牡丹〜王子様は困らせたい〜
【前回のあらすじ】
花山院牡丹から渡された花はまさかのご挨拶!?私、このゲームの世界観と彼の顔面に非常に翻弄されましてよ!この上なく恥ずかしいですわ!!!私はこの世界で友情に生きるのですわ〜!!!!
白波鈴蘭は焦っていた。
初登校から二週間ほどたった日。その日は、友人の黒川藤乃も秦菊花も用事があり、欠席していた。そんな心細い日の昼休み開始直後、教室に花山院牡丹が訪ねてきたのである。
「白波さん、呼んでくれる?」
「白波さーん!花山院君が呼んでるー!!」
咄嗟に教科書を立てて隠れようとしたが、その前に彼と目が合ってしまった。
「……、分かりましたわ」
まだ馴染みの浅いクラスの中、視線を一身に浴びる。鈴蘭は視線の意味は考えないようにして、いそいそと教室を出た。
廊下に出たところで、周囲の視線が突き刺さるのは変わらない。隣のクラスの人たちもこちらを覗いている分、むしろ廊下の方が居心地が悪かった。
「こんにちは」
「こんにちは、…何か用事がございまして?」
「ああ」
「良かったら、お昼一緒に食べない?」
ざわ……
「……」
周りのどよめきが収まるまでの約5秒、鈴蘭は猛ダッシュで教室から自分のお弁当を取り、牡丹の手を掴んでその場から逃走した。
スパコン並みの判断速度だった。
周囲は白昼夢だと思うに違いない、そう信じて走っていた。
この状況を一番夢だと思いたかったのは鈴蘭自身だったが、左手で掴んでいる彼の指先に力が入るたび、どうしようもないリアリティを突き付けられた。
花山院牡丹は驚いていた。
牡丹は今、手を引かれて廊下を走っている。
彼は昼休みが始まってすぐ一般校舎に向かい、白波鈴蘭を昼食に誘っていた。従姉妹の秦菊花から、今日は自分も友人も学校を欠席するために、編入生である彼女が一人きりになってしまうかもしれないと連絡を受けていたからだ。
お昼に誘うや否や、彼女は光の速さで弁当を取りに教室に戻り、僕の手を取って走り出した。てっきり断られると思っていたので牡丹は驚いた。
何も言わず、ただ黙って駆け抜け、自分達に注目している人波を置き去りにしていく。走りにくいのに何故か清々しくて、不思議な感覚だった。
人気のないあたりまで走り、鈴蘭はやっと牡丹の方を振り返った。
「……、勝手に走って申し訳ありませんですわ」
「一緒に食べてくれるの?」
「……これ以上騒ぎにしたくありませんから」
「ふふ、嬉しい」
「致し方ないというだけですわ…」
「どうして、私にお声を?」
「今日は、黒川さんも…秦さんも休みなんでしょ?二人で話すチャンスかと思って」
「……何故ご存知なのでしょうか?」
「あまり知られてはないけど、僕と菊花はいとこだから。教えてもらっちゃった」
「そ、そうですか」
「そんなに驚いてないね」
遺伝子が強い、強すぎる。目の前の美男子の顔を見ながら、鈴蘭は今では友人となった美少女の顔を思い浮かべた。
「……納得ですわ」
「え、何が?」
「何でもございません」
「どこで食べようか」
鈴蘭がただひたすらに走ってきた場所は、化学室の前だった。流石に有名グループの御曹司で学園の王子様を、化学室で食事させる訳にはいかない。
「…すみません、周りも見ずに走ってきてしまいましたわ」
「大丈夫だよ。このまま階段を降りて裏の庭園の方に行こうか」
「本当ですか⁉︎」
「うん、この校舎の裏玄関から出ればすぐだよ。上履きだからテラスまでしか行けないけど…」
裏の庭園、藤乃や菊花に聞いていたが鈴蘭はまだ行ったことがなかった。何せ外から周っていくと少し遠いのだ。
「花、好き?」
「庭園に行こう」と言ってから、鈴蘭の顔が明らかに輝いている。聞くまでもないと思ったが、まだこちらを警戒している様子の彼女が急に無防備な表情を見せるので、それは惜しい気がしたのだ。
鈴蘭が警戒しているのは恐らく自分のせいだと自覚しており、だからこそ時間をかけて親しくなりたかった。鈴蘭と親しくしたい動機は彼の気質によるものが大きかったが、とにかく牡丹はそう思っていたのだ。
「…え、ええ。そうですわね」
「うん、良かった」
慌てて表情を引き締める彼女が、とても微笑ましかった。
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テラスに着いて、鈴蘭は驚愕した。
「こんな素敵なところ!……なのに全然人が居ませんのね」
「うん、いつもは結構人居るんだけど」
それは、きっと乙女ゲームパワーによるものだ。つい先日、高校生活を静かに過ごすと誓ったばかりなのに、どう見ても巻き込まれている。
(今回は避けようがなかった!!事故事故!!!)
