クオーターボイルド、半生を振り返る
自分をハードボイルドとは言わない。ハードボイルドはこんなもの書かないから。ハーフボイルドとも言わない。ハーフボイルドはTwitterをやらないから。だがクオーターボイルドくらいではあるような気がするのだ。
自分がいまの生き方をはじめたのは恐らく14の終わりあたりだろう。不登校をやらかして暇を持て余していた時分に、知り合いのメンヘラ女の相談にのったのが運の尽きだった。これはあの頃よりは多忙となった、現在に至るまで続く悪癖となっている。当時の動機はもちろん恋だ。女の相談を聞く男の9割は、その女を狙っているものだ。そしてそこで女をモノにしようとするか、あくまで献身的であるかによって、そいつの生き方が決まっていく。私は前者を目指していながら、結局後者の生き方を選んだ男だった。最近の連中は、こういうやつを馬鹿だという。
その恋愛の最中に、バイセクシャルだった件の女の女に言い寄られた。1割に近づきつつあった(そしていまでもそんな半端者であり続けているが)私は、そうと知らずに女その2の愚痴や悩みを聞いていた。15が17の女の悩みを聞いているとはなんとも滑稽な話であるが、私の知人これを聞いて驚いた奴はいない。彼女に浮気を誘われたとき、私は同情からそいつを受け入れたが、自分がそんな器用な人間でないことに気づくのに1週間とかからなかった。すべては露見し、私は女1から勝ち取っていた、恋愛からは程遠い信頼すら失った。女2を慰めにする選択肢もあったのだろが、先述の通りだったわけである。こうして私の意図せずハードボイルドに近づいていく日々がはじまった次第である。うだつが上がらない、齢にも合わない昔人間の、自惚れ人生のはじまりと表現しても、私以外には丸を付けてもらえるだろうが。
高校は恋愛という点ではほとんどなにもなかった。代わりに、犠牲になることが体にしみ込んだ時期でもあった。面倒ごとを引き受けることに喜びは感じなかったが、義務感に近いものを感じるようになったのである。運の尽きpart2だ。他人のためにせっせと動き、揉め事があればそこへ行って話を聞いた。その間にクラスのマドンナに接近することもできただろうし、私を悪くは思っていなかったと後に知ることになる女と、くだらない話をすることも可能だっただろうが、そういうことは頭に浮かびすらしなかった。もしかしたら浮かんでいたのかもしれないが、いずれにしても柄ではなかった。
こうした生き方ができたのは、それをやっているのが私だけでなかったという点である。あの実に不思議な、高校と言われて信じる人間は3人に1人であろう校舎には、私のような人間が10人はいたのである。つまり、上記のようなことをしているのが当たり前という10代後半の集まりにしては実に奇妙、もはや不気味な空気があの校舎の中にささやかながら存在していたのだ。これが不気味で不自然であることに気づくのは大学進学時、別の言い方をすれば娑婆に戻った時まで待たねばならなかった。
娑婆に戻った時、私はハードボイルドへの道を本格的に歩み始めていく。厄介なサークルに入ったのが運の尽きpart3。芝居をやる人間は往々にして協調性に欠けるところがある。そして全員が多少なりとも気が触れているのだ。そうでなければ芝居などそもそもやらない。この20年続く慎ましきサークルも例外ではなかった。協調性について、5段階評価で5をもらえるやつは0。4が4人。3は忘れた。しっかり覚えているのは、2と1がやたら多かったことである。ハードボイルド風は5人いたが、協調性4はその半分だった。こんなコミュニティがうまくいくわけもなく、伝統的なサークル崩壊の危機が何度か訪れたが、1年次からその度に動き回る1人だった。
