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神の名の下に

作者: 源 三津樹

設定を拵えて長期にするかと思いましたが、試しに書いてみました。

おかげで、短編にしては少し長いです(1万千文字程度)

お時間のある時にご覧いただければ恐縮です。


気が向いたら長編も書きます。

 この国は、古い(さだ)めと最近になって作られた定めがある。

 古い定めに関してはともかく、最近になって暗黙の了解として決まった定めについては近隣諸国では首を(ひね)る者も少なくはないだろう。

 場合によっては、身分制度の崩壊と取られてもおかしくはないし内政干渉と取られてもおかしくはない。更に言えば、ことこの件に関して彼等には苦情申し立てをする権限がないと断言されてしまっているので受け入れるか時が過ぎるのを待つのかの二択が用意されていると言うのが、また更に彼等にとっては腹立たしい現状だ。

 しかし。


「そこのお前、何を立ちふさがっているのです?」


 大抵の王宮がそうである様に、この国にも後宮がある。

 ただし、王の後宮ではなく王太子の後宮だ……とは言っても、王の後宮が無くなったのはたった一人の王子を除いて妻である王妃と側室達に、その子が全て死亡したからこその崩壊である。よくある、権力争いだ。

 現在、ただ一人生き残った王子の母は王宮メイドの一人であったので後ろ盾も無い事から王家としての権威は失墜していると言っても過言ではない……無いのだが、厳然(げんぜん)たる事実としてたった一人生き残った王の子である事実は変わらないので彼等は国に属する者として彼に対して頭を下げなければならないと言う義務が生じている。それを快く思わない者は決して少なくはないし、かと言って唯一生き残った王子が彼等に圧政(あっせい)()いているかと言えばそうでもなく。さりとて、正論を向ける王子に対して数の暴力で無視するには権力格差と言うものも存在する為、なかなかに微妙なラインを保っていると言うのが現状だ。


「何者です」


 そんな後宮には、現在側室候補が13人滞在している。

 国内外における貴族の令嬢達、そのうちの一人を除いて貴族達がねじ込んで来た者で下は5歳から上は38歳とバラエティ色が豊かすぎて、もはや何をしたいのか判らないと言いたくなる程度だ。

 現在、その中で筆頭と目されている人物がいる。だが、まるで王子に(なら)ったかのように彼女は表立って権力を振るう事も無く今は沈黙を保っているので後宮の中で増長する者が出始めていると言うのが現状だ。


「何者ですって……メイド風情が何をわたくしの前に立ちはだかると言うのです! お退きなさい!」

「お待ちください、カロライナ様」

「……何事です」


 後宮内に置いて、後宮の主と言えば王妃を指す。

 だが、王の妃である王妃は現在亡くなり王の後宮は閉じられている。ここは王子の為の後宮で、つまり本来は王子が後宮の主となるべき存在ではあるが唯一生き残った王子が後宮内に目を光らせるなど出来る筈も無く……そうなれば、王子妃が後宮の主となるのも事実ではあるが、今だ側室さえ決まっていない王子の後宮では建前上の管理者として後宮所属の女官長がその立場にある。

 現在、王子の為に集められた女達でも13人は側室「候補」であって側室にも就任していないのだから、これはこれで間違いではない。


「ジャスミン・センパーバーンズ、ですね」

「メイド殿!」


 彼女の連れて来た男性……護衛騎士にしては鎧を着けて居ないし、従僕にしては体つきが武官向きだ。勿論、体質によって従僕であっても武官や騎士がほれぼれするような肉付きの男性が不在であるとは言い切れないが、その割には少々不穏な人物である事に変わりはない。


「後宮では実名は伏せられております……!」

「それは側室以上の存在となって初めて与えられる権利でしょう、わたくしにはジャスミン・センパーバーンズにその権限が与えられたと言う話は聞いておりません。13人の側室候補の中に、彼女が入り込むのでしょうか?」


 この場合、セリフの外側では「この女に入り込む余地あると思ってるの? ふうん?」と言う感情がダダ漏れになっているのは口にしなかったが、空気を読む事が出来る人物には判ったのだろう。

