11 距離
ラウルの手から逃れ別荘に戻ると、やっぱりユリアに怒られた。
「あああ、なんですかこの髪は!
ただでさえからまりやすいのに、葉っぱやら枝やらたくさんつけて!
紐はどうしたんですか。私がくくってさしあげたでしょう!」
「う……あ……あの……落とした……のかな?」
ユリアに言われて髪に手をやったリゼットは、そこで初めて紐がないのに気付く。
野兎を仕留めたところまでは結わえていたはずだ。
そのあと自分で縛り直しさえした。
いつのまにほどけたものか。
「落としたじゃありませんよ。
あれ、ただの紐じゃないんですよ。
中に細い鎖が編みこまれていて、万が一のときに首を守るようにもなってるんですからね」
後ろから襲われた時に、ちょうど当たれば剣を跳ね返すくらいの強度を持っている。
逆に、ほどいて相手の首をしめることもできる。
王女であるのに幼い頃から飛んで歩いているリゼットへの、ユリアのせめてもの心遣いだった。
「えっと、その紐、特注の限定品だったりする?
それ拾うと身元がばれるとか」
「あぁ、そこまでのものではありませんよ。
まだいっぱいありますし、大丈夫です」
にこりと微笑んだユリアの手には色とりどりの似たような紐。
リゼットは、ほっとすると同時にのどの渇きを覚えた。
「よかった。ね、ユリア、何か飲み物くれる?
甘いのじゃなくて、さっぱりしたのがいいな」
「檸檬水をお持ちしましょう。
お腹はすいてらっしゃいませんか。お夕食まではまだ少し時間がありますが」
「んー、平気。なんだかあまり食欲がない」
「そうですか?
そう言って、朝もお昼もほとんど召し上がっていないではないですか。
お夕食はきっちり食べていただきますからね。
あ、でも……」
「ん?」
「ラウル様がいらしてるんでした。
リュシエンヌ様は体調を崩されて休んでらっしゃるので会えない、とごまかしておきました。
お夕食のときにはごあいさつしたほうがよろしいかと思います」
「あぁ、そうだった」
リゼットは先に戻ってきてしまったが、遅かれ早かれ、ラウルも別荘に戻ってくる。
喉を心地よく通る冷たい檸檬水を二杯飲んで、リゼットはリュシエンヌとなるべく化粧を始めた。
この数か月で、姉に似せた化粧は自分一人でできるようになった。
鬘をかぶり、扇を手にしてオーレリア風の豪奢なドレスを身にまとえば、“リュシエンヌ”のできあがりだ。
身支度を整えたリゼットは、ユリアが呼びに来るまでと思って寝台に横になった。
ふかふかの寝具が体を包み、枕の中に入れられた香り袋からはほのかにいい香りがする。
「リュシエンヌ様、お夕食の用意が整いました。
リュシエンヌ様? あら……」
昼間のラウルとの遭遇のせいだろうか、リゼットはそのまま眠ってしまっていた。
「ラウル様がお待ちですのに、仕方ありませんわね。
あ、そうだわ」
主に夕食の準備が整ったことを伝えに来たユリアは、服を着替えさせようとして手を止める。
そして、何か思いついたという様子で、別室へと向かっていった。
翌朝――
少し休むつもりが朝まで眠ってしまったリゼットは、ばつが悪い思いで食堂に向かった。
「なんで起こしてくれないの」
「よく眠ってらっしゃいましたので。
元々体調がすぐれないというお話をしてありましたし、眠ってらっしゃるご様子をラウル様に見ていただきましたから、信憑性が出てよかったです」
「そういう問題かなぁ」
「ごまかす方も結構大変なんですよ?
さぁ、よろしいですか」
食堂の扉を開ける前に、ユリアがリゼットに確認する。
リゼットはすねるように尖らせていた口元を引き締めると、一呼吸おいてユリアにうなずいた。
ゆっくりと開かれた扉の先には、二十人ほどは座れようかと思われる長いテーブル。
その一番奥に、ラウルがいた。
夫を見止めたリゼットは、ドレスの端をつまんで礼をする。
「おはようございます、ラウル様。
昨日は申し訳ありませんでした」
声は高めに上品に、を心がけ、しずしずと話す。
「体調を崩したそうだな。今はもういいのか」
「はい、おかげさまで。ご心配くださり、ありがとうございます」
「心配など……。まぁ、いい。座れ」
「はい」
ユリアが椅子を引く。
テーブルの最も長い辺に対極になるよう向かい合わせに座ると、すぐに料理が運ばれてきた。
「……別荘での暮らしはどうだ」
「はい。森を抜ける風が心地よく、お城での暑さが嘘のようです」
「城は嫌か」
「そ、そういうわけでは」
「ふん……。不便はないか」
「はい。ラウル様のお心遣いのおかげで、とても快適に過ごしております」
「そうか」
「……」
「……」
「……」
王と王妃との間には三つ又の燭台と花台が置かれており、互いの顔はほとんど見えない。
ぽつぽつと交わされる会話は長く続かず、教育の行き届いた使用人は、皿一つ下げるにも音を立てることはない。
気詰まりな食事は、運ばれてくるものをひたすら咀嚼することに時間が費やされた。
「俺はこれから出かける。おまえはどうする」
「え……はい……そうですね」
お茶が出される段になって、ラウルが尋ねてきた。
どうする、とはどういうことだろう。
一緒に行くかどうか聞かれているのだろうか、と悩んだリゼットは、とりあえず無難に答えることにした。
「散歩にでも、でようかと」
「そうか。
俺は森へ散策に行ってくる。
一週間滞在するが、俺が来たからと言って無理に合わせる必要はない。城と同じように好きにしろ。
昨日は一日寝ていたのだろう。
念のため侍医を呼んでおいたから、あとで診察を受けるといい」
「ありがとうございます」
なんだ、誘われたわけではなかったのだ、とリゼットは思う。
けれど、森の散策と聞いて、はっと思い出した。
そうだ、森!
