれて本を探しに来ていましたの。休み時間の間に探せると思っていたのですが、早計だったようですわ」
「早計」という語彙は当然鈴蘭の中にはない。この世界で彼女に適応されているお嬢様言葉フィルターによるものだ。
「そのようですね」
「ええ」
「……」
「……」
(それだけ…?)
そちらはどうしてここに居るのか、など聞きたいことはあったが鈴蘭は我慢した。
わざわざ声を掛けてきたということは、何かしらのアクションがあるのではないかと彼女は予想していたものの、何も起こらない。乙女ゲームに毒されすぎていたのかもしれない。しかし一度しかない初対面イベントが、こんなにあっさり終わることがあるだろうか。
そうは言っても、この状況は鈴蘭にとって都合が良い。彼女はすぐにこの場を立ち去ることにする。
「お邪魔しました、失礼いたします」
「お気を付けて」
本鈴が鳴る中で鈴蘭は図書館を後にし、廊下を走って帰った。
授業には当然のように遅刻した上、乱れた息を整えるだけで4時間目が終わってしまった。
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4時間目を終えて、昼休み。
「鈴蘭ちゃん、ご飯食べよ!お腹空いちゃったー」
藤乃と菊花が、鈴蘭の机まで弁当箱を持ってくる。
「食べましょう!あ、でも私、先に先生のお使いを済ませて来ようかしら…」
「お使い?」
「ええ、5時間目の授業で使う本を頼まれていたのですわ」
「じゃあ一緒に行こ!」
「良いのですか?」
「もちろん!」
「この学園の図書館は大きくて自力では本を探せないので、カウンターに頼んで本を探してもらうのですよ」
お腹が空いていると言ったばかりの藤乃が、当然のように頷く。
「ありがとうございます。さっきの休み時間に一度行ってみたのですが、全く見つかりませんでしたの」
「ふふ、そうですよね」
「図書館で用事済ませて、外でご飯食べる?」
「素敵ですわね!」
「ええ、そうしましょう」
鈴蘭、藤乃、菊花の三人は玄関から外に出て、図書館の方向を目指した。
図書館は、鈴蘭たちの教室がある一般校舎と特進クラス等がある特別校舎の間に位置し、両校舎から入れるだけでなく、外からもスリッパに履き替えて入れるようになっている。何でもあの大きな建物は、中等部と高等部の図書館を兼ねているのだそうだ。
休み時間に行った時は分からなかったが、図書館の一部の面はガラス張りになっているようだ。ガラスの扉を開け図書館に入ると、陽が良く差し込む広々とした閲覧スペースが目に入った。
先程の休み時間に、一般校舎側の入口から入った鈴蘭はこの場所を知らない。しかし、入口が違うだけで見知らぬスペースが広がっているなんて。改めてこの図書館の大きさが分かるようだった。
昼休みにもかかわらず、三人の他に生徒の姿は見えない。
「人が、少ないですのね」
「ええ。あまり大きい声では言えませんが、大きすぎて逆に不便なので」
大きな声で言えないとは言いながら、菊花があっさりと言う。
まさか彼女はここが図書館だからという理由で「声量」の話をしたのではないか、思わず鈴蘭は邪推した。
しかし言われてみれば、本が探せないというのは図書館としては致命的で、貴重な本でもなければ、ここの生徒は買った方が早いのかもしれない。
「図書館だからお喋りもしにくいし。だから来るとしてもテスト前とかかな」
「そうなのですね」
出てくる話がことごとく贅沢である。金銭感覚が前世のままの鈴蘭は、思わず絶妙な表情を浮かべる。
「カウンターは上だね。タイトルとかのメモある?」
「ええ、……ん⁉︎」
「どうしたの?」
「……メモが、ありませんの。確かにポケットに入れていたはずなのですけど」
「あら」
「すみませんですわ…」
「いえ、少しでもタイトルを覚えていたりしますか?」
「ほんの少ししか……」
鈴蘭は、申し訳なさに血の気がどんどん引いていく。
「まあ、一回カウンターに行ってみようよ。メモも拾ってくれてるかもしれないし」
「…そうですわね」
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「あれ、次の授業って高杉先生?」
「ええ」
カウンターに向かう途中、テーブルのそばで藤乃が立ち止まる。
「メモ、これじゃない?」
「そ、そうですわ!」
テーブルの上には、特徴的な丸字の書かれたメモと一冊の本。
まさに、メモを頼りに探していた本だった。
「これは、ミスミソウ…?」
そして白い小さな花が、メモの上に乗せられている。
「メモを拾った誰かが、本を探してくれたんだね」
「え?」
「きっと、この花は置き手紙やメモ書きの代わりなのでしょう」
「…花言葉って、このように気軽に使われるものですの?」
「この学園ではそうですね」
「そうなのですわね…」
「このミスミソウは、どういう意味なのかしら…」
「うーん……、拾ってくれた人に心当たりはある?」
初等部からこの学園に通っている藤乃は花言葉に詳しい。
「……い、いえ…」
「ふふ」
人が滅多に来ないという図書館で心当たりは一人しかいないが、彼が探してくれたのだろうか。
「じゃあ『内緒』かなぁ」
「……ぇ?」
「私もそう思います」
(内、緒………?)
