探りを入れたのは、兄
お兄様視点です。
最初に弟か妹が出来ると言われたとき、それほど嬉しくなかったことを覚えている。
今まで自分が独り占めしていた親の関心を奪う存在になりかねないし、自分が放置されてしまうかもしれない。そればかりを考えていた。
しかし、実際生まれてしまえばそんなことはなかった。
というか、親の関心どころか僕の関心も全て妹に持っていかれてしまったから。自分が放置されるどころか、自分が親を放置するくらい妹に心を奪われていたのだ。
小さなベッドを覗き込むと、そこには可愛い可愛い天使が居た。その天使は僕と目が合うとふんわりと愛らしい微笑みをこちらに向けてくれる。
小さな指をよく見ようとそっと触れてみれば、天使は僕の指をきゅっと握ってくれる。
「エレナ、僕、お兄ちゃんだよ」
「あー、うー」
「お父さま! エレナが! 返事をしてくれました!」
「うんうん、可愛いなぁ」
「可愛い、僕のエレナ」
「俺のエレナだよ、ハンス」
「お父さまにはお母さまが居るでしょう!」
「エレナもお母様も俺のだよ」
「欲張り!」
こんなやり取りは毎日のように行われていた。
エレナが歩けるようになると、ぽてぽてと僕についてきてくれるようになった。
屋敷の中を探検しようと連れ出すと嬉しそうに手を繋いでついてきてくれるのだ。
「エレナ、僕のこと好き?」
「ちゅき!」
もう、ただただ存在してくれているだけで可愛いというのに、言動も可愛い。
エレナのためなら死んでもいいと思った。
そんなある日、僕は気が付いてしまった。
僕がエレナと結婚出来ないという現実と、いつかエレナがお嫁に行ってしまうという現実が待っていることに。
結婚出来ないという現実は、兄妹として生まれてきてしまった運命を呪うしかないとして、問題はお嫁に行ってしまうという現実だ。
この天使を誰かの手に渡さなければならないのか?
無理。
いや、無理。
貴族の結婚、というと大半が政略結婚である。家と家の繋がりを求めた政略結婚であったり、金目当ての政略結婚であったりと内容は様々であるが、政略結婚のほとんどに愛はないという。
エレナを愛しているわけでもない奴に、何故渡したりしなければならないのか。
そんな奴に渡すくらいなら、結婚などしてほしくない。
エレナが悲しい思いをするくらいなら、ずっと僕の側に……。
しかし、だ。
家と家の繋がりを求めたり、金目当てで娘を嫁に出さなければならないような家にしなければいいわけだ。
この家を継ぐ僕さえしっかりしていれば、特に問題ないのではないだろうか。僕が、政略結婚など必要としない家にすればいいのだ。
そうして僕よりもエレナを愛して、エレナだけを愛して、僕のようにエレナのために死ねる奴が現れたとしたら。現れたとしたら。
僕よりもエレナを愛することが出来る奴なんてこの世に存在出来るのか?
無理では?
と、そんな考えても考えてもキリがないことを思い悩んでいたときのことだ。
僕はもう一つ気が付いた。
母が、エレナに何か呪文を唱えている。
誰にも聞き取れないほどの声量で、この国の言葉でもない、他国の言葉でもない、全く聞いたことのない文言で、エレナに何かを言っているのだ。
恐ろしくなった僕は父に相談をした。相談をしたものの、その時点である程度は決めていた。
自分が呪文の勉強をしよう、と。母からエレナを守るために。
そして、母のあれが呪文であれ別のものであれ、エレナに危害を加えようとする奴が他に現れないとも限らないのだとも気が付いたのだ。
エレナを危険から、そして政略結婚から守るためには僕が強くならなければいけなかった。
学園に通い始めた僕は攻撃魔法と防御魔法を選択し、独学で呪文学を学び始めた。
さらに学園を卒業した今も、呪文について学び続けている。
「ロルスくん」
エレナと久しぶりの再会を果たした日の夜のこと。
エレナの世話を終えたロルスくんを捕まえた。エレナはもう眠ったらしい。
「ロルスくん、エレナが眠るまで世話してるんだね」
「は、はい」
うらやましい。すごくうらやましい。僕も久しぶりにエレナの寝顔が見たかった。
「じゃあ、少し外に出ようかロルスくん」
「え?」
「近くに深夜まで営業してるお店があるんだ」
「しかし」
「エレナなら大丈夫だよ。少し話したいことがあるから」
母にも、エレナにも聞かせたくない話だから、そう言うとロルスくんは素直についてきてくれた。
「好きなの頼んでいいよ」
「お嬢様を差し置いて、私だけこのような」
「えぇ? エレナはそんなことで怒らないでしょう」
「もちろんお嬢様は怒るような方ではありません、しかし」
