酔っ払いを拾った彼女は胃袋をつかんでしまった
前作に引き続き設定ふわふわゆるゆるです。
私エセル・グラティエは先日、家の前に倒れていた同僚を拾った。
倒れていたといっても、生死の危機だったとか病人だったわけではない。ただの酔っ払いだ。
知り合いといえるほど関わったこともない相手だったが、迷惑にもその酔っ払いは私の家の入り口前に倒れていた。流石に放置もできずに仕方なく私のベッドに寝かせてやったんだ。
それなのにその男、アストロ・オービットは失礼な奴だった。
職場で私の噂でも聞いていたのか、礼も言わずに人を毒婦扱い。私と同じ騎士という職業についているとは思えないあほ面で狼狽えていた。
まあ、私の料理の美味しさには感動していたようだし、綺麗に皿を空にしたことにはなかなか気分がよくなった。介抱してやった礼がないことも水に流してやろうと思った。これから関わることもほとんどないのだからと。
そう思っていたんだ。
それなのに。
「なぜ、君は私の家の前で行き倒れるんだ」
はあ、とため息を吐いてしまうのは仕方ないだろう。
数日前と同じ場所で同じ人間が倒れている。また酒に潰れて、だ。
嫌がらせなのかと疑いたくもなるが、完全に意識はない。誰かが運んできたのかと一瞬本気で考えた。
まさか新手の嫌がらせじゃないだろうな。
やれやれと息をついて、私はまたアストロを持ち上げた。
本当にため息が止まらない。幸せがどんどん逃げていくな。
またアストロを私のベッドの上に転がして、レモン水を枕元に用意してやった。
私は前回と同じようにリビングのソファに丸まることにした。騎士という職業柄、比較的どこでも寝られるというのはこういうときに役立つ。
私は任務ではいいベッドで寝かせてもらえることが多いがな。
今日は事務仕事が多くて疲れた。
特に上司の相手をするのが一番面倒だ。書類の傍ら上司の相手をしなければいけない心労はなかなか伝わらないだろう。何せあの上司は普通じゃない、頭のおかしい人間だからな。
明日は休みだし、ゆっくりとすることにしよう。
アストロを拾わなければ最高だったんだがな。
目を開ければアストロの顔が目の前にあった。
…………なんだ。近いな。
起きたなら早く出ていけばいいものを。
「グランティエ、また世話になったみたいで悪いな」
今日は余裕の表情じゃないか。
ぼんやりとした頭で目の前の男の顔を観察してみる。
アストロの顔は悪くはない。綺麗な顔というよりは男らしい顔立ちだ。
……妙に距離が近い気がするのは気のせいか。
私は朝に強いほうだ。覚醒は早い。
だがやはり布団にくるまれている時間は至福でもある。もう少しここにいたいのも本音だ。
目の前の男がいなければ気持ちよく起き上がっていたところだが。
「……私の家の前で力尽きるのはやめてもらえないか」
とりあえず伝えるべきはこれだ。
酒場が集まっている場所からアストロの住んでいる騎士団の寄宿舎はここからは正反対の場所にあるんだがな。本当になぜここまで来るんだ。
この家は私の唯一の落ち着く場所なのだから他人はあまり入れたくない。
「俺も記憶がない。気づいたらここにいた」
「はあ。まあいいが。気づいたなら早く出て行ってくれ。その様子なら二日酔いも大してないだろう」
二日酔いのための食事はいらなそうだ。
さて、今日の朝食は何を食べるか。
家にある食材を浮かべながらメニューを考えようとすれば、アストロが急に「うっ」とうめき声をあげて蹲った。
何なんだ、そのわざとらしい演技は。なめているのか。下手すぎるだろう。そこらの子供のほうが上手い芝居をするぞ。
じと目で見つめるしかない私をアストロが上目遣いで、見上げてきた。
どちらかといえば厳つい風体の男がそんなことをしても全く可愛くないな。不自然だ。
「すごく二日酔いだ。これは駄目だ。二日酔いが治るように朝食を所望する」
ふざけてるのか、この男は。
人の家の前で行き倒れて介抱させた上に食事まで強請るのか。
私ははあ、とため息をついてソファから降りた。
ぐっと伸びをすれば関節が悲鳴をあげる。
やはり柔らかい
ベッドで寝るのが一番だな。ソファでは少しばかり負担がかかる。
「座っていろ」
二日酔いに配慮する必要はないからな。私の好きなものを食べよう。
アストロは嬉々としてテーブルの前に腰を下ろしている。
もしかしなくとも最初の拾い物は失敗だったな。捨て置くべきだった。