私をクオーターボイルドにした瞬間はそのサークルに入った年の冬に訪れた。当時好きだった女の内に泊まった何度目かの夜、私は彼女と添い寝した。誘ったのは女だった。チャンドラー風にいうのであれば、彼女は私を誘っていたのかもしれないし、誘っていなかったのかもしれない。1つ確かなのは、私が彼女を抱かなかったということである。臆病だったこともあるが、それ以上に彼女を抱いた時の自分を想像して、その違和感に耐えきれなかったのだ。自分という人間と、その生き方を決めた瞬間だった。いままで違って、自分の意志がそこに強く働いていた。猶、その数日後に私は振られた。思い出してみれば、その日が彼女の家に泊まった最後の日でもある。
以降、私は外面まで段々らしくなっていった。5月にラッキーストライクをはじめて咥え、8月にパイプを入手した。翌年1月には葉巻を月1で嗜むようになって、それがしばらく続いている。この間、当然相変わらず面倒の解決に奔走し続けていた。多少他人のことにドライにはなっていたし、女に求められているのが感覚的にわかるようにもなったが。服装も、Tシャツを着ないようなり、春秋は必ずジャケットを着ていて、冬場は前年秋に購入したトレンチの襟を立てるのが定番となった。ここに時代に逆行してまで自分を貫く、といえば恰好のつく馬鹿が1人出来上がったのだ。馬子にも衣装と言っていただいて構わない。
この時期男性と交際してみたりなどもあったが、基本禁欲的に生きていた。享楽的に生きたかったのはもちろんなのだが、それをやると弱くなり、そして自分が失われる気がしていた。カウンセリング相手で童貞を捨てることのできる機会も何度かあったし、先に言ったようにそれが求められているのがわかってもいたのだが、あえて手を出さなかった。故に今でも童貞である。直近で3日か4日に卒業の機会が存在しているが、私がどうするかはお察しの通りだ。
前のアルバイト先で、30半ばの男(誤入力で1度「墓場」と打ったが、彼の場合強ち間違いでもない)に言われた。
「レモン君は今風の恰好すればモテるよ。いまからスタイル変えたら?」
自分が何と返したかは忘れたが、内心思ったことは覚えている。
「そんな生き方、かっこわるいじゃないか」
自分を持っていない奴は男ではない。どんな風体で、どんな口調で生きようとそれは個々人の勝手だが、そこに自分らしさがないやつはろくでなしである。そして女にモテる男の6割はそういうやつだ。
くだらない利益のために自分を変えようとは思わない。長髪を染めて、チェスターコートを着て、ピアスやらネックレスやらの金属をがちゃがちゃさせて、女に「死ぬまで一緒だよ」というやつは私ではない。寝ぐせを朝霧吹きで直し、トレンチコートの襟を立て、JPSかパーラメントを咥えて、友人に向かって「見て見て!ハンフリー・ボガート!ジャン・ギャバンでも可!」と言っているのが私なのだ。そして女に頼られたとき、カシオレを呑みながら「そんな男やめて、俺にしろよ」と言ってセックスに誘うのではなく、バーボンのグラスを片手に、「そりゃ俺じゃなくて当人にいってやれよ。それで続けばハッピーエンド、だめならどうせ長続きしねえよ」と言って背中を叩いてやるのが私なのだ。自分の意志でこの生き方を続けているかぎり、ハーフボイルドに昇格することはなくても、クオーターボイルドではいれるだろう。尤も、昇格も残留もあまりありがたい話ではないのだが。
これを書いている間にも、無料カウンセリングの顧客から通話が来ていた。おかげでパイプ喫煙1回で何文字かけるかのチャレンジは、またも記録更新せずだ。彼女が眠らなければ(そしておそらくそうなるのだが)1時間後にはまたかけてくるだろう。その間にシャワーを浴びて、ハイボールを作って受け入れ態勢を整えなければならない。たぶん、あと1月はこれが続くだろう。
ところで、ハードボイルドの定義の問題をもって私に反論をする輩があるかもしれないが、そんなやつはチャンドラーも読んだことないし、読んでいたとしてもなにが面白いのかわからないやつだろうから、なにか言葉を返す予定はない。私は先述の通り、少なくとも不登校時代よりは多忙なのだ。