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第一話 紅い街 2



 人を捜すには、高いところから捜した方が良い。


 そんな無責任な方言を流したのが誰なのか、小春は知らない。

 高所からの俯瞰視点は、確かに目に映る人物の数は多くなるものの、対象一つ一つの精度はそれだけ落ちる。なので結局のところ、高所だろうと低所だろうと、頭の中に入ってくる情報量に差は無い。確かに高いところから見下ろせば、よりたくさんの人物情報を入手することは可能だろう。しかし対象ひとりひとりの情報の精度は、低所から――同じ位置に立って見た方がより多くなるのは当たり前すぎることだった。

 兄を捜している。

 そもそも小春は兄の外見情報を全く喪失しているために、その発見の手段として視覚を頼ることはできない。

 つまり高い位置から街を見下ろそうとも、低い位置で対面に立って対象を見ようとも、どちらにしてもそれだけでは全く持って兄を捜す助けにはならないのだった。

 行き交う人の、顔を見てもそれが兄だかどうだか判断はできない。


「あなたはあたしのお兄さんですか?」


 問いかけると大抵の男性は、よっぽど歳が離れているか年下以外は肯定してくれるような気がする。

 兄という存在の詳細を喪失しているために、その兄が実の兄なのか、義理の兄なのか、従兄なのか、叔父を『お兄さん』と呼ばされているのか、はたまた近所の『お兄さん』的な存在なのか、おおよそ『兄』という概念に当て嵌まる、ありとあらゆる年上男性がそれに含まれてしまうから。

 けれどもそうして得られた答えは一時は正しくとも、時が過ぎれば違ってしまうような気がして、真に小春が求めている解答は得られないように思うのだった。

 自分がほしいのは、本当の兄であって、一時の、行きずりの兄ではないのだ。

 あの時自分と一緒に絵描きの絵を見た、あのただ一人の兄を捜しているのだ。

 思い出せないけれども、どうにかして、出会えばわかるのだと、そんな気がしていた。

 実際に目で見て、対面に立って、話せばわかるのだ。

 それがただ一人の兄だと。

 今はまだ、出会っていないだけなのだ。

 ビビビッて来るのだ。


「ふうん? そうなの?」


 懐疑的な目でつぶやいたのは友人の小鳥だった。

 いつものように漫然と街を彷徨い続ける小春を見かねて、強引に引っ張り出して連れてきた場所は、そんなわけで街を広く見下ろせる市内有数の高層ビルの最上階にある展望レストラン。格式はそれほど高くなく、お値段もリーズナブルで、小春たちみたいな学生の懐にもやさしい、人気のレストランだった。


「そうなのです。兄と出会えば、あたしにはわかります」


 ナイフとフォークを握ったまま、むんと力を入れてみせる。

 筋肉がないので、全く力こぶはできず、当然強そうにも見えないのだけれども。

 小鳥も呆れたように息を吐いた。


「あなたもねぇ……男を捜すって気持ちは、わからなくもないけれども、どうして身内に走るのかしら?」


 小春は小さく切ったステーキをフォークに刺して、ぱくりと咥える。その様子を見て、小鳥は「まだまだ子供ね」と、微笑ましい気分半分、呆れ半分で苦笑するのだった。苦笑する小鳥を見て、小春は何かを勘違いしているのではないかと内心ほくそ笑む。もちろん表層には出さないけれども。前述した通り、兄は兄でも血が繋がっているとは限らない。


「そういう小鳥は相変わらず恋人を捜しているのですか?」


 数日前、見つかったような話を聞いたような気もしたけれども、小春の印象では彼女は、恋人と一緒にいるよりも常に捜し歩いているような印象が深い。なので今回も捜しているんだろうと当たりを付けて行ってみたのだが、珍しいことに小鳥は首を左右に振って否定した。


「あれ? なら、今はらぶらぶ中? そんな時にあたしと一緒に居ても良いのですか?」


 確か小春の記憶にある小鳥の恋人は、とても束縛の強い人だったはずだ。昼食程度ならば兎に角、夕食みたいな比較的遅い時間帯に行われる外食に、小鳥が自分以外の誰かと――たとえそれが同姓であろうと――出かけることなど許さない人だったような気がする。小鳥がそういう人ばかりを選んでしまうからか、もしくはそれこそが『小鳥の恋人』という役割の前提条件となっているのか、何度恋人を変えようともその状態は変わらなかった。『彼氏がダメって言うの』とかいう、爆発させたくなるような理由で以前何度もドタキャンされた経験から、それは確かだった。

