Prologue ――猫と出会う
蒼い月が雲の間を泳ぐ夜、萌葱色の草原の上で、僕らは琥珀色の目をした黒猫と出会った。
――のだと思う。
たぶん、きっと。
言葉が曖昧にしかならないのは、その頃何が起きたかなんて、誰もが正確なところをわかっちゃいなかったからだ。
互いの記憶にも齟齬が色々とあるし、正直僕自身の記憶を思い返していても、どうにもぼんやりとしていて、その時々の情景が確固たる記憶として脳裏に浮かぶことなど滅多に無い。滅多にない、ということは、たまにはある、ということでもある。しかしながらふと油断すると、確かだと思っていた記憶でさえも変化してしまっていて、そしてそのことに他人から指摘されるまで気づかない。
だから、あの頃の本当に何が起こったかなんて、真実は霧の中。
今から確定なんて、とてもとてもできっこない、無理な話なのだ。
蒼い月が雲の間を泳ぐ夜、萌葱色の草原の上で、僕らは琥珀色の目をした黒猫と出会った。
正しいと思うのだが、確信は持てない。
周りの人の反応から、おそらくその記憶は正しいのだと推定する。
しかしその周りの人の反応すらも事実に基づくものなのかどうか、その真偽に対する疑念を完全に排除することはできない。
九〇パーセントくらいの確率で正しいのだという感覚はあるけれども、それはただ単に、僕の知覚する範囲内の情報を収集して解析して得た、主観的な統計の結果というだけのこと。感覚的な結果でしかない。感情的な結果に過ぎない。のかもしれない。少なくとも絶対的なものではない。ゆえに知覚外の情報でこの記憶に反するものが膨大に出てきたりしたら、たちまちこの確率は変動し、大きく数字を減らしてしまう、ようにも思う。そして、僕の知覚範囲なんて、極々小さいものだ。この広大な世界全体の視点から見てしまえば、零と言っても過言ではないほどの、微細なものだ。ならば、僕はまだその記憶を現実として判断するのに十分な情報を得ているとは言えず、そして今後、判断に足る分の情報が得られる見込みも、おそらくはないだろう。
僕が、僕という存在が、この世界に満ちて、この世界と一体になるのならば、はたしてそれも可能となるのかも知れない。
でも、人間という種自体が、この地球と呼ばれる狭い鳥籠から抜け出すことにすら難儀している現状から考えるに、そんな未来は訪れないのだと、断言してしまってもいいんじゃないかと、思ったりもする。
寂しいことだけどね。
当然のことながら僕は、僕自身の知覚範囲をどれほど広げていったとしても、決してこの世界自体に、成ることはできない。
僕という個に対する存在として、世界全体を置いた時、その差異は果てしなく遠い。巨視的とか、微視的とか、考えるまでもなく、その視点には果てしない断絶がある。
僕は小さい、という世界に対する果てしない断絶を呼び起こす自覚。
引き出される孤独感。
それは寂しいという感覚を呼び起こすのに、十分たる条件になり得るように思う。
いったい何がどうして、何を寂しいと感じているのか――その差があまりにも巨大すぎて――今ひとつ明確にならない、判然としない話だけれども。
「諦めないで!」
不意に、誰かにそう、怒られたような気がした。
多分気のせい。
妹の声のようにも思えたし、あの頃一緒に世界を回った少女の声のようにも思えた。
少なくとも、女性の声。女性に聞こえる声。女性のような声。女性的な声。女性のものであると判断するのに十分な条件をそろえているように主観的に感じられる声。それも若い、少女の声。少女のような声。結構可愛らしい声。可愛らしく聞こえる声。妹に似た声。どうせ聞こえるのならば、野太い男の声よりも、可愛らしい女の子の声の方が良い。僕の内心の願望から、そのように聞こえただけなのかもしれない。よって、実のところ、男性の声である可能性もゼロであるとは断言できない。
ともあれ僕らは、黒猫と出会った。
