邂逅〜お嬢様は走れない〜
【前回のあらすじ】
乙女ゲーム好きの私は退勤中に階段を転げ落ち、目が覚めれば見知らぬ部屋。私はお嬢様言葉しか発せない身体にされていましたわ。これってもしかして「転生」ですの!?「転生」+「お嬢様言葉」=「悪役令嬢」の筈ですが、どうやら私は「正ヒロイン」のようです。どういうことでしてよ〜!?!?
転生してからたったの五日で、私はこの世界での「記憶」を取り戻した。
私の名前は白波鈴蘭。旧家である白波家の一人娘で、この春からは花園学園高等部へと進学する。内部進学ではなく転入とのことで、たいへん緊張した私は、高熱を出して倒れてしまったのだ。そして、そのタイミングで私が転生してきた。
きっと高校に入学してゲームがスタートするのだろう。全ての状況が学園系のゲームとしておあつらえ向きだった。
白波鈴蘭は両親からたくさんの愛情を受けて育ってきたようで、幼少期から今までの記憶はどれも愛に溢れたものだった。前世の私が大人だからそう思うのだろうか。
記憶を取り戻したての頃は、私が転生する前までこの世界で生きてきた彼女に申し訳なくなったのだが、しばらく経てばその罪悪感も薄れていった。というのも、最初のうちは困惑していた私だが、全ての記憶が戻ったことで、私は白波鈴蘭という人物と一体化し始めていたのである。前世の私は残りつつ、自分が白波鈴蘭であるという自覚は一丁前に持っていた。残る違和感はコテコテのお嬢様言葉だけだ。この口調とはまったくもって相容れない。
本当にこのまま高校に入学するのだろうか。しかも外部進学。白波鈴蘭という人物に愛着が生まれてきただけに、心配になってしまう。
また、高校入学に当たってもう一つ懸念がある。
この世界観が、私が知っているどの乙女ゲームにも心当たりがないことだ。ヒロインの名前も、学校の名前も、どうも思い当たらない。私は前世で相当数の乙女ゲームをプレイしてきたが、少なくとも既プレイのものではない。制服も見てみたが、淡い桜色のセーラー服など見覚えがなかった。ちなみに私はセーラー服・学ラン派なので小躍りした。学ランを拝めるなんて。
こうなると、実際に入学して攻略対象を見るしかない。
当然だが、私のデータベースの大半は攻略対象についてだった。そのために乙女ゲームをしているのだからしょうがない。
そういう訳で、対策の立てようもなかったので、私は入学を心待ちにしていた。弁明しておくが、早く学ランが見たいというだけではない。白波鈴蘭ちゃんの輝く高校生生活が始まるのだ、楽しみにしない訳がないだろう。
そうして、入学までのワクワクドキドキ、いつもの休み期間よりも長く感じる春休みの中で、私は「学ランは絶対に黒であってくれ、突飛さを狙わず定番の黒で行け」と毎晩星に願っていた。セーラー服が薄ピンクなだけに、通常の3倍力を込めて願った。薄ピンクの学ランなど言語道断、問答無用。一刀両断。
四月を迎える頃には、現金な私は自分が正ヒロインかどうかなんてどうでも良くなっていた。
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こうして迎えた入学式当日、私は両親と離れ先に会場に向かっていた。私が入学した花園学園は名家の子女が通う名門中の名門、中等部と高等部が同じ敷地内にあるためか、とてつもなく広く、そして校舎は前世で通っていた会社の工場よりも大きかった。
会場を探して歩くも、「花園学園」の名のとおり大層贅沢な庭園が続くばかりで、一向に見つからない。時間ギリギリに来た訳でもないのに、生徒が一人も見当たらないなんて、なんというベタな始まりだろうか。
ベタと言いつつ、多少腹が立ってくるぐらいに会場が見つからなかった。歩いても歩いても薔薇。
いっそ庭園の中に迷い込んでしまおうか。きっと攻略対象の1人は庭園の中で寝ているだろう。でも、そういうキャラに場所を聞いても、ロクな答えが返ってこないことは分かりきっていた。
正直、大人の私であったらこの豪華な庭園見たさに入学式の出席を諦めていたが、今の私は女子高生の健全な身体と精神、そして白波家という特大の家名を背負っている。学園生活を謳歌させるためにも、真面目な生徒であるためにも、欠席するわけにはいかないのだ。見事な薔薇たちがどんなに私を呼んでいてもだ。
地図は両親に預けてしまったため、時計を気にしながら当てもなく歩いていると、後ろから声をかけられた。
「君、迷子?」
振り返るとそこに居たのは、
見上げるほどの高身長、すらっと伸びた長い脚。
品の良い落ち着いた、されど間違いなく赤色の艶髪。
絵に描いたような正統派美男子。
聞いたことのないOPテーマが脳内で流れ始める。
「そ、そうですの…」
異議申し立てたいのは、制服がブレザーなことだけだった。
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「入学式の会場が分からなくて…」
「会館だけど、どうしてこっちに?」
「その、『花園会館』の場所が分かりませんのよ…」
「もしかして、外部入学生?」
「ええ」
「そうだったんだ。どおりで、見たことないと思った」
そう言って彼は腕時計で時間を確認した。
「僕と一緒に行きませんか?」
「良いのですか?」
「もちろん。僕も入学生だから」
「ありがとうございます」
「手、握っていい?」
「手⁉︎どうしてですの?」
聞いておきながら、私が「良い」と言う前に手が取られる。
「走らないと間に合わない」
「え」
「庭園を突っ切って行くから、怪我しないようにね」
太陽のような微笑み。彼は私の手を引いて走り出した。私も足を動かさざるを得ない。
「まっ、」
(待ってくださいなのですわよ!!!!)