 カロライナと呼ばれ、ジャスミン・センパーバーンズと呼ばれた当の本人は別として他の者には何人かが顔色を変えた。


「そ、それは……」

「何を言っているのかしら、この下賤(げせん)なメイド風情が……。

 わたくしは、この国の正妃となるべく後宮に参ったのです。この後宮の主、この国の国母となるべく。

 さあ、判りましたらお退きなさい。わたくしの道を阻むなどメイド如きに許されるとでも思っているの!」

「カロライナ様!」


 顔色を更に悪くさせた男性など気にもせず、彼女は身にまとった……昼間だと言うのに夜会用の豪華で大きな宝石が幾つも縫いとめられていると言うドレスを(ひるがえ)して先を進もうとして。


「どういうつもりです」

「それはこちらの言葉(セリフ)です」

「メイド殿、おやめください!」


 半ば悲鳴を上げるかの様な声を出した男性だが、他人事状態で聞けば野太い声をした体格の良い男の悲鳴交じりの声を聴いた所で。一体、誰が喜ぶのか不明と言うのが周囲の意見だろう……実際の所、他人事で聞いている事が出来る者達は訳が分からないと言う顔をしているし、事情が分かる者の中には慌てて逃げ出す者もある……それが、ここ暫く後宮にて起きている大小を含めた問題解決に当たって全てに該当する事実だ。


「何故、国内一貴族の令嬢の連れ添い(コンパニオン)が王妃になれると言うのか……理解に苦しみます。

 我が主を差し置いて、ジャスミン・センパーバーンズと言う者にどれだけの価値があるのでしょう?

 わたくしに説明を願えませんか?」


 言っている言葉は丁寧語だが、明らかに馬鹿にしているのは判った。

 流石にジャスミン・センパーバーンズにも己に直接問いかけて来るメイドを見て疑問符を持つ……と言う事が出来れば、まだ状況は変わったのかも知れない。


「お黙り! メイド風情がわたくしの道の前に立ちはだかるなど許されませんわ!」

「いえ、メイド殿は許されております……彼女の主によりまして」


 すでに顔色が青から白から黒に代わりかけた男性は、今すぐこの場から立ち去りたい気持ちになっているのだろう。

 当然だ、彼にしてみれば他の女たちはともかく男性と言う一語に置いて他の女達より危険度はぐんと跳ね上がる。

 正式に納得出来るだけの説明をすれば話は異なるだろうが、すでにジャスミンが色々とやらかしているので無事に済む可能性はとても低い事を覚悟した。


「なんですって!」

「わたくしは、我が主の為に動きます。この国の為でもこの後宮として扱われている離宮の為でもなく、ましてやこの国の貴族の為でもありません」


 後宮にあるメイドだと言うのに、メイドはきっぱりと言い切った。

 主以外に動く気はない。

 本来ならば、その様な事を公言するのは許されない事だ。


「我が主は喧騒(けんそう)を好みません。

 我が主は(あらそい)いを好みません。

 我が主は(はかりごと)を好みません。

 故に、わたくしは我が主の為に参ります。

 この手この足は主の為、この身この心を持って主を(わずら)わせる全てを……」


 けれど、最初からそうだった。

 誰かの記憶に留まるようになった、その日から。

 歌うように踊るように現れた自称メイドは。


「排除します」

「ちょ、待てメイド殿!」

「きゃあぁっ!」


 きん!


