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これも一つの恋物語

兄、リシャールのお話です。


リュシエンヌが死んだ。

これが最後と出かけた遠乗りで、飛び出した子兎を避けようと落馬し、全身を打ってそのまま亡くなってしまったという。


そんな馬鹿な。


はじめは悪い冗談だと思った。

しかし、棺を目の前にしたら、信じるしかなかった。

顔を見ようとする私を、もう一人の妹リゼットが止める。


「あの、兄様。

 実は姉様のお顔は、崖から落ちた衝撃で酷く腫れてしまっていて……。

 お願い、見ないで。

 一番きれいなお顔で覚えていてほしいと思うの」


そんなに酷いのか。

リズの懇願を受け、足元を確認するだけにした。

この選択を、私は後で後悔することになる。




リゼットがオーレリアに向けて出発した。

実の姉妹とはいえ、日ごろの様子からは信じられないほどの化けっぷりに驚いた。


「リゼット……いや、リュシエンヌ。

 とてもきれいだよ。どこに出しても恥ずかしくない、我が国一番の姫君だ」


国民も、オーレリアの王も騙すことになるが、大陸の平和の為、苦渋の選択だった。

あとはリズがうまくやってくれるのを祈るのみだ。


それにしてもオズバンド侯爵家。

父王が懇意にしていたから、私たちも昔から交流があった。

嫡子は一時期リュシエンヌの許嫁であったほどだ。

今は体を壊し、隠遁生活だという。

妹のアンジェリーヌは時々顔を見せていたが、最近は見なくなっていた。

たしかリズと同い年だったはずだ。


リュシエンヌがそのアンジェリーヌを気遣い、侯爵家と個人的に親しくしていたのは知っている。

だからといって、婚儀を一週間後に控えた今、いくら本人の希望でも遠乗りに連れ出すとはなんたることだ。

その結果、リュシエンヌは命を落とし、リゼットは身代わりに嫁いでいった。


豪華な玉座が虚しい。


父は死に、母も後を追うように亡くなった。

リュシエンヌもまた亡くなり、リズもいない。


私は、一人……。


涙は、出ない。

妹の死を悲しむよりも、国政を優先した。

婚儀の準備と侯爵家の処罰の決定に時間を割かれた。

泣く時期を逸してしまった。


「リュシエンヌ……」


埋葬は落ち着いてから、と氷室に保管しているリュシエンヌの棺に向かう。

顔を見られたくないだろうというリズの申し出により、普通は体の部分の蓋が打ち付けられ、顔は開けられるようになっているのだが、リュシエンヌの場合は逆になっていた。

体の上の、大きな蓋を開ける。

花の香りが広がり、リュシエンヌが気に入っていた青いドレスが目に入った。

体の上に行けばいくほどたくさんの花に囲まれており、ドレスの裾くらいしか見えない。


「リュシエンヌ……」


足があるであろう場所に触れる。


ぼろっ……


触れた瞬間に、さっきまで盛り上がっていたはずのそこが崩れた。


「な……!?」


もう片方の足も触ってみる。

こちらもぼろりと布の下で崩れた。


「リュシエンヌ!?」


悪いと思いつつもドレスの裾をまくる。

そこには中身をなくし、奇妙な形にまがる靴と下ばきがあった。

慌てて体の上の花を全部避ける。

その間にも、私の手が触れたところから、リュシエンヌの体はぼろぼろと崩れていった。


「くそ……っ

 なんだ、これは!」


力任せに、釘で打ち付けられていた顔の部分の蓋もはずす。

開いたそこには陶器の仮面。

白くつややかな仮面は、リュシエンヌの顔を模していた。

それもはがす。


「……!」


リュシエンヌだと思っていた遺体は、似ても似つかぬ泥人形だった。







デナーシェ王家に代々仕える、『影』と呼ばれる存在がある。

王にしかその存在を知らされない影は、表ざたにできない諸々を請け負っていた。


この影に調べさせた結果、リュシエンヌは生きており、侯爵家の嫡男と暮らしていること。

リズもユリアもそのことを知っており、侯爵と一緒になって今回のことを仕組んだことがわかった。


何も知らなかったのは私だけか。


はじめは、はらわたが煮えくり返るような怒りが襲った。

そして次に、いいようのない悲しみにとらわれた。


私はそんなに信用できない兄だったのか。

妹を望まぬ相手に無理やり嫁がせるような、酷い兄だと思われたのか。

一言でも相談してくれていたなら、なんとでも対応したのに……!


