4. 運動会
空は雲ひとつない秋晴れだった。
夏の暑さも落ち着いた過ごしやすい中、校庭で子供たちが走っている。
小学校の運動会だった。
なんだかうずうずする。おしりがむずがゆい感じ。生徒として校庭で走り回ったことはあったけれど、自分が保護者席にいることが落ち着かない。
グラウンドの観覧席には色とりどりのシートが広げられ、保護者達が身を乗り出しながら我が子に声援を送っていた。
足の早い子もいれば、遅れてゴールする子もいる。みんながうれしそうにわが子の活躍を喜んでいた。
わたしはというと、ビデオカメラを回して校庭をレンズに収めていた。コースの外側で待機しているサヤちゃんがこちらに気がつき、軽く手を振ってきた。
「差せー! そこだぁ! いいぞ、もっと腕を振れ!」
隣でシートを広げているおじさんが少々過激な声で声援を送っている。
わたしも「がんばれー」と声をだすが、おじさんの声には勝てそうもない。トップでゴールした男の子が自慢げな笑顔を見せると、おじさんも両手をあげてガッツポーズを返していた。
最後にゴールを切ったサヤちゃんは肩で息をしながらすこし恥ずかしそうにしていた。
太陽が高く昇り始めた頃、放送でお昼の時間が告げられた。子供達はそれぞれの親が座るシートに向かっていく。
体操着のサヤちゃんも他の人のシートを踏まないように、つま先で間を縫ってこちらにたどりつく。
「お姉さん、お待たせ」
「おつかれ、サヤちゃん。よくがんばったね」
「う~ん。一等ぜんぜんとれなかったよ~」
汗をかいたサヤちゃんにお茶のペットボトルを渡す。彼女が乾いた喉を潤しているうちに、弁当を広げていく。
「お姉さんありがとう。でも、来てくれたのはうれしいけれど、お姉さんは今日お休みだったんだよね?」
「いいのいいの、どうせ暇だし。それにしても、サヤちゃんにあいつの風邪がうつらなくてよかったよ」
シュウヤは今日の運動会をサヤちゃん以上に楽しみにしていた。
風邪で高校を休んでいたことを知ってはいたが、昨日の晩に『オレの代わりにいってきてくれ』とスマホにメッセージが送られてきた。
当日の朝、マスクに厚着姿のあいつからビデオカメラと弁当を渡され、必死に頼み込まれた。
「じゃあ、食べよっか」
二段重ねの重箱の上段には、アスパラのベーコンまきやたこさんウインナー、唐揚げが並んでいた。続いて下段には黒い海苔にまかれた三角のおにぎりがきっちりと詰められている。
「こんなにたくさんつくっちゃって……」
よくもまぁ、風邪をひきながらこれだけのものが作れたと感心する。毎年、運動会の弁当はシュウヤが作っているらしい。
「お兄ちゃんには大丈夫だっていったのにな。わたしがゴホゴホしてたら学校は休みなさいっていうのに」
心配なのと無理をさせたと思っているのか暗い顔をする。さっさとあの妹バカから話題をそらそう。
「それにしても、なつかしいなぁ」
「お姉さんもこの学校に来てたんだよね?」
「そうだよ、何年ぶりかな。ほんとに」
もぐもぐとほおばるサヤちゃんを見ながら、自分が小学生だったころを思い出す。
*
その年の運動会は母も父も都合がつかなかった。
すまなそうな顔をする母が弁当を差し出すが、「いらない」とむくれて家を出ていった。
馬鹿なことをしたと思い知るのはすぐだった。昼休憩の時間、おなかの腹の虫の音が収まらなくなっていた。
もう水でもがぶ飲みしていようかと思ったときだった。
「そんなに水のんだら、飯食えなくなるだろ。ほら、こいよ」
シュウヤだった。さっさと歩き出す背中を追うのをためらう。わたしはシュウヤと絶交していたはずだったから。
