13 想い
王妃懐妊と聞いて、一応声をかけようと思ったが、そのたび食事中であったり眠っていたりして、結局顔は見なかった。
会ったとしても、何を言ったらいいのか、その場で自分がどんな感情を持つかも定かでなかったラウルは、なんとなく眠れない夜を過ごし、日の出とともに森へとでかけた。
無性に、少女に会いたかった。
小川に沿って歩き、一昨日彼女と過ごした場所へと向かう。
木々の間から白い花が見えた。
白い花?
ここにそんな目立つ花があっただろうか。
不審がりつつも足を緩めることなく進むと、花と思ったのは服だとわかった。
オーレリアにはない、デナーシェ独特の意匠。
頭からすっぽりとかぶるような一枚布の白い服。
きれいな鎖骨の少し下に、凝った刺繍のふちどりがある。
抱きしめたら折れそうな腰には組み紐を巻き、結んでいる。
細かな襞が風を受けて広がるたびに、ほっそりしたふくらはぎがちらちらとのぞく。
思わず、見とれた。
いつもの男物でない衣服に身をつつんだ少女は、高貴な巫女を思わせた。
「……おはよう」
何と声をかけたらいいか迷い、出てきたのはそんな平凡な言葉。
「ラウル。
おはよう」
嬉しそうに微笑み返された。
一昨日までとは違った彼女の雰囲気に、心臓が高鳴る。
「昨日、来たか?」
「ううん……ちょっと用……があって、来られなかった。
罠は、さっき来る途中で見てきたけど、一つは逃げられてたし、残りは何も掛かってなかった」
律儀に答えるリゼット。
その間も男は、間近に見る彼女の首筋だとか鎖骨のくぼみだとか、ゆったりした袖からのぞく二の腕などに目を奪われていた。
二の腕……。
ラウルはふと気になって手を伸ばす。
手首をつかまれ、小首をかしげる少女は、なんとも愛らしい。
ふわふわの髪が揺れ、この間かいだ甘い香りがした。
そのまま抱き寄せたくなるのをぐっと我慢して、袖をまくる。
あたりをつけた場所に、うっすらと細い線があった。
「あぁ、やはり……すまん。痕になってしまったな」
それは数年前、男が切りつけた傷。
ラウルと彼女の出会いの証。
そう思うとその傷が愛おしく思え、思わず唇を寄せた。
「ん……ラウル……くすぐったいよ……」
ささやくような少女の声が、男の下半身を直撃した。
傷跡を唇でなぞりながら、腕の内側のやわらかな部分をすっと撫でる。
「あん、やだ……ラウルってば……」
そのまま服の中へと指を差し入れようとすると、べちっと頭を叩かれた。
「やだって言ってるでしょ、この変態!」
頬をうっすら紅に染め口をとがらせる様が、ありえないほど可愛らしかった。
あぁ、だめだ、とラウルは観念する。
俺は自分よりずいぶんと幼いであろうこの子鹿に心を奪われてしまった。
リュシエンヌのことも、宿ったばかりの子どものことも、彼女といると全てが忘れられる。
「おまえがそんな服を着ているから悪いんだ」
一度は振り払われた手を再び取る。
やだ、と言いつつも、少女はラウルに触れられるのを本気で嫌がるそぶりはない。
今すぐにでもその細い体を抱き寄せ、愛をささやき、清らかな柔肌に指をはわせて思う存分味わいたい衝動に駆られたラウルは、その思いのままに身を寄せようとした。
しかし、そんなラウルに、少女は信じられない言葉を口にした。
「だって、ユリ……ううん、家族が、お腹の子にさわるからきっちりした服はだめって言って……」
「お、お腹の子……!?」
あっと慌ててリゼットは自分の口を押えたが、男の耳にはしっかりと届いていた。
「お腹の子ってなんだ。
おまえ妊娠してるのか。
なんだ、いつのまに。
まさかどこかの乱暴者に強姦……」
「ち、違うよ、違う! 夫の子だ!」
夫!?
夫だと!?
予想もしなかった答えに、ラウルの頭は混乱する。
以前出会ったとき、十二・三歳だと思った。
今は十五・六だろうか。
それを言うと、
「そりゃこんな顔だけどさ……十八だよ。
今度十九になる」
十九だと? 十歳差か。
それなら十分あり得る……じゃない。
それよりもっと大事なことがあった。
「おおおおおまえ、結婚してたのか」
「……うん」
デナーシェの民が自国を出るのは珍しい。
商売の他に、結婚してオーレリアに来たのかもしれなかった可能性にまったく気付かなかった。
そして好意を自覚した直後に玉砕した。
普段の言動からは、とても夫がいて家庭をもつ女性には見えないせいもある。
しかし、今日のように柔らかな女性ものの衣服を身に付けると、震い付きたくなるような可憐な美少女だった。
この肌に触れた男がいるのか……。
ラウルは少女の衣服の下を想像し、それを見知らぬ男が組み敷く様子を思い浮かべて、鈍器で後頭部を殴打されたかのような衝撃を受けた。
「子どもができたこと……まだ夫には直接言ってないんだ。
子どもは欲しがっていたけれど、あまり私に関心のない夫だから、なんて言われるか怖くて……」
下腹部を撫でながら、はにかむように話す。
彼女の結婚生活は、あまり幸せなものではないのかもしれない。
もし自分が夫であったなら、こんな顔はさせないのにとラウルは拳を握る。
「でも、いいのか。
そんな時にこんなところで俺に会っていて」
「あぁ、うん。
ちょっと家を抜けてきたから、そろそろ戻らないとね。
ラウルに会いたかったし、ここ……ほら、似てるでしょう」
リゼットの言わんとしたところは、ラウルにもすぐにわかった。
しかも自分に会いたかったと言われて、すぐ嬉しくなってしまう。
人妻とわかって気持ちが離れるかと思ったが、彼女の笑顔がラウルの心を癒してくれるのに違いはなかった。
「あぁ。
おまえの故郷の森に似ている」
「落ち着くの。
良い場所を教えてくれてありがとう、ラウル」
そういって微笑むリズ。
ラウルが好きな、柔らかな微笑み。
あぁ、しかし、この微笑みはすでに他人のものだったのか。
子どもと思い、探しもしなかった月日が悔やまれた。
いつかは会いたいと思いながら馬をとどめ、手入れをしていたというのに。
「ねぇ、ラウルは自分の子どもができたら嬉しい?」
突然そう聞かれて、ラウルは昨日侍医につげられたことを思い出した。
そうだ、俺も子どもができたんだった。
義務でも復讐でも必要なことだ。
そのために毎月通ったんだ。
「あぁ、嬉しいよ」
答えに嘘はない。
「そう……ありがとう」
はにかみながら微笑む彼女。
あぁ、今から家に帰って夫に言うのか。
彼女の夫はそれを聞いてなんと返事をするのだろう。
「じゃぁ、またな、リズ」
ラウルはそう言うのが精一杯だった。
少女が愛しい。
だが彼女には夫がいる。
俺にも妻がいる。
リュシエンヌは、俺のことをどう思っているのか。
愛など、あるわけはないだろう。
それだけのことを俺はしてきている。
じゃぁ俺は?
俺はリュシエンヌのことをどう思っているんだ。
ティエリーが言うように、デナーシェを抜きにした王妃個人のことは……。
リゼットと別れ、答えが出ないまま重い足取りで別荘へと向かう。
休暇はあと二日残っていた。
王妃にこれ以上会うのもつらい。
もう城へ戻るか……そんなことを考えていると、
「ラウル様……! ラウル様!!」
城に敵陣が迫っていると告げる、急使が舞い込んだ。