助走〜縦ロールは揺れない〜
逆転悪役令嬢に仕立て上げたい女が聖人すぎるので、正ヒロインの私は『花言葉が気に食わない』という最弱カード1枚で負けを突き進みますわよ!!
私は花言葉が嫌いだ、何か気に食わないから。
花は語れない。
そんな花から、私たちはその美しさだけを享受している。都合の良い妄想を押し付けて、その表層だけをひどく美味しそうに啜る。さながら『死人に口なし』のようで、グロテスクでしかなかった。
人間は語れるくせにどうして花に言葉を託すのか。喋れるのなら自分の口で言え。花の美しさは、それだけで讃えられるべきだ。
………
なんて言ってみるが、本当にただ気に食わないだけだ。
そもそも、乙女ゲームを嗜むオタクの私が他人の妄想に文句を言える訳がない。
(『オタクに口なし』……)
私はオタクを隠して生きてきた。知ってるのは親友と弟の二人だけだ。
花言葉が嫌い。異論は認めたくないが、しかしこの生理的な嫌悪感を言葉で説明できないところも非常に気に食わない。
『大事なことは自分の口で言え』、以上だ。
その日、私は仕事を終えた後、花屋に寄って自宅に迎える花を選んでいた。ひと月以上続いた激務に終わりの兆しがようやく見え、花を愛でる心の余裕が生まれたのだ。
春が終わって初夏に突入したのが、花のラインナップで分かる。今年の春はほとんど花を買うことが出来なかった。新たな季節の訪れに心躍ると同時に、早すぎる春の終わりを残念に思った。
まだギリギリ残っているチューリップにするか、入りたての芍薬にするか……。
苦渋の選択を迫られた末に私はチューリップを選び、足取り軽やかに帰宅したのちに、日課の乙女ゲームに勤しんでいた……はずだった。
私は、帰り道にある石の階段で足を滑らせ、転落した。
血が流れているのが温度と感触で分かる。初夏の夜風よりも、血の方が温かくて不思議と安心した。…私から溢れ出ているのだから当然か。
家に溢れている、大量のソフトはどうしよう。弟に処分を頼むしかない……。
そんな情けないことを考えながら、意識は遠のき、私は呆気なくこの世を去った。
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「え、ここ、……どこですの?」
見知らぬベッドの上で目が覚める。しかし、その一瞬でこれが夢だと分かった。
天井には天蓋が広がり、枕は経験したことのない柔らかさである。視覚でも触覚でも高級感に包まれ、自分の夢の中なのに全く落ち着かなかった。貧乏性は夢の中でも貧乏性なのか。
恥を捨てて正直に言うのなら、枕が柔らかすぎて寝にくい。
身体を起こしてもベッドは全くといって軋まず、天蓋の外に広がる光景に、私は開いた口が塞がらない。とてつもなくラグジュアリーな空間がそこにはあった。ひと部屋のくせに、私の部屋よりも、……こんなこと考えたくもないが私の実家よりも広いのではないだろうか。
私の実家はマンションだから、
私の実家はマンションだから。
そこで、ふと自分のことを思い出した。どうして必死に実家の擁護をしているのだろうか。
「私、死んでしまったのではなかったかしら?」
………
「エ!?」
慌てて口を塞ぐが、この部屋はそんな器ではないらしい。何よりも広い部屋に、何事もなかったかのように私の大声は吸われていく。
どうして私はこんな話し方なのかしら?