 先に述べておくが、基本的に後宮の中では武器の持ち込みは禁止されている……この場合、護衛騎士であっても真剣を所持する事は出来ない。非殺傷武器(ノン・リーサルウェポン)が強制させられている。万が一にでも後宮の住人に怪我でも負わせたら問題だし、それでも持ち込む者は存在する……その場合は、己が進退を覚悟の上でなければならないのだけれど。


「なんでメイドが武器を持っているのよ!」

「武器ではございません、我が主の命に背く真似は致しません」


 ぎりぎりと金属が摩擦(まさつ)と言う悲鳴を上げている……火花さえ散った光景にジャスミンは目を丸くする。

 彼女が、表向き連れ添いとして登城する際に言われたのは外部から襲撃される可能性は少ないが、護衛騎士以外の武器携帯は禁止されていると言う事。加えて、それでも持ち込む者はあるが発覚した際には「物理的に首が飛ぶ」ので率先して行う護衛騎士は信用してはならない。もちろん、彼等護衛騎士が「後宮にある者の犯罪」を「見逃す」と言う行為が発覚した場合には「縁者全て」が対象となる。

 故に、もしも何かを考え着くのであれば「正攻法」以外は決して行ってはならない。その場にある物質、人員、期間を使わなければならないのだと言われた。

 ……逆を言えば、きちんと正当な手順さえ踏めば何をしても許されてしまうと言う話もあるのだが。


「確かに、メイド殿は後宮の決まりを破ってはおりません……す、すみませんがメイド殿、一度離れたいのですが!」

「……致し方ありませんね、鍛え方が足りないのでは?」

「面目ない……」


 溜息まで漏らしながら、メイドと男性は両者の振り払う勢いを使って飛びのき距離を取った。

 通常ならば、護衛騎士の彼はだらしがないと嗜められ笑われても可笑しくはないが。実際に目の前でやり取りをしている以上は、そんな事を口に出来る余裕は無い。彼が「自らの仕事」と認識している「護衛」と言う任務を全うしなければジャスミンは恐らく命が無かったか、それに近い状態だったと思われるしそこで放置しとけば彼も恐らく物理的に首が飛んだ事だろう……。


「ですが、貴方は護衛騎士ではありませんよね?」

「ちょっと待ちなさいよ、お前は何を持っているのよ!」


 この状態でも口が利けるのだから、ある意味に置いてジャスミンはとてつも無く根性が座っているのか、それとも単に己の身の安全を絶対と思い込んでいるのかの(いず)れかだろう。

 どちらにしても、良い性格である。

 そのジャスミンの声に視線をちらりと向けてから、メイドは更にちらりと己の手にした長物を見つめ。


「見ての通り、絶賛日々大活躍の高枝切狭でございますが……それが何か?」

「タカエダキリバサミ……?」


 メイドの手には、1メートル半くらいの位置に印の様なものがついた。切っ先に刃物がついている全長からすると3メートル弱程度の、金属で出来ていると思われる棒がある……無理矢理に武器に似ているとすると、鎗が形状的には最も近いだろう……しかし、その棒尻には鎗ならば石突と呼ばれる小さな刃だったり(おもり)が着いているものだったりするが、代わりとばかりにレバー状態のものが付いている。


「ええ、とても便利な道具です。日々、我が主の中庭の剪定(せんてい)を行う際に木の上に登ったりせずに手入れを行う事が出来ますし、レバーを握ったままであれば落とさずに降ろする事が出来ます。先端部分を取り換えれば(ハサミ)ではなく(ノコギリを付ける事も出来るので重宝しております」


 言うと、手元のレバーを動かすのと同時に、鋏がちゃきちゃき動くので見ていた者は目を丸くした。

 恐らく……こんな下級使用人が使う様な道具を見た事も聞いた事がない、貴族またはその関係者ばかりが集まっているからなのだろう。


「ぶ、武器の持ち込みは禁止の筈よ!」

「……武器ではありません、これは庭仕事の道具です。

 それとも、ジャスミン・センパーバーンズ。貴方は庭仕事をするのに刃物を使うなと? 台所仕事をするのに包丁を使うなと? 洗濯をするのに棍棒を使うなと仰る? 時には火を使えば水を使う事もあるでしょう、それら全てを武器や攻撃と認定すると? では、誰がどの様にして我が主や『彼女達の主』のお世話をされると言うのです?」


 やれやれと呆れた様子を隠す事もないメイドは……力いっぱい、馬鹿にしていた。

 言われても、ジャスミンにはそれを理解出来ないと認識しているからなのか。もしくは、彼女がそれを知った上で言っていると言う事なのだろう。どちらとも取れる顔でジャスミンは「それは……」とだけ口にした。