あの頃、シュウヤを遊びに誘ってもすべて断られていた。理由の中には『妹』という言葉が必ずあった。
彼の家に新しい家族ができたことは知っていたけれど、わたしたちの関係に変化はないと思っていた。だけど、彼の興味はすべて小さな妹に向けられていた。
それがおもしろくなくて口を利かなくなったし、無視をした。
「なにやってんだよ。腹減ってんだから、早くこいよ」
戸惑うままシュウヤに手を引っ張られていく。連れていかれた先にはシュウヤの親が待っていた。そのすぐ横には小さな赤ちゃんが寝そべっている。
まわりは自分の両親と一緒にいる同級生ばかりだった。わたしだけが違っている。なんだか自分が邪魔者のような気がした。
気まずくなり立っていると、シュウヤは『座れよ』と当たり前のようにいってきた。
「……お邪魔します」
腰をおろしてみたけれど、居心地が悪かった。
シュウヤのお母さんはにこにこと笑いながら、水筒からお茶をついだ紙コップを渡してくれた。『ありがとうございます』と小声で返しながら、目の前で弁当が広げられていく。アスパラのベーコンまきやたこさんウインナー、唐揚げ……どれもおいしそうだった。
「好きなのをとっていいからね。それとこれはあなたのお母さんからよ」
渡されたのは朝に突き返したはずの弁当箱だった。
うちの母から渡すように頼まれたものらしい。こんな形で受け取ったことが恥ずかしくなった。
「おまえん家のうまそうだな。交換しようぜ」
黙ったまま弁当を空けると、こちらの返事も聞かずに玉子焼きが持っていかれた。代わりにプチトマトが置かれる。トマトがシュウヤの苦手なものだと知っていたので文句をいいながら、あいつの好物の唐揚げを箸で取った。
そこからは遠慮なくお互いの弁当からおかずを取っていった。弁当箱が空になるころには苦しくなったおなかを抱えて二人でシートの上に寝転がっていた。
「食べると思ってちょっと作りすぎちゃったけど、ちょうどよかったみたいね」
そういってシュウヤのお母さんが笑っていた。
無視していたこととかを謝って仲直りした。もっとも、むこうは最初からケンカをしているつもりすら全くなかったようで、きょとんとした顔をされた。
それからシュウヤの家にお邪魔して小さいサヤちゃんの世話を手伝うようになった。笑いかけてくるあの子の前で『かわいいだろ?』と顔をとろけさせるあいつを見て、なんかもういいやって思えた。
なんだか意地を張っていた自分がバカみたいだったし、ばかみたいにお人好しなシュウヤといるといろいろなことが気にならなくなった。
いつも一緒にいるせいで同級生から夫婦とかからわかれることもあったが、やっぱりどうでもよかった。
大きくなったサヤちゃんと三人で遊ぶのは楽しかった。そうして思い出を積み重ねていった。
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―――
懐かしい風景だった。ここにきたおかげで思い出せた。
青空をかぶった校舎を眺める。あんなに小さかっただろうかと不思議に思う。
「父ちゃん、これコンビニ弁当じゃんよ」
「うまいからいいだろ。腹にいれればなんでも一緒だ」
視線を引き戻すと、隣のおじさんのシートでは男の子が文句をいいながら弁当を食べていた。
シュウヤ特製の弁当は量も多く、食べ切れそうもなかった。サヤちゃんが隣を見た後、問うような視線をこちらに向けてきたのでうなずき返す。
「ねえ、よかったら一緒に食べない?」
「ほんとに? 賢木ん家の弁当うまそうだな」
サヤちゃんが誘うと男の子は文字通り食いついてきた。
「いやぁ、すいませんね。うちの坊主は食い意地が張ってるもんで」