上は完全にふざけているが、私が話そうと思った言葉が勝手にお嬢様言葉に変換される。私の一人称は、私であって私ではない。
………
(とんでもなく広い部屋ですね)
「このお部屋、とっても広いですわね」
(天蓋なんて、初めて見ました)
「こんな素敵な天蓋、羨ましいですわ」
(枕が柔らかすぎて寝にくいです)
「私の頭は重かったようで…。夢を見ながら、枕が可哀想だと心配しておりましたの」
特殊な夢すぎる。こんなお嬢様ボキャブラリーは私の引き出しにあるはずもない。そして、ネガティブな言葉はポジティブなものへと勝手に変えられている。
感触の残る夢、脳のキャパシティを超えた想像、つまりは現実。
まさか、
「…ここは、夢では無いのかしら?」
夢では無くて、限りなく夢に近い現象。オタクの私にはひとつしか思い浮かばなかった。このど真ん中のお嬢様言葉は、微妙に鼻に付く言い換えは。
「……私、転生してしまったのわよねかしら…?」
出した結論があまりに突飛で、お嬢様語尾がバグを起こした。そんなことあるんだ。呑気にも笑えてくる。
「ふふふ、私、どのゲームに転生したのかしらね。知ってるゲームだったら嬉しいですわ…」
ここ数年の乙女ゲームであれば、少なくともコンセプトやビジュアルに関してはほとんど知っているが、謙遜はお嬢様のアクセサリーだ。控えめに言ったのは、決して私が隠れ(ているくせに結構な)オタクだからではない。
私が転生したのは、きっと悪役令嬢だろう。明らかにそうだ。
しかし、私の両サイドで縦ロールが揺れていないのが気になった。縦ロールお嬢様でも、毎朝髪を巻いているのだろうか。天性の縦ロールじゃなかったのだろうか。
そんな筈はない。縦ロールお嬢様は、幼女の時から縦ロールなのだ。ファンアートやキャラクター原案神がSNSに上げる非公式イラストにおいて、幼少期の悪役令嬢は等身に見合わない大きな縦ロールで描かれていなければならないのだ。これは世界を巻き込む大問題だ、縦ロールだけに。
もしかしたら、美容室に行きたてで縦ロールを梳いてしまったのかもしれない。そうに違いない。
夢を壊されたくなくて、はやる気持ちでベッドを飛び降り、遠くに見えていた鏡に駆け寄る。
そして、鏡の前に立って驚愕した。
「ま、まるで正ヒロインの見た目ですわー!!!!!」
頬に手を当てると、雪のように冷たい。
絹のように美しい白髪のボブヘアー、綺麗に整った薄い唇、長いまつげに、惹き込まれるほど深い緑の瞳。
線が薄く主張は控えめだが、確かに美少女。気付いた人にだけ分かるような美少女に見せかけて、実は誰にでも分かる美少女。
どう見ても悪役令嬢ではない、正ヒロインだ。こんな容姿をしていて悪役に抜擢される訳がない、迫力が無さすぎる。しかし、モブキャラとも考えにくかった。
騒いでいると、ドアが3回ノックされる。
「鈴蘭お嬢様、物音がしたのですが目を覚まされましたか?」
「え、ええ、起きました」
「入ってもよろしいですか?」
「良いわよ」
お嬢様の勢いで入室を許可したが、どうすれば良いだろうか。この世界のことも、私のことすら知らない。
声から想像した通りの老執事が部屋に入ってくる。
「お嬢様?鏡の前でどうされました?」
こういう時の方法は一つしかない。
「……あなた、誰かしら?」
「お、お嬢様?何を…」
「ごめんなさいね。でも、私のことも思い出せないの」
転生したら、記憶喪失しかない。
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「ご自分のお名前は?」
「覚えてないわ」
「お名前以外でも、ご自身のことについて知っていることは?」
「さっき、鏡を見ましたから。外見だけは知っています」
ベッドの周りに立っている、おそらく両親や使用人の顔が引き攣った。
「ご両親は?」
「いえ、……ごめんなさい」
両親だと思った二人が首を振る。
その後いくつかの質問が投げられたが、私は全て知らなかった。医師と両親が一度退室し、再び部屋に戻ってきて告げられたのは想定通りの病名だった。
「熱で寝込んでいたとのことで、一過性の記憶障害でしょう。数日程度で戻ると思われます」
きっと、本当に戻るのだろう。そういうお決まりだ。いっさいの質問に「いいえ」と答えたにもかかわらず、この大金持ちそうな家の者に対して「数日で戻る」などと断言できる。ご都合の風が清々しく吹いていた。思わず菩薩のような表情になる。
「す、鈴蘭どうした。外が眩しいのか!?」
父の声に、執事がすかさず窓辺に歩いていく。
「い、いえ。大丈夫ですわ。カーテンも、閉めなくて結構です」
「そうか。何かあればすぐ言えよ?」
「分かりましたわ」
母が私の手を取って言う。
「突然のことで混乱したでしょう。あなたの名前は白波鈴蘭です。私はあなたの母親で、」
「私が父親だ」
「お父様、お母様…」
「ええ。お医者様によると数日で戻るそうですが、ゆっくり思い出していけばいいわ。今日はゆっくりお休みなさい」
「はい。分かりました」
「一人の方が落ち着けるかしら?」
「はい、お願いします」
「分かりました、困ったことがあったらいつでも呼んでね」
「ええ」
「何も心配することはないわ。いつだって、あなたは私たちの愛しい娘よ」
両親と執事とメイドは部屋を出て行った。
母の手の温もりが、いきなりの転生で困惑していた心に沁みていく。
………
でも、それより、
「『白波鈴蘭』って、名前まで正ヒロインでしたわ!!!もうこれ確定ですわ!!!!!」
お嬢様言葉は、人を叫ばせる。この語尾で叫ぶと、最高に楽しい。
「お嬢様!どうされました!?」
足音が聞こえ、メイドが部屋に入ってくる。
「あ、あの…、窓の外に蜂が飛んでいたの。怖くて……」
「そうでしたか」
「ええ、叫んでしまってごめんなさいですわ…」
こうして私はこの部屋でぬくぬくとお嬢様生活を送り、医者の想定通り五日で記憶を戻した。