 知っていても知らなくても、「お嬢様」と呼ばれる人達を世話をするのに「全く武器にならないもの」しか手元に置く事は出来ないと言われたらろくな世話もそうだが、世話をされる方だってどうなるか判ったものではない。


「そ、そう言う問題じゃ……」

「では、心置きなく……」

「待ってくれ、メイド殿!」

「何でしょう?」

「私は、彼女を……カロライナ様を女官長の元へお連れする様に命じられている。それまで待って貰いたい」

「ちょ……お前、私を守るのが役目の癖にっ!」

「私は!」


 鎧を着けて居ないので、護衛騎士であるかどうかは不明。ただし、剣の腕を見ると文官と言うわけではない様に見える。

 さりとて、命じられた事を果たしたいと言う心意気は判らなくはない。

 誰か、他の人の命により動く人を(さえぎ)るつもりも予定もない……主の前に立ちはだかると言う事さえ無ければ、と言うのがメイドの言葉だ。


「私の役目は、カロライナ様を女官長の元へ送り届けると言う事を命じられました。ただ、それだけです」

「ジャスミン・センパーバーンズは、14人目の側室『候補』として放り込まれたと言う解釈で宜しいのですよね?」


 彼は、背筋がぞくぞくと震えた……これは、良くない類の震え方だと言うのが判る程度には。

 彼女も、特に何か言われたわけではないが常の意識だったならば「候補じゃないわよ、候補じゃ!」程度の事は言い放ったかも知れないが、先程までの立ち回りを見て下手に口を出せばどうなるか判ったものではないと言う事くらいは、判った。判りたくは無かったし、そんな事を口にすれば「そんな訳ないじゃない!」とでも怒鳴りつけたかも知れないが。

 分厚い眼鏡で覆われた、その向こう側の眼球が何を。どんな風に見ているのか、見えているのか、それは眼鏡のこちら側にに居る身の上では判らない……ただ、一つだけ想像がつく事はある……眼鏡の奥は。

 笑っていない。


「……判りません」

「ちょっ……!」

「休暇中の中で呼び出された身の上で伺った事は『連れ添いであるカロライナ嬢を女官長の元へ無事に送り届ける事』と言うのみで、それ以外は何一つ伺ってはおりません」

「ちょ、だから……」

「どの様な意味なのでしょう、無事に送り届けるなど……確かに、後宮には悪鬼羅刹(あっきらせつ)跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する環境である事は否定致しませんが」

「メイド殿……」

「まあ、その様なお顔をなさる必要はありませんよ?

 何しろ、この国では国王陛下を頂点に掲げると口にする横で12人もの5歳から38歳までの側室『候補』をねじ込んで来る貴族の方々がおられる程ですもの。これほど主君を嘲笑(あざわら)う事もそうはある事ではないのでは?

 ……その事も、我が主はとても御心を痛めておられるのだと言う事を。今一度、皆々様に申し上げるべきである事を我が主に進言申し上げなければないのではないかと思う程度には、わたくしも主を御労(おいたわ)しく思う次第でございます」


 頬に手をあてて、聞き分けのない子供を相手にする大人の様子で……実際、メイドとして登城しているのだからメイドは大人だろう。少なくとも、5つや6つの子供が登城する時は貴族の連れて来た子供程度のもので。少なくとも、一般人で子供が登城するのは王家から呼び出しをされる時くらいなもので、しかもここ十数年は起きてはない……下手をすれば、数十年も。


「お前の主って……!」


 口を出そうとしたジャスミンは、眼鏡越しに見られたメイドに視線を向けられた。

 通常、身分の低い者が身分の高い者へ視線を合わせる事は許されていない……無論、逆に身分の高い者は身分の低い者を見る事はあるだろうが。高慢な者の場合は身分だけで相手を見るので実在する相手の形は認識しない。これは、おかしい事ではなく一般的な貴族としての在り方なのでおかしくはない……おかしいのは、明らかに眼鏡の向こう側からこちらにある。どう見ても連れ添いの方がメイドより身分が高い筈なのに、そうして降ろされた前髪も合わさってメイドの目など見えないと言うのに、真っ直ぐと「こちら」を見ていると判断出来てしまうのだ。


