015 「あなたの力を借りたいの」
――同刻、西の大国、王宮。
天蓋付きのキングサイズベッドが、彼女の部屋を広く占領している。エルザはそこに真っ先に走っていくと、ぼふんっと飛び乗って大の字に寝転がった。
天井からは色とりどり、様々な形のアンティークランプが吊るされている。窓辺に置かれた上品な丸テーブルには花が一輪飾られていて、南向きの窓から差し込む陽光が絨毯をほんのり温めていた。侍女たちが開けたのだろうか、窓から風が吹き込んできては白いレースのカーテンを舞い上がらせる。このカーテンもテーブルも、絨毯もランプも、エルザがアクト市で手に入れた世界各国の品であった。
「エルザ姫」
扉から顔を覗かせたパーニャに、エルザは入っていいわよ、と手招きする。慣れた手つきで扉を閉め、彼女は形式的に失礼します、と声をかけた。
「はいはい。どうぞ」
「お邪魔します」
ベッドの反対側には大型の本棚がずらりと立ち並んでいる。それにちらりと視線を送ったパーニャが、この部屋には何度も来ているにもかかわらず、ほんの少し目を見開いた。
「いつ来ても驚きます。この書物の量」
勉強が嫌いでよく逃亡している姿を見る人間と、同一人物とはとても思えない魔法書の数々。エルザは魔法に関しては、とても勤勉でどこまでも真摯だった。
それは、生と死以外の全ての魔法の知識を有す、始まりの魔女としての性か。
「毎回言うのね、それ。いいからほら、座りなさいよ」
「ありがとうございます」
遠慮なく、とつぶやいてから彼女がベッドの端に腰掛ける。
「シンくんは今頃、自分の部屋で旅支度してるんですよね」
寝そべったままエルザは、自身の碧眼をパーニャの方へと向けた。
「姫が日没前には出発する、なんて言いだすから、シンくんも大変ですよ。旅に出るのは、明日の朝でも良かったんじゃないですか?」
「……日が落ちる前に王宮を出ると、ちょうど暗くなる頃にアクトに着けるのよ。そこで宿をとれば明日はまる一日自由に動けるでしょう? 一日かけて商通りを回りつつ旅に必要な物を揃えたかったのよ」
「なるほど、さすが姫。毎日のように王宮を抜け出して遊び歩いているだけのことはありますね」
「ちょっと、何か言い方に棘を感じるんだけど」
「気のせいですよ」
言い終わると同時に顔を合わせた二人は、次の瞬間ふっ、と吹き出した。そしてクスクス声をあげて笑う。
窓の向こう側で微かに木の葉の擦れる音がした。
「……悪かったわね」
ひとしきり笑った後、エルザの口から飛び出た謝罪の言葉。それを聞いてパーニャは瞠目する。
「姫?」
何がですか? と続けようとしたパーニャの声を遮ってエルザはまくし立てた。
「一緒に連れて行ってあげられなくて悪かったって言ってるのよ。シンも気にした風だったじゃない。貴女が冒険好きなのは知らない話じゃないしね」
「姫、それは……」
「言い訳がましいんだけど、最初は私とシンとパーニャの3人で行くつもりだったのよ? 父さんにも誰を連れて行くかは私の好きにしていいって言われていたし、これはホント。だけど少し事情が変わって」
――あなたの力を借りたいの。
エルザの深い瞳がパーニャを捉えた。澄みきった彼女の眼に耐えかねて、パーニャはゆっくり目を閉じる。
「それは、エルザ姫の侍女としてのパーニャにですか? それとも」
エルザが上体を起こした。悪戯が成功した子供のような、どこか無邪気な笑みを顔面に湛えつつ、彼女は右人差し指を立てて口元に静かに当てる。濃い赤色の口紅が、白く透明感のあるエルザの肌と対比されて一際艶やかに浮かび上がった。
「分かってるんでしょう? パーニャ・メイリー」
「……エルザ姫の仰せのままに」
心得たようなパーニャの言葉に、エルザは満足して小さく頷く。
そうして次の瞬間、瞬きをする暇もなくエルザの足元に浮かび上がった魔方陣。彼女が部屋に人払いの魔法を仕掛けたのだ。
普通、魔法の展開には、三つの前提条件がいる。
一つ。発動したい魔法の魔力配列を知っていること。
二つ。その魔力配列からなる魔法陣を、具体的に頭の中でイメージできること。
三つ。詠唱呪文を口頭で唱和できること。
それが出来て初めて、魔法というものは発動する。魔法使いも万能ではない。
しかし、生まれながらに魔力配列と魔方陣の型を知っており、詠唱なしに魔法が使えるのが、大賢者の大賢者たるゆえんであった。
「さて」
人払いの魔法が正常に発動したのを確認してから、エルザがベッドに座りなおす。
「パーニャは今回の旅についてどこまで知ってるのかしら?」