 しかし驚くことに小鳥は再び首を左右に振った。


「いいえ、違うの。ちょっと相談したいことがあったの」


 それこそ珍しいことだった。

 小鳥が相談って――と驚きかけたのだが、よくよく気付くと、そもそも小春を食事へ誘ったのは「漫然と街を彷徨い続ける小春を見かねて」などと言っておきながら実は自分の相談があったのだなと、なんだかひどくすっきりしない気分になった。恩着せがましいことである。


「とうとう恋人の束縛が嫌になったとか、ですか?」


 相談事の内容なんて、それくらいしか思い当たらなかった。もちろん違うのだろうなと、思いながら訊く。

 いくら小鳥が恋人の束縛が嫌になったからと言って、小鳥が恋人を求める限り、その状態は変わることはないだろう。

 小鳥の恋人は束縛するものだと、その事実はきっと世界に固定されている。

 小春の認識と、何より小鳥自身の認識によって固定されてしまっている。

 そう簡単には、認識を変えることはできないだろう。


「いいえ違うの。束縛は全然平気……むしろ、私を縛ってっ! ……ってくらいなんだけどぉ」


 訊いてもないことまで応えられてしまい、軽く引いた。


「ほら、私、よく恋人を変えるじゃない?」


 あっけらかんと言われ、少々驚いた。

 てっきり、小鳥の恋人の性格があまりにも毎回変わらないので、てっきり小鳥の中じゃ、同じ恋人をずっと継続している設定になっていると思っていたのだ。


「変えますね。よくもまあ、いつもそれだけ別れる材料があるもんだと、感心するくらいですけれども」

「んーと、だいたいラブってる以外はケンカばかりだけどね」

「……そうなのですか?」


 そんなの、何が楽しいのだ、と思う。


「そーなの。あいつったら、この前もあたしのハンバーグにケチを付けてから……なぁにが『うちのハンバーグはもっとでかい!』よ。そんなにでっかいハンバーグが食べたいんなら、ママに作ってもらえっ!」

「アーハイ、ソレハナンテヒドイノデショウカ」

「そうでしょっ! でもね、その後ですぐに『けど、美味いのはお前の方だな』って言ってくれたのっ!」


 分かり易く棒読みで相づちを打ってみたのだが通じず、なぜだか惚気られてしまった。

 げんなりとした気分になったのだが、そんな小春をよそに、小鳥の言葉は止まらない。


「でもね、それがあの人の、最期の言葉となったの」


 急に落ち込んだように顔を伏せる小鳥。声もどこか湿り気を帯びてきたように聞こえる。

 おや様子が変だぞと、完全に他人事の気分でいたからか、不意に思い出した。


「あら、小鳥。恋人、また殺したんですか?」


 通りがかったウェイトレスが、食器をガチャンと鳴らした。当然、気付かないふりをした。


「人聞きの悪いっ! あの人は私を置いて逝ってしまったのっ!」


 ウェイトレスが何事も無かったように通り過ぎるのを目の端で確認し、小春は安心する。

 別れる材料も何も、別れたくなれば小鳥は恋人を殺してしまうことを唐突に思い出した。

 今まで忘れていたのは、それが何の問題視もされていない普遍的な出来事、というか、単に別れの材料にすぎない事実だからなのだろう。

 死別してしまえば恋人関係なんて簡単に解除されてしまう。恋人関係ってのは二者による相互関係であり、その片方が消えてしまえば関係性の維持は非常に困難になる。ていうか無理だ。頑張れば、死んだ恋人に添い遂げるなんて美談にできそうな気もするけれども、ほとんどは無理だ。少なくとも小春には無理って感じがするし、小鳥は今の現実を見れば言わずもがなだろう。

