1. 誕生日プレゼント
放課後、制服から私服に着替えると家をでる。目的地には十歩歩けばたどりついた。玄関の鍵は掛かっていない。勝手に入っていいと言われていたので、遠慮なく扉を開く。
「お邪魔しま~す」
返事はないとわかりながらも儀礼的に挨拶をする。幼馴染である賢木シュウヤとは小さい頃からの付き合いだった。
「あっ、こんにちは、いらっしゃい」
ヤツの妹であるサヤちゃんがリビングからひょっこりと顔だけ覗かせている。その仕草もそうだが、アーモンドの形をした黒目がちの瞳がよけいに小動物めいている。
幼い頃は天使のような笑みで周囲をとろけさせ、小学生になると、道行く人が足をとめるようになった。さらりとした黒髪や整った顔立ちは成長すればまちがいなく美人となるだろう。
「お兄ちゃんなら二階にいますよ」
「そっか、ありがとね」
勝手しったる他人の家。階段を上った先の右の部屋のドアノブに手をかける。
「よう」
カーペットの上に座る制服姿の男子が軽く手を上げた。上着の前を開いてリラックスした様子でこちらを見ている。こちらも軽い声で応じながら部屋の中に入る。
「家の中でぐらい着替えたら?」
「だって外にでかけるわけじゃないし必要ないだろ?」
どうせ外にいくことがあってもそのまま制服だろうと思いながらあきらめる。
「んで、話ってなに?」
嫌がらせとしか思えない課題の量を出されて、早く手をつけなければいけなかった。さあやろうかと机の前に座ると、スマホから着信音が響いたのがついさっきのこと。
無視するつもりだったが『相談がある』という言葉に話の重さを感じて来てしまった。どうせこいつのことだから大したことないだろう。早く話を聞いたら帰ろうと思った。
「……まずはこれが何かわかるか?」
シュウヤは椅子から立ち上がると、写真立てや小物が飾ってある棚から何かを手に取った。
テーブルの上に何かを置かれたソレを見た。黒いプラスチックの光沢に三本の赤いラインが通っている。筒状になっているそれは胴体がくびれていて、一見するとボーリングのピンのように見えなくもない。
「……うん、まあ、知ってるけど」
「そっか、なら話が早い」
なにがだよ、と叫びたくなるのを我慢する。これってどう見てもアレである。
こいつも高校生の男子だしそういうものに興味を持つのは正常である。しかし、それを友人に見せびらかすという精神は理解できない。
「実はだな、妹のサヤからプレゼントされたものなんだ」
「は? え、サヤちゃんから……?」
「そうだ、昨日の誕生日にプレゼントされたんだ。きれいにラッピングされた箱を渡されてな、わくわくしながらふたを開けたんだ。すると、こいつが出てきた。どう思う?」
そういえば、いつもならどんなものをプレゼントされたかと聞いてもいないのに毎年報告してきていた。だけど、昨晩はそれがなかった。こいつが妹のことでウソをついたりしないことは知っているし、こちらを見る目は真剣そのものである。
「……最近の小学生って進んでるらしいからね」
「いいや、サヤに限ってそんなことはない!」
シュウヤはまるで自分のことのようにきっぱりと断言した。
「じゃあいいじゃない。これでこの話は終わり」
さっさと切り上げて立ち上がろうとすると肩をつかまれる。
「オレは心配なんだ。もしも、サヤがTENGAを男に渡して、その反応を楽しむような女の子になったんじゃないかって」
「いやいや、サヤちゃんに限ってそんなことは―――」
言葉を口にしかけて、さっきのシュウヤと同じことを言っていることに気がつく。振り向くと、『やっぱりおまえもそう思うよな』というしたり顔をしていた。
「……あの子にそれとなく聞いてくる。それでいいでしょ」
「ありがとな、頼んだぞ!」
いいように使われていると思いながらむかつく顔を扉の向こうに締め出す。シュウヤの部屋をでると隣の部屋の扉をノックした。
「はーい」
扉を開いて顔をだしたサヤちゃんが首をかしげながらこちらを見ている。
「えっとね、シュウヤのやつがゲームに夢中になってるから、ちょっとサヤちゃんとおしゃべりでもしたいなって思ったんだけど、今だいじょうぶ?」
「はい、もちろんです」
にっこりと人の心を柔らかくさせる笑顔を浮かべる。こんな少女がTENGAを兄に渡すなんて信じられない。おおかた誰かに騙されたか、なにか勘違いしているのだろう。
「わたしもこの前、相談に乗ってもらったお礼がいいたかったんですよ」
プレゼントを選んでいるとき、あいつが喜びそうなものは何がいいかと聞かれた。たしか、シュウヤの誕生日の一週間前のことだったろうか。
「いいよいいよ、たいしたことじゃないし」
自分があげたプレゼントはというと、あいつがやりたいといっていたゲームのソフトだった。高校生だというのにまるで色気を感じさせない。しかし、昔からそんな関係を続けていると、いまさら気合の入ったものなんて渡せない。
「それで、サヤちゃんは何を渡したのかな?」
「はい、TENGAっていうものです」
かわいい女子小学生がうれしそうにTENGAと口にする。あー、やばいなぁ、この気持ちに名前をつけるとしたら……罪悪感かな。
「でも、お兄ちゃんはあんまりうれしくなかったみたいで失敗したみたいです」
