表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

年の差

「好きだ! ボクと結婚してくれ!」

「……え?」


 そんな唐突なプロポーズを受けて、私は思わず目を丸くした。


 それはある朝の出勤途中の出来事である。ちなみに私は22歳、OLと説明するのが一番楽な大人の女性。しかし、相手はなんとランドセルをしょった、およそ10歳の小学生男子である。家を出てすぐだから、ご近所さんのお子様かな?


 しかし、なんと男らしくも可愛らしいプロポーズなのだろう。吹き出して笑わなかった自分を、自分自身で褒めてあげたい。相手は真剣である。悪戯いたづら盛りの思いつきの、突発的な行動ではないことがすぐに判った。


 その少年、恥ずかしさから顔を真っ赤にして、しかしそれでも気合いは十分、その眼力めじからに大人の私ですら圧倒されそうな勢いだ。危うく、うなずくところだった。


 それほどの気合いなのだ。よほど思い詰めた末に思い切った行動だったのだろう。「ほほえましい」などと頭をなでなでするなんて、私にはとても出来ない。


 ここは真剣に真面目に返答すべきだろう。ましてや、私は嬉しいのだ。相手が小学生であれ、女性として評価され一生そばに居たいと求められたのだ。こんな男気あふれる告白なんて、これまで付き合ったカレシ達がしてくれたことなどあっただろうか。


「ごめんなさい。お断りします」


 まず結論から先に告げ、私はペコリと頭を下げた。


「え……」


 相手の小学生男子は言葉を上手く選べず、返事の仕方も浮かばずに戸惑っている。さあ、彼にその理由を説明しなければならない。


 しっかりと説明するには時間が必要だろう。お互い、大忙しの通勤・通学途中。しかし重要な用件であるのだ。遅刻をしてでも、この場で片を付けてしまわなければ気が収まらない。長くなるが良いか、などというのは野暮ったいので尋ねたりしない。


 そういえば、小学生なら集団登校の筈なのだが、それをすっ飛ばすほどに本気なのか。そんな一途なプロポーズに対し、上手く答えられるかどうか。


 いや、とにかく誠心誠意で、そして真っ正直に答えよう。


「あなたのことはよく知らないわ。それは補いようもあるけれど、結婚は無理」

「ど、どうして」

「単に恋人同士となるのなら、好きだ惚れたで遊んでいれば済むことだけど、結婚となると話は違う。共に人生を設計し、生活を成り立たせて、子供達の将来を守る、そんな相手でなければ応じられない――それが、私の考える結婚なの」

「……え、えーと」

「意味が判らないなら、なおさら無理な話。そうした社会的な力は、これからの人であるキミなら、これから身につければ良いのだけれど、私はそれを待ってはいられないし、出来ることなら若い私であなたの相手になりたい」

「……」


 もう理解不能だろうか。いや、大筋は判っているのだろう。どうしようもない理屈を目の前にして、すっかりしょげて目を伏せている。それじゃ、ここからが褒めるターンかな。


「でもね、感動したわ」

「え?」


 少年は伏せていた顔を少し上げた。


「こんな風に人に好きだと云える人など、私はこれまで見たことがないわ。あなたが恐れを知らない小学生というだけなのかもしれないけれど。大人になればなるほど、恐がりで駆け引き上手で損得ばかり気にしてしまう。ただ、好きだと云われることが如何に貴重で得難い――」

「……え、あ、あの」


 ああ、いけない。彼は理解不能で戸惑とまどっている。どうしても無駄な理論武装で自分の身を守ってしまう。私も嫌な大人の一人だ。えーっと、もっとシンプルで判りやすく。


「とにかく、キミは今日、素敵なことをしたの。恥ずかしいことをしたとは、決して思わないでね」

「は、はい」

「人から好きだと云われることは、本当に嬉しいことなの。ただ、それだけの話――さあ、もう学校にいってらっしゃい。今ならまだ間に合うわ」


 そういって、ケータイを開いて現在時刻を相手に示した。すると、みるみる我に返る小学生、本当に後先を考えてないんだな。挨拶もそこそこ、かろうじて会釈だけをして後ろを向いて走り出す。そんな彼の背中のランドセルに向かい、見えてないとは判っていても軽く手を振って見送った。