リュシエンヌを連れ戻して問いただそうと思った。

しかしそれで手の届かないほど遠くに逃げられたら、終わりだと思った。

せめて近くで見守ろう。


深い喪失感を振り払うように、職務に没頭した。

仕事をしていれば、この感情を忘れられる。


その日も、執務室で意識を失うまで書類に向かった。

眠気の限界まで机に向かい、座ったまま眠る。

そうすれば、眠る前に余計なことを考えなくていい。


そんな日々を繰り返すうち、朝目覚めると、肩に毛布がかけられているようになった。

侍女の誰かがやっているのか。

目の下に隈をつくり、狂ったように仕事をする私が、皆に心配をかけているのはわかっている。


礼でも言っておくか。

たまたまお茶を持ってきた侍女に、毛布のことを聞いてみたが、知らない様子だった。

他の者なのか。







今日も毛布がかけられていた。

最近気付いた事だが、これは同じ侍女がやっているらしい。

毛布に残る香りが、いつも同じだった。


はて、こんな香りをまとうような侍女がいただろうか。

ベルガモットやマンダリンの、柑橘系の香り。

朝には香りが飛んでいて、はっきりかぎ分けることができない。


今夜は起きていて、当人に会ってみよう。


礼を言うべく待っていたが、いつのまにか眠ってしまった。

そして朝には香りだけ残した毛布が掛けられていた。


こうなると、意地でも会ってみたくなる。

昨日はかなり遅くまで起きていたから、来るのは明け方なのか。

早めに床につき、早朝起きだして執務室の机に座った。

その日は誰も来なかった。


どうやら寝台で寝てしまうとだめらしい。


いろいろ試して、毛布が掛けられるのは夜が更けて皆が寝静まった後、もうすぐ夜が明けるという時間で、一番冷え込む時だとわかった。

王の執務室にはそう簡単に近づけるわけではないから、控えの間にいる侍女かと思った。

彼女たちは交代で勤務しているから、同じ人物が毎日来るのは難しかった。


本来なら眠っている間に毛布をかけられるほど近づかれるなんて、命の危機だ。

しかし本当に危ないなら影が黙っているわけはない。

それこそ影にきけば、誰がやっているかなんてすぐにわかる。

でもそれではつまらない。


侍女ではなく、兵でもない。

大臣の一人とも考えにくい。


……デナーシェの大臣たちはなぜか一様に小太りだ。

平和のなせる技か。

あのぽっちゃりとした指でいそいそと毛布をかけられていると思うとぞっとする。却下。


夜中に捕まえるのはあきらめて、私は城内を歩き回ることにした。

手がかりは毛布に残されたわずかな香り。

すれ違う城勤めの人々の残り香を追いかける。


毛布の主を見つけるのに夢中になるうちに、私の心は悲しみを覆い隠せるようになっていた。






リュシエンヌの駆け落ちとリゼットの結婚から三か月。

リゼットはオーレリアで多少苦労をしているらしい。

影からの報告に胸を痛めるが、私を騙してまで自ら進んで行ったのだ。

助けを求めてくるまで静観しよう。


少量の酒の力を借りれば、無理に仕事をしなくても眠れるようになっていた。

しかし毛布の人物は未だわかっていない。

今日も私は執務室で眠る。


ふわり


明け方、あの香りが鼻先をくすぐった。

来た。


このごろ温かくなってきたから、急がないと毛布をかける必要がなくなってしまう。

なんとか起きようとするが、まだ眠っている体は思うように動いてくれない。


「ま、て……」


なんとか声をしぼりだした。

びくりと毛布をかける手が震えた。

まずい、逃げられる……!