可愛らしい女の子の声に怒られたからじゃない。
どちらにしてもこのままでは話が進まないので、確率がどうであろうと、とにかくそのように定義してしまことにする。
たとえ、本当に出会った可能性が、限りなく低いとしても――いや、低いとも高いとも、今は判断つかないのだけれども――とにかく、出会ったことにする。
ただ、そう決意した。
つまりのところ、僕らは、黒猫と、出会ったのだった。
とてもとても暗い夜の闇の中。
雲に遮られ月の明かりも細く、蒼く、草原の緑も濃紺に染め上げて、曖昧にしていた。
世界は深い藍色の海に沈み込んでいるようだった。
黒猫の琥珀色の瞳だけが、闇の中で浮かぶように光を放っている。
黒猫は、闇を吸収して黒く見えるだけで、本当は黒ではないのかもしれない。
闇と混ざり合ってそのように見えるだけで、瞳も本当は琥珀色ではないのかもしれない。
萌葱色の草原と表現したが、暗闇に包まれた芝の色はとても萌葱色には見えず、実際に目に映る色は濃紺に近い深い藍。記憶のどこか片隅にある、朝の草原を思い起こして萌葱色と表したのだが、正確に言えばその表現は演出上の都合による方便的な代物。きっぱりと言い切ってしまえば、嘘の類。記憶のどこかの朝の草原の色もきっと嘘で、夜の闇に包まれていようと、朝の日に照らされていようと、本質的には全く別の色彩なのかもしれない。
そもそも『萌葱色』などと言う表現自体、日常の中で簡単に出てくるなんて、まずありえない。当たり前のように表現の言葉として出されて、それを即座に――意識するまもなく――頭の中に思い浮かべる事なんて、一般的にはできないだろう。できる人がいたとして、何者だそいつは、どこの絵描きだ、という話だ。
僕らは本当に僕らだったのだろうか?
そこにいたのは本当に僕だったのだろうか?
僕はそこにいた。そんな記憶はある。一応。とても頼りにならない記憶が。
妹はいただろうか?
いたような気もするし、いなかったような気もする。
少女はいただろうか?
たぶん、きっといたのだろう。
けれども、その少女が僕の思っている少女と、本当に同一人物なのかは、わからない。誰にも。僕にも。当の少女自身にも、きっと。今の少女が、実はあの頃の少女の記憶を継承した別人だったとしても、それほど驚くべき事実じゃない。
妹はいたにしても、きっとその妹は、今は僕の妹ではなく、別のどこかの誰かの妹なのだろう。
もし妹が兄が死んだという記憶を持っているのならば、今頃は一人っ子かもしれない。兄がいたという記憶を強く持っているのならば、今も誰かの傍で、妹をしている。ひょっとすると、妹は少女と同一人物であるという可能性も捨てきれない。妹が少年だったりしたら、それは驚きだ。けれども、全くもってあり得ない話じゃない。
その場所に絵描きはいただろうか?
僕は会ったことがないけれども、少女が絵描きと会っていて、その記憶が始まりだと自覚しているのならば、きっとそこにいたのだろう。先ほどからの僕の色に関する表現技法が絵描き的なものを連想させることからも、その存在がそこにあった可能性を高くしているように思う。
猫は啼いていた。
いや、泣かずにじっと、僕らを見つめていた――のかもしれない。
冷たい目で、じっと僕らを見ていた――ことにする。
その目が何を語っているのか、僕は読み取ろうとした。
『目に見えるものがすべてとは限らないよ』
ふいに黒猫が、どこかで聞いた風な声で、どこかで聞いた風なことを言った。
黒猫が喋るとは、面妖な、などと思ったが、よくよく考えてみると黒猫は彫像のように動かず、瞬きすらもせずに僕らを見ている。つまり口も動かしていなければ、言葉を放つ道理はない。