 私? 遅刻する心配は無い。ただ、通勤途中でスケジュール通りにコーヒーを飲めなくなってしまうだけだ。もう少し、今の出来事を反芻したいところだが。


 そして、時間を一気に飛ばして、8年後。


「あら」


 珍しくも彼の姿を見かけて、娘の両肩を抱いてささやいた。


「ちーちゃん。ほら、あのお兄ちゃん」

「あ……」


 私の娘、千秋ちあき(通称・ちーちゃん)は示された方に顔をあげ、頬を少し染めながら可愛い手を振った。そんな私達を認めて、これまですれ違いの関係だった彼が、なんとこちらにやって来るではないか。そして私達に何か云おうとしている。これはあの告白以来、例も見ないことだ。


「あ、あの、えーと……」


 滅多に聞けない彼の声を聞いた。正に8年振りの会話だ。これまで、すれ違いで目礼する事はあっても、こうして言葉を交わすのは本当にあの告白の時以来なのだ。


 私は少し笑みを浮かべて彼の言葉を待った。演技じゃなく、彼を見ているだけで顔が自然にほころんでくる。むしろ引き締めるのに必死なのだ。


 しかし彼は上手く云い出せないようなので、私の方から口火を切ることにした。


「今日、卒業式だったのね。おめでとう」

「あ、あの、ありがとうございます。それで、その――」


 卒業式と判ったのは一目瞭然、卒業証書の筒が鞄に刺さっているからである。しかし、涙で高校生活を惜しんだ顔つきには見えず、これからの明日に向けて目が輝いている。そうか、思い切って私に声をかけてきたのは、恐らく――。


「お別れを言いに来たんです。明後日には引っ越します。東京の大学が決まったので」

「受かったのよね。おめでとう、頑張ってたもんね」

「え、あの……あ、ありがとうございます」


 少し驚いた彼。私が知っているのは意外だった? いいえ、私はずっとキミのことを見ていた。奥様方のネットワークもあるのだし、受験した大学はおろか、親御さんの人となりまで知っている。すれ違いの仲でしか無いと、そう考えてるキミはまだまだ甘い――なんてね。


 そう、キミのことをずっと見ていた。あの告白を受けて以来、ランドセルを背負う小学生のキミが、詰め襟の中学生へと移りゆく姿も、ボールは友達、サッカーボールを蹴りながらのジョギングを欠かさなかった頑張っているキミの姿も、私は見ていた。


 そして、今の夫と腕を組んで歩いている私とすれ違ったときに、キミの失恋が決定的となったことも知っている――いや、その時のショックを受けたキミの顔を見て、むしろ私も驚いた。


 まさか、私のことを諦めていなかったのだろうか。だとしたら、私のお断りの仕方に問題があったということか。


 そしてしばらく、うつむいて歩くキミの姿も私は見ていた。まさかとは思うが、本気で私に再チャレンジするため人生設計を組み立てていたのだろうか。それでは、彼の全てのやる気がこれで失われてしまったのだろうか。


 正直、心配だった。むしろ、私の予測が外れていれば良いと思った。そうだ、きっとテストで良い点が取れなかったのだ。あるいは、部活動でレギュラーになり損ねたのだ。あるいは、別の女の子に告白して、また失恋してしまったんだと――あら、自分が原因でさえ無ければ私は良いの? まあ、その通りかも知れない。自分がそれほど良い人な筈は無いし。


 そうだ、不愉快だ。自分の知り合いに、自分が原因で不機嫌な顔をされてはたまったもんじゃない。でも、声をかけるわけにはいかない。何故なら、私が相手を振った当の本人なのだから。


