15 馬屋番の塔
その頃、ラウルは街道にいた。
城の周りにいた張りぼての軍勢は、あっという間に蹴散らした。
あまりの手ごたえのなさに違和感を覚えた王が、周囲の探索を命じた結果、こちらは囮だったことがわかった。
本命は王妃だった。
ラウルが報告を受けたときには、すでに別荘に火の手があがっていた。
精鋭と共にティエリーを救出に向かわせ、ラウルは兵を率いて塔を目指す。
途中途中で、小さな戦闘があり、思うように勧めない。
今は早馬などの手配に使っており馬屋番の塔と呼んでいるが、十五年戦争中は、他国侵略の拠点の一つになっていた砦だ。
信頼のおける部下を置いているし、そう簡単に落ちはしないと思うが、ティエリーとの合流地点になっているので、早めに着いておきたい。
「面倒だな……」
采配を振りながら、ラウルはつぶやく。
守るものが増えるほど、動きにくくなるのだ。
守るもの。
それはすなわち、王妃と、子ども。
本当に?
死んでしまえばいい。
敵の手にかかってお腹の子と共にリュシエンヌが死ねば、俺の悩みもなくなるじゃないか。
和平協定? 知るもんか。
戦乱の世に戻るだけだ。
今の俺の力なら、大した問題ではない。
リズをかっさらって、城に迎えよう。
夫がいてもかまわない。さして幸せそうではなかった。
俺なら毎日いやというほど愛してやる。
『ラウル……。あなた、やっぱりこんな器用なことできなかったんじゃないですか』
ティエリーに言われた言葉がよみがえる。
兄のような存在で、そのうち盟友となり、宰相となっても一番の親友。
ラウルのことは、本人以上にわかっている。
はぁ……。
胸の内を吐き出すように、長い溜息をついた。
俺は馬鹿だ。
ティエリーの言うとおり、そんな器用なことはできないんだ。
国を治めてみてわかったじゃないか。
あのとき、デナーシェは難民を受け入れる余裕なんてなかった。
あれだけの数を受け入れたら、あっという間に崩壊して、戦争はもっと長引いていただろう。
自国の民を養うので精一杯だったんだ。
オーレリアがうまくいったのは、元々寄せ集めで、国家への期待なんて端からなかったからだ。
力のある諸侯はほとんどが死に、できた隙間に潜り込んだだけだ。
おばぁや村人が死んだのは、リュシエンヌのせいじゃない。
生まれてくる子どものせいでもない。
運命?
そんな言葉で片付けたくはないけれど、時代のせいということはできるかもしれない。
砦が見える位置まで来た。
思った以上の軍勢だ。
ティエリーはどうしただろうか。
リュシエンヌは。
生命力にあふれる森の少女は、苦い現実を忘れさせてくれた。
自分で招いたことなのに、自分で自分がわからなくなっていた。
俺は逃げたんだ。
リュシエンヌという現実から。
俺は器用じゃないからな。
声を殺して泣く女を前に、憎み続けることなどできない。
この戦いが終わったら、現実と向き合ってみよう。
腹の子は和平の象徴。
愛してみせる。
敵陣が迫る。
ここ最近ないほどの、大きな規模の戦闘になりそうだ。
ラウルは部下に増援を命じ、地形図を片手に作戦を練り直すことにした。
松明はやはり見せかけだったようで、追手の数は多くはなかった。
ティエリーらは追手を残らず仕留め、全員無事に塔の裏門までたどり着くことができた。
「開門!」
裏門の横の小窓を開け、ヨシュアが中にいるだろう門番に指示を出す。
その間にも、念のため周囲の警戒は怠らない。
「リュシエンヌ様のご到着だ!