昨日無理やり約束させられたのだった。
行かなければいけないだろうか。
「お昼はどういたしますか。何かご用意いたしましょうか」
それまで黙って給仕をしていた使用人の一人が、ラウルに尋ねた。
「そうだな。軽く何か作ってくれるか。
持っていく」
「わかりました」
「昨日子鹿を見かけてな。今日はつかまえてみようと思う」
それまで平坦だった男の声に、何やら楽しげな色がつく。
それに気付いた使用人が、
「鹿なんてあの森にいましたかねぇ」
と話を合わせてきた。
彼らにとってもこの食事は相当に気を使うものだったらしい。
「はねっかえりのおもしろい子鹿さ。
ふわふわの毛が気持ちいいんだ」
それはもしかして……。
「あの、その子鹿、もし見つからなかったらどうなさいますの?」
リゼットが話に乗ってくるとは思わなかったのか、ラウルは楽しそうな笑顔をひっこめてリゼット一瞥すると、すっと目をそらして言った。
「さぁな。
見つかるまで探すか。
いっそのこと山狩りか……」
鹿一匹におおげさな、と使用人が笑い、ラウルも調子を合わせて笑った。
「今日もいないなら気が楽ですね」
朝食を終えて部屋に下がるとユリアがそう言ってきたが、リゼットはそれどころではなかった。
ラウルの言う子鹿とは自分のことだ。
昨日ラウルは何と言っていたか。
ここは王領で、勝手に猟をしたリゼットを牢にぶちこむと言っていた。
先ほどの話を合わせると、来なかったら山狩りをしてでもとらえるということか。
それは困る。
「ユリア、私も森へ行く」
「元気になった途端に何をおっしゃいますか。もしラウル様に会いでもしたら」
そのラウルに会いに行く、とはユリアには言えない。
「気を付ける」
「だめですよ、リュシエンヌ様。
お医者様もいらっしゃるというし、今日は大人しく……」
ユリアが止めるのを聞かずに、リゼットは手早く化粧を落として服を着替える。
そして矢筒を背負って窓枠に手をかけ、
「ごめんね、あとはよろしく」
「リュ、リュシエンヌ様!」
と、ユリアの声を背中で聞いて森の小道へ駆けて行った。
「小川を上に辿って、少し開けたところだったよね」
ラウルに言われた通りに歩いて行くと、木々が急に開け青々とした下草に小さな花が咲き乱れる場所に出た。
小鳥が朝のあいさつをする声が聞こえ、蝶が舞っている。
ラウルがまだ来ていないことに安心すると、リゼットは手近な石に腰かけた。
昨日は寝てしまって夕食を抜き、今朝もラウルを前にして緊張して食が進まなかったせいか、体がだるい。
耳に心地いい水の音を聞くともなしに聞き、ぼぅっと景色を眺めていると、ふいに眠気が襲ってきた。
「ふぁ……」
あくびが一つ。
いけない。このままでは寝てしまう。
手慰みに足元の花を摘むと、さわやかな甘い香りが鼻をついた。
「ここ、落ち着くなぁ」
くるくると花を指で回しながら周囲を見回していると、この場所がデナーシェの天使の森に似ていることに気付いた。
懐かしさに気がゆるむ。
ラウルはまだ来ない。
「ふぁ……」
もう一つあくびが出るころには、榛色の瞳は半ば閉じかけていた。
摘んだ花がはらりと落ちる。
「昨日もだけど……最近、なんか眠……ふぁ……」
腰かけた石からずるずると滑り落ちる。
こてん、と石に頭をもたれれば、まぶたが自然に降りる。
天使の森に似た場所でラウルを待ちながら、リゼットはいつのまにか眠ってしまった。