何だろう、この乙女チックな響きは。
「鈴蘭、何か『内緒』なことがあったのですか?」
「………菊花ちゃん…」
菊花が愉快そうに微笑んだので、鈴蘭は「探りを入れてくれるな」と思いつつその笑顔の破壊力に屈服した。
一方で、何を勘違いしたのか藤乃は目を輝かせる。
「本当⁉︎鈴蘭ちゃん、何かあったの⁉︎」
「なんにもございませんわ!!!!!」
鈴蘭の小声の叫びが、図書館内に響き渡る。
それは、「ある」と言ってるようなものだ。発言した鈴蘭を含め、三人全員がそう思った。
(本当に何も無いのに、おかしいですわ!!!!!)
しかし、この雰囲気の中では何を言っても無駄そうで、鈴蘭は弁解を諦めた。
『内緒』なら言わなければいい。
『内緒』という花言葉があるせいで、たったの花1本で、何でもない出来事が『内緒』に塗り替えられ、意味深に色めき立つ。
この世界のエラーではないだろうか。
(良くできたシステムですこと!!!!!)
白波鈴蘭は、やっぱり花言葉が気に食わなかった。
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「青色の髪で、眼鏡をかけておりましたわ」
「それって!!冷泉君だよ!」
「冷泉君?」
「冷泉桔梗君ですね。彼もまた特進クラスの生徒です」
「…へぇ」
目当ての本を見つけ、鈴蘭たちは庭園の中のベンチで昼食を摂りつつ談笑していた。今は、4時間目の前に図書館で起こったことを鈴蘭が説明していたところである。
サンドイッチを頬張りつつ、藤乃が続ける。
「花山院君と同様、特進クラスの中でも特に成績優秀なんだよ。だからもちろん学園の有名人なんだけど、人見知りみたいで…普段あまり見ることはないよね?」
「ええ、私たちは学校行事の時に見かけるぐらいですね」
「すごくレアなことだよね」
「入学式で花山院君に会うのといい、鈴蘭ちゃんすごく運が良いんだね」
「そ、そうですわね……」
運だったらどれほど良かったか。
「やっぱり、冷泉君が本を探してくれたのかなぁ?」
「ふふ、私たちには分かりませんね」
運って肩代わり出来るんだっけ。
売ったらいくらぐらいになるんだろうか。
美男子たちと出会い、恋愛に発展するかもしれない「運」……
ここは名家の子女が通う学校、資金源……
前世の食生活では到底考えられない、デザートに付けられた高級マスカットを味わいながら、鈴蘭はこの学園における運ビジネスの可能性について考えていた。
「そういえば、このように花を頂いた場合、お返しはしたほうが良いのでしょうか?」
「お返しする人の方が多いね。『ありがとう』とか『感謝』とかのお花は返しやすいし」
「そうですね、今回は本を探してくれたお礼も込めてお返しすると良いのではないでしょうか。ありがたいことですが、お返しが物では少し大袈裟ですしね」
「確かに、そうですわね」
「しかし、どなたが探してくれたのか分からないのですが…」
「あのテーブルに花を置いておくだけでも、ここの生徒や職員には伝わると思いますよ」
「それは、正直重宝しますわね…」
「でしょー?花言葉って意外と便利なんだよね」
今のような肩肘張る必要のないお礼の場合、花言葉というのは便利なツールとして活躍するようだ。悔しいが、正直認めざるを得ない。少し癪だが。少し癪だが。
「では、放課後にまた図書館へ行ってみますわ。お二人も…」
これ以上ルートを進めないためにも、何としてでも二人を連れていきたい。期待を込めた目で二人の顔を見る。
「いえ、探してくれた方は『内緒』だそうなので。私たちは遠慮します」
「ふふ、そうだね〜」
(そ、そんな……)
こうして、鈴蘭は再び一人で図書館に行くことになった。