来訪3
(はぁー、何て素敵な骨……これが私のもの……?)
王の囁くバリトンボイスをうっとりと聞きながら夢うつつにその身体を撫で回していた菜穂であったが、王の左腕に視線を移した瞬間、パチクリと瞬きを繰り返して首を捻った。
ちょうど王の左肘辺りが黄色く光って見えたのだ。
「何、これ?」
見間違いかと思って目を擦ってみるが、やはり淡くぼんやりと光って見える。訝しげに眉を寄せ、確かめるように左肘に触れた菜穂は、怖い顔をして目をつりあげた。
一方、菜穂の様子が変化した事に気付いた王は、怪訝そうに声をかける。
「どうしたのだ、神子?」
その瞬間、菜穂は顔を上げてキッと王を睨みつけた。
「それはこっちの台詞よ! 何、この肘は!? 0.1ミリ、大事な骨にヒビが入ってるじゃないの!」
「0.1ミリ? そんなものヒビにも入らないのでは……」
思いもよらない菜穂の言葉に呆気にとられて軽く言い返そうとした王であったが、突然クスクスと笑い出した菜穂の様子にギョッと目を剥く。菜穂は怒り心頭といった表情でぷるぷると全身を震わせていた。
「フッフッフッ……何が、大したことない? 甘いこと言ってんじゃねーよ……ふっ……ざけんな!」
ドスの効いた低い声でギロッと王を睨みつけたかと思うと、菜穂はマシンガンのように喋り出した。
「ヒビを馬鹿にするな! 0.1ミリのヒビが少しずつ広がったらどうするの? 今は0.1ミリでもそれが2ミリ3ミリとなっていって………気付いたら1センチ、1メートル、そして10メートルまで……いやぁー、こんな素敵な骨に10メートルのヒビなんて!」
「いや……さすがに私の腕は10メートルもないぞ。だから10メートルにはならないから安心しろ」
興奮しまくって叫ぶ菜穂を唖然と眺めながら王はポツリと冷静に告げるのだが……。左肘の怪我に心当たりがあったため、内心では酷く驚いていた。
王は泉に飛び込んで菜穂を助け泳いだ折、菜穂を庇って突き出ていた岩に左肘を激しくぶつけたのである。
「神子、落ち着け。私は大丈夫だ」
中々興奮が冷めない菜穂の背をトントンと優しく撫でる王。だが、菜穂は聞く耳をもたないようでぶつぶつ独り呟いていた。
「早く治さないと……。大切な骨を綺麗に完璧に……。骨さん、いい子ですねー。痛いのイタイの飛んでいけー!」
菜穂が王の左肘に優しく語りかけ愛おしそうに撫で回す。その途端、菜穂の手から虹色の光が溢れ出した。
「これは……っ!?」
王は驚いて菜穂の手から出る虹色の光を呆然と凝視する。その光は少しずつ薄くなっていくとやがて消えた。
「うん、完璧。骨さん、もう大丈夫ですか?」
先程とは打って変わり、菜穂はニコニコと嬉しそうに穏やかに微笑みながら王の左肘を何度も撫でる。
そんな菜穂の両肩に思わず手を置いた王は真剣な表情で菜穂を見つめた。
「今のは何だ? 手から虹色の光が出ていただろう?」
菜穂は何を言われているのか理解していない様子で、キョトンと王を見上げる。
「虹色の光? 私、そんなの知りません」
「今、私の肘に触れていた手から虹色の光が確かに出ていたぞ。どんな魔法でも虹色だけは誰にも出す事はできぬ。虹色は女神の色だからな」
真剣に語りかけてくる王の話を聞き、菜穂は何かを思い出したらしくハッとしたように声をあげた。
「あっ! そういえば、夢の中で女神から祝福?とか貰ったっけ……。そのことかな……?」
何気なく菜穂がポツリと呟くと、王は怖い顔をして菜穂の肩を軽く揺さぶった。
「女神に会ったのか!? しかも女神の祝福だと?」
「え? 会ったって言っても、夢の中でだけど……」
王の剣幕に驚いた菜穂は、わずかに身体を後ろへ下げながら少し首を傾げる。
(あの、虹色の変な女神様って、そんなに凄いの?)
夢の中での女神との会話を思い起こし、うーんと考え込む菜穂。
そんな菜穂の肩から手を離した王は、改めて菜穂をじーっと見つめて頷いた。
「夢の中でさえ、女神には会えぬものなのだ。女神に選ばれた者しか女神の夢を見られぬし、かつて女神の夢を見た者はほんの数人のみだ。女神の祝福を受けたのならば納得がいく。さすが、女神に愛されし子……神子だな」
「何が何だかよく分からないんですけど、女神様って凄いんですね。その祝福とやらで虹色の光を手からだせて……ヒビを治して………………あれぇー? もしかして私、魔法を使ったの!?」
王の説明を受け、まるで他人事のように話し出した菜穂であったが、暫し沈黙すると今更ながら気付いたとばかりに瞳を丸くして驚愕の声をあげた。
「魔法で治療するのは当たり前のことだろうが……」
菜穂の驚く理由を理解できない王が怪訝そうに眉根を寄せると、菜穂は興奮した表情で王に詰め寄る。
「私のいた世界に魔法はないんですよ。ここには魔法があるんですね!?」
瞳をキラキラと輝かせて王を見上げた菜穂は、期待した様子で尋ねた。
王は詰め寄ってきた菜穂の瞳を見て、軽く口元を手で覆いながら無言で頷く。王の耳はわずかに赤く色付いていた。
「神子よ、あまり私を煽るな。酷くお前を虐めたくなる……」
王は胸の内を吐き出すようにポツリと呟いたのだが、魔法に興奮していた菜穂にはよく聞き取れず、自分の頬を撫でてくる王をキョトンと見つめ返した。
「え? 何?」
「いや、何でもない。いずれな……」
フッと笑みを漏らした王は、頬を撫でる指先を滑らせて菜穂の艶やかな唇をゆっくりとなぞる。
『俺は気が短い方だが、楽しみは後にとっておこう。じわじわと追い詰めるのも悪くはない』
「えっ? 何て言ったのですか?」
いきなり分からない言語を話し出した王に、菜穂は首を傾げて聞き返したが……。
王はそんな菜穂に、魅惑的な笑みを浮かべるだけであった。甘い言葉と共に……。
「とても美しく愛らしい神子に出会えて、私は幸せ者だと言ったのだ」