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3 リュシエンヌの私室にて

兄様に、全て言ってしまえたらいいのに。

涙をこらえる兄様を見るのは、本当に辛い。

そして兄様が棺に手をかけたとき……。

あのときはとても焦った。


リゼットは、ユリアが淹れてくれたお茶を両手で挟むように持って、物思いにふける。

思い起こせば一週間前。

の部屋を訪ねたときから、すべては始まった―




ことん

と、何か音がした気がして、リゼットは夜更けに目が覚めた。

永世中立国を宣言し、調和と質素を重んじるデナーシェ国において、国王の住まいたる王城もさして大きいものではない。

物音は隣のリュシエンヌの部屋から聞こえてきたようだった。


婚儀を二週間後に控え、姉様も眠れないのかもしれない。


そう思ったリゼットは、上着をはおって寝台から出る。

主が起きだした気配を察してか、侍女の一人が手に明かりを持って扉を開けた。


『一人で大丈夫。姉様の部屋に行くだけだから』


蝋燭の明かりがなくとも、満月に近い今夜は月明りで十分に明るい。

手燭を断って姉の部屋の前までくると、ぼそぼそと中から声が聞こえた。


ん? 姉様は一人ではないのかしら。


月はもうすぐ真上にのぼる。

こんな夜更けに王女あねの私室に訪れる者が、自分以外にいるのだろうか。


こんこん


控えめに扉を叩く。

息を飲むような気配がしたのは気のせいか。


『姉様、リズです。リゼットです』


『……リズ……』


やはり、リュシエンヌは起きていた。

扉の間から顔を覗かせ、辺りをうかがうようにする。


『眠れなくて。

 ちょっと話してもいい?』


小さいころは、怖い夢を見たといってはリュシエンヌの寝所に潜り込んでいた。

最近はあまりなかったことだが、もうすぐ姉がいなくなると思うと無性に甘えたかった。


『リズ……そうね。

 私も話したいことがあるわ。入って』


リュシエンヌは一瞬迷った後、扉を細く開けて妹を招き入れた。

そして、後ろ手で扉の鍵をかけた。

そんなことは今までしたことがなかったので、リゼットは驚いて姉を振り返る。


『リズ……あなたもう気付いているんでしょう?

