7 城下町
地の文を一部”リゼット”に直しました。
初めての夜のあと、遠慮がちにリゼットの寝室を訪れたユリアは、泣きはらした目をした主に驚いた。
わけを聞いてもリゼットは答えず、とりあえず他の侍女たちに会う前にと慌てて目元を冷やした。
ユリアより少し遅れて入室してきた部屋付きの侍女たちは、顔を伏せる王妃の動作を恥ずかしさからだと認識し、汚れた寝具を見て喜んだ。
王の姿こそなかったが、すぐに届いた薔薇の花束に、これでようやく本当に戦争が終わったと胸を撫でおろしたという。
オーレリアがデナーシェの王女を迎えてから半年。
王妃となったリゼットの私室には、今日も大輪の薔薇が届いた。
添えられた文には、ラウル=オーレリア、とそっけなくサインだけがしてある。
閨を共にした翌日だけに届くこの花束は、これで六つ目となった。
「これでまた当分お越しはありませんね」
花を花瓶に生けながら、ユリアがさばさばとした口調で言う。
「そうね」
答える王妃の目にも、初めのような涙はなかった。
ラウル=オーレリアという男は、その粗暴なふるまいとは違い、王としての責務はきちんと果たす律儀な男だった。
平素はほとんど顔を見ることはないが、公式の場においては、何かにつけて大国出の王妃を立て、嫁いできたことへの感謝といかにリゼットが王妃として素晴らしいかを述べた。
客人を案内して共に庭園を歩いたときには、腰に手をまわして耳元に唇を寄せて会話し、仲睦まじい様子を周囲に見せた。
けれども人目がなくなった途端、その顔からは笑みが消え、指先どころか視線のひとかけらすら絡み合うことはなかった。
そしてこの月一回の訪問。
初めの頃、リゼットはあのおそろしい夜がいつまた来るのかと、毎日びくびくしていた。
体よりも心が傷つけられた出来事を、なかなか忘れることはできなかった。
落ち着かない夜を幾日も過ごし、なんだ、一度だけだったのか。もう来ないのだな、と思った矢先に男は来た。
そして翌日届いた薔薇の花。
それを二度ほど繰り返し、男が王妃の部屋を訪れるのは月のものが来てから約十日後であることに気付いた。
あぁ、これは種付けだな。
王妃はそう理解した。
狩りと乗馬を趣味とするリゼットは、馬屋番に無理を言って、馬の交配を手伝ったことがある。
毛並みの良い馬、足の速い馬、腰の強い馬などいろいろいるが、欲しい馬の種類に応じて親馬を掛け合わせた。
結婚の次は子作りか。
もちろんそれも王族の務めだ。
ラウルがそういう姿勢でいようというのなら自分も合わせようと、リゼットは人前ではできるだけしとやかに過ごした。
出すぎず控えめに、常に夫を気遣い、微笑みを絶やさないようにした。
行動に困ったときは、姉の言動を思い出してまねをするか、じっと黙っていた。
庭園で腰を引き寄せられたときには、わずかに頬を染めてみせさえした。
そんなリュシエンヌに、時折男の瞳が何か言いたそうに揺れることがあったが、王妃がそれに気付くことはなかった。
「んじゃ、出かけてくる」
「え、リュシエンヌ様。お体は大丈夫ですか」
「うん、平気。あとよろしくね」
リゼットは、部屋に自分とユリアしかいないのを確かめると、かぽっと鬘をはずした。
オーレリアに来た当初は染めていた髪だったが、突然来る客人などいないし、夫が触れてくることもないことから鬘に変えてしまった。
化粧を落として服も着替える。
ごてごてとしたドレスから、丈夫なだけが取り柄の簡素な布でできたチュニックへ。
言うことをきかない猫っ毛は1つに束ねて、寝台の下に隠しておいた矢筒を背負った。
「夕方には戻るから」
窓の桟に手をかけると、ひょいと手近な枝に飛び移った。
残されたユリアは、クッションを丸めて寝台につっこみ、枕に鬘を乗せてそれらしく見せると、「いってらっしゃいませ、リゼット様」と口の中で小さくつぶやいた。
「やぁ、リズ! 久しぶりじゃないかい。
いい林檎が入ってるよ。それ!」
リゼットが城下町を歩いていると、すっかり顔なじみになった店屋のおかみが真っ赤に熟れた林檎を投げてきた。
「ありがとう、おかみさん!
