親友
『ひぃっ……あーっはははっははは……お腹が痛い……ックックククク……』
静かな執務室に、大きな笑い声が響き渡った。
身体をくの字に曲げて腹を抑えゲラゲラ大笑いする赤髪の人物は、目尻に涙を浮かべてぷるぷる手首を震わせながらオリオン王を指差す。
だが、笑われている当のオリオン王は、特に怒る様子もなくすっきりとした涼しい顔つきで、机の前に溜まっている書類の山を黙々と片づけていた。
『用がないのならもう帰れ。カストル、お前がいると煩くて仕事の邪魔だ』
『いやぁん、ちょっと待ってよー……ぷぷっ……こんな面白い話……じゃなかった……もう少し、陛下のおのろけに付き合ってあげるからー』
『いらん。私は、今日溜まらせた仕事で忙しいのだ』
騎士団長のカストルは、必死に笑いを抑えて、金の瞳を楽しそうに輝かせながらウインクをするのだが……。
そんなカストルに見向きもしないで、オリオン王は書類に目を通してはサラサラとサインをしていく。
『もう、陛下ったら冷たいんだから……。陛下とあたしの仲じゃないの。もう少し詳しく話を聞きたいわー』
『だから、先程話した通りだ。女神が夢に出てきて、神子を目覚めさせる方法を聞き、その儀式を実行しただけだ』
『いやーん、もう陛下ったらそっけないんだから……。その儀式とやらが問題なんじゃないの。ねぇ、ナホちゃんはそんなに甘かった?』
オリオン王は、サインをしている手をピタリと止めると、顔を上げてジロリとカストルを睨む。
『お前には関係ない。それに、ナホの真名を呼ぶな』
『こっわーい……。はいはい、分かりましたよぉー。ナーオちゃんって呼べばいいんでしょ? 本当に嫉妬深いんだから……。それにしても、信じられない。夜の館に行っては、数多くの蝶を抱いていたオリちゃんがねぇ……一晩に100人も気絶させてたっていうのに……そんなオリちゃんが、ナーオちゃん相手に突っ込まなくてキスだけだったなんて……ぷぷっ、こんな面白いネタないでしょ!』
『煩い。俺をちゃん付けで呼ぶな』
酷く楽しそうに話すカストルとは対照的に、オリオン王はどんどん不機嫌そうな表情になっていった。
お互いに砕けた口調になってきて、カストルの軽口からも付き合いの長さや深さが窺われる。
実際、オリオン王とカストルは、年齢も一緒で兄弟のように育ってきた幼馴染であった。ここにもう一人、魔術師団長のシリウスも入るのだが……。
『ふふん、あたしとオリちゃんの仲じゃないの。ところで、よくナーオちゃんを抱かないでいられたわね。いつものように理性が崩壊して抱き潰さないかと、ナーオちゃんが心配だったのよ。あんたのその膨大過ぎる気、厄介だからねぇ……』
『あぁ、気をつけないと抱いた女を発狂させるか、殺すからな……この呪われた忌々しい身体は……』
自嘲するかのような笑みを漏らすオリオン王に、カストルは明るく笑いかける。
『でも、ナーオちゃん相手だと平気だったのよね。本当によく我慢できたわね。普通でも男だったらきついわよ……。媚香の漂う仲で……』
『それが不思議なことだが、ナホの愛らしい表情を見ているだけでとても満足できた。いつものような気の乱れはなく、落ち着いていられたのだ。ナホの気も膨大なのが理由なのか……それとも……』
『それとも?』
『これが、真実の愛だから……か?』
『ぷっ!』
真面目に語り合いだした二人であったが、突然、カストルは口元を押さえると噴き出した。
すかさず、オリオン王はカストルを睨み付ける。
『何がおかしい?』
『ううん、違うわよ。だって、あんたの口から「愛」なんて言葉が聞ける日が来るだなんて夢にも思わなかったから……。もう、ナーオちゃんには、感謝してもしきれないわ』
『そうだな……。ナホに出会えなかったら、俺の心はずっと凍ったままだったろう。だからもう、悔いはない……いつ、この身が滅びてもな……』
『オリオン!』
くすくす可笑しそうに笑っていたカストルだったが、突然、鋭い声を上げて逆にオリオン王を睨み付けた。
オリオン王は、緩く唇の端を上げながら軽く首を振る。
『安心しろ。二度と馬鹿な真似はしない……』
『当たり前よ! あの時、あたしがどれだけ心配したと思っているのよ。もう、あんな思いごめんだわ』
『そういえば、あの時が初めてだったな。お前の泣き顔……』
『ふん、とっても可愛い泣き顔だったでしょ?』
『いや、悪夢に出てきそうな、怖い顔だった……』
『ひっどーい、オリちゃんったらー』
『酷いのはどっちだ……』
『『…………………ぷっ!』』
暫し沈黙しながら睨むように見つめ合っていたオリオン王とカストルであったが、急に一緒に笑い出した。
カストルは、かなり憑き物が落ちたようなオリオン王を見つめながら、嬉しそうに微笑んだ。
(ふふっ、良い傾向だわ。全部ナーオちゃんのおかげね。オリオンはすっきりした顔しているけど、ナーオちゃんはこれからが大変よねぇ……。別の意味でまた寝込まなければいいんだけど……。とにかく、体力つけて頑張ってねん!)
人知れず菜穂を応援していたカストルは、ふと、思い出したようにポンと手を打った。
『そうよ。あたし、ちゃんと用事があって来たのよ。それなのに、ナーオちゃんのことですっかり忘れちゃって……』
『それで、何だ?』
『シリウスよ!』
『シリウスがどうした?』
突然出てきた名前に、オリオン王は怪訝そうに首を捻るが、何かに気付いたようにかすかに目を開く。
カストルは、オリオン王が気付いた事を理解して肯定する意味で軽く頷いた。
『そうよ。あのあたしたちが話し会った日以降、誰もその姿を見ていないのよ』
『確か、ナホの世界の書物を手にいれるとか言っていたな……』
『あの時、早速書物を召喚するために部屋に行ったのは分かるんだけど、シリウスの腕なら物の召喚なんて、すぐ出来るはずでしょ? それなのに、未だに顔を見せないなんておかしくない? まぁ、何かの研究に没頭すると、一週間ぐらい軽く閉じこもったりするから、今回もその可能性もないとはいえないけど……ちょっと気になってね……』
『確かに変だな……? ナホのことばかり気にかかって、他のことに気が回らなかった……。カストル、念のため、シリウスの様子を見にいってきてくれ』
『了解!』
シリウスは二人にとって、大切な親友でもある。
幼い頃から、様々な苦楽を共に共有してきた三人は、みな互いに絶対の信頼を置いていた。
『まぁ、シリウスなら心配はいらないと思うがな……』
『そうねぇー、シリウスならどんな不測の事態にも対応できちゃうだろうしー』
『だから……』
『うん、一応念のためね……。あ、ついでにナーオちゃんやアルテミスの事も知らせてくるわ。きっと、シリウス喜ぶわよ』
『そうだな……』
のんびり落ち着いた様子で話しをしているオリオン王とカストルは、今、シリウスが想像もできない状況に陥っているとは、夢にも思わなかった。