温室育ちの肺と気管では何も喋ることが出来なかった。
彼に手を引かれ、薔薇の咲き誇る庭園に足を踏み入れる。赤、ピンク、黄色、白、美しい花々の間を縫って駆け抜ける。乙女ゲームとはこんなにロマンチックなものだったか。走っているせいだけではない、あまりに夢のような景色に心臓が高鳴っていた。
私は自分が正ヒロインなのかもしれないということを思い出した。
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「はぁ、はぁ……」
「大丈夫?」
どこをどう走ったのか分からない。気付けばそれらしき建物の前に立っていた。…倒れそうだったがギリギリ立っていた。走るのをやめた途端に肺の上の方が痛い。リアリティのある痛みだった。
「え、ええ…、大丈夫ですわ……」
「ふふ、急ぎすぎたかな。まだもう少しだけ時間あるから、そこのベンチで息整えてから入ろうか」
「…ありがとうございます、そう致しますわ」
ベンチへと連れていってもらい、私だけが座った。目の前に立っている彼は息が乱れている気配すらない。
「あの、」
「どうした?」
「手を…いつまで握ってらっしゃるのですか?」
「ああ、ごめん」
ずっと握られていた手が離される。
「あ、いえ、怒って言った訳ではなくてでしてね」
「うん、分かってるよ」
微笑みが眩しい。
「髪、乱れてる。直して良い?」
「……ぇ」
「駄目?」
「……お願いしますわ」
私は防戦するしかなかった。
眩しい微笑みを浮かべながら、彼は離したばかりの手で私の髪に触れ、乱れた髪を直す。少し近づいた顔面の破壊力の高さに、思わず目を細めた。
初速が速い、速すぎる。大人の私はどこかへ行き、高校生の私が只々ときめいていた。
「ふふ、」
笑ったかと思えば、急に彼の手が止まる。
「え?」
「渋い顔してる」
「嫌だったら嫌だって言うんだよ?」
「いえ、嫌だった訳ではなくてでしてね、……」
(……あれ?)
言葉にしてから分かった。
「じゃあ、どうして?」
「っ、…」
確信犯の3文字しか頭になかった。全てを理解っている顔と声をしている。
「ん?」
…………
……………、
「お、お教えできませんわ…」
惨敗。惨敗である。
星の数ほどのゲーム、塵の数ほどのルートを攻略してきた私が、こんなに一瞬で籠絡されるなんて。現実とは恐ろしいものだ、美男子とは恐ろしいものだ。
「ふふふ、———」
彼が何かを言ったが、聞こえない。
「……え?」
「もう時間だ。残念だけど」
「ええ、そうですわね…。ご親切にありがとうございました」
「ううん」
まるでシンデレラのようだ。私が、というより彼が王子様然としすぎている。
「僕は花山院牡丹です。君の名前聞いてもいい?」
「白波鈴蘭です」
「白波さん」
「ええ」
「ふふ、分かった。これから困ったらいつでも声掛けて」
「それは…、助かりますわ」
全ての振る舞いが紳士的で堂々としていて、たまに強引。赤色が与えられたのも納得の王道さである。
「最後に、これ貰ってくれない?」
「え?」
そう言って渡されたのは、5本のミニバラ。
「本当は普通の薔薇が良かったんだけど、それはまた今度ね」
「…ありがとうございます。これは?」
「『あなたに出会えて良かった』」
嫌な予感がした。
「……もしかして、花言葉ですの?」
「ああ」
『私は花言葉が嫌いだ、何か気に食わないから。』
先程までの夢見心地はどこへやら、魔法が解けたシンデレラは城の階段を転げ落ちていく。前世の転落死が走馬灯のように蘇った。
そして分かった。
ここは、『Flower Notes』の世界だ。花言葉をテーマにし、花を送りあうというコミュニケーション方法をとる乙女ゲームとして有名だった。故に私は情報を遮断していたが、そう言われれば花山院牡丹のビジュアルに見覚えがある。思い至らなかったのは一生の不覚だ。
でもまさか、この私が花言葉で気持ちを伝える世界に転生するなんて。
…………
………………
「す、すみませんっ!先に失礼しますですわ!!」
「えっ?」
一度受け取った薔薇を突き返して、建物の中へ入る。酷い態度だと思いながらもとにかく逃げた。
逃げ足の速さだけはシンデレラ以上だった。