1 大陸歴五四三年~オーレリア村~
「ラウル、起きな! 朝だよ」
村の朝は早い。
夜明けとともに祖母に起こされて、ラウルは眠い目をこすりながら家の隣に建てた鳥小屋へと向かう。
十数羽の鶏たちは、ラウルが来たのに気付くと、小屋の入口につめかけて騒ぎ出した。
「ほいよっと。今出してやるからな」
ひっかけるだけの錠をはずし、扉を開ける。
「うわっ」
ばさばさばさーっ
羽毛が舞う。
鶏たちはギャッギャッとけたたましい音を立てて、庭に駆けて行った。
「やれやれ。
お、今日はたくさんあるな」
鶏たちが出て行った小屋の中には、新鮮な卵が産み落とされていた。
持ってきた籠に卵を拾って入れ、小屋の掃除をする。
さらに庭で虫や草をつついていた鶏たちにえさをやり、卵を台所に置いて畑の見回りに出た。
道端に咲く、名もない野花。
村人が丹精込めて育てている畑の野菜は、日の光を受けてつやつやと輝いている。
その畑の向こう、柵で覆われた場所では、朝露に濡れるやわらかな草を山羊が食んでいる。
ラウルは村の一番外側まで来ると、村を守る防護囲いが壊れていないか、夜の間に獣に荒らされていないかなどを調べた。
そして、村の端にある両親の墓に道で摘んだ花をたむけ、祖母の待つ家へと足を向けた。
朝日に輝く、のどかな村の風景―
この村に生まれて十四年。毎日見てきた景色だったが、それが永久に続くものではないことを、ラウルは知っている。
戦争だ。
小国の諍いから始まった戦争は、周りの国を巻き込み、だんだんと大陸全土へ広がりを見せていた。
軍備のために少しずつ税が重くなり、大人たちは徴兵される。
初めは遠い国のことと思っていたが、ラウルの住むここオーレリア村にも、少しずつ影響が出始めていた。
今はもう、15歳以上の男はいない。
年寄りと子どもだけになったこの村で、自分にできることは何か。
そう考えて、彼は村の見回りを自らの日課としていた。
「おはようさん、ラウル」
もうすぐ家だ、朝飯はなんだろうと思いながら歩いていると、隣人に声をかけられた。
「おはよう、ダンじいさん。
東の縄が少し緩んでたから、直しておいたよ。」
「おお、ありがとう。いつも見回りご苦労じゃの。
最近このあたりも物騒でなぁ。囲いを強化しようかと話しておる。
わしらだけじゃとてもおいつかんて、その時は手伝いを頼むよ」
「わかった。ティエリーと一緒に行くから、声かけてくれ」
「助かるわい。よろしくな」
手を振って、ダンと別れる。
家の木戸を開けたところで、今度は先ほど話に出てきたティエリーがいるのに気付いた。
「やぁ、ラウル」
「よぉ。おはよう。こんな朝早くからどうした」
「いや……」
ラウルの家の裏にある大木の陰から出てきたティエリーは、何か言いたそうに口ごもった。
朝から待ち構えているくらいだ、よっぽどのことがあったのだろうと思うが、無理に聞きだすのも悪い。
ひとまず、ラウルはダンに頼まれた件を伝えることにした。
「あのな、ダンじいさんが囲いの強化を手伝ってほしいって言ってた。
後で声がかかると思う」
「あぁ、そうか。
うん。それはいいんだ。それは……」
顎に手を当てて地面を見つめるティエリー。
明るい茶色の髪が、さらっと頬にかかる。
真っ黒で頑固な直毛のラウルの髪とは大違いだ。
違うといえば、大雑把なラウルと違い、優しげで人当たりの言いティエリーは、村の女たちにとてももてた。
戦争で、若い男をとられた村の婚姻事情は深刻だ。
ラウルより一歳上の十五とはいえ、村で一番年かさの男であるティエリーは、すでに女たちに狙われていた。
もしかして、そっち方面の悩みだろうか。
だとしたら俺は役に立てないぞ。
妙に焦りつつも、ラウルは年上の友を気遣う。
「ティエリー? どうした?」
「……なんでもない。心配かけてごめん。
そうだ。もうすぐ剣が打ちあがるんだ。
出来たら一番に知らせるからな」
「うん、楽しみにしてる」
手を振って、ラウルはティエリーが家に帰るのを見送る。
ティエリーの父親は、村で唯一の鍛冶職人だった。
なかなかにいい腕で、時には打った剣を都に納めることもあった。
けれどこの前の冬に、その腕を買われて徴兵されてしまった。
村で剣を必要とすることはないが、鋤や鍬は使う。
壊れた農具の修理ができる人がいなくなり困った村人を見かねて、ティエリーが見よう見まねで修理を始めた。
父親の手伝いをしたこともあったようで、その出来栄えはなかなかのものだった。
すると、そのうちに剣を作ってみたいと言い出した。
ティエリーは父親が残した道具や材料をかき集めて、修理や畑仕事の合間にこつこつと鍛え始めた。
そうして作った初めての一振りが、もうすぐできあがるという。
「できたら、触らせてくれるかな」
足元の枝を拾って構える。
ひゅっ
何とも頼りなげな軽い音がした。
ティエリーには自分の道がある。
俺には、村の見回りや手伝いくらいしかできることがない。
ひゅっ
ラウルは、枝を振るう。
何度も、何度も。
胸にくすぶる思いを断ち切るように――
「ラーウル、どこ行ったんだい!