必死に手を動かし、肩に触れんばかりに近づいていた腕をとった。


「君は、誰だ……!」








はっきりしない頭を振って、無理やり起きた。

毛布の主は、オズバンド元侯爵家の長女、アンジェリーヌだった。

侯爵家の処分のあと、リュシエンヌが懇意にしていた彼女だけ、行儀見習いとして城で預かったのだ。

これまで王家に尽くしてきた侯爵家への、せめてもの温情だった。


ゆるく巻いた髪は淡い金。

薄い菫色の瞳が、驚きに見開かれている。

夜着の上に上着を羽織っただけの格好で、素足に室内履きを履いていた。


こんな格好で毎夜私の部屋に来ていたのか……!


記憶が正しければ、彼女はリズと同じ十八歳だ。

出るところはでて、くびれるところはくびれている。

細い首筋から香るのはあの柑橘系の香り。


急に喉がかわいたようにカラカラになって、礼を言おうとしたのに声を出すことができない。

とっさに、捕まえた腕を持ち直し、手首の内側に口づけた。

ここからも、あの香りがする。


「リ、リシャール様……!」


小さく叫ばれて、はっとした。


私は、なんてことを……!


彼女がかけようとしていた毛布を彼女自身にかぶらせて、その細い体を隠す。


「いままでずっと、君がかけてくれていたのか」


ごまかすように背を向ける。

これ以上彼女を見てはいけない。


「……はい……。

 あの……申し訳ありませんでした……」


「何を言う。

 君のおかげで寒い冬にも風邪をひかずに済んだ。

 礼を言う」


ようやく言えた。

そうだ、私は礼を言うために待っていたのだ。


「いえ、あの、そうではなく。

 兄のこと……リュシエンヌ様のことです」


消え入りそうな声に、ちらっと顔を向けた。

毛布を胸の前で握りしめ、下を向いている。

そうか、彼女は知っていたのか。

兄とリュシエンヌが駆け落ちしたことを。

父母がそれを手伝い、処分されたことを。


侯爵家の処分は、初めは謹慎のつもりだったが、駆け落ちの手伝いをしたことを知り領地没収とした。

故意の事故ではなかったと重すぎる決定に何も知らない大臣たちは反対したが、王の権限で押し切った。

妹を奪った家に謹慎処分では生ぬるい。


それらすべてを知っていて、アンジェリーヌは城で暮らしていたのか。

ずうずうしいと、思うべきか。


正面を向き睨むように見つめる私に、居心地が悪そうにしてだんだんと背を向けるアンジェリーヌ。

髪が前にはらりと落ちた拍子に、またあの香りが漂い、小さな耳が見えた。

そらした視線の先には白いうなじ。


「申し訳ないと思いながらも、無理を重ねるリシャール様を放っては置けませんでした。

 お風邪を召されてはいけないと、侍女に頼んでお部屋に入れてもらって……」


処分を受けたと言っても、長年仕えてデナーシェ王家に継ぐ名家といわれたオズバンド家だ。

その令嬢に乞われて、侍女たちも協力していたそうだ。


……彼女たちには再教育が必要だな。


「部屋に入って、何をした」


今や完全に背を向け、いつ出て行こうかとちらちらと扉を見るアンジェリーヌに意地悪く問う。

執務室ここには重要書類も山ほどある。

売れば金になる品々も。


「何をって……毛布をおかけしただけです。

 いつもお机の前で眠ってしまってらしたから……。

 誓って、それ以外しておりません!」


ぱっと振り向いたアンジェリーヌの顔は羞恥にそまり、瞳は今にも泣きだしそうに潤んでいた。

傷つけられたのは元侯爵家のプライド。

たとえ領地をとられ金に困ったとしても、人のものに手を付けるなどありえない。


「それは……あんなことをした家の娘ですから、お疑いになられても無理はありませんが……。

 父に、いえ、リュシエンヌ様の名にかけて、私は何もしておりません!」


デナーシェの国王というより、世話になった大好きなリュシエンヌの兄だから、と。

妹が一人嫁ぐことは決まっていたけれど、自分の兄のせいで急に一人きりになってしまった私を放っておけなかったと言う。


この娘。

信じてもいいのか。


「わかった。

 君は何もしていないんだな」


「そうです!