 幸い、主人がごく近所の住まいだったので、多少は住所が違えど同じ町に住み続けることになったのだ。むろん、私の一押しもあった。主人もこの町を愛していたので、あっけなく可決。おかげで彼の様子を伺い続けることが出来る。


 そして、時を待とう。こうなれば、時が解決してくれるのを待つしか無い――。


 ――しかし、解決をしてくれたのは時間では無く、私の娘、ちーちゃんだったのだ。


 彼は高校生となり、そして私は母となった。歩けるようになったちーちゃんの手を引いている私と出会い、とても驚いた様子の彼。さて、私達を見てどう思っただろう。以前の様に、ショックを受けるのが心配だった。


 しかし、こうして家庭を築いた私達の姿が微笑ましかったのだろう。やがて彼は顔をほころばせ、すれ違うその瞬間まで、その顔から笑みが消えることはなかった――それとも単に、ちーちゃんが可愛かったからかな。年上好みか、ロリコンなのか、いったいどっちなんだ。


 まあとりあえず一安心だ。ようやく私達は振った振られたの関係が解きほぐれて、良き友人となり得る間柄に至ったのだと、そう考えた。


 よし、声をかけてみよう。そう思って機会を待った。なんなら、ちーちゃんと3人で遊びに行っても良いとさえ、私は思った。


 しかし私は家事と子育てに多忙な主婦であり、そして彼も受験と学生生活に夢中であろう高校生。週末ですら、私服姿の彼を見かけることも出来なくなった。


 引っ越してしまったのか、とも考えた。彼の住んでいる家ぐらい既にチェックしている。親御さんも健在で、挨拶しあう関係にもなっている。「毎朝、息子のお弁当を作るのが大変で――」とか云って笑っていた。


 まだ此処に居る。間違いなくこの町にいる。それでも私は出会えない。彼との縁はこれまでかと、そう思った。もう私など相手にされていないのだと――。


 いやいや、そんなことは当たり前の話。彼にとって、私は失恋の相手なのだ。そう自分に言い聞かせて、私は自分の生活に専念しようと考えた。今の主人も、そして家族も愛している。それが最善なのだと、思っていたその矢先――。


「ねー、ママ?」


 ある日の夕餉ゆうげのことである。ちーちゃんが唐突に云い出した。


「あのおにいちゃん、かっこいいね」

「お兄ちゃんって……まさか」

「わたしがね、おはよーっていうと、おにいちゃんは、やあって、てをふってくれるの」

「ねえ、そのお兄ちゃんって――」


 どうやら間違いなく、彼のことだ。いくつか話を合わせてみて、私の知る彼と完全に一致した。まさか自分の知らないところで、ちーちゃんが縁をつむいでいるとは思っても見なかった。


 これにはちょっと驚かされた――いやいや、私もバカな親になるところだった。ちーちゃんもお人形さんじゃないんだし、もう一人の人間として歩き始めるのは当たり前のこと。私も世事にうとくなってしまったなあ。


「それでね、あのおにいちゃんね」

「どうしたの?」

「わたしがいじめっこにおいかけられてたら、こらぁって、おっきなこえでおこってくれたんだよ」

「……あら」


 これじゃ、もはや私は蚊帳の外。いやいや、どうにも自分は思い上がっていたのだ。なんだか自意識過剰で恥ずかしい。小さな小窓から彼をのぞき見て、それで全てを知っている気になっていたのだ。なんだか、そのことをちーちゃんに叱られているような気分だ。


 そんなことを考えながら、私はちーちゃんにほほえみかけた。

「それじゃ、ちーちゃん。こんどお礼をしなくちゃね」

「……うん」

 ちーちゃんは頬を少し染めながら頷いた。


 そうだ。登場人物は変わりつつある。いや、初めから私はヒロインじゃ無かったのだ。私と彼との出会いの意味が、ようやく判ったような気がする。そうだ、こんな計算高い私じゃヒロインなんて勤まらない。これからだ。私が果たすべき役回りは、これから始まるのだ。


