6 闇
王妃を迎えての朝は、有能な宰相の小言で始まった。
「あなたねぇ、何を考えてるんですか」
「東の穀倉地帯の灌水工事の予算と人足の調達について。
それから各国に送る賠償金の明細書の様式、孤児院の子どもたちによる慰安訪問計画の立案……」
羽根ペンを片手に、ラウルが目の前の書類をめくっていく。
「違うでしょう!」
ばん! っとティエリーが執務机を叩いた。
あまりの勢いに、ラウルが手にしていたもの以外の書類が宙に舞う。
「昨日は結婚式だったんですよ?
ってことは昨夜は初夜でしょう?
今朝はゆっくり王妃をねぎらって、共に朝食をとるくらいしたらいいじゃないですか。
なのになんでこんな時間から仕事をしてるんです」
「なんだよ。いつもは早く仕事しろってうるさいくせに」
「いつもはいつも! 今日は今日!
まさか飲みすぎて手を出してないなんてことないでしょうね」
「やるこたやってるよ。
心配なら侍女頭にでも確認してこい」
「う、あ、そうですか。
ならいいんですけどね。でもそれならなおさら」
「おまえらみたいに相愛で夫婦になったならともかく、昨日まで碌に顔も合わせなかった女とぐだぐだ寝てらんねぇよ」
「ラウル……。あなた、やっぱりこんな器用なことできなかったんじゃないですか」
途端に心配顔になった幼馴染に、ラウルは苦笑を返す。
「そんなことねぇよ」
「和平のための婚姻なんて、そりゃ、大陸の平和は私たちの願いでしたけれど、そのためにあなただけが犠牲になることはなかった」
「大陸の平和、ね」
「ラウル?」
よっと掛け声をかけて、男は立ち上がる。
ティエリーが落とした書類を拾いながら、執務室の中をゆっくりと歩いた。
昨夜――
王としての務めと個人的な復讐のために、彼女を抱いた。
あの王女に罪はない。それはわかっている。
当時自分たちを締めだしたのは、彼女の父である前デナーシェ王だ。
それでも、自分が苦しんでいるとき家族に囲まれて幸せに暮らしていたかと思うと憎しみが湧いた。
国境で奇襲をかけたにもかかわらず、扇片手にこの上なく優雅にそつなく口上を述べる姿を見て、縊り殺したい衝動に駆られた。
自分を抑えられる自信がなくて、式まで会わずにいた。
式が済んだら彼女を凌辱し、和平を盾にじわじわと苦しめてやる。
それが復讐になると思った。
ところが。
城に入った王女は、侍女や使用人からの評判がすこぶるよかった。
大国の王女だと言って威張ったり見下したりこともなく、誰にでも丁寧に接していた。
進んでオーレリアのことを知ろうとし、式の段取りを覚えようと一生懸命だったと言う。
殺したい。
殺せない。
憎みたい。
憎み切れない。
自分の気持ちが図れず、初夜だとわかっていても、酒の力を借りないと部屋に行く事すらできなかった。
月明りに浮かぶしみひとつない肌は、柔らかくて花の香りがした。
ことが済み、後ろ手で閉めた扉の向こうからは、押し殺した泣き声が聞こえてきた。
閨事の最中に痛みから流された涙とは明らかに違う、せつない声。
復讐を果たしてすっきりするどころか、何とも言えない苦い思いが胸の内に広がった。
これは一体なんなんだ。
確かに、固い蕾を押し開かれ、痛みに耐える姿は、男の暗い欲求を満たした。
しかし続く嗚咽にいたたまれなくなって、かといって自室で眠る気にもなれずに執務室に来た。
式のためにティエリーが仕事量を調整していてくれたから、たいした書類はなかった。
それでも、文字を追っているだけで気がまぎれた。
そして今に至る。
「心配しなくても離縁なんかできねぇし、表面上だけでも仲よさそうにしとけば対面は保てる。
あれも利口な女のようだから、下手な騒ぎは起こさねぇよ」
「そういうことじゃないんです。
私は、あなたにも幸せになってほしいんです。
今は亡きおばあさんだって、それを望んでいますよ」
「おばぁも、か」
書類を拾い終わったラウルは、机の上で端をそろえてから椅子に座る。
「あとで花でも送っておくさ。それでいいだろ。
そのうちしっくりくるようになるさ」
「そ……うですか。
では庭師に適当なものを見繕うように言っておきましょう。
ここに届けさせますから、文を付けて侍女に渡してくださいね」
「わかったよ。ありがとさん」
先ほど途中まで見ていた書類に、羽根ペンにインクをつけてサインをする。
仕事を再開した友に気遣う視線を残して、ティエリーは部屋を後にした。