 毛布を掛ける以外、何もしていませんわ!」


むきになる顔が可愛らしい。

リズも私がからかうと、こうしていつもかみついてきた。

菫色の瞳は、誘うようにまだ潤んでいる。


「では明日も来い」


「え?」


「何もしていないんだろう。

 だが私は眠っていて、君が本当のことを言っているのかわからない。

 だから明日も来て、何もしていないことを証明しろ」


「なんで……だって本当に私は何もしていません」


「だから、それを証明しろと言っているんだ。

 あぁ、毛布も忘れるな。

 まだ明け方は冷えるからな」


「……私がお近くにいていいんですか。

 オズバンド家が憎くないのですか?」


「国王としてはな、処分せねばならない。

 兄としては……リュシエンヌが幸せなのが一番だ」


口にして、驚いた。

そんなこと、いままで一度も思ったことはなかった。

父亡き後、いつも国王として物事を考えるようにしていたから、王と自分とを切り離すことなど思いつかなかったのだ。

しかし、今目の前にいるアンジェリーヌは、王としての私ではなく、リュシエンヌの兄としてのリシャールを心配していたと言った。


これまで悩み続けた心に、光が差したような気がした。


「……わかりました。

 毛布を掛けに……まいりますわ。

 私は何もしてませんから。証明いたします」


「あぁ、やってみろ」


いまや涙は引っ込んで、視線を合わせてキッと私を睨んでいた。

案外この娘、気が強いのかもしれない。

まぁそうでなければ夜更けに城の中を歩こうなんて思うまい。


「待て」


扉に向かうアンジェリーヌを呼び止めた。


「忘れ物だ」


手を取り、先ほど唇を寄せた手首の内側を、ちゅっと音を立てて吸った。

うっすらと赤い跡がつく。


「な……やっ……リシャール様!?」


「明日も来るという約束の証だ。

 なぁに、一日で消える。

 消えるまでに来なかったら……」


「来なかったら……?」


大臣に悪魔のようだと言われた微笑みを浮かべる。

アンジェリーヌは「ひっ」と息を呑んだ。


「明日、来ます……!」


「あぁ、忘れるなよ」









半年後。

リゼットから手紙が届いた。

幸せに暮らしているという。


「あ……っ、あぁ……リ、リシャール様……」


「なんだ、アンジェリーヌ」


「そんなところまで跡をつけなくても、私、覚えていられますわ……!」


「手首だと他の者に見られたら困ると言ったのは君だろう」


はじめは手首だった口づけの跡は、アンジェリーヌの言葉を受け二の腕の内側に移動していた。

袖をまくって、のぞいた白い肌に舌をはわせ、ついでに二つ三つと跡をつけていく。

私の舌から逃げるようにあげられた腕は、ゆったりとした夜着の隙間からやわらかなふくらみをのぞかせる結果を招いていた。


「んっ……や……っ、そんなところ、触らないでください……!」


髪をかき分け、小さな耳を見つけた。

誘われるまま、唇ではさんだ。


「んん!」


「どうした、アンジェ」


「どうしたも、こうしたも……」


耳の中に、舌を入れる。


「……やっ……だめなのぉ……」


そらされた背をがっちりと支える。

のけぞった首に、獲物をしとめる獣のようにかみついた。

首筋から香る柑橘系の香りを、胸いっぱい吸い込む。


「あうっ」


うっすら残る歯形を、なぞるように舐めた。


「あ……っ

 はぁっ、……リシャール様……!」


アンジェリーヌの膝ががくりと折れた。

今日はこの辺にしておいてやるか。


「明日も来いよ」


毛布はもういらないけれど。

君の香りをかがないと、眠れない体になってしまった。


「もう……いいじゃないですか……。

 私が何もしないのは証明されたでしょう?」


なんだと?