「我が主は我が全て……それ以外のナニモノでもございません。

 そうして、我が主の御心を乱れさせるような存在をわたくしが見過ごすとでもお思いですか?」


 ちゃき。


 手にした長物……持っている本人曰く、庭師の使う道具である所の高枝切狭を構えたメイドを止めたのは。


「待っていただきたい、メイド殿。

 少なくとも、それはカロライナ様を女官長の元へ送り届けてからでも遅くはない筈……貴殿の主は、私の職務を邪魔立てする様にと命じられる方なのか?」

「偽りの名を持つ者を……ですか? 我が主に関わる可能性が非常に高いのですが?」

「させません」


 つい、今しがたまでは遠慮があったのか引き気味だった彼は。

 その目は、決意と言う名の確たる光を宿していた。


「私の名に置いて、決してさせる事はないと誓いましょう」

「……必要ありません」

「私が偽りを申していると言うのですか!」

「貴方様の偽りの名で誓われた言葉に、どれだけの意味があると言うのです……我が主を侮辱するにも程があると言うものだとは思いませんか?

 それとも、後宮の決まり事ルールとは偽りの名の下に偽りの誓いの言葉を述べよと言うものがおありですか?

 『エド』様……でございますよね?」

「それ……は……」


 じり、と「エド様」と呼ばれた彼は一歩下がった。


「恐らく……貴方様はこの後で続けるおつもりなのでしょう『それは偽りの名ではない』などと言う妄言を……。

 確かに、『エド』と言うお名前は一部ですので紛れも無き偽りとは言い切れません。

 かと言って、それでは『エド』と言う名が真実誓いに(かか)げられる名であるかと言えば異なる事でしょう……なかなかにグレーゾーンだと思われましたか? 知略謀略に長けていると言うのは過大評価であると申し上げるより他ございません。

 その程度の策を(ろう)した所で、我が主に通じると思われておいででしたか」

「そ、それは……私は……」

「ここで『彼女に無用な心配を掛けさせたくなかった』などと言う、面白味も何もないセリフだけは口を(つぐ)んでいただきます様。お願い申し上げます」

「うぐ……!」


 図星か……と、誰かが口にしたらしい。

 もしかしたら、それは一人だけではなく何人かいたのかも知れないが。


「ジャスミン・センパーバーンズを後宮に側室『候補』をして迎え入れると言う事は、我が主とのお約束を違えると言う事になります」

「それは! ……それ、は……」

「エド……とか言いましたわね。

 貴方、一体何者ですの? 後宮に連れられて引き合わされ、このまま参りましたけど……」


 メイドとエドは、こぞって「おや?」と言う顔をした。


「御存じありませんでしたか……」

「気づきもしなかったのか……」

「な、何なんですの……!」

「「いえ、別に」」

「ちょ……何なんですの!」

「「いえ、お気遣い無く」」


 二人の共通した意思とは……「憐れみ」だ。

 まるで可哀想な子でも見る様な目を向けられた上に、尋ねたら二人揃って双子かと言いたくなる速度とタイミングで顔をそらされたのでジャスミンとしてはたまったものではない。内心では焦りまくるが、周囲を見回してみると何人もの人の目がこちらを見ている。


「……お、お退きなさい! 見世物ではなくってよ!」


 当然、我慢出来ずに周囲に矢鱈めったら怒鳴りつけてしまうのは仕方がないだろう。

 何人かはこそこそと姿を隠した者もある様だが、だからと言って全員が全員素直に消え去ったと言うわけでもない。

 幸運だったのは収容されている「側室候補」達がこの場にないと言う点ではあるが、それは単に自分達の目と耳として使っている者からの情報を受けても即座に現れれば何を言われるか判ったものではないからだ。