そもそも人間である僕らに理解できる言語を猫が発するというのは、おかしい。人間の持つ言語は人間の精神構造を持たなければ繰り出すことはできない。ゆえにそれを理解して操る猫というのはもはや猫ではなく、猫の形をした人間だ。どんなに黒猫に見えようとも、人間の言葉を放つ以上、これは人間なのだ。『我が輩は猫である』と告げるのは、当人がどう主張しようともその精神構造は人間以外にあり得ないので、猫ではなく人間なのだ。嘘か方便、というよりも、何かの勘違いだと思われる。
そう思うと、記憶の中の黒猫は、もう黒猫には見えなくなった。
ぼんやりと人間らしき輪郭を取り、僕らを見てくる。
どんな顔だったのか、人種や体型はおろか、性別すらもよくわからない。聞いた風な声とも思ったのだが、後になってみればどんな声だか全く思い出せない。おおよそ記憶にある、どのような声とも一致するように思えた。
元は黒猫だったので、おそらく黒人間。
これ以上どんな色を足していったとしても、それ以上に変化はないくらい、真っ黒な人間。腹の底から黒さが滲み出て、外見まで浸透してしまったかのような人間。
または様々な色を足して、足して、足して、どんどん足していって、そして最後に行き着く色の終着点。斑色のカオスを経て真黒へと至った、そこにいたのはそんな存在。
とても濃い、藍の夜の中にあって、さらに明確なる黒の者。
少し大げさな、表現。言い過ぎかも。まるで、ラスボス。最後の敵。
黒人間は口はおろか表情すらも動かさず、語った。
『君がそう思うのならば、そのような存在なのだろう』
その言葉はやはりどこかで聞いた風な言葉。
聞いた『風』な言葉は、やはり聞いた『風』なだけであって、実際に聞いたことのある言葉ではないのだろう。
記憶に残る、言葉の断片が寄り集まって、放り捨てられたような言葉のゴミ捨て場の中で、偶然成立したように見える、一つの文節。
この夜の闇のように曖昧な、記憶の底に眠った文節が――あるいはその断片が、この時この場で放たれた言葉と――すべて、あるいは一部が重なり――僕らに、その言葉を聞いた『風』であると、錯覚させているのだ。
……ともあれ。
記憶はそこで、終わっている。
その後僕らが、黒人間とどんな会話をして、そんな結末を迎えたのか、何も覚えていない。
どんな会話をしなくて、こんな結末を迎えなかったのか、当然覚えているはずもない。
そもそもどういう経緯でその時その場所にいて、出会うことになった、あるいは出会わないことになったのかもわからない。
夜の闇のように真っ暗な帳の中に閉じ込められている。
いつのことだったのかもわからない。
やはり現実には起こらなかったことなのかもしれない。
夢のように明瞭で、現実のように曖昧な記憶。
誤謬という言葉の森に、迷い込んで囚われてしまったような記憶。
僕個人の記憶としては、正解にほど近い――けれども、全宇宙的な視点で見下ろせば、きっと誤りに違いない。まるで霧の中の夢。またはその逆の真。
けれどもそれはあの頃。
世界が本当にわけのわからない状態になっていた、あの頃。
半年前か、一年前。
それ以上前ということはおそらくないだろうけれども、わからない。
ひょっとすると僕がこの世界に生まれる前のことだったかもしれないし、逆に人間がこの地球上から消えてしまった遙か遠未来の話なのかもしれない。
人が言葉で想像できる事象はどのようなことであれ、おおよそ起こり得ることなのだ。
特にあの頃は。
僕らの生きた、あるいは死んでいた、あの頃は。
僕らが僕らだった、あるいは全くの別人だった、あの頃は。
世界が赤く染め上げられて、青く塗り替えられた、あの頃は。
何でも起こったし、何も起こらなかった。
世界はとてもとても、誰にも理解できないくらいに変になっていたし、また何も変わらなかった。
今を日常と呼ぶのならば、あの頃はまさしく非日常だったろう。
何が起こったのかって?
正確なところは、きっと誰にもわからないけれども、想像することはできる。
推察することはできる。
考察されることはできた。
それらはすべて許された。
誰に?