 昔から勘が良かったものね』


『気付いて? って、え? 何を?』


リュシエンヌは、一人納得してしっとりと微笑む。

リゼットは何が何やらよくわからないが、姉には何か隠し事があったらしい。


『マルス様、出てらして。妹のリゼットよ』


リュシエンヌは、リゼットの肩越しに室内へと呼びかけた。

すると続き部屋の陰から、一人の男性が現れた。

部屋の中央まで来ると片膝をついて、リゼットの前で優雅に礼をする。


『……お初にお目にかかります。

 オズバンド侯爵家長男、マルス=ドゥ=ヴィア=オズバンドと申します』


そう名乗ったのは、淡い金髪が色素の薄い顔を覆う、線の細い男性だった。

マルス=ドゥ=ヴィア=オズバンド。

聞き覚えのあるその名に、リゼットは記憶をたどる。

確か幼いころの、姉の許嫁ではなかったか。

戦乱の中、いつのまにか立ち消えてしまったと思ったけれど。


『リズ。私が二週間後に嫁ぐことはわかっているわ。

 だから今だけ、わがままを許してちょうだい』


『姉様』


リュシエンヌが、目線でマルス様に立つよう促す。

マルスはリュシエンヌの手をとると、手の甲に唇を寄せて口づけた。

嬉しそうに微笑むリュシエンヌ。

その顔は、デナーシェの第一王女ではなく、一人の恋する女性だった。


あぁ、そうか。

許嫁ではなくなったとしても、2人はどこかで出会ったのだ。

そして惹かれあったのだろう。

戦争さえなければ、誰もが祝福する2人としてそのまま幸せになることもあったろうに。


『わかった。今夜見たことは誰にもいわない。

 でも姉様、それでいいの? 好きな人がいるのに、お嫁に行っちゃって、本当にいいの……?』


リゼットの純粋な問いかけに、リュシエンヌとマルスは目と目を合わせて淡く微笑む。


『私も、王族の義務はよくわかっているわ。周辺国との婚姻と不思議の力で、私たちの国は中立国を守ってこられたのだもの。出発の日までに気持ちの整理はつけるわ』


目の奥に強い意志を感じさせて言い切るリュシエンヌは、今はまた王女の顔をしていた。

そう、デナーシェが戦乱の中、中立を保ってこられたのは、長い歴史の中でうまく諸国にまぎれこませてきたデナーシェの血と、長い間護りに心血をそそいできた結果得た(といわれている)不思議の力によるものだった。


でも、恋する心はそんなに簡単に整理などつくものなのだろうか。

恋を知らない私には想像もつかないのだけれど……。


納得のいかないリゼットは、さらに姉に問う。


『本当にいいの?』


リュシエンヌとがうなずき、隣に寄り添う恋人がせつなげに口を開く。


『元々は私の一方的な想いだったのです。それをリュシエンヌ様に受け入れていただけただけでも 身に余る光栄。これ以上何を望むというのでしょうか。

 今夜ここを訪れたのも最後のお別れをさせていただくためです』


そうは言っても、からめあう手と手が二人の思いを如実に語っていた。

また、いつも側に控えているはずのリュシエンヌ付きの侍女の姿も見えないことから、姉の意志で彼を招いたことは明白だった。


『マルス様、私のほうこそごめんなさい。

 あのときあなたの手をとらなければ、こんなに苦しめることはなかったのに』


リュシエンヌ様……と、マルスの口が動いた。

しかし声にはならず、次の瞬間、彼の体がぐらりとかしいだ。


『マルス様……!』


リュシエンヌが、悲鳴に似た声で恋人の名を呼ぶ。

右膝をつき、肩で荒く息をするマルスは、苦しそうに胸元を押さえていた。


『だ、大丈夫です。いつもの発作ですから。

 それよりそろそろ戻らないと侍女達もしびれを切らしているでしょう。

 これ以上あなたにご迷惑をおかけするわけにはいきません』


マルスは慣れた手つきで上着の隠しから薬を取り出し、口に入れた。

水差しを取ろうとする姉を制して、リゼットが水を注いでマルスに渡す。

リュシエンヌは心配そうに眉根を寄せて、マルスの背中をさすっていた。


『姉様、彼は一体……』


水差しを戻して姉の顔を伺う。

リュシエンヌは、ゆるゆると首を左右に振って、何も答えなかった。

月明りが、冷や汗をかくマルスの横顔を照らす。

元々白かった顔色は、今は蒼白といっていいほどになっていた。


『リゼット様……私の命はあともって半年と医師に言われています。

 どうせ死ぬのならと思いを告げた私を、リュシエンヌ様は受け入れてくださったのです。

 大丈夫。もうすぐ死ぬ身ですから、リュシエンヌ様の思いが残るはずもありません。

 リュシエンヌ様、あなたなら素晴らしい王妃となられることでしょう。

 静養先の別荘で、あなたのご活躍をお祈りしています』


薬が効いたのか、少し顔色のよくなったマルスは立ち上がって姉様の手に口づけた。

リュシエンヌが旅立つ前日に、彼も別荘に行くのだという。

恋人が、違う男と結婚するために出かけるのを見送るのはつらいのだろう。


『マルス様。あぁ……。

 なぜそんなことをおっしゃるの?