もう来ないと言うのか。

私に会わなくていいと?


「そうだな。

 君は何もしていない。それはわかった」


「ならば……」


嬉しそうな顔が憎い。

そんなに嫌々来ていたのか?


「それで来る理由がないというのなら、理由を作ってやろう」


彼女を抱き上げ、執務室の隣にある仮眠室に運ぶ。

執務室でばかり眠る私のために作られたものだが、もちろん使ったことはなかった。


「え、何……」


「理由がなければ来ないのだろう。

 ならば理由をやる。

 君は私の妻になる。妻は側にいて当然だ。

 ついでに侯爵家も再度取り立ててやろう。悪い話ではあるまい」


言って、夜着に手をかけた。

するりと脱がせて白い肢体を楽しもうとすると……。


「い、嫌です!」


予想以上の強い拒絶に戸惑った。

腕をつっぱり、私を押しのけようとする。

本来なら、そんなか細い腕の抵抗などものともしないのだが、強い光をたたえる瞳に気圧される。


「私、は!

 こんなふうに扱われるのは嫌です!」


そうか、侯爵家のプライドか。

まぁそんなものは一度抱いてしまえばどこかにいってしまう。

脱がせかけた夜着に再び手をかける。


「やめてください! 疑いは晴れたでしょう!?」


「そうだな。

 それで会う理由がないというから、こうしている」


邪魔な布は取り払われ、アンジェリーヌは下着だけの姿になっていた。


「会う理由ならあります。

 私はあなたが好きです!」


「……は?」


寝具をかきよせ、胸の前で合せている。

涙目で上目づかいに睨んでくるアンジェリーヌは、言葉以上に扇情的で、一瞬何を言われたかわからなくなる。


「リシャール様が好きです。

 あなたが好きだから、疑われたままはつらかった。

 疑いが晴れたら気持ちを告げようと思っていたのに、こんなこと……!」


涙は、菫色の瞳に留まることはなく、次々とあふれ頬を伝った。


「家の再興など、どうでもいいです。

 兄は兄で好きにやっているし、両親も田舎暮らしを気に入って、城勤めより生き生きとしているくらいです」


……それはそれで問題だが。

オズバンド、城勤めはつらかったのか。


「そんなものにつられたんじゃなくて……。

 私は、私は、リュシエンヌ様がいらしたころからずっと、リュシエンヌ様に社交界のマナーを教えるからと言われてあがったお城で、リシャール様のお姿を拝見してからずっと、あなたをお慕いしていました……」