何を狙って何に失敗したのか、いますぐ問いただしたいのを我慢する。しょんぼりする彼女に理由をゆっくりと聞くことにした。きっとそこに、この無垢な少女にこんなことをさせた犯人の手がかりがあるはず。
「あのプレゼントはちょっとサヤちゃんにしては予想外だから、あいつもびっくりしたんじゃないかな。サヤちゃん、アレはどこで見つけてきたの?」
「お兄ちゃんがどんなものに興味もってるかなって、パソコンの履歴を見たんですよ。そうしたらTENGAがでてきたので、これにしてみました」
「なるほどね~、それでかぁ……」
犯人わかっちゃったよ。
「履歴から調べるって方法教えてもらって、ありがとうございました」
「あー、うん……」
さらなる罪悪感に心が締め付けられながら、笑顔のサヤちゃんの前で表情を崩さないようにする。
「それでですね。実はわたしも結構気に入ってて、お兄ちゃんのプレゼントとは別にもう一つ色ちがいのを買っちゃいました。かわいいですよね、これ」
そういって、かわいいぬいぐるみが並んだ棚に近づく。シュウヤが数千円つぎこんでゲームセンターからとってきた戦利品の数々に混じって、ソレが置かれていた。並んでいるぬいぐるみたちの中で一番小さいのにこの部屋における存在感は一番だった。
お願いします。もう許してください。罪悪感で死にそうです。
「あのさ……、サヤちゃんはソレが何につかうものかって知ってる?」
「レビュー欄みたら、すごく使い勝手がよくて安心するとか書かれていましたね。最近のこけしっておしゃれですよね。顔がかかれていたらもっとかわいいと思うんですよ」
よく見たらソレの顔に当たる部分に、サヤちゃんが写ったプリが貼られていた。
「そうだねー、かわいいねー」
「ですよね!」
きらきらと目を輝かせるサヤちゃんを見ながら決意する―――いますぐアレをこの純粋な少女の部屋から排除しなくてはいけない。
「シュウヤだけどさ、あいつって赤色が好きなんだよね。子供の頃戦隊ごっこをするといつもレッド選んでたし。ほら、ブラックとかって大抵裏切ったりするじゃない? だからさ、サヤちゃんのプレゼントがうれしくなかったわけじゃないと思うよ」
「なるほど、色がお兄ちゃんの好みじゃなかったんですね。じゃあ、取り替えてきます」
「待って待って、ちょっと待とうね」
妹の行動に悩む兄の下に、さらなる爆弾を持ち込もうとするサヤちゃんを慌てて止める。妹の顔写真が貼られたソレを渡されたら、おそらくシュウヤの脳は木っ端微塵になるだろう。
「サヤちゃんが取替えてあげたら、あいつも自分がわがままいったみたいで気まずいと思うんだよ。だからさ、まかせてよ。さりげなく渡しとくからさ」
「そうですね。すいません、また気をつかわせてしまって」
「サヤちゃんは悪くないよ……」
しゅんとうなだれるサヤに胸がきりきりと締め付けられる。今度、おいしいケーキでも買ってこよう。
後悔にさいなまれていると、「そうだ」と名案を思いついたようにサヤちゃんが笑顔を向けてくる。
「交換した後、お兄ちゃんに渡したほうのTENGAをもらってくれませんか?」
「えっ……!? いや、悪いよ」
「気に入っていただけたようですし、黒はだめですか?」
「嫌いじゃ、ないかな~。じゃ、じゃあ、ありがたくもらうよ。大事にするね~」
口の端が引き釣りそうになりながら笑いかけると、サヤちゃんはうれしそうにする。
部屋を出てまたすぐ隣の部屋に入る。
扉を開けると、すぐにシュウヤが反応した。
「で、どうだった?」
「あー、うん。ソレが何だかわかってなかったみたいだよ」
「やっぱりな、そうだよな!」
安心したようにほっと息をつく。
「それと、これなんだけど―――」
隣の部屋でのやりとりを聞かせたあとに赤いほうを渡した。どうするのかと思っていたら、考え込むように部屋の中を見渡しはじめた。
なにをするかと思っていると、妹の顔写真がはられたソレを手に持って部屋の隅の棚に近づいていく。
「え、それ、飾っとくの!?」
「もちろんだ! サヤにもらった大事なものだからな」
その棚にはサヤちゃんが修学旅行で買ってきたお土産のキーホルダーや昨年までの誕生日プレゼントも飾られている。
「……止めておいたってことは覚えておいてね。あとでまた相談とかはやめてよ」
「なんでだ?」
心底不思議そうな顔でこちらを見ている。将来まちがいなく爆発する危険物だが、放っておくことにした。
しかし、こちらの手元には黒いソレが残ってしまった。捨てるということもできそうもない。帰ったら誰にも目に付かない場所に封印しておこう。
「じゃあ、今度こそ帰るからね」
「ああ、今日はありがとな!」
帰り際、律儀にサヤちゃんが自分の部屋から顔を出してお礼を言ってきた。
自分の部屋で机に座り、時計を見ると30分がたっていた。長すぎる30分間の間にかなり気力を奪われた状態で、課題に手をつけた。
「数学おわったぁ~、あと半分か」
大きく伸びをして、たまった息を大きく吐き出した。
それにしても、あいつはわたしにTENGAを見せてなんとも思わないのだろうか。
それは、わたしが女として意識されていないという結論になりそうだったので、視線を教科書に戻すことにした。