012 「きな臭ぇ」
2年前。多くの観客に混ざってコロシアムの隅の方で観戦していたノヴァは、他の試合とは明らかに次元の違う闘いにただ、ただ凄いと思った。自分の体格と力を存分に生かしたルーグの槍さばきと、エルザの洗練された剣戟が拮抗する、生きてるうちでそうそう何度もお目にかかることのない本当の強者同士の闘い。
長槍使いの大男と、大剣使いの美女。そこにはどこか、運命じみた邂逅を感じる。
そこでふと、ノヴァの脳裏に過去の記憶がちらついた。
夜の深い闇の中。ガラスの砕け散った窓から覗く、煌々と輝く満月。それを背に、地に倒れ伏す自分を見下ろす、燃えるような赤髪の――敵。
まだノヴァが、北の大国にいた頃の話だ。今日はやに思い出に浸りたがるな、と彼は一人ごちる。
(あのガキも、敵ながら思わず賞賛を送りたくなるほどの、絶対的強者だったな)
少年の月光に照らされて鈍く光る金色の瞳が、今でも鮮やかに思い出せた。
自惚れてもいいのなら、ルーグがあの女騎士を自分の好敵手だと公言するように、ノヴァも彼を最強の敵だと示したい。そして、自分こそが彼を倒すに値する、最強の敵だと認めてもらいたい。
(……つっても、もう生きてるかも分からねえけどなぁ)
あの皇位継承争いで、自分が仕留めそこなった後、かの少年は第5皇子と共に行方不明になったはずだ。死体は出てきていない。それに、あの強さがあればそう簡単には殺されないとも思えるので、どこかで自分と同じように生きてるんじゃないか、と考えたりもするけれど、
(まあ、今会っても戦う理由はねえわな)
ふっと自嘲気味に苦笑する。と、そこでルーグはノヴァの笑みが試合に対してと勘違いしたのか、つられて照れたように笑った。
「負けちまったけどなあ」
「ああ……ってお前、何で嬉しそうなんだよ」
「だってなあ。ほら、俺って強いだろ?」
むさ苦しい外見とは裏腹に、爽やかに笑うルーグにノヴァはただ、「むかつくことにな」っと返す。
「俺、あの時生まれて初めて負けたんだよ。初めて敗者になったんだ。――すっげー強い女だったよなあ。だからもう一度会って戦ってみたいんだよ。俺は! 今度こそ正々堂々戦って勝ちたい」
「……お前、たいがい戦闘狂だよな」
「へへっ、そりゃあしょうがねえな。強い奴を前にすると、どうしてもこう、血が沸騰するような感覚になるんだから」
「何か凄いワクワクするんだよ。快感だぜ?」と、頭をぼりぼり掻きつつ照れくさそうに笑う彼に、眉根を寄せたノヴァは机の下でこっそり拳を握る。そして、
「何かイラつくんだよっ、テメエ!!」
「いっ!! だあああぁ! 殴らなくてもいいだろッ、馬鹿」
「そっちこそ気色悪い顔すんなッ」
「いっだあ、痛い痛い! ったく、理不尽なんだからなあ……」
(うっせ)
ストーカー野郎にだけは言われたくねえんだよ、と鼻を鳴らせば、それはさすがに俺でも傷つくぞ!? と半泣きで返される。
「は? 事実だろうが。2年間、毎日毎日同じ時間にここに来ては『あの女騎士、来てる?』だろ。ストーカー以外の何者でもねえよ」
「うっわ! 酷い言われようだなあ……でもさ、仕方ないだろ? 俺と彼女のつながりなんて、このコロシアムしかねえんだから」
「諦めるっていう選択肢はねえのか?」
「ないな」
ノヴァは深く息を吐いた。
「呆れた」
そうつぶやいて一度首をすくめてみせてから、彼はルーグを殴るはずみで立ち上がっていた身体を再び椅子に落ち着ける。その勢いを殺しきれずに、椅子が僅かに軋んだ。
「で、今日はどうすんだ?」
胸ポケットからのんびり煙草を取り出しつつノヴァはそう、話題を変えた。
首の凝りをほぐすように回してみれば、まだら雲が澄んだ青空に点々と浮かんでいるのが視界に入る。
「今日の剣闘試合のことか? あー、悪いんだけどやめておくな」
「へえ。珍しいこともあるもんだ。お前、ここの賞金で暮らしてんだろ?」
いつも喜んで出てるじゃねえか、とノヴァが笑う。ルーグはそんな彼の言葉を聞いても歯切れの悪いままだった。
「そりゃあそうなんだけどな……実は今日だけじゃなくて、しばらくここには顔出さないつもりなんだ」
「はあ?」
今度こそノヴァは瞠目する。
「お前、生活はどうすんだよ。ここに来ねえってことは、収入源がなくなるってことだろーが。しかも今さっき、あの女騎士探すのは諦めねえって言ったばかりじゃねえか。こっちはどうするよ」
「ああ、うん。悪いな……でも、生活の方は心配しないでいいぜ? 実は20日だけだけど用心棒の仕事を引き受けることになったから」
「用心棒?」
「おう! 結構割のいい仕事でな。この間頼まれて即決しちまった。何でも上流貴族の旦那様の護衛とかで、夜会とかで屋敷を出るときだけの用心棒ってことらしい。ただ、時間はまちまちだし、この仕事を受ける条件が、旦那様の護衛に専念することってことだったから、しばらくはここで遊んでもいけねえんだ」
「…………」
ノヴァは話を聞きながら、鼻の頭にしわを寄せた。きな臭ぇ、とため息をつく。何が、とははっきり言えないが、何となく胡散臭い気がした。外に出るときのみの用心棒? なぜ、屋敷に仕える人間がついて行かねえのか。護衛に専念? そりゃ、体よく言やあ、ソイツの数日間の足取りが辿れなくなるじゃあねえか。どうして本職じゃなく、こんな、ただの街の腕の立つ男を選んだんだ。
ノヴァが悶々と考えている間も、ルーグは能天気に話し続ける。
「それと、あの女騎士のことはお前に頼んでもいいか? 今日はそのつもりで来たんだ」
「は?」
「俺が来ない20日の間、もし彼女がここを訪れるようなことがあれば、その時は引き留めるなり俺に連絡するなりしてくれ」
ノヴァは本日二度目の拳を作った。
「……歯ぁ喰いしばれ、ルーグてめえ!!」
「ちょっ! 落ち着けノヴァ!! 話し合えば分かるっ、て! うわあああああ!!」
仲良く地面とお友達になったルーグを尻目にノヴァは、今日で何本目かもわからない煙草をくわえようとして、そして「あっ」と、手を止める。
(あー……煙草、握りつぶしちまった……)
もったいねえ、と悪態をつくと、
「ノヴァ!!」
何とも聞き覚えのある声がした。ちょうど変声期を迎えたばかりの、不安定だがはつらつとした声。
(げっ!! クリス……)