おい! 開門しろ!」
ヨシュアは声を張り上げるが、一向に門が開く気配はない。
様子がおかしい。
各々の顔に緊張が走る。
リゼットが手持ちの矢の残りを数えようと、矢筒に目をうつしたその瞬間、
「ぐっ……!」
小窓から突き出された槍に、ヨシュアの右目が引き裂かれた。
とっさに身をよじったのか、貫通はしなかったようだが、血しぶきが飛び、地面に倒れこむ。
「きゃああぁ!」
「ヨシュア!」
恐慌を起こしかけたユリアをサウルにまかせ、リゼットは懐にしまっていた手巾でヨシュアの右目をぐっと抑える。
ティエリーが小窓から突き出た槍を握って引き出し、空いた隙間から剣を突き刺す。
中から「ぐえっ」とくぐもった声が聞こえた。
ティエリーと他の近衛が裏門に体当たりをする。
裏門はあっけなく開いた。
飛び込んだ先で、敵兵と塔の警備兵がもみ合っていた。
侵入された直後だったらしい。
思わぬ味方の登場に塔の警備兵たちは勢いづいて、近衛たちと共にあっという間に侵入者をとらえた。
「ティ、ティエリー様、助かりました。
申し訳ありませんでした」
顔見知りらしい警備兵がティエリーに話しかける。
「いや、いい。
怪我人は救護室へ。
リュシエンヌ様を安全なところに頼む。
私は表にまわって王の元に向かう」
ティエリーは警備兵に指示をだし、駆けて行った。
リゼットとユリアは砦の奥へと案内される。
砦の外ではそこかしらで松明の炎が行き交い、怒号と金属のぶつかり合う音が聞こえていた。
「こ、ここで本当に大丈夫なんでしょうか」
案内された部屋に落ち着き、リゼットが手に着いたヨシュアの血を洗い流していると、青い顔をしたユリアが言った。
「ラウル様たちを信じるしかないね。
できれば、何か手伝いたいところだけど」
「お手伝い、ですか?」
「うん。怪我人の手当てくらいできないかな。
私の力も役に立つかもしれないし」
リゼットが言う“力”とは、デナーシェの民が持つ不思議の力。
特に王族は、特別な力があるとされている。
他国で語られるほど劇的な力ではないが、直接触れた者の治癒力を高めるくらいのことはできると言われていた。
表だって戦っては、ティエリーの不審をさらにあおってしまいそうなので、せめて裏方で働きたかった。
「だ、だめです。リュシエンヌ様はここで休んでらしてください」
「でも、みんなが戦っているのに……」
「お気持ちはわかりますが、普通のお体ではないのですから、だめですよ」
「そう……。じゃぁ、ユリアが行ってくれる?
何もしないのは心苦しいよ」
「う。わ、私ですか」
「うん。お願い」
「このお部屋で、お一人で大丈夫ですか……?」
「塔の警備の人がいるからね。大丈夫。
ヨシュアの怪我も酷かったから、ついててくれると嬉しい」
「わかりました」
体よくユリアを追い出したリゼットは、ユリアに付き添って一時的に警備兵の一人が遠ざかったのを確認する。
扉の外にはもう一人。
ここにいれば安全。
それはわかっていた。
もしリゼットが敵につかまるようなことがあったら、余計に迷惑をかけることもわかっている。
しかしリゼットは、ラウルやティエリーが戦っているのに、自分だけ安全な場所で待つことなどできなかった。
どんなにぎこちない夫婦でも。
リュシエンヌを嫌っているとしても。
リズには優しかった。
その微笑みを自分に向けてほしいと思った。
時折揺らぐ瞳は何を言いたかったのだろう。
ユリアが教えてくれた。
毎月、ラウルは部屋を出た後に扉の前でしばらく佇んでいると。
その場所で、彼は何を思っていたのだろう。
ラウル。
もう一度会いたい。
会って、その青い瞳を見て話をしよう。
私たちは、まだ何も始まっていない。
「ねぇ。
あなたも心配でしょう?」
下腹部に手を当て話しかける。
実感はないが、ここに子どもがいるはずだ。
「あなたの父様を守りましょう」
扉を細く開け、外の警備兵に話しかける。
「ちょっと、あの、すみません。
逃げてくる途中で足をひねってしまったみたいなの。
救護室から薬草をとってきてくださらない?」
人の良さそうな男が敬礼をして去っていくのを見送って、リゼットは塔の最上部を目指して駆け出した。