013 表の街、裏の街
クリスは、コロシアムの支配人にして前、西の大国女王、マリーアの養子である。と言っても、マリーアの正体を知っているのはノヴァとクリスの2人だけだ。
クリスの、黒く大きな瞳と同色の切りそろえられた髪は、西の大国では珍しいもので、(ノヴァも他国出身のためここでは見ない容姿ではあるが)よく日に焼けた手足と、西の大国市街の子供がたいてい着る、飾り気のない動きやすい服は、彼の健康で活発そうな印象を更に際立てていた。
「じゃあ、俺はもう行くな」
いつの間に復活していたのか、服についた泥をはたいたルーグが笑って言った。
そんな彼に視線を戻したノヴァはちょっと待て、と引き留める。
「何だよー」
「……さっき受けたって言ってた用心棒の仕事」
「おう。それがどうした?」
「闇市がらみじゃねえよな?」
アクト市は、商取引の活発な〝表の街〟と、人身売買、魔獣・精霊獣ほか特殊な魔法道具の競売、薬物売など――――通称〝闇市〟と呼ばれる裏取引の場としての2種類の顔を持つ。ここで商品となるものは、すべて規制を敷いて禁止しているものばかりだが、なにぶんこの国は大国、アクト市の地中深くまで蔓延るこういった毒草を完全に取り締まるのは難しい。現在では有数の貴族階級が闇市に関わっている例もあり、下手に手を出せないのも実状だ。
アクト市警団の目を縫って、そう言った取引は日常茶飯事に起こっている。
「なあ、ルーグ。おい、聞いてんのか」
「……ああ、聞いてるって! 大丈夫。お前が心配するようなことは何もないぜ」
ノヴァが眉根を寄せた。
「俺は、こういう裏の事情には鋭いつもりだ。……お前の仕事、詳しいことは分かんねえが、何かヤベえ匂いがプンプンする」
今からでも遅くねえ、断ってこい、と静かな口調で諭す彼に、ルーグはだから平気だって、と背を向けた。
「おい、待てよ!! ルーグ!!」
何も言わず歩き始めたルーグにノヴァは違和感を覚える。
(何を考えている? ルーグ)
近くに寄ってきた小鳥が餌を求めるように甘えた声で囀った。気がつけば、広場から時折聞こえていたはずの笑い声が、すっかり遠のいている。耳に入ってくるのはただ、木の葉が身体を震わす音と、書類が風に弾かれる音と。
「もうそろそろ受け付け締め切っていい、って義母さんが……何、ぼーっとしてんの?」
ノヴァ、と駆け寄ってきたクリスがそう言いつつ首を傾げたのを見もせずに、ノヴァは問答無用でクリスの頭に拳骨を叩き落とした。
「いっ、たああぃ!! 何すんのさっ!!」
「うるせえ!! 何かムシャクシャしたんだよ!」
「うわーん! 理不尽!」
泣くな馬鹿!! ってかノヴァ様と呼べ!! ノヴァの怒号と、クリスの、義母さんに言いつけてやるっ! と喚く声が木霊した。クリスと大人げなく取っ組み合いつつ、ノヴァの脳裏に焼き付いているのはルーグの後ろ姿である。
ルーグの小さくなっていく広い背中が、なぜかノヴァには寂しげに見えた気がした。