だから、誰よりもリシャールを気に掛けた、

王としてではなく、リシャール自身を見ていた。


熱い告白に胸をつかれる。

どう答えればいいのか。

言葉もなくアンジェリーヌを見つめる。


泣きはらした目で、ぐっと私を見つめかえしてくるアンジェリーヌ。

強気な口調とは裏腹に、涙はとまらなかった。

その涙を止めたくて、言葉をつむげないままアンジェリーヌに近寄る。

じり、と寝台の上で逃げるアンジェリーヌ。

いよいよ壁際まで追い詰められて、逃げられなくなった。


身を縮こませるアンジェリーヌ。

無言の私に戸惑っているのか。

それとも無理やり事を進めようとして怖がらせたのか。


きつくつぶられたまなじりにたまる真珠の粒を、音をたてて吸い取った。

もう片方も。

そして、頬に残る涙のあとに、優しく口づけていく。


「……リシャール様……?」


そろそろと目を開ける。

菫色の瞳が私を映す。


「アンジェリーヌ。

 怖がらせて悪かった。

 君の気持ちを考えなかったことも」


ようやく口をついたのは、まず謝罪。

王となり、こんなに素直に謝ったのははじめてだ。

いや、王ではなく、私自身リシャールとしてあやまろう。

そして、告げるのだ。


「アンジェ。

 君に先に言われてしまったけれど、私も君が好きだ。

 どんな手を使ってでも、君に会いたかったんだ。

 寒い夜だけでなく、これからもずっとそばにいてくれないか……?」


「リシャール様……」


再びアンジェリーヌの瞳から涙がこぼれた。

そんなに泣いたら、大きな瞳が飴玉のように蕩けてしまう。


泣き止んでくれ、と思いを込めて、口づけた。

初めての口づけ。

体のあちこちにはしていたけれど、唇には触れなかった。

一度触れたら、もう止められなくなりそうで……。


「アンジェ、返事は?」


唇を離し、瞳を見つめて言う。

ふるふると振られる首は、イエスなのか、ノーなのか。


「アンジェ……」


もう一度、口づけた。

こわばる彼女の体から力が抜けるまで、何度も。何度も。


「アンジェ、返事がききたい」


彼女の香りをかぎながら、耳元でささやく。

拒絶はされていない。

でも返事ももらえない。

もどかしい思いに、じっと耐える。


「アンジェ……。

 私の妻になってくれ」


「………………はい」


返事は、とても小さかった。

一言一句聞き漏らすまいと集中していなければ、聞き逃してしまうほどの。


「アンジェ、本当に?

 もっと、大きな声で教えて」


「リシャール様……。

 あなたの、お望みのままに……」









「それで今日までお預けっていうのは酷くないか」


一国の王の結婚とは、そう簡単にいくものではない。

アンジェリーヌとの婚姻の議会の承諾。

オズバンド元侯爵家の爵位復活。

各国を招いて盛大に行う披露宴は、政治的な意味合いを色濃く含んでいる。

そのための根回しに奔走する日々。

季節は廻り、彼女に出会ってから二度目の春が訪れていた。


あの夜続きをしようとしたら、「結婚するまではだめです!」とアンジェリーヌにきっぱり断られた。

やはりこの娘、強い。


「だって……結婚までは清いままでいなくちゃいけないのよ……」


それは侯爵の教えか。

兄はリュシエンヌを奪っていったくせに、古風な戒めで私を苦しめるとは!

それでも、純白のドレスを着て隣にたたずむアンジェリーヌは、清いままでと本人が言った通り、聖女と見まごうばかりの美しさだった。


「わかってる。

 だからずっと我慢してたんだ。

 今夜は……覚悟しろよ」


「リシャール様……!」


うなじまで真っ赤に染まる姿が愛らしい。

今夜、彼女のすべてが己のものになる。


「あ、ほら、想像しただけで……」


彼女の手をとって、そこに導く。


「きゃっ

 やだ、なんてところ触らせるんですか!」


とっさに引こうとするアンジェリーヌの腕をつかむ。

嫌がる彼女の手首に唇を寄せた。

菫色の瞳をじっと見つけてささやく。


「愛してる。

 ずっと私のそばにいてくれ」


「……はい」


彼女を連れて、露台に出る。

湧き起こる歓声。


既視感をおぼえ、記憶をたどる。

そうだ、リゼットの結婚のときに、同じようにここで国民の祝福を受けた。

父母も、妹2人も失い、一人きりだと思った玉座。

今は自分が愛する人を得て、民の前に立っている。

もう私は一人じゃない。


感極まって、アンジェリーヌの腰を引き寄せた。

私が何をしようとしているか、鋭く察して逃げようとするアンジェ。


「やっ、だめ、みんなの前なのに……!」


「前だからいいんだ」


二人の唇が合わさった瞬間、ひときわ大きな歓声があがった。

春を迎えたデナーシェには、王の結婚を祝うかのように、色とりどりの花が咲き乱れていた。



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