朝飯だよ!!」
祖母が呼ぶ声が聞こえた。
「はぁい、今行く!」
ラウルは枝を放ると、祖母の待つ家に駆け戻った。
「わああぁぁぁぁぁ!!!」
ある日の夜、村に火が放たれた。
突然の出来事に、村人たちは逃げ惑った。
「うっ、こりゃ……何事じゃい。
ラウル! ラウル、どこだい!」
「おばぁ、こっちだ! 早く! 逃げよう!!」
ラウルも祖母の手を引いて、家を飛び出す。
事の発端は、昼間村にやってきた、見慣れぬ5人の男たちだった。
皆一様に疲れ果てた顔をして、どこの国のものかわからない、ちぐはぐな軍装に身を包んでいた。
自分たちは、戦地から逃げてきた。
どうしても家族の元に帰りたい。
一夜の宿と食べ物を恵んでほしい、と言った。
親切な村人は、快く彼らを受け入れた。
「ひゃははははは!
気楽に暮らす馬鹿どもめっ
おまえらに戦争の苦労がわかるか!」
ところかまわず剣を振り回し、もうすぐ収穫を迎えるはずだった作物を荒らすのは、昼間子どもに会いたいと泣いた男。
他の男は、家々を回り、金目のものや食料を強奪している。
逃げながらも、ラウルは男たちの様子を目で伺う。
……一人足りない。
「きゃあぁぁぁぁ!
やめてっ、やめなさい!」
「へへっ
気の強い女は嫌いじゃねぇよ。
ほれ、逃げてみろ。逃げてみろよ」
悲鳴を聞きつけて振り向けば、いないと思った男が見事な金髪の女の手をつかんで、引きずり回していた。
つかまれているのは、ダンの孫で今年十七歳になるアディだ。
「や、やめろ、孫に手をだすな」
「うるせぇ、じじい! 引っ込んでろ!」
どかっ
男がダンを蹴り倒す。
腹を押さえたダンは、地面に横たわって動かなくなってしまった。
「おじいちゃん! あぁ……」
「くくっ。
女ぁ。さっきまでの威勢はどうした。
そうさ、弱いもんは強いもんに逆らっちゃいけねぇんだよなぁ」
男は、下卑た笑いを顔に浮かべると、アディを物陰へと引きずって行った。
「おばぁ、村の墓地まで歩けるか。
そこで待ち合わせよう」
「ラ、ラウル。
おまえ、どこへいくんだい。まさか……」
「村の人が襲われてるのに、ほっとけないだろう」
「や、やめておくれ。
アディ《あのこ》はかわいそうじゃが、おまえまでいなくなったらわしは……」
「おばぁ、後でな!」
「ラウル!!!」
祖母が叫ぶ声を背中で聞いて、ラウルは男が消えた方向へ向かう。
途中、倒れたダンを抱き起して、手近な塀に寄りかからせる。
腹は痛そうだが、大丈夫、命に別状はなさそうだ。
「ダンじいさん!
アディのことは俺にまかせろ!
村の墓地で待っていてくれ」
「あぁ、ラウル……ラウル……頼んだぞ……」
弱々しく上げられた手を、ぎゅっと強く握ってから、ラウルは駆け出した。
くそっ
あの男、どこへ行った。
近くの家の裏にはいなかった。
炎に照らされる村の中を、必死に走る。
親とはぐれた子や道端で放心している村の女などに、墓地へ向かうよう声をかけながら、武器になりそうなものを探した。
「ちっ
こんなものでもないよりましか」
落ちていた鎌を拾ったその瞬間、
「いやああぁぁぁぁあ!!!!」
すぐそばの小屋の中から叫び声がした。
「アディ!」
夢中で目の前の木戸をけやぶる。
そこで見たのは、殴られたのだろうか、頬を腫らしつつも男を睨みつけているアディと、彼女にのしかかり、醜い尻をさらす男の姿だった。
「てめぇ! 何してやがる!」
怒りで、目の前が真っ赤に染まった気がした。
無我夢中で、手に持った鎌を力いっぱい男の肩めがけて振り下ろす。
「ぎゃあぁぁぁぁ!」
鎌を肩に突き刺したまま、男がもんどりうった。
その隙に、アディの手をとり引き寄せる。
「アディ、早く、こっちだ!