 私は同情であなたと過ごしていたわけではないわ。

 あなたの死を側で待つなんて耐えられない。

 だからこそ、今回の婚姻を受けたのよ。

 私は皆が思うような強い女じゃないわ。

 あなたの死を乗り越えられる自信がないから、他の国へ逃げようとした卑怯な女なのよ!』


『リュシエンヌ様……!』


強く抱き合いお互いの名を呼ぶ2人。

そう、嫁ぐのは別にリゼットでもよいのだ。

それを、リュシエンヌは年齢的にも釣り合うのは自分だといって、進んで嫁ごうとしていた。

その裏にこんなことがあったとは、リゼットは想像もしていなかった。

いつも落ち着いていて、しっかり者の姉。

その姉が、男性マルスの胸にすがって泣いている。

リゼットは、それほどまでに焦がれる相手に出会えたことを、うらやましく思った。

だから、つい、こう口にした。


『姉様、オーレリアには私が行く。姉様はマルス様と一緒にいてあげて』


言葉にした瞬間、リゼットはこの思いつきがとてもいいもののように思えた。

和平の条件はデナーシェの王女がオーレリアの王に嫁ぐということだと聞いている。

リュシエンヌが指名されたわけではない。


『リゼット! 何を言っているの!』


驚きながらもリュシエンヌの瞳が揺らぐ。

きっと、本当は迷っていたのだ。

最後まで共にありたいと思う心と、最後を看取ることを恐れる心。

今までは国の為という建前で、自分をだましてきた。


『大丈夫、うまくやるよ。

 ……いえ、うまくやるわ』


あわてて言い直した。

今まで兄と姉の保護のおかげで自由気ままに育ってきたリゼットは、言葉遣いもまだ幼い……というより荒い。

公式の場ではそれなりに取り繕ってはいるが。


『だ、だめよ。

 私の絵姿はもうオーレリアに渡っているし、お兄様だって、こんなこと許すわけないわ』


リュシエンヌの髪は、腰まで届くつややかな黒。

リゼットの髪は、栗色だ。

湿気が多いと、自然とくるくるとうねってしまう猫っ毛が悩みの種で、長いとすぐにからまってしまうため、いつも結い上げられるぎりぎりで切ってしまっている。

姉のまっすぐな黒髪があこがれだった。

瞳の色は同じ榛色。

光の加減で黄色く輝くのが王家の証である。


『髪は染めればなんとかなる。

 猫っ毛だって、いつも結っていればわからないし。

 童顔は……うーん、お化粧すればいいかな。

 ユリアならきっと大丈夫よ』


ユリアは、姉の婚姻に合せて、オーレリアについていくことになっていた。

お茶を淹れるのもうまいが、化粧も抜群にうまい。

オーレリアに向かうのは、リュシエンヌとユリアだけの予定であった。

あまりにも心細いのではと思ったが、和平の条件でもあったようだ。

婚姻にかこつけて大人数を送り込まれては都合が悪いのだろう。


『リゼット……』


妹の言葉に背中を押され、リュシエンヌは心を決めたようだ。


『ごめんなさい。私がもっと早く話していれば、そんな苦労を背負わせずにすんだのに』


リュシエンヌがあえて今夜リゼットを招き入れたのは、自分が嫁いだ後、マルスの様子を時々知らせてほしいと頼むためだった。

ところがリゼットの予想外の申し出に、とんだ方向に話が進んだ。


『姉様、それは違う。

 間に合ってよかった、と言うのよ』


片目をつぶりながら明るく言うリゼットに、リュシエンヌとマルスは顔を見合わせて、そっと微笑んだ。






「リゼット様、おきれいですわぁ……」


ほぅ、と見惚れるようにため息をつくのはユリア。

リゼットの死を発表してからの日々は、あっという間に過ぎた。

今日はもうオーレリアに向けて出発する日。

数時間後の出発を控え、髪を染め、正式な身支度を整えた。

ユリアの手による濃いめの化粧をし、ゆったりと微笑む鏡の中の女性は、自分でも驚くほどに姉にそっくりだった。


「だから、リュシエンヌだって」


「あら、すみません」


あの夜のあと、ユリアに事情を話をすると、激しく怒った上で協力を申し出てくれた。