 貴族社会で真に恐れるべきは噂と言う化け物……とは、よく言ったものである。


「女官長の下までご一緒致しましょう、この様な騒ぎになってはこの場で削除した所で鎮静化させるには時間が必要となり我が主へと被害が及ぶ可能性がございます」

「そ……!」

「ああ、それは良いですね。とても心強い……メイド殿のお気遣いに感謝します」

「仕事ですので」


 こちらに全く目を向ける事もなく、メイドは先を歩み始めた。

 セリフを(さえぎ)られてしまったジャスミンは、エドと呼ばれた男性に食って掛かろうとして……(ひる)む。

 つい、今しがたまでの様子と雰囲気をがらりと変えてしまった……髪型でも服装でもない、顔形だって変わっていない、けれど確実に先程とは「別人」だと言いきれる程の、異なる空気を発する姿を見てしまった。

 そうして、エドは先行くメイドに聞こえぬ様に口を開く。


「ジャスミン・センパーバーンズ嬢、貴方は後宮に入ると知らされ『決して違う事の許されぬ知らぬでは済まされぬ定め』を聞いた筈だ。

 まさか、聞いていないとでも言うつもりか」

「な……それ、は……」


 後宮で「主の所有物」と言う存在になる……つまり、王妃以外の全ての存在。これは男女身分に関係なく、そこに「住居を与えられる」と言う意味で存在する者には「仮名」が与えらえる。今でこそ形骸化して廃れてしまったが、かつて魔法の力が世に蔓延(まんえん)していた頃は対象者の名を知っているだけで相手を害したり(まじな)いをかけたりする事が出来たと言う。もはや世界から魔法の力が(すた)れ初めて幾つもの年月を経た今となっては本当に形だけのものであるし、それをきちんと守る存在は皆無に近いが、侍女や従僕と言った使用人や護衛騎士でさえ後宮に自室を与えられる事はない。

 つまり、もしも本当にジャスミン・センパーバーンズに部屋を与えられていると言うのであれば「カロライナ」と名乗る彼女は側室「候補」ではあるが主の所有物に他ならない。

 だとすれば、後宮では「定め」があると言う事も知らされて当然だし。逆に知らないと言うのであれば部屋を与えられるだけの資格がないと言う事になる……単純な話、1どころか0からいちいち教え込むほど後宮とは暇な所ではないのだ。


「王妃……この場合は、王子妃となる以外の全ての側室は寵姫であろうが側妃であろうが愛人であろうが娼婦であろうが、誰一人例外なく『所有物』でしかない。だと言うのに、持ち主である王子を煩わせる様な存在を無駄に迎え入れる程に後宮は暇ではないのだ」


 一つ、後宮の主は王または王子である。

 一つ、正妃以外の後宮の住人は元の身分を問わず主の所有物である。


「それは……でも!」

「ジャスミン嬢、貴女の行いは何年も前でしたら問題になり(にく)い事だったでしょう、ですが今は違います。

 貴女は最初から間違えた、いえ。貴女をここへ寄越した者が間違えたのかも知れません。

 これから挽回しようと思えば、出来ないわけではないかも知れません。ですが、その保証は限りなく低いでしょう……恐らくは」


 一つ、メイド殿に逆らってはいけない。


「貴女が、もし後宮の定めを知っているのであれば。決してあのような振る舞いを行う事は無かったのではないかと思います……ですが、すでに事は起きてしまった。貴女は起こしてしまった。