これ、今日の分。よろしくね」
「相変わらずいい物持ってくるじゃないか。
どぉれ、こんなもんでどうだい」
おかみの手の平には、毛皮の代金としては妥当な金額の銅貨。
リゼットは、大きくうなずいてそれを受け取ると、満足顔で露店を冷かしに出た。
もらった林檎をかじりながら、ユリアにお土産でも買っていこうかと店先をのぞく。
食べ物、日用雑貨、工芸品、服――
オーレリアの城下町には、豊富に物があふれ、活気のある声が飛び交っていた。
市井の人々が元気なのは、いい政治が行われている証拠だ。
リゼットがこうして街に顔を出すようになってから、すでに二か月あまりが経つ。
元々活発な性質のリゼットは、城での生活に慣れるに従って体を動かしたくなった。
ひとまず、ユリアの侍女服を借りて城の裏庭を歩いてみた。
ばれる気配は全くなかった。
それもそのはず、公式行事さえなければ夫に昼間会うことはなかったし、他の者もつつましやかで気遣いにあふれる王妃がまさか城を抜け出しているとは思わなかった。
リゼットが出かける時間は徐々に伸び、ある日とうとう森に入った。
緑の中を自由に歩き回り、誰に見られることもなく気持ちの良い空気を胸いっぱいに吸う。
小鳥のさえずりを聞きながら、やわらかな草に寝転がって空を見上げる。
自分に戻れる瞬間が、森にはあった。
その日以来、リゼットは城の者の隙をついては森にでかけるようになった。
当然のように狩りを始め、ちょこちょこと仕留めた獲物の毛皮や干し肉がたまってきてしまった。
はて、捨てるのは惜しいが誰かにあげることもできない。
けれども街に行って売るのも勇気がいる。
街にほど近い森の小道でどうしようかと考えていると、一台のほろ付き馬車に出会った。
『やぁ、あんた。女の子が、こんなところでどうしたんだい』
血色のいい、小太りの女性がひょいと顔をのぞかせた。
面倒見のよさそうなその笑顔に、何の気なしに獲物の処理に困っていることを話した。
『あぁ、あんたも地方の村から出てきたくちかい。
オーレリアの王はうちらがこうやって店を出すのを奨励しててね。
他の国に比べたら簡単に店を持つことができるのさ。
まぁ初めは誰かの紹介が必要だけどね』
地方の村から王都の活気をきいて、店を開こうと一家で移ってきたという。
知人がいるので紹介状もあるから、この馬車の荷台を店にするそうだ。
なんともたくましい。
店屋のおかみはリゼットが持っていた毛皮と干し肉を手に取り、品定めを始めた。
『うん、あんた、いい腕してるね。
これなら十分に売り物になるよ。
よかったらうちの店で扱ってあげるよ』
『本当!? やったぁ、おかみさん、ありがとう!』
こうして王妃は、趣味が高じて小遣いかせぎができるようになった。
「これとこれとこれ……あっと、こっちもちょうだい」
「毎度あり!」
ばら売りの焼き菓子を見つけ、今日のお土産はこれ、と決めた。
リゼットがそろそろ城に帰ろうと荷物を小脇にかかえて歩いていると、一人の男性に声を掛けられた。
店屋のおかみのご主人だ。
「リズ。用がなかったらちょっと手伝ってくれないかい」
男が引いていたのは大きな台車。
城に納品する品物が、山と積まれている。
「帰りにいつものところ通る?」
「あぁ、もちろん」
主人が台車を引っ張り、リゼットが後ろから押す。
二人がかりで運ばれた荷物は無事納品され、出口用の通用門へと向かった。
「じゃぁまたな。助かったよ」
「うん、またね!」
門の手前で、リゼットは店屋の主人と別れる。
リゼットが向かう先には、城の厩舎があった。
以前、同じように荷運びの手伝いを頼まれたときに見つけたのだ。
そのときは、一緒に行くはずだった主人がけがをして動けないと、店屋のおかみに泣きつかれて手伝った。
はっきり言ってこの姿で城には近づきたくなかったが、恩のあるおかみの頼みだ、そうそう断れなかった。
しかし、そこで出会ったのだ。
「アルノー! 会いに来たよ!」
「ブルルルル!」
リゼットが声をかけると、たくさんの馬の中でひときわ脚の太い馬が蹄を鳴らしていなないた。
「元気そうだね。よかった」
数年前ラウルに貸して、とうとう帰ってこなかったリゼットの愛馬。
もう八割方死んだと思っていた。
城の厩舎で会えるなんて思わなかった。
商人の通用口近くにあるこの厩舎は、時おりオーレリアの民も子どもに馬を見せに来ている場所だ。
馬屋番もいたが、害のなさそうなリゼットが一頭の馬を一撫でしたとて、気にする様子はなかった。
店屋の主人もただの馬好きと思っている。
だから今日も、リゼットは故郷を懐かしみながら愛馬と一時の逢瀬を楽しんでいた。
本当なら毎日でも会いたい。
でも頻繁に通うと不審がられるかもしれないから、おかみか主人に頼まれたときだけと自分なりに決めていた。
リゼットが近づいていくと、アルノーがいたずらっ気を起こして、栗色の髪をはむっと噛んだ。
「あ、こら、やめろ」
「ブルルルル」
遊ぼうよ、とでも言うようにじゃれてくるアルノーに、リゼットは鼻筋を撫で、首をぽんぽんと叩く。
こうして撫でるだけじゃなく、この背に乗って好きなだけ駆けられたらいいのに。
そんなことをぼんやりと考えていたから、厩舎の入口に黒い人影が落ちたのに気付かなかった。
馬屋番が礼をとり、アルノーの耳がぴくりと反応する。
ブルッと鼻先でつつかれて、リゼットはようやく入口に目を向けた。
リゼットの姿を見止めたその影は、驚いた様子で息を飲んだ。
「おまえ……ふわふわ?」




