キノコの娘
これは失敗か、という空気が広間に広がった頃、
ぼふっっん
ぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽん
突然、可愛らしい破裂音が響き渡った。
最初の大きな音の出所は、先ほどオウルがフォークで指差したフォレス王国特産の食材が飾られた壁際の小さなテーブル。
小さく、たくさんの音の出所は、広間のあちらこちらから。
大きな破裂音に視線が集まる。
目を向けると、凛とした微笑みを浮かべた、網目模様の入った長い暗紫色のワンピースを纏った美しい少女が、食材が飾られていた筈の小さなテーブルに腰掛けていた。髪から服、靴に至るまで暗紫で統一され、ワンピースから覗く両腕や、白いグラデーションが入ったハイヒールを履いた足は驚き心配になる程に白い。黄色い薔薇のアクセサリが彩る暗紫の長い髪はチラリと見える裏側が白いという、ただの人ではないと覗き見たものに感ずかせる。
その彼女の周囲には、掌の上で愛でる人形のような、色鮮やかな小さな少女たちが戯れている。
モコモコとした帽子を被った、灰褐色のコートで全身を隠した少女。
淡い褐色のつなぎ姿で白い麦わら帽子を被った少女。
艶のないオレンジ褐色の髪を持つ、胸元が大きく開いたワンピースを纏った少女。
それぞれの同系同色の人形のような少女が、10から20体、ちょこちょことテーブルの周りを走り回っている。
「あれ?うそ、どうして?」
動きまわる少女たちは、まるで逃げ惑う鼠の群れのようで。
侍女や騎士たちが足元にやってくる少女たちを、どうにか捕まえようと腰を屈めて追いかけていく。
「瓶の側面に、あいらぶゆー(改)ってあるのですが?成分表の下に、小さく説明文も書いてありますね。」
瓶の側面を見せるように、予想外な状況に呆然としているベルタに差し出したアレン。
克服薬あいらぶゆー(改)~私に愛をささやいて~
服用者が克服したい嫌いな食べ物を克服する為の魔法のお薬です。
服用者とは異なる性別の人型に、嫌いな食べ物が変じます。人としての人格を持った相手と語りあい、思いを通わせ、相手に真実の愛を捧げましょう。それが唯一の解除方法でもあります。真実の愛を捧げるまで、周囲全ての嫌いな食べ物に影響が及ぼします。お早い解決が望まれます。ファイト!
基礎・ベルタ。改良・ローク。人格形成・疾風。
虫眼鏡が必要となるくらいに小さな字で書かれた説明文を読み上げた。
その声は途中から振るえ始め、ベルタは無い握力で瓶を握りしめた。
「何、勝手に改良してるんですかぁ先輩の馬鹿~!!」
数少ない上手くいった成功作を勝手に改良(改悪?)されて、ベルタは涙を浮かばせて叫んだ。本来は、簡単な催眠術にかかった感じになるだけの薬だった。
「あ、魔法文字で何か書いてありますね。」
擬人化された食物には、本体と分身体があります。
分身体は最低限の心しかないので、真実の愛を捧げるのは本体の方だけで結構です。効果が解除されるまでは、少なくとも近隣では、その食物が分身体の状態となります。
両者の見分け方は簡単です。分身体は、その食物本来の大きさしかなく、言葉を持ちません。小動物のような感じです。愛を捧げるべき本体は、人と変わらない大きさで、意思を持ち、言葉を話します。機嫌を損ねると、分身体を操って攻撃してくる可能性があるので要注意!
貴方が頑張らないと、世界中の人々が二度と対象食物を食べることが出来なくなるかも?(笑)
魔法使いにしか読めないし、使えない文字で書かれた、隠し説明文が読み上げられると、それを聞いていた者たちは呆れ返り、身体から力が抜けていくのを感じた。
「陛下。どうやら、街の方でも店先に並べていたキノコが、その分身体というものになり騒ぎを起こしているようです。」
物音を立てることなく部屋に入ってきた兵士の報告を聞いた、フォレス王国の宰相がそれを王へと伝えた。
「まて。キノコが人型に変じるということは!?」
ハッと何かに気づいたブラン。
そのまま口を閉ざした彼女の視線を皆が追うと、それまで食事を取っていたテーブルの上、その皿の上に、こんがりと肌を焼いた暗紫色のワンピースの少女や、小指の先程の大きさになった何体もの淡い褐色のつなぎ姿の少女がスープの中を泳ぐ姿があった。
「こ、これは。」
「うわぁ」
奇異な光景に、ブランたちは顔を引き攣らせた。
「お初にお目にかかります。わたくし、山鳥紫と申します。何時もわたくし達を美味しく召し上がって頂けて、とても嬉しく思っておりました。このように、お礼を申し上げる機会を持てた事を嬉しく思います。」
小さなテーブルの上から降り、暗紫色の少女が凛とした所作で歩み寄ってくる。キースの座る位置まで進むと、彼女はテーブルを囲んでいる王族たちに視線を巡らせ、ワンピースを両手で摘んで腰を低く屈め、美しい動作で頭を下げた。
その姿は、いずれかの大国の王女ではないかと思わせる、高貴な雰囲気をかもし出している。
「ヤマドリ・ユカリ?」
「大和国系の名ですね。」
「人格形成を担ったのが、大和の魔法使いだからか?」
「キノコの娘さんかぁ。かわいいね。」
