第一話 紅い街 0
あの頃、世界はとてつもなくおかしなことになっていて、そして大半の人々はそれに気づいていなかった。
何がどうおかしなことになってたのかって、とても一言では言い表せない。
二言でも無理で、三言でも無理。
少なくとも、あたしには説明できない。
おかしなことになっているってこと、それ自体はわかってはいても、実際に何がどうなってそうなっているのかなんて、当時はもちろん、世界がどうやら落ち着いた現在に至っても、あたしは全く持って理解していない。できるのは、あの頃あたしが経験した出来事を、ただありのままに語ることだけ。しかし経験したと感じている物事すらも、現実には起こっていない可能性がどうにも高いらしくて。結局の所、何も言えず、口を噤むことになるのだった。
あの頃のことを少しでも記憶に留めている人たちのほとんどが、あたしと同じような態度を取り、沈黙した。
そしてあの頃何が起きていたのかを探ろうとする人々は、事態がどうやら沈静化してからも結構な人数がいるようだったのだが、次第に行き詰まり、解析は停滞することとなった。
このままきっと皆すべてを忘れていって、結局の所何も起こらなかったことになるのだろう。
漠然と誰もがそう感じていたし、事実、その兆しはあちらこちらで出ていた。
確かにあの頃のことを覚えていたはずの人が、あの頃のことを聞かれてきょとんとした顔を返すようになった。
演技で忘れたふりをしているのかと思ったのだが、どうにもそうではないらしい。
本当に綺麗さっぱり、覚えていないようなのだ。
つい先日、同じことについて激しい議論を戦わせた友人の小鳥ですら、同じ有様だった。
忘れたのか? 記憶は、欠落してしまったのか? そうしてよくよく問い詰めてみれば、どうにも少し話が違うことがわかった。
欠落してしまっているのではなくて、おかしなことになっている記憶が、いつの間にやら、どこにでもありふれた、ごく日常的な記憶に置き換わっているようなのだった。あまりにも当たり前すぎて、日々の暮らしの中に埋もれてしまい、意識しようとも思い出せない記憶。例えば先週の金曜日の夕食の献立のように。または、前々回のバラエティクイズ番組でタレントがトークの合間に漏らした、くすりと笑えるちょっとした小話のように。取り立てて印象に残らない、どうでもいい、気にするほどのものでもない、雑多な記憶の中に埋もれて、見えなくなってしまっているようなのだった。
初めは唖然として、激しく問い詰めて見たが、小鳥の反応は全く期待通りにはいかなかった。
小鳥はあたしの解説を、初めは不審げに聞き、次いで困惑し、最後には青ざめて黙り込んでしまった。
それどころか逆に、あたし自身の記憶にも――また別のことで、小鳥と同様のことが起こっていることに気づき。
――あたしは色々と諦めたのだった。
仕方がない。
忘れてしまうのは、仕方がない。
世界は普通になったのだから。
日常に戻ったのだから。
おかしなことは終わり、非日常は終焉を迎え、世界は正常になったのだから。
再びあの異常を繰り返すわけにはいかない以上、忘れるのは仕方がない。
あたしは日常に戻ると決めたのだ。
今覚えているおかしなことも、いずれは日常に埋もれ、取るに足らない記憶の欠片となり、忘れられていくのだろう。そしていつしか、おかしなことがどうおかしなことなのかすらも、わからなくなってしまうのだ。
それは、ひどく平和なことなのだ。
こうしてここに記している文章でさえも、いずれは意味を無くし、理解できないものになってしまうのかもしれない。
または、若い頃に書いた小説的な文章、とでも言うように、記憶は改変されてしまうのかもしれない。
けれどもこうして記述しておくことによって、あの頃、確かに存在した『おかしな物事』の欠片の――何かが、僅かなりとも、微かなりとも、残ってくれるんじゃないかって、期待するのだ。
あの頃、確かにそこにいた誰か。確かに傍にいた誰かのこと。
もう、いなくなってしまった誰かの痕跡を、ふと、思い出すまでには至らなくても、心の奥底で、懐かしく想う感覚が、浮かび上がってきてくれるんじゃないかって、期待する。
これはあの頃の記憶。
世界がとてつもなく何かおかしなことになっていて、大半の人々が気づいていなかった頃の話。
そして、すべて記憶は忘れ去られようとしていて、何も起こらなかったことになろうとしている頃の説話。
何も起こらなかった物語。
あたしが、ただ小春とだけ、呼んで、呼ばれていた頃の出来事。
あの頃あたしは――、
赤い、街の中にいた。