魔女『無邪気な天災』
「好き嫌いをなくしたいんですか?」
それまで、静かに王達のヒートアップする口喧嘩や子供達の和やかな話を見守っていた王妃ベルタが突然声をあげた。
「私、いいもの持っています!」
可愛らしい笑みを浮かべたベルタが、胸の前に手の平を広げると、その中に紫の光が生まれる。
広間の端で待機していたフォレスの騎士たちが警戒し何時でも王族たちの元へ駆け寄れるよう、身体を強張らせた。使用人たちも怪訝な表情でその光景を見た。
ネージュから来たものたちも眉をしかめたが、それはフォレスの者たちとはまた違った意味をもつ表情だということは、フォレスには伝わらない。
紫の光が一段と激しく輝き、そして消え去ると、ベルタの両手の中にマグカップくらいの大きさの茶色の瓶が現れていた。
「そういえば、ベルタ王妃は魔法使いなのだとお聞きしました。」
数年前にオウルと結婚してネージュの王妃となったベルタは、ブランの継母にあたる。ブランが物心つく前に王妃が亡くなって以来、後妻も妾も迎えることがなかった国王の再婚相手については近隣各国に広く噂が流れた。
多くの嘘や誤解が流れたのだが、その中には驚愕の真実も含まれ、その真相を確かめようとした各国を驚かせた。
魔力を操り奇跡を起こし、人とは比べようもないくらいの長い時間を生きる魔法使いは、世界でも希少な存在だ。
一人の魔法使いの忠誠を得ることが出来たのならば、国はそれまで以上の繁栄を得ることが出来ると約束されるとも言われている。
しかし、魔法使いは人では計り知れない考えや生き方をしている者が大半で、彼等の忠誠を得ることなど夢物語だと言われている。
そんな魔法使いを、ネージュ王国は王妃として迎え入れたというのだ。
しかも各国の調査の結果、それは真実のことだった。
王妃となった者の名は、ベルタ。
最初の記録を辿れば、千年と少し前に栄えたある王国の書物に名前を残している魔女であった。
人呼んで『無邪気な天災』。
「これです。
嫌いなものを克服する魔法のお薬、その名も『あいらぶゆ』なんです。」
「義母上。それは、本当に大丈夫なものですか?」
キラキラと輝く目で瓶を差し出すベルタに、これまで彼女が起こした騒動を思い出して、冷めた目をブランを向けた。
「魔法を間違えて父上の魂を鏡に入れてしまったり、雨乞いをして水竜を召喚したり、うっかりドジはもうご勘弁願いたいのですが?」
「大丈夫です。これは、先輩たちと一緒に作ったものです。ちゃんと成功作で、実際に効果は保障されてます。当時はたくさん売れた人気商品なんですよ?」
ブランは、ベルタが嫁いで来た時に祝福にやってきたベレタの兄弟子たちを思い出す。偉大な功績と共に『白の魔王』の異名を残す、最強と讃えられる魔法使いローク。遠い海の果てにある大和国を永きに渡って守護している『風の防人』疾風。国を治める者となる嗜みとして名のある魔法使いについてを学んだブランは、歴史の中で数多くの人々を魔法の力で救ってきた彼等の名前に、安心してホッと息を吐いた。
彼らが関わっているのなら、効果はちゃんと保障されているといっていいだろう。
「なら大丈夫、かしら?」
「安心してください!これを飲めば、たちどころに嫌いだった食べ物が好きになるという画期的な魔法薬なんですよ。」
椅子に腰掛けたまま、腰に手を当て小さな胸をそらせたベルタ。
「なんで、そんなのを作ったのかが気になるね。」
そんなベルタと小瓶を見比べて、アレンが苦笑を浮かべた。
たかだか好き嫌いで、希少さの為に高価過ぎる魔法薬を使おうとは、短慮というか剛毅というか、中々大物な人物がいたものだ。
「世界中を巻き込む大飢饉がありまして、それを乗り越えて育ったのが多くの人が顔を逸らしてしまうくらいに大嫌いだった食材だったんです。でも、それを食べないと死んでしまう。でも食べなくては!と言うことで国から依頼が来たんです。最初は私だけでやっていたんですが、事が事だけに多くの国からも注目されるものとなり、私だけじゃ不安だと先輩たちが手伝ってくれたんです。
さぁ、キース王子!ググッと一発!」
過去を懐かしむように手に持った瓶を揺らしたベルタ。小柄な身体でテーブルの上に乗り上げ、腕を一杯一杯にまで伸ばしてキースに瓶を手渡した。
キラキラと期待の目を向けてくるベルタ。面白そうに見てくるアレンにブラン、そして何時の間にやら喧嘩を止めていた父親たち。使用人たちも、好奇心を抑えられない様子でキースに注目している。
多くの期待が集まり、逃げようにも逃げる方法を思いつかないキースは、渋々といった様子を隠さずに瓶の蓋を開けた。
蓋を開けた瞬間に、ミントのような爽やかで刺激のある匂いを香らせた瓶の中の液体は、一気に飲むには少し多いと感じられる。けれど、広間中の注目を集めて気恥ずかしいキースは無我夢中で一気に飲み干した。
ゴクッ
ゴクゴクゴク
薬を飲み終えて、瓶をテーブルに下ろす。
皆の注目を浴びながら、目の前に置かれている一切手をつけていないキノコ料理の皿の中をジッと見つめながら効果が現れるのを待っている。
しかし、何時までたっても、キースが皿に手を出すことはない。
キース自身も不思議に思っているのか、首を傾げる。
「あれ?すぐに効果が出てくる筈なんですけど・・・。
やっぱり消費期限が切れて・・・でも、効果には関係ない筈なんですけど・・・」
おかしいなと首を捻ったベルタに、ぎょっと目を見開いたキースが悲鳴をあげた。
「消費期限!?」
「あぁ、思い出した。ベルタ王妃が仰られた世界中を巻き込む大飢饉というと、700年程前の事ではなかったかな?」
最近読んだ古い歴史書に、ベルタが薬を作るきっかけとなった出来事が載っていたことを思い出したアレンは苦笑を浮かべ、顔を青褪めたキースの肩を叩いて落ち着かせようと試みた。魔法使いしか詳しくを知らない魔法薬について、無駄に焦ったりしても意味が無いと考えての事だ。
「魔法薬にも消費期限とかあるんだな。」
「ありますよ。そういうのに細かくて厳しい、魔女のお姉さんがいるんです。成分表示とか使用方法とか効果、解毒方法とかをしっかり記載して依頼主に渡さなくてはいけないって。」
その瓶にも書いてありますよ。とベルタに言われ、キースの前にあった空になった瓶を持ち上げたアレンが瓶の側面を見る。