 ようするに別れたくなれば相手を殺してしまえば、簡単に片は付くのだ。

 使わない手はない、などと小鳥が思ったのかどうだか知らないが、そう言えば小鳥は多用していたな、と。

 殺してしまうとは言うものの、もちろん小鳥が自分で手を下したわけではない。

 なんでも遙か昔に、世界がこんな変なことになる前くらいの遠い――ひょっとすると億単位の――昔に、小鳥は一度本当に恋人を病気で亡くしたことがあるらしく、どうもその時の印象がずっと頭の中に残っているのだそうだ。

 ようするに小鳥の中では『恋人=病死=別れ』という図式が成立していて、ついつい「別れたいな」などと思えば、気付くと恋人は死んでしまっているらしい。どのレベルで思えば死んでしまうのか、他人である小春には判断出来ないけれども、頻繁に別れを繰り返しているところを見ると、非常に些細なレベルなんじゃないかなと思う。というかそもそも小鳥が「別れたい」などと思わなければ『恋人』は死なないわけで、それってようするに小鳥が殺しているようなもんじゃないかなと思うのだけれども、現実には単に病死なわけで。当事者である小鳥が『殺人』と思っていなければそうじゃないのかな、なんてその程度に小春も思ったりして。それで思ってしまったわけなので、この事実は世間に『殺人』としては認識されていないのだった。

 しかしそんなに頻繁に恋人が死んでいれば、酷いトラウマ所の話じゃないと小春は思うのだが、当事者である小鳥はいつも楽しそうに恋人を捜している。

 前の恋人はどうしたのかと尋ねてみれば「前のヒトのことは忘れたわ」などと非常に切り替えの早い言葉を放って新しい恋へ向かって全力疾走。それがポーズだけではなくて、どうにも本気らしくて、恋人がいる間小鳥は過去の男のことは綺麗さっぱり忘れてしまい、幸せそうに今の恋人へ甘えるのだった。

 つまり小鳥が恋人の死について語ることができるのは、今現在恋人がいないからで、もしも今後恋人が出来てしまえば、間隙を埋めるように恋人の死の記憶は埋められてしまうのだろう。

 そもそも小春も認識しているように『小鳥の恋人』という存在は、その言葉一つしか無くて、分割はできない。

 だから小鳥に恋人ができれば、小鳥の恋人は生きているわけで、その死の記憶は埋め立てられて消えてしまうというのは、一種の道理なのだろう。

 しかし死んだとか殺人だとか、食事の席でする話じゃないなと思い小春たちは早々に食事を切り上げ、店を出ることにした。

 小鳥はなんだか「スイーツがぁ! スイーツがぁ!」などと叫んでいたけれども、まあその程度の文章だよなと思いながら私は死んだ、というか(笑)というか、微妙な空気の中小春は小鳥を引っ張りながらレストランを出て、下の階へと移動する。

 下の階は分譲マンションになっていて、部屋がたくさんあるので一個くらいは小鳥の家もあるだろう。


「それで、今回は何の病気で亡くなったのです?」


 奇妙なことに、小鳥の恋人の死因はいつも違う。

 肺炎とか癌とか心不全とか、その辺はわりとよくあるけれども、時々首つりだとか飛び降りだとか、病気じゃない死因も混ざったりすることもある。手口がばらばらなんで、複数犯の犯行も視野に入れて活動した方が良い、じゃなくて。きっとそもそもの病気で亡くなった恋人のことを、小鳥がよく覚えていないことが原因だろう。