 メイド殿は、この国のメイドではありません」

「え……?」

「気が付きませんでしたか? メイド殿の衣装は我が国のメイドと似てはいますが使用人の作業服なので、どこの国も大きな差はありません。

 そうして、メイド殿の主はあくまでも『側室候補』である以上、我が国としては客人として持て成さなければならないのです。

 メイド殿の主に、苗字はありません。そうして、必要がない限り名乗らなくても許される立場におありになる」

「……それって」

「ええ、メイド殿の主は隣国の姫君。

 婚姻されれば王子妃となる御方、ですが未だに王妃も王位も何一つ決まってはいない。

 ジャスミン・センパーバーンズ嬢、貴女は一体。後宮に何をしに来たのです?」

「わ、私は……」


 かつて、ある大陸に似た様な力を持つ二つの国があった。

 一つは砂漠や山脈に囲まれ広大な土地を持ち、多くの少数民族を統率して生まれた国。

 もう一つは、国土こそ広くはないが肥沃な大地と民族的な方向性から特化している者が数多く生まれた国。

 二つの国が似た様な力を持っているのは、何の事はない。

 前者の国から売られた喧嘩を後者の国が全く無視して視界にも入れぬ、清々しい程に戦争回避に全力投入をしていたからである。

 両国間の冷戦……主に前者の国から後者の国へのイジメにもならぬ攻撃をかわすのもいい加減に百年単位になって飽きた頃。あまりにも農業に適さない土地を国土として無理矢理広げすぎた前者の国は、半ば自滅にも近い形で滅びようとしていた。

 流石に、勝手に羨んで来て勝手に喧嘩売ってきて、勝手に喧嘩を買わない事で更に追撃して来たのに、力尽きて滅びかけられてしまうと言うのも後々を考える大変迷惑になると思った後者の国は、両国間の友好の証として一人の姫を輿入れさせる事にした。

 しかし、前者の国の王はすでに後宮を作る余裕は心身ともに無く。王子の後宮には子供こそ存在しないものの、そこには12人の「側室候補」が存在していた。

 姫君は、一人のメイドだけを連れて後宮に現れた。自身は強い光に弱い体質だと言う事で薄いヴェールを被っている為に、その姿を見た事がある者は無く部屋に引きこもり後宮の主としての活動はしていない……それも当然だろう、いかに姫君とは言っても正式に輿入れをしたわけではないのだ。後宮の管理は現在、この国の女官長が王子の代行と言う形で行っている。

 当然、その間に後宮の主を巡って女達の激しい攻防はあったのだが……。


「メイド殿は、後宮に現れた三日目にはすべての騒動を解決された」

「……へ?」

「初日は騎士団駐屯所へ赴き、全ての騎士を叩きのめされた。近衛、侍従を問わずに」

「え……と、それはおかしいのではありませんか?」

「ええ、有り得ないと言う意味ではおかしいです。通常ならばあってはならぬ事です」


 ジャスミンも少しは知っているが、騎士と言うのはなりたいと言ってなれるものではない。

 少なくとも、最低限の実力が無ければなれないし。家の力で入ったとしても通過儀礼的に新人は体力づくりをさせられるのは身分に問わない……戦略担当の者は別かも知れないが、それについての知識はない。

 メイドは、どちらかと言えば女性でも小柄な方でありぴっちりと着込んでいるが服の形からしてみると体重も重いかどうかは見た目のままではないかと思われる程度だ。確証はないが、あれだけの細さで自分の倍以上の体重があったら別の意味で気絶するかも知れない。


「二日目は、誰とは言いませんが某候補の侍女が行動した策略により贈られたろくでもない贈物の送り主を見つけ出し気迫で相手を視覚的に潰しました。一切手を使わず、気迫だけで潰された侍女が己の行動を白状したわけです……姫君に用意された食事に毒が盛られたり、姫君に贈られた筈のドレスが切り裂かれていた時も同様に起こり、犯人を女官長へ引き連れた挙句王家に報告がされました」

「それは……」


 後宮とは女の戦場であるとはよく言ったもので、今だ正妃どころか側室さえ決定されていない王子の妻になりたがる女と言うのはいるのだろう。

 特に、最年少5歳児はともかく最年長38歳は崖っぷちも良い所で彼女を筆頭に「色々な事」が起きていると言う事を言いたい様だ……まるで三流ゴシップの様な話だが、実際に現場に飛び込む事になる以上はどうしようもない。


「いかに歴史の確執があるとは言っても一国の姫君相手に行った事です……メイド殿は王家の許可を得た上で実行者には同等の報復を願いました。

 ろくでもない贈物をした者は贈物を素手で受け取り、毒入りの食事を出した者は毒を口にし、ドレスを切り裂いた者の着衣を全て切り裂きました。それだけで今回は引き下がると言う『姫の寛大な処置』を受け入れるしかありませんでした」


 いや、それ寛大って言うの? 寛大ってそう言うものだっけ?