「気持ちの問題かな? じゃあ僕が勝手に頼むよ。これは僕の親切じゃなくてただの口止め料だから」
何を話したのかを聞かれたら困るので、ここに来たことを内緒にしていてほしいのだ。
そういったことを話せばロルスくんは恐る恐るだが頼んだものを口にしていた。
「それでね、ロルスくんに聞きたいんだけど、まず君は本当にどこの具合も悪くないのかな?」
「はい」
「君は自分が呪文の盾にされているわけだけど」
という僕の言葉を聞いたロルスくんが一瞬目を見開いて、そしてあからさまに僕から視線を逸らした。
これはきっと呪文の盾にされていることに気が付いていなかった顔ではない。おそらく父に口止めでもされたのだろう。
「文献にね、呪文から守りたい人物の側に盾となる者を置くといいって書いてあるんだ。まぁ諸説あるんだけど。それで、君はエレナの従者なので知らず知らずのうちに盾になってるんだ」
「……はい。しかし、体調不良などはありません。お嬢様の体調にも問題はありません」
「そうか、良かった」
「ただ……二度ほど夢見が悪かったと仰っていたことがあるのです」
「夢見が?」
一度目は夢を見ながら魘され、泣いていたらしい。そしてその夢を見た日はずっと気落ちしていたのだそうだ。
「ご自身が死ぬ夢、だったと。そして私に、わたしが死んだら泣くかと尋ねて」
「なんて答えたの?」
「いえ、今のは忘れてと言われたので結局は何も答えられませんでした」
「そっかぁ。なんて答えるつもりだった?」
「泣く、と答えたかもしれません。……ただ、泣けないような気もするのです。泣く前に後を追ってしまいそうで」
「わかる。僕も」
エレナの居ない世界なんて考えただけでも恐ろしい。虚無の世界だ。
「それで、二度目は?」
「二度目はどこか一度目と違い痛そうに魘されていました。気落ちしている様子もありませんでしたし、むしろどこか嬉しそうでした」
「なるほど。ということは母の呪文は夢に作用してくるものなのだろうか……」
僕はメモ帳をポケットの中から取り出した。
「ロルスくんは悪夢を見たりしてない?」
「私は夢を見たことがありません。……その、私は、盾として役立たずなのでしょうか……」
「ああ、大丈夫だよ。盾ってのも諸説あるからね。効果があるかどうかも分からない。ただの気休めとして側に置いているだけかもしれない」
「私でも、なにかお嬢様のお役に立てることがあるのなら……」
そう言ったロルスくんの顔はどこか切実そうだった。本気でエレナの役に立ちたいと思ってくれているらしい。
「んー、防御魔法でも教えてあげようか?」
「いえ、私は魔力量が人一倍少ないのです」
「そうなんだ。じゃあ……うーん、物理的に盾になる……のは」
「その覚悟はいつでも出来ております」
「え、そうなの、ありがとう」
ロルスくんの顔があまりにも真剣だったので何故か礼を言ってしまった。
しかし本当に物理的な盾にしてしまうわけにはいかないのでエレナに防御魔法を教えたほうがいいのかもしれない。
「しかし、夢の話は新しい情報だ、ありがとうロルスくん」
「いえ」
「情報は多いに越したことはない。呪文というのも色々あってね、人に危害を加えるものだけじゃなく何かを隠蔽したりする呪文なんかもあるんだよ」
「隠蔽」
「そう。それと、呪文を詠唱しなくても使える魔法は昔からあったんだ。それなのに詠唱を必要としていたわけだから、何か膨大な力を要する魔法を使うために存在した呪文があったのかもしれない、って」
「その話はお嬢様にしてさしあげると喜ぶのではないでしょうか」
「え、エレナが喜ぶ?」
「はい」
エレナが喜ぶことならなんでもしてやりたいので、この話はエレナにしてあげることにしよう。
「お嬢様は呪文学に関することと五代目六代目あたりの王家の話をするととても喜びます」
「ありがとう」
僕はメモ帳に大きな大きな字でエレナの喜ぶことリストを作った。
まだしばらくは離れて過ごさなければならないのだから、たまに会ったときくらい喜ばせたい。そしてまたお兄様大好きと言われたい。
「学園でも、呪文学を選択している方と仲良くされています」
「そうだ、それも聞きたかったんだ」
自然と、僕の声が少し低くなってしまっていた。
「そ、それ、とは?」
「エレナに悪い虫がついていないか、だよ。エレナに恋人は?」
そんな僕の問いかけを聞いたロルスくんはきょとんとしてしまった。
この様子ではまだ恋人は居ないらしい。
「エレナに言い寄ってきている男は?」
そう問うと、今度はきょとんとしたまま首を捻ってしまう。おそらく言い寄られてはいないと判断……してもいいのだろうか?