 死別したと、それだけを覚えていて、それ以外のことをすっかりと忘れているのだ。

 だから小鳥は恋人を捜し続けているのだろうかと、唐突に思い当たった。

 小春がただ一人の兄を捜すように。

 病気で死んだ、ただ一人の恋人を捜しているのだ。

 ならばそれはすごく哀しいことだ。

 小春の兄はまだ生きているから、いつかどこかできっと会うことができるだろう。

 けれども死んだ人と再び会うことはできない。

 小鳥は気付いているのだろうか。

 どちらにしろ、口にすることはできないと思った。


「そうなの。それで小鳥に相談したかったの」


 そう言えばさっきから相談したいとか言ってたなと、今更ながらに思い出す。

 けれども恋愛のことで相談されても、経験は圧倒的に小鳥の方が上なので、きっと小春には何も応えることができない。

 わかっているのかわかっていないのか、小鳥は小春の手をつかみ、真っ直ぐに通路を歩く。

 迷うことなく早足で歩き、ひとつのドアの前に立つ。

 ドアの横には表札があった。

 表札には、何やら短い名前が書いてあった。どういうわけか、文字は文字だと認識できるのだけれども、読むことができない。

 小鳥の家はここだったっけと、ぼんやり曖昧に小春は思い出す。思い出すとはっきり言えないのは、小鳥が恋人を変える度に住所を変えているからかもしれない。

 小鳥はバッグから鍵を取り出して、鍵穴に差し入れる。


「何の病死か、よくわからなかったから、見てほしいの」


 言われた言葉の意味がよくわからなくて、小春は首を傾げる。

 病気を診てほしい、ならわかるけれども、病死を見てほしいって、どういう意味なのか、さっぱり理解できない。

 というか、病死したのならば早く然るべき当局――どこなのか忘れた――に報告しなくては、何か罪に問われるのではなかったか。

 というか、小鳥は今から死体を見せるつもりなのか。

 というか、ツッコミ所が後から後から沸いて出てきて、とても思考が追いつかない。

 追いつかないから、小春が何かを言うよりも早く小鳥は部屋のドアを開けてしまった。

 玄関口から狭い通路を通り、奥の部屋に入る。


「ほら、ここよ」


 なぜだか背中を押されるように、奥へと追いやられてしまう。

 カチャンと、背後で鍵を閉める音が響き、何やら非常に嫌な予感が小春の背筋を駆け抜ける。

 部屋の真ん中に、ひとりの青年が仰向けに倒れていた。

 天井を睨み付けるように目を見開いて、苦悶の表情を浮かべたまま動いていなかった。

 青年の頭の上の方にはナイフが落ちている。

 たぶん果物ナイフ。

 酸化して変色して黒ずんでしまっているが、滑りとした液体で汚れている。蛍光灯の明かりがナイフに反射して、不気味な光を放っている。

 青年は布団の上に倒れていた。

 服装は紺色で統一されたシンプルなジャージ。

 ジャージの上着は、胸のところに穴が開いていた。

 たぶん、落ちている果物ナイフで開いた穴だろう。

 穴からは、液体が零れている。

 だいぶ時間が経ったのか、変色して黒ずんでいる。けれどもまだ、わかる。

 元々の色は、もっと鮮やかな赤だったのだと。

 穴から吹き出たであろう血飛沫は、部屋中に飛び散ってしまっている。べっとりと布団のシーツは変色し、床や壁なんかにも、ルミノール反応を調べるまでもなくはっきりと飛び散っている。

 むわっとした蒸せるような生臭い鉄の臭い。

 間断なく襲いかかる目眩に耐えるように小春は目を見開いて、部屋の真ん中で倒れる人を見る。

 まるで、ナイフで心臓を一突きにされ絶命してしまったかのような小鳥の恋人。

 震える手を首筋に伸ばして触ってみると、まだ暖かみは感じられたが、脈拍は全く無く、仄かな血流すら感じられなかった。

 確かに、死んでる。

 死体がある。小鳥の恋人の死体を見たことは一度や二度じゃないから触ることに抵抗はないけれども、目の前に提示される凄惨といって良い光景はさすがに今まで経験したことなどなくて、上手く頭が働かない。

 ぼんやりとしたまま、死体の上に転がっているナイフを拾う。

 拾った瞬間、これが凶器だったりしたら素手で触ったらまずいんじゃないかと思ったが、もう遅い。触ってしまったからには今度は逆に、離せなくなってしまった。

 上手く働かない思考のまま小春がゆっくりと振り向くと、そこには小鳥の困ったような微笑があった。


「あのですね、小鳥?」

「なあに小春?」

「これは病死ではないのではないでしょうか?」


 少し混乱して言葉が意味をつかみにくい文章になってしまった。

 けれども意図は簡単に読み取れたのだろう。小鳥は笑って、言った。


「あ……やっぱり?」


 小鳥の額から零れ落ちる一筋の汗が妙に印象的だった。



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