大瑠璃の恋歌
大瑠璃という鳥がいる。
美しい声で囀ずる事で知られる、鮮やかな青色をした渡り鳥だ。
普段は渓流の側の森林や崖などに居る事が多いのだが、今日は珍しい事に人里に近い林にある、背の高い木の枝に留まっている姿が見えた。
初夏の青空に、ピールーリー、と澄んだ歌声が谺する。
大瑠璃を見上げ、男は言った。
「大瑠璃は……いい、な……。
俺、も……あれくらい、美しい、声ならば、人生、は……どれだけ、違うの、だろう……」
男の故郷は、男がまだ少年の頃に戦争で焼き払われた。
その時の炎で喉を焼かれ、今では絞り出すような掠れた声しか出なくなっていた。
やがて青嵐が木々を強く撫で、青葉を揺らすと、大瑠璃は再び、ピールーリー、と一声鳴いて飛び立ち、空の青に溶ける様に姿を消してゆく。
大瑠璃を見上げ、女は言った。
「大瑠璃は、いいですね。
私もあのように自由に飛び回れたならば、人生は、どれだけ違うのでしょう」
女の故郷は、女がまだ少女の頃に戦争で焼き払われた。
その時の炎で足を焼かれ、今では自分一人では歩けなくなっていた。
その身に戦争の爪痕を刻んだ彼と彼女は、同じ鳥に憧れを抱き、
巡り合い、惹かれ合い、そして、愛し合った。
男は、屈強な肉体を持つ戦士だった。
彼は、己の生まれ持った逞しい足を、彼女の為に使おうと思った。
彼はいつでも彼女を背負い、彼女を望みの場所へと連れていった。
所詮は、背負って歩ける程度の範囲に過ぎないかもしれない。
それでも、彼女の世界は確かに広がった。
女は、澄んだ声を持つ歌姫だった。
彼女は、己の生まれ持った美しい声を、彼の為に使おうと思った。
彼女はいつでも彼に寄り添って、彼の悲しみをその歌で癒した。
所詮、歌うだけでは、何も解決などしないかもしれない。
それでも、彼の心は確かに救われた。
比翼の鳥は、片方だけでは飛べはしない。
もう彼は、彼女は、お互いが居ない人生に戻る事などできはしない。
失われた何かを埋め合うかのように、二人はいつも一緒だった。
夏と秋と冬と春が過ぎ去り、また巡り訪れた初夏のある日の事。
静かな里に響き渡るのは、大瑠璃の歌、夏の風の音色、そして戦禍の足音。
まだ幼かったあの日、二人から日常を奪い去ったのと同じ、暴虐の炎が、
すぐそこまで迫っている。
男はその手に剣を取る。 この日常を、安息の日々を、大切な彼女を守るため。
決意を抱いて死地へと向かう彼を、彼女は決して止めはしない。
彼が望んだ事ならば、どうして彼女に止められようか。
せめて祈りを声に乗せ、夏の空へと歌うだけ。
愛しい彼よ、無事であれ。 どうか無事であれと。
彼は戦った。 戦い続けた。
武器が砕けても、彼の意思は砕けない。
仲間を失っても、彼の意思は失われない。
出血が力を奪っても、意思が彼に力を与えた。
四肢を失ってさえ、意思があれば彼は立ち上がる。
彼は、決して退きはしない。 命をかけて、踏みとどまる。
彼がここで戦う限り、戦禍はここから進まない。 戦禍は彼女に及ばない。
死の匂いの満ちる中、祈る思いはただ1つ。
愛しい彼女よ、無事であれ。 どうか無事であれと。
どれだけ心が強くとも、どれだけ体が強くとも、やがて、終わりは訪れる。
彼の体は、天を仰いで崩れ落ち、その目に映るのは空の青。
それは現か幻か、彼はその空に大瑠璃を見る。
薄れゆく意識の中、彼は最期に願う。
大瑠璃よ、どうか俺の魂を、彼女の元へと運んでくれ、と。
四半刻。 それが、彼が命と引き換えに稼いだ時間だった。
彼を見送ってから、幾つの夜が過ぎただろう。
彼女は、今日も空へと歌う。 祈りを込めて彼へと歌う。
それは想いをこめた、強く、そして悲しい恋歌。
翼を失い、地に落ちても、なお歌い続ける大瑠璃の恋歌。
あの日の戦禍は、駆け付けた援軍の手で退けられ、里を襲うことはなかった。
人々は語る。 あと四半刻遅ければ、里は戦禍に飲まれただろうと。
四半刻……。 それは、彼が命と引き換えに勝ち取った時間だ。
そう。 彼は、確かに彼女を守りきったのだ。
……だが、彼は彼女の笑顔を守る事は出来なかった。
比翼の鳥は、片方だけでは飛べはしない。
そして、飛べない鳥が幸せに生きられる道理はないのだ。
それから更に、幾つの夜が過ぎただろう。
彼女は、今日も空へと歌う。 祈りを込めて彼へと歌う。
心を病み、体を病み、その声すら枯れ果てて、それでも彼女は恋歌を歌う。
ただ、愛しい彼の為に。 彼だけの為に。
ピールーリー。
彼女の歌に応えるように、空の果てから大瑠璃が鳴いた。
彼女は、その声に、愛しい彼の声を聴いた。
大瑠璃は夏の鳥。 雪が世界を白く染める、この時期に居るはずもないだろう。
だが、彼女は聴いたのだ。 大瑠璃の声を。 彼が歌う、不器用な恋歌を。
彼女は歌う。 空から響く、あの声に合わせて。
それは、想いを、そして命を込めた、魂を焦がす恋歌。
翼を失い、地に落ちても、やがてまた空へと飛び立つ大瑠璃の恋歌。
その声は、力無く枯れ果てていたが、世界のどんな音よりも美しい。
次の朝が訪れたときには、彼女は冷たくなっていた。
肌を刺すような冷たい風の吹く、そんなある日。
凍てつくような冬の空、季節外れの大瑠璃の番が飛び去り、空の青に溶けていった。
比翼の鳥は、片方だけでは飛べはしない。
天へと昇るその時は、きっと、また一緒に飛ぶのだろう。
ピールーリー。
共にある喜びを歌うように、大瑠璃の声が空に響き、そして消えた。