怒りの方向は、主にそれまで秘密にしていたリュシエンヌとマルスの関係にあるようだったが。


「リゼット様がリュシエンヌ様の振りをするなんて、

 子猿が人のマネをするようなものと思いましたが、なんとかなるもんですね。

 いえ失礼、たんぽぽが薔薇になりたがるようなものかしら、

 それとも、亀が月を目指すような……」


「ユリア……」


どんどん例えが酷くなる侍女の言葉に、リゼットはつい半目になってにらんでしまう。


そりゃ、私は姉様とは比べ物にならないくらい、所作も言葉づかいも乱暴だけれども。

お裁縫と読書を趣味とする姉様と、本なんてほとんど読まず、野を駆け回り、兄の目を盗んでは狩りに出かける私だけれども。


いじいじいじ。

耳の横に一筋だけ垂らした髪を、つまんですねる。


「あら、いけませんわ、リゼット様。

 リュシエンヌ様ならこんなとき、こうおっしゃいますわ。

 『猿もたんぽぽも亀もそのものにしかない美しさがあるわ。

 自然が作ったものに優劣をつけようなんて、人だけがもつ卑しさよ。

 自然を前にしたら私なんて道端の石ころにも満たない小さな存在だわ』ってね」


……姉様が石ころなら、私は砂粒だ。


リゼットはさらに自信をなくす。

あの夜は、とてもいい思いつきに思えた。

しかし、美貌と知性とを兼ね備え、国民の信を一身に受けていたリュシエンヌの代わりである。

本当に自分に務まるのだろうか。

いやいや、大丈夫。

だってオーレリアの王はリュシエンヌに直接会ったことはないのだ。

絵姿しか知らないのならばれることもあるまい。

リゼットだってデナーシェの姫であることには間違いはないのだから。


「姉様、私、がんばるわ」


鏡の中の自分に話しかける。

化粧をし、リュシエンヌそっくりになった自分が微笑むと、姉に励まされたような気がした。

姉はきっと今ごろマルス様と2人で幸せな時を過ごしているだろう。

残されたわずかな時間でしかないとしても、その幸せを自分が守っていると思うと誇らしい気持ちになる。


鏡の前で百面相をしていたら、扉が控えめにノックされて、リシャールが来たことが告げられた。

他国に嫁ぐ妹を見送るリシャールも、今日は正装だ。

王になりたてのころは、なんとなく恰好がつかなかった重そうなマントや王冠も、すっかり板について堂々たるものだった。


「リゼット……いや、リュシエンヌ。

 とてもきれいだよ。どこに出しても恥ずかしくない、我が国一番の姫君だ」


リシャールが、リゼットの肩を励ますようにたたく。

“リゼット”は死に、すでにあの棺に名が刻まれていた。

兄に名を呼ばれたことで、リゼットは、とうとう自分はリュシエンヌとなるのだと実感する。

わかっていはいたけれど、覚悟はしていたけれど、リゼットにも一つだけ後悔していることがあった。

それは、名前だ。

これからリゼットは、リュシエンヌとして生きていく。

“リゼット”という名は、もう一生名乗ることはない。


“リゼット”。

亡き両親がつけてくれた、私の名前。


兄の手をとり、露台へと足を運ぶ。

わぁ、と国民の歓声があがる。

リゼットの死を知り、嘆いてくれた国民たち。

婚儀の前なので、大がかりな葬儀は行われなかった。

しかしそれぞれの家の前には黒い布が掲げられ、弔意を示してくれた。

今はリュシエンヌの旅立ちを祝福してくれている。

例えそれが政略結婚であれ、幸せなものになるように。


リゼット――いや、リュシエンヌが手を振ると、ひときわ大きな歓声があがった。

我らが自慢の姫君を称えて歓声は大きなうねりとなり、国中を包んだ。


この国と民のために。

兄様、姉様のために。

新しい国(オーレリア)でがんばろう。


花びらが舞う中、露台を降りて馬車に乗り込む。

中には、すでにユリアが準備万端整えて待っていてくれた。


「リュシエンヌ。元気で」


「兄様も」


馬車が走り出す。

人々の歓声を受けながら、王女は祖国を後にした。



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