「大丈夫ですよ。あまりそうでしたから、食べてもらえるとありがたいです」
昼休憩も終わると、午後の競技種目もプログラムどおりに進んでいった。
「あの、お嬢さん、お願いがあるんだけどいいですかい?」
隣のおじさんはビデオカメラを差し出しながら、これから保護者参加の競技を撮っていてほしいと頼んできた。
競技は二人三脚だった。
男の子とおじさんは足をリボンでつないで手をつなぐ。二人で作戦を話しうなずき合っていた。
スタートの合図が鳴り響くと、二人はなんとかタイミングを合わせながら走っていた。
しかし、途中でこけてしまう。
「父ちゃん、ちがうよ。今のは右足を出すところだろ」
「なにいってるんだ。左だろ。ほら、立ってもう一回だ」
一緒に立ち上がるとお互いに文句を言い合う。だけれど、最後の方は息が合い無事にゴール。
「お疲れ様でした。最後の追い上げはすごかったですね」
戻ってきたおじさんにビデオカメラを返した。
「ありがとよ。それじゃあ、次はお嬢さんの番だ。ばっちりまかせてくれ」
「え? わたしは―――」
迷うがもうサヤちゃんの番はもうすぐだった。
おじさんにカメラを渡すとサヤちゃんの待つ場所に走った。
「お嬢さん、がんばったな」
競技が終わると、満面の笑みでカメラを返された。
おそらく頭から地面に倒れて、サヤちゃんに助け起こされたところもしっかり撮られたのだろう。
最後に紅組と白組の点数が発表されて勝ったほうのチームから歓声を上げる。にぎやかな空気の中、校長先生の挨拶でしめくくられた。
シートをまるめて撤収していく親御さんたちに混じってサヤちゃんを待った。
夕陽に染められた校庭で、教師とPTAの有志がテントや道具を片付けていく。長く影を伸ばしたテントやポールが片付けられていった。
帰宅をうながすアナウンスが流れ、体操服姿でランドセルを背負った子供達が校舎から出てきた。
「お姉さん、お待たせ」
「うん、じゃあ帰ろっか」
軽くなった弁当箱の入ったカバンを肩にかけ、小さな手を握って日の落ち始めた家路を歩いていく。
「お兄ちゃん、大丈夫かな……」
「大丈夫よ。というか病人らしく大人しくしててほしいぐらい」
運動会の間、スマホには何度も着信が入っていた。サヤちゃんはケガしてないか、昼ごはんはちゃんと食べたか……なんてことばかりがメッセージが送られていた。
まず最初にサヤちゃんの家に寄って、一緒にあがる。
「じゃあ、着替えたらうちにいらっしゃい。母さんがご飯用意してるから」
「うんっ!」
軽い音をたてて階段を登る音を聞きながら、仏間に向かう。正座をして手を合わせた後、今日の運動会を撮ったビデオカメラを置いた。
写真の中で笑っている二人に語りかける。二人はシュウヤとサヤちゃんの両親だった。
「シュウヤもサヤちゃんも二人とも元気にしています」
挨拶をすませると、腰を上げてシュウヤの部屋に向かった。
「おーい、生きてる?」
扉を開くと、ベッドの中からマスクをした顔がこちらを向いた。
「……帰ったか」
「今日はありがとな。大変だったろ」
「本当よ。まあなんだかんだ楽しかったからよかったよ。ビデオカメラは二人の前に置いておいたからね」
「ふふふ、去年よりさらに成長したサヤを見て父さんも母さんも驚くだろうな。ゲホ、ゲホッ」
マスクをしたまま笑おうとしたせいで咳き込み始める。
「あとでお粥でも持ってくるから、大人しくしてなさいよ」
「へーい」
鼻声の返事を聞きながら扉を閉める。じっとしていると、扉の向こうからずびずびと鼻をすする音がしていた。
「お姉さん、お待たせ」
「……うん、それじゃいこっか」
着替えたサヤちゃんと一緒に隣の我が家に向かった。




