EP 1
魔王降臨と、絶望の「兵站」
「――面を上げよ」
その一言が、愛知県庁の特別会議室に響き渡った。
凄まじい威圧感だった。声量は決して大きくない。だが、その声帯から発せられた音波には、逆らうことなど到底不可能な「王の覇気」が宿っていた。
「はっ……!!」
大理石の床に額を擦り付けるようにして平伏しているのは、愛知県知事、県警本部長、そして自衛隊の制服組たちである。
数時間前まで現代日本のエリートだった彼らの脳髄には、今や一つの強烈な常識が刻み込まれていた。
『この御方こそが、我らが主君。絶対の殿様である』と。
男は革張りの最高級チェアに深く腰掛け、窓の外――立ち並ぶ名古屋の摩天楼を見下ろした。
織田信長。
かつて第六天魔王と呼ばれた男は、現代日本に蘇った己の魂と、脳内にインストールされた『現代知識』という名の莫大な情報を、瞬時に整理していた。
インターネット、内燃機関、航空戦力、そしてアサルトライフルやミサイルといった現代銃火器の概念。
信長は微かに口角を上げた。
「……なるほど。鉄砲は連射ができ、馬は鉄でできているというわけか。面白い」
信長は視線を室内に戻し、最も屈強な体格をした初老の男を指差した。
迷彩服(3型)を身に纏い、腰に官給品の9ミリ拳銃(SIG P220)を下げたその男は、ビクッと肩を震わせる。
「そこの面構えの良い男。名を何と申す」
「はっ! 陸上自衛隊 第10師団、1等陸佐の鬼又弥太郎と申しまする!」
50歳を迎える叩き上げの連隊長、鬼又弥太郎。数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろうその強面も、今は信長を前にして歓喜と忠誠に紅潮していた。
「弥太郎。貴様の頭の中にもあるはずだ。盤面の状況を報告せよ」
「御意にございます!」
鬼又は姿勢を正し、淀みなく答えた。
「現在、日本列島は完全に分断されております。47都道府県すべてが独立勢力となり、各地に嘗ての英傑たちが降臨している模様。また、国境は完全に封鎖され、在日米軍基地は沈黙。一切の不可侵領域となっております」
「海外からの支援は無い、ということだな」
「はい。完全なる鎖国状態の『戦国乱世』にございます」
鬼又はそこでニヤリと、軍人らしい獰猛な笑みを浮かべた。
「しかし、我が尾張・三河……愛知県軍は圧倒的優位にあります。第10師団の精鋭に加え、小牧基地の航空戦力。何より、三菱重工業やトヨタ自動車といった、世界最高峰の軍事・産業基盤がこの地に集結しております! 最新鋭の10式戦車と戦闘機をもってすれば、近隣の国人共など赤子の手をひねるようなもの。すぐにでも進軍の御下知を!」
勝利を確信した鬼又の進言。
周囲の幹部たちも「おおっ」と力強く頷いた。現代の兵器と工業力があれば、天下布武など容易い。誰もがそう思っていた。
――だが。
信長の目は、氷のように冷たかった。
「……弥太郎。貴様、その階級に至るまで、軍略の何を学んできた?」
「え……?」
「もう一度問う。その鉄の馬や空飛ぶ鉄塊は、何を食らって動くのだ?」
鬼又は一瞬言葉に詰まった。
「そ、それは……航空燃料や、軽油、ガソリンといった石油資源であります」
「我が愛知における、その『石油』の自給率は何割だ?」
「……ッ!!」
鬼又の顔から、さぁっと血の気が引いた。
そうだ。ここは鎖国状態の日本なのだ。中東からのタンカーはもう来ない。
「じ、自給率は……ほぼゼロ、です。県内の備蓄基地にある燃料が尽きれば……」
「そうだ。数ヶ月もすれば、貴様の誇る最新鋭の戦車も戦闘機も、ただの巨大な鉄クズと化す」
信長はゆっくりと立ち上がり、将棋の盤面をひっくり返すかのように、机の上にあった作戦地図を指で弾いた。
「兵器のカタログスペックなど何の役にも立たん。これは火力で押し潰す戦ではない。限られた資源を奪い合う、極限の『飢餓戦』だ。備蓄が尽きる前に、盤面の急所を制圧せねばならん」
信長の覇気に当てられ、鬼又は冷や汗を流しながらも、その底知れぬ智謀に武者震いを覚えた。この御方は、現代の軍人すら見落としがちな兵站の致命的な弱点を、目覚めて数分で見抜いたのだ。
「弥太郎。戦車の稼働は最小限に控えよ。代わりに『トヨタ』の長をここへ呼べ。悪路を走破でき、燃費の良い四輪駆動の荷車を限界まで増産させる。それに機関銃や対戦車ミサイルを積むのだ」
「ハッ! 直ちに!」
「目指すは伊勢(三重県)にある四日市の巨大な油田だ。まずは奴らの喉元を食いちぎり、我が軍の『血』を確保する」
令和の第六天魔王は、獰猛な笑みを浮かべて宣言した。
「さあ、天下布武の続きを始めようか」