世界に。
または僕に。
つまり僕自身に。
『人の行動を決定づける意識のうち、第三者意識を感知する機能が、人々から失われたのだ』
『人の意識の奥の、無意識の深層にあるという、集合的無意識が破壊されたのだ』
『運命の女神は犯され、殺され、バラバラにされ、隠され、消え去ったのだ』
『誤謬に満ちた証明結果が、無理矢理正しいモノと認定され具象化したのだ』
『対峙する二人称の存在がない時、世界は一人称の主観でしか顕れないのだ』
『絵描きが世界を超現実主義的に描画し、現実に投影させたのだ』
『この世界を夢に見ている何者かが、束の間、目を覚ましたのだ』
『ある科学者が人知れず実験を行い世界を破壊したのだ』
『魔王が現れ、神を殺害し、成り代わろうとしたのだ』
『ゲーム世界が現実空間を浸食したのだ』
『とある男がとある少女を殺したのだ』
『猫が背を向けたのだ』
『いや、歌ったのだ』
『歌ったのは天使だ』
『いや、悪魔だ』
『その両方だ』
『すべては錯覚なのだ』
様々な意見が現れ、互いに否定し合い、争った。
統一感の全くない、雑多な意見がぶつかり合い、つぶし合い、混ざり合い、重なり合った。
どの意見も一定の説得力を持っているように思えたが、十全たる理解を人々に与えるまでには至らなかった。
僕は、僕としては、そのどの意見も支持する立場にはない。
個人的な感覚の問題で言えば、どの意見もそれなりに正しいような、複合的なものが現実なんじゃないかと思うけれども、そんな微視的な感覚がまるで当てにならないことは、すでに前述したとおり。
きっと、どれもがそれなりに正しくて、また間違っているのだろう。
唯一絶対の正しい真実なんて存在しなくて、現実はもっと、様々な事実の折り重なったパッチワークのような継ぎ接ぎ模様。
なんとなく思う、その感覚は、きっと間違っているのだと、理解しながらも、それが正しいのだと、感覚的に感じて、願おうと、思考したり、求めたり、想ったりする。
本当に何が起きたかなんて、知らないけれども。
僕が言えるのは。
あの頃共に歩いたあの少女に対して言えるのは。
今ここに至って告げることのできる言葉は。
「よくがんばったね。お疲れ様。大変だったね。ありがとう」
実際に言葉にしたりはしないけれども、それがあの頃を経て、僕が得るに至った、数少ない真なる感想のひとつ。
赤い街。青い空。錆びた鉄。放置されたビル。歪む緑の公園。空より舞い降りるもの。天使と悪魔。煌めく結晶。少女。兄と妹。殺される恋人。捜し出す警察官。赤に溶ける男。絵描き。運命の女神。神殺しのナイフと伝説の剣。彷徨う森。ヘンゼルとグレーテル。森の中の魔女。
僕の記憶は、あの頃の残滓だ。
最期の残り滓。
誰にも気に留められないほどの小さな遺産。
人の放つ言葉ゆえに遺言。
世界が日常に戻った今、ゆっくりと日々に埋もれて消えてしまうだけの、幻のような存在。
朝日に照らされ、気温の上昇と共に散ってしまう霧と同じようなもの。
いや、もう、存在ですらないのだろう。
だから、つまり、えっと、ようするに、――だ。
結論を、言ってしまえば?
うん、ようするに、僕はもうすぐに、消えていく。
いや、すべてに溶けて、遍在していく。
けれども、すべてになるということは、消えていくこととあまり変わらない。
ほとんど、同じようなこと。
さようならの声さえも届かない。
皆、誰もが、黄昏から夜を経て、朝焼けを乗り越えて新しい日の下、日常へと帰っていった。
妹も、少女も、そしておそらく、絵描きさえも。
少年は、ちょっとどうだかわからない。
けれども、少なくともここにはもういない。
黒猫も背を向けて、朝の日の照らす緑の草原を駆けていった。
人の言葉の届かぬ地平線へ向けて。
そしてもう、二度と後ろを振り返らない。
皆、僕を忘れていく。
忘れて生きていく。
けれども世界の所々に残った残滓を感じる人がいれば、時折僕のことを思い出すこともあるだろう。
残滓の中に埋もれたほんの小さな違和を、きっと刹那、感じ取ることができるだろう。
それだけで十分。
僕は忘れない。
あの頃のことを。
兄でなくても。少年でなくても。
あの頃確かにいた、彼らに僕を重ねて。
ずっと懐かしく、思い返す。
風に流されるように、時々、そっと。
僕はここにいる。
非日常が終わっても。
日常が始まっても。
変わらず。
人が人であるように。
世界があるがままの世界であるように。
だから。
ゆえに。
そして。
いまも、ここに。