12 眠るリズ
石に頭を預け、花にうもれるようにして、少女はそこにいた。
ラウルの胸が震える。
来てくれるかどうか、半信半疑だった。
もう一度会いたいと、脅すようにした約束。
彼女はそれを守ってくれた。
足音を忍ばせ、そっと近づく。
すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえる。
上下に揺れる胸に触れたい衝動にかられ、ぐっと我慢する。
無防備に投げ出された手足はすらりと伸びて、細い指先に蟻が登っている。
彼女に触れる虫にさえ軽い嫉妬を覚えて、起こさないようそっと振り払った。
そのまま指を絡ませる。
「んん……」
少女が顔を横に向けると、白いうなじがあらわになった。
ごくりと唾をのみこむ。
ふと、髪を結ぶ昨日とは違う紐が目に付いた。
彼女の髪が好きなのに、この紐は邪魔だ。
そう思ったラウルは、昨日のようにほどいてしまう。
ふわりと広がった柔らかい髪が、少女の白い肌を包む。
化粧っけのないすべらかな肌。
つややかな唇。
長い睫にいろどられた瞳は榛色だったはずだ。
時々陽光を受けて金色に輝いてみえるのが不思議である。
デナーシェの民の特徴なのだろうか。
「そうだ、な。おまえもデナーシェの民だ……」
王妃と同じデナーシェの民。
それはわかっている。
しかし彼女に限っては、憎いという気持ちが湧いてこなかった。
命の恩人だからだろうか。
ラウルが見つめる傍らで、少女は眠っている。
早く目をあけて自分を見てほしいような、このまま眠る姿をずっと見つめていたいような複雑な気分にかられる。
しばらく眠るリゼットを見つめていたラウルだったが、ふいにいたずら心が起こり、チュニックの紐に手をかけた。
格子状に組まれた端を軽く引っ張ると、するりとほどける。
一本、また一本とほどいていき、胸元からなだらかな双丘を越え、もうすぐへそに達しようとしていたところでリゼットが気付いた。
「ん……何……」
うっすらと開かれた瞳がラウルをとらえる。
「あぁ、起きたか」
ラウルは、へそまでいったら、次はその下のシャツのボタンに手をかける気でいた。
起きてしまったのが残念だ。
「な、な、な……!」
リゼットは目の前の男と自分の胸元を交互に見やって、赤くなったり青くなったりしている。
「しっかし、育ったなぁ、おまえ」
ぽん、と大きな手が置かれたのはリゼットの胸の上。
そこまでされて、ようやく少女も目が覚めた。
「ラウルーーーー!」
リゼットがすばやく立ち上がって矢をつがえる。
彼女の腕前をわかっているラウルは、狙われたらひとたまりもないと慌てて木立に逃げ込んだ。
スタン!
案の定、リゼットの放った矢が、ラウルの隠れた木に刺さる。
「あ、あなたって人は……!
一体っ、何がっ、したいんだっ」
タン! タン! タン!
木々の間を逃げるラウルを、矢が追いかける。
「いやいや、命の恩人に一言礼がいいたくてな」
「人の服脱がそうとしておいて、何が礼だ!」
スタン!
また一本、ラウルの目前に突き刺さる。
「ははっ、あのときは本当に助かったぞー。
ありがとうなー!」
「くそ……っ
助けるんじゃなかった」
「はははははっ……おっと」
タン!
リゼットの放った矢が、ラウルが一歩踏み出そうとした先にめり込んだ。
身を返して木に隠れたラウルは、次の矢はどこに来るかと身構える。
しかしいつまでたっても、矢は飛んでこなかった。
「どうした、もう終わりか」
「矢が尽きた」
「ははっ、そうか」
それならばと木陰から出ると、リゼットは初めの位置からほとんど動かずに座り込んでいた。
「どうした。具合でも悪いのか」
「うるさいな……」
言う声に、なんだか力がない。
顔色も幾分悪いようだ。
心配になったラウルがリゼットの顔を覗き込むと、
……くぅ
少女の腹がなった。
「ぷ……は……ははははははは!」
「わ、笑うな!
朝あんまり食べなかったんだよ!」
「くくっ、そうか。悪い。
昼飯を持ってきている。一緒に食おう」
ラウルは、リゼットがはじめに眠っていた石のそばに置いておいた籠を持ち上げる。
中には、料理人が用意したパンに肉や野菜をはさんだものや果物、ワインなどが入っていた。
リゼットは果物を喜び、食べ終わると一緒に矢を作ったり森に罠を仕掛けにいったりした。
楽しい時間は、あっという間に過ぎた。
「明日も来るか」
別れ際、そう聞いた。
「来なかったら牢屋にぶちこむんだろ」
ちらりとラウルを見たリゼットは、矢筒を背負いながらそう言った。
ラウルの顔色が、さっと変わる。
あぁ、そうか。
こいつは昨日の俺の脅しを真にうけて、今日ここに来たのか。
自分に会いにきたのではない。
楽しいと、嬉しいと思っていたのは自分だけだったのだ。
そのことに、少なからず衝撃をうけた。
「……そんなことはしない。
第一今日は俺も一緒に罠を仕掛けただろう。
とれた獲物はおまえにやる」
ありがとう、と言った少女の顔はあきらかにほっとしていた。
リゼットを見送りながら、ラウルはとても惨めな気分になった。
先ほどまではあんなに輝いて見えた森が、急に色あせて見えた。
「何がオーレリアの王だ。
あんな子ども一人の心も自由にならないじゃないか……」
吐き出されたつぶやきは、森の中に消えた。
ラウルが別荘に戻ると、王妃はまた熱を出していると言われた。
夕食の席にも現れなかった。
体が弱いという話は聞いていなかったが、昨日、今日と続いているので多少王妃の身を案じる。
心配というより、国政のため、“こんなところで死なれては困る”といった感情ではあるが。
翌日の朝食時には、早朝に着いた侍医が診察中だと聞いた。
ちょうど食べ終わったところに、うやうやしく侍医がやってきて、
「おめでとうございます。ご懐妊です」
と言った。
あぁ、そうか。と特に感慨もなく、ラウルは侍医の言葉にうなずく。
使用人たちがおめでとうございますと口々に言うのを受けながら、ラウルは席を立つ。
望んでやったことだった。
義務でもあり、復讐の一つでもあった。
歴史ある大国の王女が、平民の子を産む。
許すも許さないも、愛すも愛さないも、己の心次第。
胸が、空くだろう……?
今後の予定など侍医と話し合い、城に残っているティエリーに手紙を書いているうちに日暮れになってしまった。
彼女は森に来ただろうか。
なぜか、虚しい。