鈴蘭は心の中で必死に言い訳した。
薔薇をベースにした表の庭園とは異なり、裏庭は様々な種類の花が咲いていた。二人は日陰の席に座ったが、その近くのフェンス沿いには赤い牡丹の花が咲いており、鈴蘭はひとり気恥ずかしくなる。
「いただきます」
「…いただきます」
走ってきたため、鈴蘭の弁当の中身は少し寄っていた。作ってくれたメイドの樺沢に申し訳なくなる。
「いつもお弁当?」
「ええ。菊花ちゃん達が大抵お弁当を持ってきてらっしゃるので、私も…」
「あなたは?」
「僕はいつも食堂で食べてるけど、今日はお弁当を用意して貰ったんだ」
「…それは失礼しました」
「え?何で?」
「せっかくのお弁当なのに走ってしまいましたわ…」
「大丈夫だよ」
「ですが…」
「走ったお陰でこうして二人きりで話せてるから、それで十分」
「……」
牡丹が微笑み、それを真正面から浴びた鈴蘭が玉子焼きを箸から落とす。それを見て牡丹は更に嬉しそうに笑ったが、鈴蘭は目を瞑って心頭滅却しており、その笑顔を見ることはなかった。
「あの」
心頭滅却の結果、今後の穏やかなスクールライフのためにも、鈴蘭はこの機に伝えたいことは伝えておくことにした。
「何?」
「いきなり現れるのはやめて頂きたいですわ…。あなたのせいではないと分かっておりますが、その…」
「距離を取ってほしいのですわ!!!」と本当は言ってしまいたかったが、それはあまりに図々しい。5本の薔薇について盛大な勘違いをしていただけに、そんなことを言えるはずもなかった。
「うん、分かった。善処する」
「……『善処』」(ではなくてですね……)
鈴蘭は、前世の経験から美男子の言う「善処」が信用ならないことを悟っていた。
「今度からはこっそり会おうか」
「っ……」
(ほら!!!だから言ったのですわ!!!!!)
「ふふ」
自分が何かを言うたびにころころと変わる鈴蘭の表情を、牡丹は楽しく眺めていた。本当はこの話の流れで連絡先を聞こうかと思ったのだが、こっちの方が面白そうだというちょっとした出来心が働いたのだ。
鈴蘭は顔を赤らめ、口をぱくぱくさせている。
……………
もう少しだけ、困らせたくなってしまった。これは彼には本当に珍しい悪戯心だった。
「あのさ」
「…何でしょう?」
「花を貰うの、苦手だったりする?」
「……」
鈴蘭は、入学式の出来事を思い出して冷や汗をかいた。あの件は水に流されるはずもないとは思っていたが、藤乃や菊花から彼は紳士的な人物だと聞かされていたため、どうにか不問に付されないかと願っていたのである。
「あ、あの時は本当に申し訳ありませんでした……」
「いえ、気にしてないよ」
「……」
(う、嘘ですわ…!)
しかし「嘘だ」なんて言えるはずもなく、黙って牡丹を見つめた。
「ふふ、その通り。嘘、本当は少し気にしてる」
「それは……」
「後で薔薇を渡しに行った時も固まってたし」
「……うぅ」
「だから、白波さんがお返しで花をくれたら嬉しいな」
「お返し?」
「うん」
「白波さんは、僕と『出会えて嬉しい』って少しでも思わなかった?」
「…ぃ、や」
「ふふ、ごめん。これは言い過ぎた」
牡丹が少し照れたような表情を浮かべるが、その笑みが見事に鈴蘭の心を撃ち抜く。このスチル、後でもう一回見れないだろうかと、薄れゆく意識の中で彼女は思った。
「わ、私は花言葉をほとんど知りませんの…」
「良いよ。何でも嬉しい」
「……」
「5本の薔薇でも嬉しいけど」
「っ…」
(………、降参ですわ!!!!!!)
全く友好的ではない笑顔を向けられ、鈴蘭は心の中で叫んだ。
5本の薔薇の花言葉: 『あなたに出会えて良かった』は、鈴蘭も当然知っている。なぜなら牡丹がくれたから。それが分かっていて、こんな顔をしているのだ。あの花も、挨拶ではない特別な意味で渡されたのではないかと錯覚しそうになる。
そうだった、ついつい忘れかけてしまうがここは乙女ゲームの世界だ。花山院牡丹は紛れもなく攻略対象だから、当然狡いのだ。会話だけでも数多のプレイヤーを惹き込むだけの、狡さがあるのだ。さすが最初に出会った攻略対象だ。その引力を侮ってはいけなかった。
鈴蘭は席を立ってフェンスまで行き、折れてしまっていた牡丹の花を一輪手折ってくる。
「今日はお誘いいただきありがとうございましたですわ!私はここで失礼致しますのですわよ!!」
「う、うん」
牡丹の花を牡丹に押し付け、バグを起こした語尾も気にせずに、急ぎ足でテラスを後にした。
(はー!危ない危ないですわ!!!)
ひとり残された牡丹は、手元にある大輪の花を眺めていた。
牡丹の花言葉は「恥じらい」。薄桃色の薄い花弁は、彼女の紅潮した頬とよく似ていた。