大丈夫? 何もされてない!?」
「あぁ、ラウル、ありがとう。まだ何も……」
がくがくと震える彼女は、それだけ言うのが精一杯の様子だった。
「よかった! 立って、ほら」
衣服を引き裂かれ、大きく開いた胸元に上着をかけてやる。
自分より頭一つ背の高いアディの腕を肩に掛け、なんとか立たせて逃げ出そうとしいていると、
「こんのくそがきがぁぁっ
なめた真似しやがって!!!!」
さっきの男が肩から抜いた鎌をもって、襲いかかってきた。
足元に落ちていた棒で応戦する。
「くそっ、アディ、村の墓地だ! 村の墓地へ向かって!!」
「ラウル、だめ……。
足に力が入らない」
いつもは強気のアディも、恐怖のため腰が抜けてしまったのか。
小屋の隅に座り込んで、動けそうにない。
「くっ」
鎌の切っ先が、ラウルの首筋をかすめる。
棒の先で男の胴体を突いて、少しでも自分たちから離そうとするが、だんだんと、アディ共々小屋の隅に追い詰められた。
男が鎌を振り上げる。
これまでか。
おばぁ、ごめん。
アディを背中にかばって、ぎゅっと目を閉じた。
「ぐはっ」
「ラウル!」
血しぶきがとぶ。
アディがラウルの背中をつかむ。
どさりと鈍い音がして、倒れたのは――アディを襲おうとしていた男のほうだった。
「大丈夫か!?」
「ティエリー! あ……。助かった」
ラウルがほぉっと長い息を吐く。
男は、背中を斜めに切られて絶命していた。
ティエリーの手には、血に濡れた一本の剣。
「それ、もしかして」
「あぁ。夕方、打ちあがったんだ。
明日おまえに見せようと思ってたんだけど、こんなことになるなんて」
軽く振って血を払い落し、ティエリーは剣をラウルに渡す。
そしてアディの体の下に腕を通すと、よいしょと抱き上げた。
「アディ、怖かったな」
「ティル、ティル……うぅっ……」
アディは、泣きじゃくってティエリーの首にしがみつく。
ラウルはといえば、男の死を確認し小屋の外の様子を伺ってから、ティエリーに向かって顎をしゃくった。
「生き残った人たちは村の墓地に向かってる。
俺たちも行こう」
「あぁ。
その剣はおまえが持っていてくれ。
きっと俺よりうまく使えると思う」
「ティエリー?」
「ふっ
知らないとでも思ってたのか?
毎日こっそり家の裏側で素振りの練習をしていただろう。
それはおまえの剣だ。
おまえのために作ったんだよ」
そうだったのか。
両親が死んでから、一生懸命俺を育ててくれたおばぁ。
いつも温かく声をかけてくれる人々。
俺に懐いてくれる村の子どもたち。
いつかこの手で守れるようになりたいと思っていた。
そんなラウルの想いを、友はわかっていてくれた。
「ありがとう、ティエリー。
大事にする」
「ははっ
初めて作ったからな。強度はわからないぞ。
切れ味は……。まぁ、さっき見た通りだ」
絶命した男の傷口を見る。
ぱっくりと割れたそこは、黒ずんできた血の間に、白い骨をのぞかせていた。
一撃でこの威力。
軍に徴兵されるほどの職人の息子は、確かな技を受け継いでいた。
「急ごう。みんな待ってる」
「あぁ!」
ティエリーに声をかけて、小屋を出る。
剣を持つ手に力を込めて、ラウルは祖母の待つ墓地へと駆け出した。
時は流れ――
「ラウル、そろそろ時間ですよ」
山積みの書類に署名を書きなぐっていたラウルに、ティエリーが声をかけた。
「……ちっ、面倒くせぇな。」
がりがりと頭を掻くと、勢いをつけて立ち上がる。
「あなたね、仮にも王様になったんだから、もうちょっと上品になさい」
「うるせぇな。上品な王様がよけりゃ、おまえがやれ」
あの日。
村を出た二人は、一つの国を作った。
国の名は、村と同じ、オーレリア。
その執務室には、一振りの剣が飾られている。
今見れば、材質こそ良いものであれ、決してほめられた出来ではない。
装飾の一つもなく、重さのバランスもいまいちだ。
しかし、この剣がここまでの二人を支えてきた。
「ようやくこぎつけた和平ですからね。へまをしないでくださいよ」
「はっ
自分の名前くらい書けらぁ」
執務室の扉が開く。
彼らの悲願が、目の前にあった。