 と、画策しつつも、彼とすれ違う機会は尚も薄くなり、そして現在に至ってしまったわけだ。


「――とわけで、これでお別れです」


 そう別れを告げる彼。いよいよ彼は自分の恋に別れを告げたのだ。大都会へと移り住み、新しい人生を歩み出す、そのために。


 そうか、そして私は今に至って振られたのだ。なんだか不思議な感じだ。私は自分の振った相手に、数年越しの片思いをした挙げ句、今度は私の方が振られたのだ。


 そんな思いを胸に秘め、彼に言葉を贈る。

「頑張ってね。都会の波に飲まれてらっしゃい。それでも、キミはキミでしかないことを忘れないで。それから――」

「……え?」


 そう、言葉の他に持って行ってもらいたいもの――私はポケットからスマホを取り出し、メールアドレスを突きつけた。


「お便り、送って欲しいな。周りにも、親にも言えない愚痴でも何でも良い。こんな関係、そうそう無いわ。数年越しの知り合いなんて、人で溢れる都会でも、そうそう築けないものよ」

「は、はい。えーっと……」


 彼は慌てて自分のケータイを取り出し、私のアドレスを写し取ろうと悪戦苦闘。慣れてないなあ、もうちょっと遊ばなきゃダメよ、キミ。


「私から、そして、ちーちゃんからも、ふるさとメール送ってあげる。だから、がんばってね」

「えっと……ちーちゃん?」


 私はここぞと娘の肩を抱いてお披露目した。


「そう、この子は千秋ちあきっていうの。だから、ちーちゃん」

「ああ、そうなんだ。ちーちゃん、よろしくね」


 そう、この子の名前は忘れないで。私の名前は知らなくていい。忘れてもいい。でも、この子の名前は忘れないで。


 そして、キミに届けてあげる。間違いなく、この子は私そっくりに成長する。あの時、キミが恋したこの私に瓜二つのちーちゃんが、あのときの私と同じスーツを着て、そしてキミの前に登場するのを、どうか楽しみに待っていて。


 そりゃもちろん、彼にも、そしてちーちゃんにも、これからどんな出会いが待っているか判ったもんじゃないんだし、再会するまで互いに独り身で居られるとも思わない。でも、そこはもう勝負のしどころって感じじゃ無い?


 最後に、彼は私にこんな話をした。もしかしたら、話そうかどうしようか迷っていたかも知れない。少し口ごもり、ためらう様子を見せていたが、思い切った顔つきで一気に話し始めた。


「あの――本当に遅くなったけど、ご結婚おめでとうございます。旦那さんと一緒に歩いているのをお見かけして、ああ、自分が振られて当然だったんだな、と。こんな人こそ誰かと一緒になれるんだな、と。ボクはそう思ったんです。だから、やっぱり頑張ろうと思ったんです。そして、結婚とはなんなのか、せっかく教えて頂いたあなたに答えなくちゃならないと――これからも頑張ります。いつになれば、そんな人間になれるかどうか判りませんが――」


 大丈夫。これほど一途なキミなら、既に合格点を振り切っているから。


「そう……それじゃ、これからは自分のために頑張ってね。誰かのためとか、結婚の為とか、そんな下心じゃなくて」

「はい、ありがとうございます。それでは――」

「ええ、元気でね」

「はい、ちーちゃんもね」


 そう云って手を振る彼に、ちーちゃんはよりいっそう頬を染めて手を振りかえした。こうして、彼のもう一つの卒業式は幕を閉じた。


 よしよし、今からさっそくメールのやり取りを組み立てよう。そしてこの年の差の恋、絶対に成就させてみせる――なに、勝算はある。お互いの幼い頃の初恋なのだから。


(完)


発想元:何を元に考えたのか、自分では正直判りません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