「じゃあエレナが次期侯爵の花嫁候補に選ばれそうだったときの話を教えて欲しい」
その問いには明確に答えられることがあったのか、少し表情が明るくなった。
「はい。あの話は次期侯爵であるローレンツ様が別の女を選んだので立ち消えました」
「金持ち辺境伯の娘だったな。エレナよりあれを選ぶなんて見る目のない男だ」
「詳しいことは知りませんがお嬢様に迷惑がかからないようにあの女を選んだそうです。我を通すことなくお嬢様の安寧を守った点は評価出来るかと」
「なるほど、それもそうだね」
僕の相槌に、ロルスくんがなんとなくムッとした様子で何か続けようとしたけれど、何かを思い出したように口篭ってしまった。
「ここでの話は誰にも言わない。だからエレナの周囲で起きた出来事を全部教えて欲しい。エレナを守るために」
「……はい。花嫁候補がまだ確定していなかったとき、こともあろうにあの女はお嬢様に危害を加えようとしていました」
なるほど、これが殺意というものか。
「エレナは大丈夫だったの?」
「はい。お嬢様に気付かれる前に阻止しました」
なんとエレナの友人達が結託してあの女からエレナを守ってくれたらしい。
その時結託してくれた人物を全員メモ帳に書き出してもらった。男の名があるのが多少気に食わないけれど、守ってもらったのなら文句は言えまい。
「ん? エリゼオ?」
「はい。先生も協力してくださいました」
「そっか。今度礼を言わなきゃな。エリゼオは僕の友人なんだよ。昔、エレナが可愛い可愛い赤ちゃんだった頃、家に遊びに来たことがあってね。エレナのことを賢い子だって言ってくれたんだ」
エリゼオが可愛い可愛い赤ちゃんエレナの前で手を握ったり開いたりして、それをエレナが真似するものだからあまりの可愛さに悶絶したことを覚えている。
エリゼオがあれを覚えているかどうかは分からないけれど。
「それじゃあ、エレナの周囲に居る男はこの友人達だけなのかな?」
「あとは、王子様です。この国の」
「えぇー……」
この国の王子様というとエレナよりも一つ年下だったはずだ。
何故そんな奴と知り合う機会があったんだエレナよ。王子が相手だったら、どう邪魔をしたらいいのだろう。
いや、でも不敬罪にも小さな穴くらいあるだろうから、まずそこから探さなくては。
「王子も含めてその友人達は、エレナに対して恋愛感情を持っていたりしないのかな?」
あの可愛いエレナだから多少は持っても仕方ないかもしれないけれど、と思いながらそう聞いたのだが、これまたロルスくんは分からなかったようできょとんとしてしまった。
人の恋愛感情を探るというのはまだ難しい年頃なのだろうか。
「私はその恋愛感情というものが分かりません」
あー、恋愛感情そのものが分からないのかー。そっちかー。
「ロルスくんは恋したことないかぁ」
「はい。私の世界にはお嬢様しか居りませんので」
酷く狭い世界だな、と思った。思ったけれど、彼は父がどこかから拾ってきた子なのだった。
おそらく父は呪文の盾にするために、言い換えればエレナの犠牲にするために拾ったのだろうから、幸せそうな子ではなかったのだろう。
しかしエレナの死を考えて、泣くよりもまず後を追おうという発想が出るとなると……まぁ、この辺は深入りすべきではないだろう。
「分かった。じゃあ必要以上にエレナにべたべたくっついてくる男、好きだの愛してるだの言ってくる男が居たらすぐに報告してほしい」
僕はメモ帳に自分の現住所を書いて彼に渡した。
「分かりました」
「エレナが好きな人が出来たと言い出したら、それも報告してほしい。僕が徹底的に調べ上げるから……」
「分かりました」
調べるだけだ。引き離したりはしない。しない。多分……。
「よし、じゃあそろそろ、あれ? なんでそのケーキだけ残してるの? 嫌いだった?」
「いえ……このケーキは絶対にお嬢様が好きなケーキだなと思いまして。どうにかお土産に、と……」
「そっか。じゃあお土産にしよう。夜中にお腹がすいた僕が一人で食べに来たことにすればいいよ」
「本当ですか!」
「うん」
引き離したりはしない……引き離したりは……!
シスコン拗らせてる系兄。
評価、ブクマ、拍手ぱちぱち、コメント、感想等ありがとうございます。
そしていつも読んでくださって本当に本当にありがとうございます!