 などと、ジャスミンが疑問に思ったのは当然の事で。されど、それを説明しているエドに何と言って口を挟めばよいのかも考えるのは脳みそが判断を拒否している様だった。


「そうして三日目……メイド殿は、自身の使用人に対して(しつけ)がなっていないと動かれたのです……使用人達に『勝手にやった事』だと捨て置かれた使用人達と共々に。

 自身の主人を守る使用人は、私の知っている範囲では存在しませんでしたよ」


 ごくり。


 ジャスミンが飲み込んだ(つば)の音は、自身が思っているよりも大きな音だった。

 だからこそ、エドの「故に」と言った言葉は想像がつくようなつかないような、そんな感じだった。


「善意には善意を、悪意には悪意を。

 攻撃には倍返しをされるメイド殿には、決して逆らってはならぬと言う不文律が生まれました……いつ行ったのか、自身の主の害になると判断をした場合は粛清(しゅくせい)する権限を与えられて」

「しゅくせい……」

「ああ、でもまだ良かったのですよ……メイド殿が殲滅(せんめつ)するなどと言われなくて。

 少なくとも、私の知っている限りメイド殿に勝てる存在は……メイド殿の主だけですから」


 それは一体どんな化け物っ!?

 と、ジャスミンは思ったが。次の瞬間に「自らの主を守る為の行い」で主に傷をつけると言う事になる矛盾の為だと気が付き、うっかり口は開いたが叫ばずに済んだ幸運に息を吐いた。


「ジャスミン嬢、貴女がもし後宮に入り無事に過ごしたいと思うのでしたら。

 決して、メイド殿に逆らってはならない。何故なら、メイド殿は自身の主の為だけにしか動かないのだから」

「……まるで、隣国の姫君は神か悪魔の様ですわね。あのようなメイドを飼っているなんて」

「違いない」


 くすりと笑ったエドを見て、ジャスミンはようやく気付く。


「エド、と言いましたね。

 貴方は一体、何者なのです?」

「……私は、カロライナ様を女官長の元へ案内する。ただそれだけです」

「いえ、そう言う訳ではなく……」

「それよりも、今から言い訳を考えた方が良いのではありませんか?

 貴女がどのような事を言われたのだとしても、事実として14人目の側室「候補」も貴女が正妃となる事もありません。

 王室をたばかった罪で、最悪一族郎党が処刑されるかも知れません」

「ええぇっ!?」


 今度は声を抑える事も出来なかったジャスミン・センパーバーンズは、歩き始めてしまったエドの後を着いて走り出した。

 もう、メイドの姿はかなり小さくなっている。このまま置いて行かれたら、一体どうなるかは判らない。


 そんな一人の女が、メイドと隣国の姫とエドウィン王子の関係を知るまでは。

 まだ、少し時間があった。



終り

ジャスミン・センパーバーンズ嬢の元ネタはカロライナジャスミンと言う薬草であり毒草です。

ジャスミンとは言ってもwiki先生によるとモクセイ科ソケイ属(Jasminum)のジャスミンとは全く違う種でありゲルセミウムと言う種類だそうです。近年では街路樹や公園、遊歩道に植樹されていますがジャスミンティーにするのは体によくないそうです。とは言っても、かつては米国で抗ガン作用、血圧を下げる、片頭痛治療、神経痛、喘息、リウマチ、消化不良に薬効があると言われていました。

日本では主に観賞用として使われているので、某ドラマに出て来た巨大母が使っていたのは、この辺りが元ネタかなあ?とこっそり思ってます。だって、あれ実在しない植物だそうだし(ドラマとかで実物を使うと欲しがる人が多くなる可能性とか使いそうな人がいる可能性があるからではないかなあと思います)

現在は殆ど用いられていないので、食べちゃダメですよ?

毒も薬も使い方次第と言う事ですね。作中の彼女は……うん、そう言う人です。

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