仮にも野営訓練や任務中の野宿を経験している騎士だ。一晩くらい放っておいても問題なかっただろう。
今更言っても遅いが。
一昨日の夜中に煮込んだブイヨンを取り出してざく切りにした野菜を入れていく。腸詰もいくつか。
腸詰には私オリジナルのスパイスを混ぜ込んである。肉屋の腸詰も美味しいがそれとはまた違う旨みが自慢なんだ。
あとは鍋に蓋をして少しの間煮込むだけ。
もう一つ鍋を取り出して水とビネガーを入れて沸騰させた。そこに卵を割り入れて程よい固さになったら取り出す。
バケットを薄く切った上に卵を乗せて塩コショウとハーブを振りかける。
これだけだろ皿が寂しいな。
ああ、林檎をもらったんだった。
酸味のある乳の加工品グルトと混ぜ合わせて蜂蜜を垂らして……うん。完璧だ。
煮込んだスープを皿に移し、自家製のハーブティーもカップに注ぎ入れてテーブルの上に並べていく。
目の前の男は気に入らないが、朝食は完璧だ。
この卵料理はポーチと言ったか。
この間知ったばかりだが気に入っている。
「ありがとうグランティエ」
アストロは妙に笑顔で私の運んできた料理を見ている。
まあ気に入ってくれるのは嬉しいんだが、なんだか複雑だ。
なぜ、私の城ともいえる持ち家の中で私の貴重な料理を振る舞ってやらなければいけないんだ。
……うん。私の料理は今日も美味いな。
そういえばこの間珍しい調味料を貰ったんだったな。早速試してみなければ。
明日あらはまた仕事だからな。そろそろ任務も入りそうだし今日のうちに少しだけ使ってみよう。
しかしあまり調子に乗って作りすぎると食べ終わらなくなってしまう。特に長期の任務前だと処理に困る。
「やっぱり美味いな」
アストロが呟いた言葉に内心で当たり前だと返しておく。
「にしてもあのグランティエがまさかこんなに料理上手だとは思わなかった」
……なぜこの男は普通に世間話を始めようとしているんだ。
「早く帰れと言っただろう」
その耳は飾りなのか。
「いだろ、少しくらい。一人より二人で食べるほうが美味い」
「それはただの迷信で、悪いが私は一人が好きなんだ」
「男好きのくせに」
「…………」
本当にめんどくさい奴だ。
別に私は男好きではない。女が好きなわけでもないが。
どちらかといえば男からはできるだけ距離を置いておきたい。とくにこういう私的な時間では。
だからと言って目の前の男に抗議しても無駄だろうから黙ってにらみつけておくだけにしておく。
「エセル・グランティエといえば清楚で可憐な容姿で男を誑し込み、そのくせヒールで踏みつけるご令嬢だろ?」
……まあ、間違ってはいないか。事実といえば事実だ。やったことはある。
切実に訂正したいところではあるが認めたくない事実でもある。
事実は覆らないからな、言い訳をしても意味がない。
「早く帰らないとお望み通りヒールで踏みつけてやるぞ」
決して私の趣味ではないがそれに抵抗はない。
それくらいには慣れてしまった。
それもこれもあの頭のおかしい上司の所為だ。
考えると頭が痛くなってくる。
「貴族の屋敷に住んでると思ってたんだが、意外に家庭的なことに驚きだ」
本当に人の話を聞かない奴だな。
帰る気がないのか。
「料理は私の趣味だ」
そもそも私は貴族ではない。
「第一、お前の喋り方は綺麗な令嬢言葉なんじゃないのか?」
「私は普段からこの喋り方だ」
普段から、というか普段は、が正解だが。
令嬢言葉は出張用なだけだ。騎士団内でも普段はこちらの喋り方をしている。
……まあ、一人頭のおかしい例外がいるせいで誤解を招くことになってるんだが。
「グランティエ、世話になったな」
食事を終えて、食後のお茶まで飲んでから漸くアストロは腰を上げた。
「お前のことを俺は誤解してたのかもしれないな。これからは見る目を変えることにする」
「今までと同じでも私は構わないが」
なんだか距離を縮められた気がするな。
私は一切仲よくしようとは思ってないんだが。
「頼むからもう家の前で倒れるのはやめてくれ」
「ああ、気をつける」
ひらひらと手を振りながら去っていくアストロの背中を見ながら思った。
……ああ、嫌な予感がするな。
三度目はまさかないだろうとは思うが、な。
さあ、新しい調味料を試してみよう。
軽くクッキーでも焼きながら夕食の下ごしらえだ。
まだ続きを書こうと思っております。