「山鳥嬢。あなたは、どういったキノコなのでしょうか。」
山鳥紫という名を名乗った、なんらかのキノコの化身である少女。その名前に、遠く海の果てにあり、固有の文化と伝統を永く受け継いでいる島国の響きを、王族として生まれ育ち教育を受けた彼等は拾い上げた。
王族から見ても美しい佇まいの少女に多くの者たちが見惚れている中、フォレス王国宰相が歩み出て、キノコの娘へと問いかけた。
「わたくしは、ムラサキヤマドリタケというキノコから変じましたキノコの娘です。
学名はBoletus violaceofuscus W.F chiu。
担子菌目イグチ目イグチ科ヤマドリタケ属。
夏から秋にかけ、ブナ科広葉樹林およびアカマツ混生林内の地上に発生します。」
「さぁキース殿下。これでムラサキヤマドリタケというキノコについては理解しましたね。では、早速山鳥嬢に愛の言葉を告げて、キスを。」
山鳥紫が、涼やかな、人々の耳にすんなりと馴染む声で、よどみ一つなくムラサキヤマドリタケについて説明する。
その声が終わるやいなや、宰相はキースの後ろに回りこみ彼を椅子から、その細い腕の何処からそんな力が出たのかと問いかけたくなる力で無理矢理に立ち上がらせ、山鳥紫と向かい合わせた上で背後からグイグイと、山鳥紫とキースを引っ付けようとした。
「おい、こら、まてよ!さっさと話を進ますな!背中押すんじゃねぇよ!」
何とか足を踏ん張り、背中を押す宰相を睨みつけるキース。
宰相の力に押されて前へと倒れそうになっているキースを、山鳥紫は彼が倒れないように支えようと手を差し伸ばしている。
「何を悠長なことを言っているんですか!
キノコが人型になったとあっては、我が国の財源を支える輸出産業の収益が半分以上の減益となります。国の危機なんですよ!!存亡の危機!」
鋭く、光線でも出すんじゃないかと言う程の眼光を放つ宰相。うっと足を下がらせたキース。宰相の迫力には、王たちも声をかけられずにいた。最も、アレンはお腹と口元を手で押さえ、どうにか笑い出すのを堪えている様子。ブランが呆れた視線を送っている。
「で、でも、だな。」
「でも、だってもありません。殿下には早々にキノコの娘たちを元に戻して頂かないと。最初の一人に梃子摺っている場合ではないのです!」
般若のごとき顔で詰め寄る宰相に、キースがじりじりと後ろに下がって逃れようとする。
トンッ
追う宰相と逃げるキースも長くは続かなかった。
後退するキースの両肩に、山鳥紫の手が置かれたのだ。
動きを封じられたキースは後ろを振り返り、成長期がまだだと言ってもキースよりも頭二つ分上にある長身な山鳥紫の顔を仰ぎ見た。
「こうして、お話出来ること事態が異常なもの。美味しいと言って頂ける日頃の喜びをお伝え出来ただけで、わたくしは嬉しく思うのです。名残惜しくないとは言えば嘘となりますが、わたくし達の我侭で人々を苦しめるような事などあってはなりません。どうか、そのようにお悩みにならないで。」
山鳥紫が淡く微笑んでいる。
ほんの少し、その微笑が悲しげに見えるのはキースの見間違えなのか。
「ほら!彼女もこういっておりますよ!」
山鳥紫とキースが見つめあう中、宰相の余計な声が割り込んだ。
「紫さんは他のキノコについては詳しいのか?」
しかし、そんな宰相の声を無視したキースは、悪戯を思いついた子供のように笑って、山鳥紫への質問を口にした。
「えっ、えぇ。」
「なら、他のキノコたちについて俺に教えてくれないかな?
そして、一緒にキノコの娘たちを探して欲しい。」
「あっ。それは、いいですね。同じ薬の影響で変化したんです。きっと、引かれ合って大まかな位置くらいは感じることが出来るはずです。」
言われた本人である山鳥紫も、声を張り上げていた筈の宰相も、成り行きを見守っていた者たちも、キースの提案に何も言えずに、困惑を表情に出している中、事の発端であるベルタが手を叩いてキースの提案を後押しした。
あいつ、上手い事この場でキスするのを回避しやがった。
いやぁ、俺も公開口付けは嫌だぞ。
ガイルとオウル、二人の王たちが関心した眼差しをキースに向けた。
「そうだね。協力してくれる子がいた方が、早く進むんじゃないかな」
先ほどまで笑いを堪えるのに死にそうな目にあっていたアレンが、涼しげな笑みを浮かべて頷いて賛同する。
「解決するまでは、客室を使ってもらえばいいのかな?」
一応、見た目は普通のお嬢さんなんだし。息子たちの意見を採用することに決めたらしいガイルが侍女に客室を整えるよう指示を出す。
「あっ。じゃあ、私が過ごしやすいように部屋に魔法かけます。床とか壁を好みの木の素材にして、真夏の猛暑日の山の中の環境を整えればいいですよね。」
「今度は失敗しないで下さいよ、義母上。」
「が、頑張る。」
継子の冷たい視線に、勢いよく申し出たベレタの心を叩きのめす。
だが、先程のこともあって誰もベレタを助けようとはしなかった。
「よろしく、紫さん。」
まだ戸惑ったままの、山鳥紫の手を強引に握りしめ、キースはにっこりと笑う。
その笑顔が、ほんの少しだけ強張っていることは誰も見てはいなかった。